012:鳩と目隠しの魔法
水車の飾りがあるお店は、うちの店がトリップする度にお世話になっている粉屋さんだ。
注文を出すと石臼で挽いた上等の粉を、挽いたその日に持ってきてくれる。
あたしはそのお店の前に自転車を止め、表で鳩にエサをやってるおじさん──粉屋のご主人トニーさんに声をかけた。
トニーさんはどっしりと恰幅の良いおじさんで、あたしがブーランジェリー松尾の名前を出すと
「ああ、タカコさんのところの!」
とすぐに思い出してくれた。
「てことはあんた、サトコちゃんかい。大きくなったなあ」
母は前回のトリップの時、三歳のあたしをあちこち連れ回したようだ。
両替屋さんのおばあちゃんも、粉屋のトニーさんも、あとはお客さんの中にもちらほら「大きくなったなあ」と声をかけてくれる人がいる。
「あの、母が後日改めて伺います。今回もよろしくお願いしますと言ってました」
「もちろんもちろん。こちらこそよろしく頼むよ」
トニーさんはそう言うと、手に握った小麦の粒を店先にぱらぱらっと撒いた。
すると鳩がバサバサ下りてきてすぐにつつきだす。
その数……なんか、かなり多い。三、四十羽くらいいるんじゃないかしら。どこの公園だここは、ってくらい集まっている。
なんだこりゃあ。
あたしがびっくりしてそっちを見てると、トニーさんは溜息まじりに呟いた。
「すごいだろう、この鳩」
「……あ、はい。すごいですね。元々こんなにいるんですか?」
いやいや、とトニーさんは首を横に振る。
「ここ何日かの話さ。時々店先に捲いてやらないと、中に入ってきて一番イイやつを突いてくんだ。まったく堪らんよ。閉じてる袋に穴まで開けていくんだから困ったもんだ」
異世界にも鳥害があるとは……
トニーさんは店先にもう一握り小麦を撒くと、あたしを店の中に招き入れてくれた。
外ではバサバサと鳩の下りてくる音。くるっぽーくるっぽーと騒いでいる。
「そうかい、そうかい……今は二人でお店をねえ」
トニーさんは古い帳簿を出してきて、指先をペロリと舐めるとパラパラ捲った。
書いてあるのはアルファベットともひらがなともつかない、見たことのない文字だ。こういうのを見ると、言葉が通じるありがたさをしみじみと感じてしまう。
「あったあった、十五年前のおたくへの納品記録。量とか種類とかは、タカコさんと相談すればいいんだろ?」
「ええ、はい。あたしはまだ新米ですから……」
「あのヨチヨチ歩きのサトコちゃんがパン職人か。俺がこんな親父になるわけだ」
そう言うと、トニーさんは大きな体を揺すって笑った。
後ろには粉の袋がいっぱい積んである。小麦粉だけじゃなくて、そば粉なんかもあるらしい。
「タカコさんは元気にしてるのかい? 前に来たときは『気風のいい鉄火肌のオネエチャン』って感じで、旦那と子どもがいるって知った時は驚いたもんだよ。きっといい職人になってるんだろうな」
鉄火肌、かあ。
たしかに母はそんな感じだ。すぐ怒るけど、わりとさっぱりしてて男勝り。それに──うん、いい職人だ。
「元気ですよぉ。娘のあたしより全然元気です」
「ははは。サトコちゃんはきっとお父さんに似たんだな。似合いの夫婦だったよ、タカコさんとマサオさん」
あたしは嬉しいような照れくさいような気持ちになって、頬のあたりがちょっと緩んだ。父が亡くなった時はまだ子どもだったから、おぼろげにしか思い出せないけれど──優しいお父さんだった、ような気がする。
トニーさんに挨拶してお店を出ると、店の前にいた鳩たちはもう一羽もいなかった。
日本の公園なら、いつまでたっても同じところで地面をつついてるもんだけど……小麦の粒が無くなったらもう満足なのかしら。
「鳩、どっか行きましたね」
「ああ、また何時間かしたら飛んでくるのさ。じゃあ気をつけてな、お母さんによろしく」
はい、と会釈して自転車にまたがり、あたしはエード城の方へとペダルを漕ぎ出した。
今日はなんとなく空気がもやっとして、遠くまで見渡せない感じ。いわゆる春霞ってやつだろう。
なんにせよ、昨日できなかったお使いを片付けてホッと一安心。
次はエード城にパンをお届けして……
ヒュッ
──あれ、とあたしは眉をひそめた。
今、何かが耳元をかすめたような。
なんだろう。
気のせいかしら。
ヒュッ
次は頭上だ──なんだろう。
自転車を漕ぎながら見上げると、霞でじんわり滲んだ中にまた何かがかすめていく。どうやら気のせいではないようだ。
もしかしたらあれは鳥の影だろうか。
今日は何だか鳥づいてるな。
そういえばこんな映画があったっけ。町中に鳥の大群が飛んできて、人間を襲うっていう……
ぎゃー、やだやだ!
