016:ただいま会議中 三
「だ……だめだめ、だめですよ!!」
あたしは首も両手もぶんぶん振った。
何とか断らなければ。
どうにかして家に帰らなければ。
「だってあたし、それこそ足手まといになりますもん。馬にも乗れないですし、長距離歩けないですし、お店だって空けられないし……あっそうだ、お金も持ってないんです! パン屋の売り上げなんて高が知れてますし、旅費が出せま」
「心配いらぬ、わらわが出そう」
「へっ──いやいやだめですって、せめて家族に相談」
「心配いらぬよサトコちゃん、タカコさんにはワシからもちゃーんと話すからの、大丈夫じゃ」
「そ、そんなぁぁ」
「サトコどのと申したか!!」
轟音が部屋の空気を震わせる。
全員が上様に視線を向ける中、知らん顔してるのはマーロウさんの肩の鳩だけ。
「余の方からも頼みたい! コズサの供をしてくれまいか!」
「えっ……えええ」
「コズサは女じゃ。しかも生まれてこの方、身の回りのことと言えば女官共の役目であった。
何も出来ぬこの娘が城から離れること、余は心配で心配で心配で」
上様はそれからもう三回「心配で」と繰り返し、「だん!」と机を叩いて叫んだ。
「心配で、ならぬッ!!」
「はあ……」
「近衛士二人とこの娘の道行きでは、どうなることやら先は見えておる。腕の立つ近衛士といえば幾人かの顔が浮かぶが、それらを顎でこき使い疲弊させるのが関の山。また王の娘の細やかな世話が、あれらに務まるとも到底思えぬ。アルゴと二人で往く方がまだマシというものじゃ!」
「は、はあ……」
「その点そなたは同じ女、それにコズサと歳も近いと見た。此度の道行に帯同してくれるとあらば、余も少しは安心できようというもの!
如何であろうかサトコどの、勿論礼もさせてもらう。所望するものがあれば何なりと申せ!!」
「……や、別にないです欲しいものなんて」
「む、なんと無欲なことよ。それでこそますます頼もしい!!」
「たのも……違います、あたしは家に帰りたいだけなんです!」
最後、語尾が震えてしまった……ああーとんでもないことになってしまった!
コズサ姫の旅に同行しろって。
今夜出発だって。
行先は日光か富士山のほうだって。
人目を忍んで馬で行くって。
無理でしょ無理無理あたし馬乗れないしどうすんの? 歩いてついてくの? 何日かかるの? それにお店は? おかーさん一人で? コジマくんと二人で? あんなに忙しいのに!?
どうやって切り盛りするっていうの!?
「今日ここに来たのだって……姫様にパンをお届けするってだけで……」
やだ、ちょっと涙声になってしまう。情けない話だけど、だってしょうがないじゃない。
がさごそバッグから紙袋を取り出すと、マーロウさんがそっと受け取ってくれた。
「お届けしたら、お金を受け取って帰るだけのつもりだったんです……秘密の会議を覗こうなんて」
「そう、パンじゃ! 父上様、召し上がってくださいまし。十五年前は食べそびれたと仰っていた、タカコの店のパンに御座います。毎日二つ届けるようにサトコどのに頼んだ、それがこのパンに御座います」
あたしの発言を遮って、姫様はマーロウさんの手から紙袋を受け取った。
ベーコンポテトパイを取り出し、恭しく上様に捧げる。
あたしは「だから家に帰してください」と続けようとしたのに、言いそびれて口が中途半端に開いたまま。
「ふむ、つまりこれはブーランジェリー松尾のパンということか。知っておるぞ、先日書類に判をついたばかり!」
おかーさんが一昨日役所に届けた営業申請は、なんと上様のところまで上がっていたらしい。
それってけっこう凄いことのように思えて、反射的に「ありがとうございます」と頭を下げる。上様は「苦しゅうない!」と仰ると、くわっとお口を開いてベーコンポテトパイにかぶりついた。そりゃもう豪快に。
そしてカッ、と目を見開いた。
「美味い……!!」
「あっはい、ありがとうございま」
「美味いッ!! 特にこのサクサクとした歯触り、これが堪らぬ。芋のほくほくとした食感、肉の塩気、玉ねぎの甘みの調和も見事、香ばしい生地との相性も抜群じゃ!
