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106:みんなでパンを 一

「さあ、お手々洗いましたか? 御髪(おぐし)もきちんとしばりましたね? よーし、それではいよいよ始めましょう!」


 威勢よくコジマくんが音頭をとり、粉類のボウルにざあっと水が注がれた。


「これを混ぜるのじゃな。なにやらベトベトするが大丈夫か?」

「だいじょーぶだいじょーぶ、ぐるぐるやってるうちにまとまってきますから!」


 ──あれから何日経っただろう。


 あたしたちは、いまだファタルの『狩りの城』にいる。

 山の獣たちの総攻撃に遭ったお城はボロボロで、しばらくは修理やら掃除やら後片付けに大わらわ。

 霊廟の神職さんたちの手も借りて、壁の穴を塞いだり、剥げた塗装を塗り直したり、破れた窓を直したり……勝手口もめちゃめちゃに壊されて、新しい戸板に付け替えた。

 それが昨日の午後のこと。


「きれいにまとまったパン生地ってね、すごーく気持ちのいいものですよぉ。赤ちゃんのほっぺみたいにすべすべで!」

「ちょっとコジマくん、いま赤ちゃんとか地雷なんじゃないの……?」

「ああよいよい、思い煩うても詮無きことよ。赤子は可愛い、パンは美味い、それで充分じゃ」


 小さな手でボウルをかき混ぜながら、コズサ姫は笑ってみせる。

 強いなあ……と感嘆の息をつくあたしの隣で、魔法使いの弟子がパン生地ではなく理屈を捏ねはじめた。


「そーそーそれが大切です! 大人の事情は一旦脇においといて、ご自分の目に映ったものを一番てっぺんに置くんです。それこそが姫様にとっての“本質”であり“真実”なんですから」


 あの赤ちゃんの処遇はまだ何も決まっていない。


 名前すら無いひとりぼっちの赤ん坊は、今はマーロウさんの預かりだ。

 うっかりファタル(ここ)まで連れてきちゃったけど、さしあたっての乳母が要る──そんなわけですぐエード城へと連れて行かれた。

 ポッポちゃんが伝えるところによると、乳母さんのおっぱいをがぶがぶ飲んで、すくすく大きくなっている様子。といっても首が座るのもまだまだ先なんだろーけど……


「今日はおじじが来るのであったな。一緒に連れてくるであろうかの」

「一緒だって言ってましたよー。あっでもお嫌なら仰ってくださいね! すぐにポッポちゃん飛ばしますから!」

「連れて参ればよい、抱いてあやしてくれようぞ。うむ、これも先々の練習じゃ!」


 まとまりはじめた生地を作業台の上に出し、三等分。

 こんな感じで捏ねていきます、とデモンストレーションを披露すれば、素直な二人の生徒は見よう見まねで生地を伸ばしては丸めている。


「捏ね終わりは丸くまとめて、すべすべを上にして濡れ布巾を被せます。そしたら発酵室に入れて、膨らませてから成形ね。コジマくんはアンパンにしたいんでしょ?」

「もっちろーん! 昨日の晩からお豆をふやかして、朝も暗いうちからあんこ炊いたんですからあ。

 あっそうだ、あんこ漉すべきですかね? どうしましょう? お店はたしかこしあんでしたよね、でも僕としてはそのまんまの方が手間がなくて楽っていうか、あーでもお豆感あるとちょっとやだって向きもあるでしょうし、うーんどうしよー迷っちゃう!」

「ど……どっちでも」

「わーいそんじゃ今日は粒あんで!」

「サトコどの、わらわのはどうするのじゃ」


 粒あん推しの魔法使いの隣でコズサ姫のお目々がきらきら光る。あたしは自分の生地を発酵室に入れながら、首を傾げて思案した。


「ああーそうですねえ……ほんとはメロンパンにしたいけど、クッキー生地がなあ」

「む、材料が足りぬのか」

「バターがたくさん要るんですけど、石窯はもう火入ってるからお店に取りに行くわけにいかないし」

「なるほど石窯からブーランジェリー松尾に……いや、よいよい。龍の通路(みち)は複雑怪奇じゃ、中で迷うても良くないゆえ此度は我慢しよう」

「じゃー僕とお揃いにしましょうよぉ、アンパンどうです? 中は粒あんです!」

「それではつまらぬ、別のがよい。そうじゃのお……例えば皆がパンであったらこれじゃ、というのがよい」


 各人をイメージしたパンかあ──ああ、それは楽しいかも。

 だったら、まずはこれだろう。


「テーブルロールはどうかしら」

「ほう」

「シンプルなお食事パンです。毎日テーブルの上にあっても飽きないような、飲み物だけでもいいし、おかずがあってもいいし、ジャムをつけてもいいし、すごく主張するわけじゃないんですけど何にでも合うというか」


