105:御来迎
──風を感じる。
「まったくもー、ホントに連れてきちゃってどーすんですか!」
「う……ご、ごめん」
「ごめんで済めば警察はいりません!」
風を切り、雲を切り、龍はあたしたちを東へ運ぶ。
「お師匠様がいるからまー大丈夫でしょうけど、これふつーなら誘拐ですからね? 未成年者略取の容疑で逮捕ですからね? それに非公式とはいえ西の大王の子どもですよ、そんじょそこらの赤ちゃんじゃないんですから!」
吹きつける風に前髪が乱れ、みんなおでこが全開だ。赤ん坊を乗せてるからか、スピードはこれでも控えめのようだけど……なんて親切な龍なんだろう。
そーっと下を覗いて見れば、御所の大屋根も豆粒のよう。
どんどん遠ざかり、やがて彼方へと過ぎていく。
「しかしまーすごいオーラでしたね西の大王! さすが王の中の王って言われるだけのことありますよ、千年の歴史は伊達ではないってゆーか……あれいま御いくつって話でしたっけ。え、十五歳? ほんとに? あれほんとに十五なんですか?」
「これこれコジマ、あれ呼ばわりではあんまりじゃよ」
「えーっ、でもでもそう思いません!? ねえレオニさんっ」
無茶振りされたレオニさんは「そうですねぇ」と無難に微笑み、「ですよねえ!」とコジマくんがぶんぶん頷いた。
西の大王がお出ましになり、その威光というかオーラというか、不思議な力に圧倒されたのはついさっき。
ほんの一瞬のお出ましの後、すぐに正殿へ戻ってしまったのか──実のところ、よくわからない。
ずっと平伏してたから。
「人にあって人にあらず、龍神の血を引いているって本当なんですねえ。僕ら魔法使いの源流も元をたどれば大王家に連なるようですけど、もっとずっと色濃く継いでいるんでしょう。王の中の王ですもんねえ」
「……それじゃあ、西の大王も魔法を使えるってこと?」
王の中の王が去った後、緊張や怒りや色んなもので張りつめてたはずのあたしたちは──もしかしたら、あたしだけかもしんないけど──なんとなく気が抜けてしまった。
それで「今後のことはまた改めて協議すると致しましょうかのう、ふぉっふぉっふぉ」なんてマーロウさんはニコニコするし、ファタルの龍も「さあ帰るか」みたいにもそもそ巨体を動かすし、小さな龍は「早く乗って」と言わんばかりにきゅーきゅー鳴くし、その横でポッポちゃんがくるくる言ってるし……それで赤ちゃんを抱っこしたまま今に至るってわけ。
「ぼーっとしてたんでしょ」なんてコジマくんは言うけど、気づかなかったのはあたしだけではない。
つまり皆してぼーっとしてたのだ。
「狐につままれたというか、煙に巻かれたというか……なんかそんな感じしない? 魔法のせいだったのかしら」
「魔法と呼んでいいのかわかりませんけどね、匂いがしませんでしたから。あるいは匂いが強すぎて僕の鼻がバカになっちゃったのかも。
でも僕らとは違う理の奇蹟の業をお使いになられてましたよ、たとえば“楔”がキレーに抜けて、穴が閉じたりとか」
「えっそうなの!?」
「ほおー気づいておったか。さすが腐ってもわしの弟子じゃのう、ふぉっふぉっふぉっ」
当のレオニさんは何が何やら、という顔できょとんとしている。
あたしは声を落とし、コジマくんの耳元にヒソヒソ話しかけた。
「キレーに抜けたってことは、後遺症とかも心配ないわけ?」
「神の御業ですもん、たぶんだいじょうぶですよ」
「てきとーねぇ……刺さってた間のことってどーなるのかしら、ちょっとは覚えてんのかしら」
「そんなん自分で聞けばいいじゃないですかぁ」
「むむむ無理っ、無理無理!」
「えーいくじなしー」
そのとき一際強く風が吹いた。上空の冷たい空気にぶる、と震える。
あたしが寒いってことは赤ちゃんはもっと寒いだろう。自分の上着をかけようと四苦八苦していると、横から腕が差し出された。
「サトコさん、抱っこ代わりましょうか」
レオニさんに赤ん坊を預けると、解放された腕がみしみし軋むようだ。
「コジマさん、赤ちゃんくるめるもの何かありますか?……ああ、本当に生まれたてですね。すごく軽い」
「うそお、軽いんだ……あたしもう首肩がっちがちですよ」
「これからどんどん重くなりますよ、一眠りするたびに育ちますから」
「えーっなになにレオニさん、その『育児経験あります』みたいな!『家ではイクメンですから』みたいな! はいタオル」
「コジマくんどうしてイクメンなんて言葉知ってんの……」
すっかり凝り固まった肩を動かしながら、あたしは視線を向こうに──コズサ姫とアルゴさんの方に向けた。
アルゴさんは自分のマントを外し、コズサ姫の肩にかけようとしていた。
だけど姫様はそれを押しとどめ、逆にアルゴさんの体に巻きつける。
おぬしは怪我人じゃから大人しゅうしておれ、とか言ってるのかもしれない。頬を膨らませて眦を上げる小さな主に、アルゴさんは何やら答えている。