──アルゴ!」
「はッ」
「このような美味いものを作る娘、斬ってはならぬ! 国家にとって大きな損失じゃ!!」
アルゴさんは上様に一礼した。
それからあたしの方を見て、ひょい、とほんのわずかに肩をすくめる。その目が「そなたも苦労が多いな」と言わんばかりにあたしに語りかけ──
……えっ、ちょっとこの人の真意がよくわからない。
さっきあたしに剣向けてたじゃない。あれは全然本気じゃないですよ、ってこと?
「美味しゅう御座いましょう、父上様。
わらわはしみじみと思いますのじゃ……西の都に行ってしまっては、もうこのパンが食べられない。しかも次元が歪んだ時にしか現れぬ店に御座います。輿入れまでのわずかな間、心残りにならぬよう思う存分ブーランジェリー松尾のパンを味わいたいと……」
「うむ、その考え至極当然!!」
「ですから、サトコどの。わらわと共に来てほしいのじゃ。旅先でもそなたの焼いたパンを食べたい!」
「え……えーっ!?」
また何と言う無茶を、この姫様は。パン屋は、店舗を離れてはパンを焼けないのだ。
あたしは大慌てで手を首をぶんぶん横に振った。
無理無理、旅先でパンをだなんて。逆立ちしたってぜったい無理!
「できません、お店じゃないとパンは焼けないんです」
「なぜじゃ! 材料ならば、馬に積ませれば問題なかろう」
「違います、これは設備の問題で……捏ねて発酵させるのは何とかなると思います。でもオーブンがないと焼けないんです」
「おーぶん?」
「えーっと……あれです、かまど! パンは直火じゃ焼けないんです。かまどに火を入れて、中を熱くした状態でじんわり焼かないと」
「それでは一緒に来てはくれぬのか?」
「あ、いやそれは……」
「だいじょうぶじゃよ、サトコちゃん」
そう言ってふぉっふぉっと笑ったのは、マーロウさん。
「もう何十年前になるかのう。サトコちゃんが生まれるずっと前、サトコちゃんのお父上も生まれていない頃……その時のかまどが残っておるはずじゃ」
マーロウさんは何の話をしているの? あたしは眉をひそめたんだけど──その場に一人だけ、わかった人がいた。
上様だ。
ポン、と手を打ち「ぐわっはっは」と豪快に笑う。
「よく覚えておったなマーロウよ! それは我が父のものか!!」
「は……はあ?」
上様のお父さん、つまりコズサ姫のおじいさんがかまどを持っていた?
先代の上様がパン焼き窯を?
姫様とアルゴさんを引き合わせたという先代の上様──きっとよく喋るリアクションの大きい人だったに違いない。
「その頃、まだ龍の洲は戦の世の中でのう……先代様は洲中を転々と戦に赴いておった。ワシもあちこち御供したものじゃ。その時付き従った者の中におったのじゃよ。一人、パン職人が」
「なんと懐かしきかな! 余も幼き頃、幾度か焼きたてを口にしたものじゃ。あれは中々忘られぬ味わいよ!!」
コズサ姫が「ずるい父上様」と唇を尖らせる。
アルゴさんはというと、湯呑をぐいと差し出した上様に二杯目を注いでいる。……このアクの強い親子にお仕えするのは大変そうだ。なんというか、苦労が偲ばれる。
「まだ若い職人じゃったよ。今のサトコちゃんよりもいくつか年上でのう、先代様がことのほか可愛がっておられたわい。『店舗を離れてはパンを焼けない』というので立派なかまどを作って与えられたほどにのう。
名前はなんと言ったやら、たしか……シゲさんとか言ったかのう」
「シゲ……シゲル、ですか?」
「そうそう、シゲルさんじゃ。うん、懐かしい」
パン職人のシゲル──あたしのおじいちゃん、松尾シゲルだ!