 あたしの提案に二人はちょっと顔を見合わせて、それから得心いったように頷き合った。


「あーっなるほどレオニさんか」

「あの若いのか、なるほどなるほど」

「なっなな、なる、なるほどってあたしまだ誰とか言ってないですしっ!?」

「やだなーなに動揺してんですか。このアクの強いメンツで“主張しなくて何でも合う”なんてサトコさんかレオニさんかのどっちかなんだから。まーでもサトコさんは意外と短気だし、レオニさんだってそーとー面白い瞬間ありましたけどね。とくにあのパンピール持ってサトコさんに迫っ」

「わー! だー! やめてやめてやめたげてー!!」


 あーもー顔熱い! パタパタ両手で煽ぐ肩越しに、にやにやと視線が突き刺さる。

 ううう、ぜったい耳まで赤くなってる……あたしは顔を上げられず、しょうがないので厨房の隅の小麦粉袋を覗き込んだ。

 なんか作ろう、心を無にしてパンを捏ねよう。


「コジマとおじじは、やはりアンパンであろうなあ。よう見ればその衣裳、中のあんこと同じ色合いじゃ」

「狙ったわけじゃーないですけどね! 好きなんですよねぇ、あのふんわりツヤツヤの表面に親指さしこんで二つに割るときのドキドキ感! 大切な人と半分こして味わうもよし、丸ごとひとつ齧るもよし、分かち合いと独り占めの相克に苦しむのもまた妙なる快感とゆーか」

「大げさじゃのう、わらわは四つに割ってその場の皆に与えたと申すに」

「あっあっ聞きました、サトコさんが初めてお城に行ったとき! あれ、でもその時は姫様とお師匠様とサトコさんと三人じゃ……」

「アルゴにやった」


 ええーそうだったの姫様お優しー! とコジマくんが感極まっている。

 するとコズサ姫、照れくさそうに目線を下げた。


「いつもは早食いのあやつが妙に噛みしめて、最後には『大変美味しゅう御座いました』と指先についた分もぺろりと舐めておった。ああ見えて甘いもの好きじゃからの」

「えー! 意外ー!!」

「しかもあやつ下戸じゃ、酒が飲めぬ」

「わー! もっと意外ー!!」

「とは申せ、甘くて柔いパンでは似合わぬしのう……もっとガリッと硬い、歯が立たぬようなのがよろしかろう。頭の堅い男ゆえ」

「うんうん、僕も隊長さんは石みたいに固いやつがいいと思いますっ」


 石みたいに固いパン。歯が立たないくらいの。

 頭の中でレシピを検索しながら、あたしは粉を計量しはじめた。

 頭が硬くって、いつも涼しい顔で、だけど本当は誰より熱くて、意外と優しい目をしてる。でもって実は甘党……ああそうだ、プチフランス出した時にジャムが美味しいって言ってたっけ。

 ──よし決めた、プレッツェルがいい。

 牛乳を煮詰めてキャラメルにして、つけて食べたら美味しいだろう。


「そういえばあやつら姿が見えぬ。まだ表の扉にかかずらっておるのかのう」


 ああ、とあたしは顔を上げた。

 エントランスの木の扉。あちこち修繕した『狩りの城』で、いまだ手つかずの大物だ。

 派手にひしゃげて交換しなくちゃいけないのに、壁の蝶番から歪んでしまって外そうにも外れない……なんてレオニさんが言ってたっけ。新しい扉材は昨日届いたから、今日中になんとかするつもりのようだけど。


「そりゃー歪むのもさもありなんですよ、なんたって猪の親分みたいのが散々体当たりしてきたんです。あそこがぶち破られた時はさすがの僕も一瞬死を覚悟しましたもん。でも話せば通じるといいますか、ポッポちゃんと力を合わせて誠心誠意拝み倒し、こうして今も五体満足で」

「これぜんぶ発酵室に入れたら、様子見に行きましょっか。ね、姫様」


 コズサ姫は作業の手を止め、こちらにふっと視線を上げて──

 はにかむように、小さく頷いた。





 アンパン、ロールパン、プレッツェル。三つの生地は発酵室でお留守番。


 お日さまを浴びながら裏庭を横切り、表のエントランスへ回りこむ。

 あたしたちの姿に気づいたレオニさんが、梯子の上からするすると降りてきた。


「わーすごいピッカピカになっちゃってえ! 新築みたいじゃないですか。あ、そっか新品取り付けたんだからピカピカに決まってた!」


 目の前にはツヤツヤに磨かれた美しい木目の扉。

 姫様は数歩離れてしげしげと眺め、それから満足そうにうなずいた。


「うむ、結構な出来栄えじゃ。派手な彫刻でも施されておったら如何すべきかと思うとったが、杞憂であった」

「皆様がくつろがれるお城ですからね。素朴な方がいいだろうとのことで、こうなりました」

「ん、褒めてつかわそう。おぬしには後々褒美として、焼き立てのてーぶるろーるを授けるゆえ楽しみに待っておれ」


 あたしとレオニさんは顔を見合わせ、ちょっと笑った。

 コズサ姫は新品の扉に近寄ると、今度は取っ手に指をかけた。ゆっくりと確認するよう前後に動かし、隙間から中を覗き込む。


「ときにアルゴよ、おぬし何故隠れておる」


 声をかけると向こう側から返事があった。


「隠れてなどおりませぬ」

「わらわが直々に足を運んだというに、顔くらい出せばよい」

「アルゴは忙しくしておりました」

「わらわとて今朝はたいそう忙し」

「んもー隊長さんったらぁ! なんとなく気まずいのもわかりますけど、なーに知らんぷりしてるんですか。だいたい気まずさ度合いで言ったら楔絡みで色々ありすぎたレオニさ」

