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103:王の中の王 二

 瞼を閉じて、透明で見えない『何か』をくぐる。

 強固な守りの魔法の中で、御所は静かにあたしたちを待っていた。


「サトコさん、手を」


 あたしは赤ん坊を抱いたまま、首には小さな龍を巻きつけて、レオニさんの手を借りファタルの龍の背をすべり下りた。

 自然石を敷き詰めた広場から見上げれば、薄紫の空にはまだまだ星が光っている。

 朝ではない。

 夜でもない。

 だけど足元にはハッキリと御殿のシルエット。茅葺の大きな屋根から伸びる、二本の千木の先端さえも──まるで龍のおでこの角みたいに。


「おししょーさまーっ、姫様方をお連れしましたよー!」


 両手を振って飛び跳ねるコジマくんの視線の先へと、あたしたちも目を向けた。

 広場の先に伸びる階段は正殿へと続いていて、足元には背の高い人影が佇んでいる──マーロウさんだ。


「聞いて聞いてお師匠様っ。あれからですね、ほんとーにほんとーに大変だったんです! 件の鬼が巨大化したり、サトコさんが吸い込まれたり、そうそう隊長さんなんか血まみれで土気色だったんですけど、見て! ほら見て! 普通に立って歩いて喋れるくらいになりました。これは言うまでもなく迅速かつ適切な僕の処置が功を奏」

「ああ、知っておる知っておる……また偉い目に遭ったようじゃのう、サトコちゃん。アルゴどのもレオニくんも勿論ひいさまも、あとでまとめて診て進ぜよう」


 マーロウさんは相変わらずにこやかで、あたしは少しホッとした。

 もうこれ以上の修羅場は御免だ。できるだけ和やかに、誰ひとり声を荒げずに、平和的に話し合いを進めたい。コジマくんの笑顔が煌めいてるから、きっとこのままいけるだろう。

 第一ここにいるのは全員大人なんだし、そうそう簡単に揉めたりは……


 ガアー、ガア、ガアア──


 響いたのは不気味な鳥の声。

 マーロウさんの背後から小さな人影が姿を見せる──肩に大きな“使い鴉(カラス)”を乗せた、もう一人の大魔法使い。


 ハーロウさんだ。


 魔法使いの兄弟は揃って並び立ち、とんがり帽子を外して胸に抱いた。腰をかがめて頭を下げたその相手は、あたしたちの後ろで大きくとぐろを巻いている。

 龍たちは静かに(まなこ)を光らせ、彼らの拝礼を受け入れたようだった。


「……供連れは皆そろったようだな。エードの姫よ」


 帽子をかぶり直し、ハーロウさんが口火を切る。さあ、いよいよだ──あたしは小さく身震いした。

 ここが大詰め。

 有意義なやりとりができますように。

 できれば、誰にとってもいい結果となりますように。そんな美味い話はないかもしれないけど。


「先ほどは世話になったな、兄じじよ。大王様に取次ぎを頼みたい」

女童(めのわらわ)がこんな時間に何用だ。話があるならおれが名代として承ろう。不満かね?」

「非礼は重々承知の上。朝を待てぬ大事の御用じゃ」


 するとハーロウさん、大きな目玉をぎょろりと動かしコズサ姫を睨みつけた。

 しばし沈黙──

 それから「ふん」と鼻で息をする。


「駄々をこねるな、本物の子どもでもあるまいに……まあ、大人になれず我がままを言うには、これ以上ない姿ではあるが」


 声音にたっぷり、皮肉の色を乗せて。


 空気が俄かに緊張の色を帯びる。

 なーにあの人やな感じ、とコジマくんが唇を尖らせた。コズサ姫の背を守るよう控えていたアルゴさんが、半歩前に出る。


「なるほど、そやつがおまえの守役か」


 その手が剣の柄にかかっていることに気づき、あたしはぎょっと息を飲んだ。


「影に日向に付き従うて十年か──ふん、そりゃあ懐きもするだろう。さすがは武家筋の姫、血の匂いがせねば物足りぬか」


 頼むから……頼むからそれ、抜かないでね……

 だってほら、あたしたちは揉め事を解決したくてここに来たんだから。決して決して、揉め事を起こすためではないんだし、竜巻山でのやりとりを繰り返すようなつもりも毛頭ない。

 それにほら、アルゴさんは知らないだろうけどハーロウさんは悪党じゃないわけで。


「そやつに会いとうて泣いていたのだろう? 会えて良かったではないか、違うのか?