べらんめえ口調で気が強かったおじいちゃん。父マサオが亡くなったあと、とっくに引退して店を譲ってたのに、職人に復帰して残された母をパン屋に育て上げたのだ。
しょっちゅう厨房でケンカしてたけど、あたしが小学校の時にぽっくり亡くなってしまった。
その時のおかーさんの嘆きっぷりは忘れられない。
それにしたって、おじいちゃんの名前をこんなところで聞くなんて……
「おじじ、そのかまどはどこにある? わらわは決めた、かまどがある方に行く! それならサトコどのも来てくれよう」
「や、あたしまだ行くとは」
「こちらで御座いますよ、ひいさま」
マーロウさんは杖を一振り。
変化は壁の地図にあった。二つの光の片方が消え、残ったのは──日光だ。
「我が父の霊廟か。たしかに、そこには狩りのための小さな城があったのう!」
こっちの世界でも日光には霊廟があるんだ──ほんとどうなってるんだろう、日本との共通項が多すぎて怖いくらい。
けれど、あたしは何となく理解した。姫様のおじいさん所縁の霊廟があるのなら、霊的な加護の力はバッチリだろう。それがどんなものかは、わからないけれど。
「来てくれるな、サトコどの」
コズサ姫はニッコリ笑う。
あたしは中途半端に微笑み返し──でもハッキリしなければと思い直して、
「や、ダメです……」
と言った。
その声の小さいことったら! 自分で聞いても情けなさに泣けてきそうだ。
すると意外なところから助け舟が出た。アルゴさんだ。
「ひいさま、これ以上ここで話していても埒が空きますまい。サトコどのを一旦家に帰しては如何かと」
「なんじゃおぬし、斬るとか牢に繋ぐとか物騒なことを言うたくせに」
「必要とあらば勿論そう致します」
「ちッ、頑固者め」
「舌打ちするでないコズサ! なんという行儀の悪さよ!!」
そもそもおまえはもうじき輿入れの身、その暁には大王様の后となるのだぞ、おまえの方が年上であるからして若き大王様をときに支え、ときに手本となり、良き時も悪き時も手を取り合うて龍の洲に泰平をもたらすべしと育ててきた、それがなんだ今の態度は云々──
上様の御説教にもコズサ姫はどこ吹く風だ。
あたしは依然、マーロウさんの背中に隠れている。
なんとかするからの、ってさっき言ってたけれど全然なんとかなってない。どこにかまどがあっても無くても、あたしは家を離れたくなんかない。助けを求めて視線を巡られば、アルゴさんが一つ咳払いをした。
ヒートアップしていた上様がそちらを向いて、助け舟はもういちど進み始める。
「……聞くところによるとこの娘、母一人子一人でパン屋を営んでいるとのこと。ならば、そのたった一人の母に挨拶をしてからでなければ発てぬのが子の心に御座いましょう」
アルゴさん、なんて頼りになるんだろう。ああ良かった、これで帰れる。
あたしは「うんうん」と頷き、ホッとして涙のにじんだ目元をこっそりぬぐおうとして──「あれっ」と首を傾げた。
挨拶済ませれば出発できる、みたいな言い方しなかった?
あたし一緒に行くなんて言ってないんですけど!?
「成程そちの言うとおりじゃ……サトコどのッ!」
疑問を呈する間もなく、轟音に「ひっ」と身をすくめる。
「コズサの企みに付き合わせて誠に済まなかった! 父としてお詫び申す!!」
「や、や、そんな……」
「こうしようではないか! 一旦マーロウと家に戻り母君と話されよ。そののち、近衛士を迎えによこそう! 出立の準備を済ませておかれよ!!」
「え……はっ?」
「よし決まりじゃ! 各々準備をするように!」
え、え、えーっ?