二人はほんの少し言い合っていたけれど──
やがてアルゴさんが微笑んだ。それから小さく頭を下げる。
その声は風にかき消され、あたしの耳までは届かない。
「ふにゃんふにゃんの新生児を危なげなく抱っこするって、初心者には中々ハードル高いじゃないですか。それがこの堂々たる抱きっぷりですよ。しかもさっきの玄人感丸出しコメント、家で美人な妻と可愛い娘が待っているとか言い出しても僕ぁー驚かないな! なんといっても西の大王に隠し子がいるような御時世ですからね、これはもう『レオニさんに限って』なんて言ってられないですよサトコさんっ」
「ちょっとやめてよそーゆーの笑えないからぁ」
「じ、自分はその、弟妹が赤ん坊だった時を覚えているだけで」
「ふぉっふぉっふぉっ、この御子がレオニくんやサトコちゃんの子であったら、何もかも丸くおさまるんじゃがのー」
「マーロウさんっ!」
「典医どのまで……」
やっぱり、この弟子にしてこの師匠だ。
あたしとレオニさんが視線を泳がせる横で、コジマくんの瞳は輝いている。
「あーやっぱりそう思いますよねえ、だから僕そーゆーことにしろって言ったんですよサトコさんに。
なのにサトコさんたら『いくらなんでもそりゃ無理だ』とか弱気なこと言い出して! いいじゃないですかーパッと見幸せいっぱいの若夫婦って感じですよ、今からでも『そういうことでした』って公式発表してもいいんじゃないですか? わーすっごくいい考え!」
なにがいい考えなのよ……もう、この子はひとごとだと思って!
あたしは文句を言おうと口を開きかけた。するとマーロウさんが白いひげをたなびかせて微笑んだ。
「よう眠っておられるのう……ひいさまの御小さい時を思い出すわい」
疲れたせいか安心したせいか、赤ちゃんはすやすや眠っている。
レオニさんの腕の中だとさっきよりも小さく見えて、ちょっと不思議。
あたしたちがじーっと覗き込んでいると、ポッポちゃんと小さな龍が興味津々で寄ってきた。「きゅー」とちょっかいかけようとする小さな龍を、ポッポちゃんが突いて諌めるのがなんだか可笑しい。
「誰かが面倒見てたんでしょうねえ……ほら見てください、修羅場で生まれたわりに服も体もきれいですよ」
風に乱れたおくるみの裾を横からコジマくんが直している。タオルやら上着やら色んなものでくるまれて、赤ん坊の息づかいは平穏そのもの。
「誰かが愛情もってお世話したんでしょうねえ。
でなきゃここまで生きてられないですもん。まー大王様の御落胤ですから、普通の赤ちゃんよりずっとずっと生命力が強いんでしょーけど」
魔法使いの弟子が言うとおり、きっとこの子は誰かの愛情を受けていたのだ。
それは鬼が残していた人の部分かもしれないし、もっと別の存在かもしれないし──とにかく母亡き数日の間、この子は生き抜いた。
「そうね」
信じよう。この子の命と、世界の優しさを信じよう。
「きっとなにもかも、うまくいくわよね」
赤ん坊を殺せなんて誰も言わない──あたしは鬼にそう言った。
それは今のところ嘘偽りない真実だけど、あいつが本当に聞きたかったのは、もうちょっと違うセリフなんだろうなって今は思う。
この子は必ず幸せになるから、愛されて育つから、だから安心して。
そう言ってやれたらどんなに良かっただろう──だけどあの時は言えなかった。言っても白々しいだけだった。
……あ、だめだめ。
また気持ちが重くなっちゃう。溜息出ちゃう。せっかくの帰り道が暗い雰囲気に……すると横から声が掛かった。
「サトコさん」
風混じりの声に呼ばれて、顔を上げる。
レオニさんと目が合った。
あたしを何度も助けた腕で一人ぼっちの赤ちゃんを抱きながら、レオニさんはあたしにだけ聞こえるよう唇を動かした。
「あなたがいてくれて本当によかった……心から、そう思います」
何て答えようか考えているうちに、レオニさんはふっと目を逸らした。
その視線の先には、エードのお姫様とその忠実な守役の姿。わずかに距離を取り、それでも離れずに寄り添っている。
西の都から龍に乗り、あたしたちは雲より高く空を飛ぶ。
遠く望む地平は白く、薄紫の空とそれをささえる大地を塗りわけている。
ああ、もうすぐだ。
夜が明ける。
陽が昇る。
眼下に竜巻山を見下ろして、ファタルの龍が一声吠えた──ごわあ──
そのとき、水平線の向こうに光が射した。
コズサ姫が両手を合わせ、静かに頭を垂れた。
美しい祈りのポーズをアルゴさんが見守っている。あたしも姫様にならって手を合わせた。
いま、新しい日が昇る。
菫色の瞳をうるませながら、マーロウさんが呟いた。
「なんと美しい……その昔、ファタルの主峰から望んだ御来迎を思い出すようじゃわい」
朝陽に向かってあたしたちは飛んだ。
不思議と満ち足りたような、大きな何かにすべてを委ねたような、そんな気持ちで。
そしてファタルへと帰りついた。