おっかない想像をしてしまい、あたしは自転車をじゃかすか漕ぎまくった。
早くお城に到着したい。
鳥に目玉を突っつかれる前に!
お堀沿いの道を猛スピードで走り、例の見えない跳ね橋のあたりで自転車をキキーッとドリフトさせる。
目を閉じ、何かをくぐるあの感触。
よし、もう大丈夫ここまでくれば──あたしはブレーキを握りしめ、自転車にまたがったまま目を開けた。
そして息を飲んだ。
「なによ、これ……」
鳥。
鳥。
鳥。
橋の先、門の上に、びっしりと──鳥がとまっていた。
ぞわっ、と肌が粟立ち冷や汗がにじみでる。
それはぜんぶ、鳩だった。
ちょっと。
なんなのこれ。
鳩って平和の象徴なんじゃないの? いくらなんでも多すぎるでしょ!
「どうした、何を立往生している」
知っている声に辺りを見回す。
声の主は橋の向こうだ。肩に、腕に、頭に、鳩をびっしりくっつけた──
「アルゴさん……!?」
「済まないな。鳩だらけで」
公園の鳩おじさんだってこんな大量の鳩に乗られちゃ堪らないだろうに、この隊長さんときたら平然としている。
武人たるもの、この程度で動じちゃいけないってこと?
いやいやそんな。
鳩の下はこの前と同じ軽装だ。痛くないんだろうか、鳩の爪……
「うわあ……どうしちゃったんですか、これ?」
「うむ。典医どのに聞いてくれ」
「マーロウさんに?」
てことは、これぜんぶマーロウさんの鳩なんだろうか。
まさか、コジマくんのポッポちゃんのように袖から出したのかしら……いやいや、さすがに入りきらないだろう。とはいってもマーロウさんは大魔法使いであるからして……
そんなことを考えながら自転車を下り、こわごわ押していって城門の端っこに止める。鍵は……いいかな差しっぱなしで。
アルゴさんは自転車をしげしげ眺めると、しゃがみこんでタイヤのゴムに触れた。
肩に乗ってた鳩が何羽か、ばさばさーと飛んでいく。
「これは乗り物か?」
「あ、はい。自転車です」
「なるほど。……ふむ、なるほど。そなたに乗れるなら私にも乗れそうだな」
なにやら引っかかる物言いでアルゴさんは立ち上がった。
あたしが馬に乗れなかったことを言ってるんだろうけど、まったく失礼してしまう。
大人になってから自転車乗るの、難しいんだから。いくらアルゴさんが訓練されたプロでも補助輪は要るでしょう。
「ついてこい。ひいさまがお待ちだ」
まだ何羽かの鳩をくっつけたアルゴさんと、あたしは石段を上がった。途中で振り返ると、城門にはまだびっしりと鳩の列。
……頼むよ、鳩。お願いだから、自転車にフンを落とさないでね。
石段を上がりきり、昨日と同じ中庭に案内される。庭は空っぽ。今日は誰もいない。
「あずまやで待つといい。すぐにひいさまがお出でになる」
「はい。あの、アルゴさんは……」
「所用があってな。今日は席を外すよう仰せつかっている」
あ、そうなんだ。
……まあ、昨日みたいにずっと背を向けて立ってられるより、その方がお互いの為かもしれない。
通用門をくぐって出ていくとき、アルゴさんはぼそっと一言呟いた。
「そなたの店のパン──美味かったぞ」
「えっ」
振り返ると通用門はもう閉じていた。
美味かったぞ、だって。いつ食べたんだろう。
はて……と考え、あたしは思い出した。
きっと母がレオニさんに持たせたお土産だ。かなり色々詰め合わせたみたいだから、そのうち一つをアルゴさんも食べたに違いない。