なんで、なんでよ。なにこの流れ。頭の中は真っ白で、もはや呆然とするしかない。
するとコズサ姫が静々と歩みより、しゃがみこんであたしの手を取った。
「ありがとう、サトコどの」
きれいな瞳がキラキラ音を立ててこちらを覗き込む。
いやいや……いやいやいや。
ありがとうって仰いますけど、姫様があたしを引っ張り込んだんでしょ──なんて、文句の一つも言いたくなる。
言いたくなるんだけど。
あたしは何故か言えなかった。チキンだからかもしれない。
けれどそれ以上に、コズサ姫の笑顔が麗しかったのだ。にーっと笑う、あの悪い笑顔じゃない。「ああ嬉しい、本当に良かった」という心からの笑顔だった。
……なんでよ姫様。
そんなかわいい顔されたら、あたし怒れないじゃない。
「そうと決まったら、さあ行こうかのサトコちゃん」
そう言ってマーロウさんが立ち上がる。
慌ててあたしも立ち上がり──アルゴさんと目があった。
そうだ、あたしこの人にパン代もらわないと帰れないんだ。するとアルゴさんも一瞬「あっ」みたいな顔をして懐から硬貨を二枚取り出した。
「済まなかったな、サトコどの」
それがあたしに剣を向けたことなのか、コズサ姫の無茶に付き合わせてることなのかはわからない。
……でもまあ、この人があたしのこと嫌いでやってるんじゃないってことは、何となくわかってきた。
硬貨を受け取り「や、別に……大丈夫です」なんてモゴモゴ言って、あたしはようやく密談の場から解放される運びとなった。
「また後で、サトコどの」
コズサ姫は微笑み、小さく手を振っている。
なによぉ大人みたいな笑い方しちゃって──人の気も知らずに、この姫様は。
「じゃあ、あの……失礼します」
ぺこりと頭を下げ、あたしとマーロウさんは退室した。
扉が閉まる直前に見えたのは、にこにこ手を振るコズサ姫。そして傍らに控えるアルゴさん。一番奥に壁の地図を見つめている、上様の横顔。
さっきまで轟音を響かせていたのが嘘みたいに、その表情はアンニュイで──
娘がお嫁に行くとき、男親はナーバスになるものらしい。仁王像のようなおっかない上様も、きっと色々思うところがあるんだろう。
「ちょっと近道しようかの、サトコちゃん」
俯き気味のあたしは、その声に顔を上げた。
廊下の突き当り、玉座の間に下りる階段のところで、マーロウさんは杖をトンと突く。
その瞬間──強い風に押されるような感覚によろめき、あたしはマーロウさんの服の裾をぎゅっと掴んだ。
「しっかり、つかまっておるのじゃよ」
そして体がふわあ、と浮かび──いや、浮かんだわけじゃないみたい。この感覚、高いビルに早いエレベーターで昇る時によく似ている。
ちょっと「おえっ」となりかけて、あたしは目をパチパチさせた。
──すると、なにがどうなったのかわからぬうちに、あたしはお堀の城門のところに戻っていた。
「……あっ。あたしの自転車」
自転車は鍵を差したまま、城門の隅っこであたしの帰りを待っていた。見たところ……うん、鳩のフンはついてない。ああ良かった。
「マーロウさん。あたし、自転車で帰ります」
「いいのかの? それも一緒に近道できるがのう」
あたしは首を横に振り、「いいんです」と少し笑って見せた。
たしかに早く帰りたいけど……でも少し、一人でぼやーっと自転車漕いで、こんがらがった頭を休ませたい。
そんな気分だったから。
「ではサトコちゃん、ワシは先にお店に向かっておるよ。コジマのやつめ、ちゃんとやっておるかのう……はあーやれやれ、心配じゃあ」
そう言ってマーロウさんは杖を一振り。“近道”して行ってしまった。
あたしは、しばしぼんやり。
呆けたように突っ立ってたけど、のろのろ自転車を押して橋を渡り始めた。
時計を見れば、もう六時。
近衛の兵隊さんたちもとっくに交替して、夜勤の人たちが任にあたっている時間だ。
昨日は馬で送ってくれたレオニさん、あたしがコズサ姫と遠くに行くと知ったらなんて言うだろう。あたしが留守にしてても、お店に寄ってくれるだろうか。
……いやいや、今のはちょっと思い上がりだ。
だってあたしがいるからお店に来るってわけじゃない。パンが美味しいから来てくれるのだ。
パン屋としてはそれでいい。その方が嬉しいし。
そう、それでいい。
だってあたしは見習いとはいえパン職人。いつかはお店を継いで、一人立ちするんだから──
「……よしっ。帰ろう!」
あたしは橋の真ん中あたりで自転車にまたがった。
立ったまま最初に二漕ぎ、あとは勢いで橋を渡りきる。
お堀端のミモザ並木の香りを吸い込んで、あたしはぐいぐいペダルを漕いだ。
なるようにしか、ならないんだから。
まずは帰ろう。
お店が、家族が、あたしを待っている。