「わー! だー!」


 慌てて魔法使いの口を閉じようと飛びかかる寸前、ぎいと音がして扉が開いた。そこからにゅっと手が伸びて、おしゃべりな口を捻り上げる。


「いでででであにすんれすかひどい! ひどい!」

「口の減らぬやつめ、なぜ私がひいさまのお出ましを無視するなどと」

「らって! らって! いろいろあった割にきちんとお話しされてないようでしたし! あっほら目ぇ逸らした図星じゃないですかー!」


 目を逸らしたのではなく、レオニさんに向かって「こいつを何とかしろ」と合図したっぽいのだけど──だけどコジマくん、そんなことでは怯まない。

 それどころか火がついてしまったようだった。


「だって思い返してもみて下さいよ、この数日間みたいなことが今後の人生でもう一度あると思います?

 僕らはね、一緒に死線を越えたんですよ。人ならざるものと対峙して無事に生還したんです。

 そのきっかけを作ったのは人の、国の、世界の業とも言うべきものです。その大波に頭っから飲み込まれ、それでもこうして全員揃ってるんだから有り難いことじゃないですか、積もる話だってしたくなるはずじゃないですか。そうでしょ?

 なのにねー皆さん、どーもなんだかよそよそしい! 少なくとも僕の目には! そう、見え、る!」


 赤いほっぺをさらに赤くして、魔法使いの弟子は力説する。

 人の、国の、世界の業──神話の時代から続く、どうにもならない宿命のような何か。

 わかるよコジマくん。

 言いたいことあたしにも、少しくらい。


「腹を割って話すべきだと思うんです。いっぺん、全部ぶつけるべきだと思うんです。なにを我慢してるんですか!

 龍の洲の今後がどうとかこの際カンケーありません。隊長さん言ってたじゃないですか『あなたさまの一生の問題です』って!」

「む……確かにそう申したが」

「姫様はどうなんですか。いまだに子どものままでいらっしゃいますけど、いーえ僕個人としてはその御姿もたいへん可憐で大好きですけど!

 心ん中モヤモヤしてるうちは解けない魔法だって僕聞きました。そりゃー無理もないと思います、お嫁入りする先のお相手が隠し子なんか作っちゃって、しかもその縁者が人間やめて襲いかかってくるなんて、ふつーの神経ならとても平気じゃいられません。もっとも姫様にとっちゃ隊長さんに隠し子いた方がショックだろうと思いますけどっ!」

「お、おぬし何ということを」

「サトコさんたちだってそーです、他人事みたいにポカンとしてますけどね、僕には見えますよ! 言いたいことを言わずに胸にしまって、そのまま時が流れてしまう未来が! 胸にしまったその本音が抜けないトゲみたいにチクチク痛んで一生後悔に苛まれる恐ろしい未来が! 僕には見えーるッ!!」

「たち、って……な、な、なんで一まとめ」

「だから、だから、そんな大変なことがあったんだから、もっと今この時を噛みしめて味わうべきだと思うんです!

 過去と未来がどうであれ、今は一緒にいられるというこの事実を、なんとなくで流したら勿体ないと思うんです!

 今ね、僕たちパンを捏ねてきたんですよ。もうちょっとしたら発酵が終わるから、そしたら……隊長さんもレオニさんも一緒に成形しましょうよぉぉ、うわーーーーーん!!」


 宝石みたいな青い瞳が決壊し、大粒の涙がぼろぼろこぼれた。魔法使いの弟子はぷるぷる震えながら、袖でごしごしと顔中を拭う。

 ぽん、とその肩に大きな手が乗った。

 アルゴさんはその目元に、かすかに苦笑いを浮かべていた。


「私の作業は一段落したところだ。レオニ、そなたのほうは」

「自分もちょうど、手が空いたところです」

「然様か。ならば決まりじゃな」

「えっと……えーっと、あたしも二人の手を借りたいなって思ってたんです、今日はいっぱい焼かなきゃいけないから!」


 くしゃ、とコジマくんの顔がまた歪んだ。どんなにくしゃくしゃになっても可愛いから本当にずるい。

 みんなで作ろ、と笑ってみせると「うわーん!」と大きな声でまた泣いた。




 厨房に戻って発酵室を開けると、まあるく膨れたパン生地が待っていた。

 それをちぎって形を整えて。

 みんなでパンを──あたしはきっと、一生この日を忘れない。




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