「なんだぁ、もっと早く言ってくれれば良かったのに」
うちのパンを褒められただけで気分が上がっちゃうんだから、あたしも単純だ。
いっつもこわーい感じで、なんてコジマくんは言ってたけれど、ただ真面目なだけなんだろうな。無駄口を叩かないぶん、とっつきづらいだけなんだ。きっと。
そう言えばレオニさん、今朝来てくれたのかしら。
あたしは厨房にかかりっきりだったから……来たら教えてって、コジマくんに頼んでおけば良かったな。
あずまやで待つよう言われたのを思い出し、あたしは回廊を下りて庭の敷石を踏んだ。
昨日座った椅子を引き──やっぱり立って待ってるべきかと思い直して、元に戻す。
薄曇りのような空を見上げると、お城の塔もぼんやりと霞んでいる。その周りを飛ぶのはやっぱり鳩だ。ほんと、すごい数。
「ぜったい袖じゃないよね……」
だって入らないもん……と呟いたその時だった。
「然様、袖ではあるまいな」
「!?」
鈴を鳴らすがごとき高貴なお声。
完全に油断していたあたしは思わず三歩後ずさり、あずまやの柱に後頭部をガツッとぶつけた。「ぐあぁぁ」と呻いてその場にしゃがみ、おそるおそる手で触ると……ああぁ、コブになってしまった。
痛すぎて涙目になりながらキョロキョロするけれど、声の主の姿はない。
「ふふ、済まぬ済まぬ。大事ないか?」
「えっ、えっ。あの、コズサ姫……様? どこ?」
「ここじゃ、ここ」
「えっ? えええ?」
「まだわからぬか、サトコどのの目の前じゃ」
目の前とは仰いますが、姫様──中庭には誰もいない。
「手を伸ばすがよい」
仰せのとおりに、あたしはコブをおさえていた右手をそっと前の方に伸ばし──すると指先が何かに触れた。
なんだ?
と眉をひそめてパチリと瞬き──そしたら見えた。
目の前に、コズサ姫!
「なっ……なんで? 何がどうなって……なんで?」
あたしは慌てて手を引っ込めた。
指先が触れていたのは、きれいな御召し物の袖あたり。
小さなお姫様は座り込んだあたしの目の前に同じように屈み、にぃっ、と笑った。
「練習していたのじゃ」
「はあ……練習? ですか?」
「目隠し魔法の練習じゃ。何かを隠すのではなく己を隠す。アルゴのやつにも気づかれなかったのなら、大成功と言えよう」
あたしは目を白黒させて座り込んだまま、にぃっ、と得意げに笑って立ち上がるのを見つめるばかり。
魔法の練習、って言ったよ。コズサ姫。
つまり、このお姫様は魔法使いなの? とんがり帽子も樫の杖もないけれど。
うちのバイトも魔法使い、お得意様も魔法使い、新規の大口お得意様まで魔法使いなの?
あたしもしかして魔法の練習に付き合わされてる?
「さあ掛けられよサトコどの、遠慮はいらぬ」
お姫様は椅子に腰かけ、あたしにも勧めた。
子どもの身体だと足が下につかないみたい。ぷらぷら両足を浮かせながら「待ちきれません!」と言わんばかりの御様子だ。
大きな瞳がきらきらしてる。
「それでサトコどの、今日のパンは何ぞ?」
「……あっ、はい!」
あたしはバッグから紙袋を取り出した。
今日はベーコンポテトパイと、ほんのり抹茶風味の金時豆パン。
お渡しするとニッコリ笑った。あたしも思わずつられて笑う。
そう、のんきに。
何にも気づかず。
お姫様のいたずらな企みにも、豆を狙う鳩たちの視線にも──けれどあたしはこう思う。
いや、思いたい。
気づかないのは間抜けなんじゃなくて、人がいいだけなのだ……と。