 ……はん、違うのであろうなあ!」


 あの日あの夜、あの子を看取り、赤ん坊を取り上げて、エードの姫に魔法をかけた──もしもハーロウさんが根っからの悪党なら、そんなことはしなかったのだ。

 誰にも手を貸しはしなかった。

 だからきっと今回だって、同じように力を貸してくれる。厳しい眼差しと皮肉な言葉は相変わらずだけど、どうにかしなきゃいけない事柄が目の前にあるんだし。

 それは他ならぬハーロウさん自身、よくよくわかっているはずだし……


「まことに『良かった』と思うたならば、会うて満足したのであれば、今頃魔法は解けているはずだ。こうも救いがたいとは、よもや思わなんだ──開いた口がふさがらぬわ!」


 値踏みするような視線が交錯する。

 大魔法使いの声は険しさを、言葉は激しさを増していく。

 皆を本題から遠ざけるように。


「おまえはこれからも子どものままだ、エードの姫よ。偽りを重ね、心を取り繕い、何処へ行こうが、どの道を選ぼうが、その姿のままで老いて死ぬのよ!」

「口を慎め魔法使い!」


 ──アルゴさんが一喝した。


 御所の空気がビリッと震え、赤ん坊がむずかるように手足を動かす。

 あたしは慌てて、だけど慎重に、赤ちゃんを左右に揺らし始めた。


「どなたの御前かわからぬか。我が姫への侮辱、これ以上は許されぬ!」

「ハン、おまえこそ此処を何処だと心得る! 無位無官の士が足を踏み入れてよい場所ではないッ」


 コズサ姫の後姿がわずかに揺れた。

 なにか尋ねようとしたのを遮って、ハーロウさんはアルゴさんをも糾弾する。敵意さえむき出しの言葉の槍で。


「恐れ多くも大王様の御前なるぞ! その后ともなろう娘をおまえ、何と言うた。我が姫だと。このような非礼、到底許されたものではないッ!」

「……えーちょっと、あの人いったいなんなんです? 僕もう聞いてらんない」


 ドキッとして、あたしは思わずそちらを見た。

 緊張の度合いを増した空気の中で、コジマくんだけが平常運転。眉をしかめてヒソヒソと──というにはそこそこ大きな声で、文句を垂れた相手はレオニさんだ。


「ねーねーあの人お師匠様のお兄さんだって言いますけど! さっきからちょっとヒドくないですか? 何しに出てきたんでしょうね、嫌がらせ? 喧嘩売りに来た?」

「まさかそんなことは……と思いたいですが、これはちょっとわかりませんね」


 レオニさんもまた険しい表情で、老魔法使いを注視する。

 コジマくんは「我が意を得たり」とばかりに頷くけれど、本当にやめて頂きたい。ハーロウさんと事を構えるなんて、想像するのも恐ろしい。心臓がもたない。


「でしょーやっぱり! レオニさんもそう思いますよねっ、隊長さん剣抜いちゃえばいいのにって思いますよねっ!? だいたい僕らのことあーだこーだ言える立場なんですかねあの人はっ」

「ちょ、ちょ、煽んないでよコジマくん……」

「煽ってんのは僕じゃなくてあっちですーっ!!」


 そりゃまあ、そうだけど……

 殺気立つ面々を前に、あたしはオロオロと立ち尽くすばかり。もちろん今までのあれこれに思いを馳せれば、多少ゴチャゴチャするのも無理はない。無理はないけど……

 ──いやいやいや、やっぱり嫌だ。

 言い争いも刃傷沙汰もおなかいっぱい、だいたい勘弁してよ子どもの前で!


「ふぉっふぉっふぉっ」


 するとのんびりした──もとい、場違いなほどに能天気な──笑い声がこだました。そちらに顔を向ければ、この場を収められそうな人がただ一人。

 菫色の瞳を優しく細め、マーロウさんは曲がった樫の杖を手に、一歩、二歩と前に出た。


「まあまあ兄上、言葉尻をあげつらっても仕方ありますまい」


 矢のように行き交う視線を大きな体でぶつっと遮る。

 アルゴさんの手が剣から離れ、レオニさんが静かに息をついた。

 コズサ姫の後姿からほんの少し力が抜け、魔法使いの弟子の唇は──まだちょっと、とんがっているけれど。


「アルゴどのがひいさまをどうお呼びしたとて良いではありませぬか。ワシとて外でひいさまの話をさせて頂くときは“うちの姫”ですじゃ……もちろんここは御所ですからのう、ちっと口が滑った感はありますがのう……

 ま、非礼だなんだと吊るし上げるほどのことでも御座いますまい。ふぉっふぉっふぉっ」


 マーロウさんが仲裁に入ってくれるなら、血で血を洗うような騒ぎにはならないはず。

 あたしも肩を撫で下ろした。


「兄上とて、まさか諍いを起こしにいらしたわけでも有りますまい。まあ、言うべきことを言い出せずいきおい喧嘩腰になってしまうのは、今に始まったことでは有りませんがのう」

「……マーロウ、おまえ相変わらず口ばかり達者で」

「口八丁の舌先三寸、われら魔法使いの本分で御座いますよ」


 ハーロウさんは舌打ち一つ、大きな目玉で下から鋭く睨みつけた。

 だけどマーロウさんは動じない。


「おおかた竜巻山の古龍にせっつかれ、渋々いらしたので有りましょう? さしずめ『母を亡くした赤子がいて心配だから早く見に行け』とか『龍の通路を鬼が通って嫌だから何とかしろ』とか。龍の意思は全にして(いつ)、一にして全、さきほどから洲じゅうの龍神がざわついておりますよ。

 ……それにしてもまあー“うちの姫”と御一緒になられようというこの時に!

 なんとまあーあのような可愛らしい赤子が!

 兄上もさぞかし驚かれたことでしょう、『まさか生きておいでとは』と気が動転したに違いありますまい!」


 おい! と上がった抗議の声もどこ吹く風。

 いつもどおり「ふぉっふぉっふぉっ」と笑うマーロウさんに「おししょーさまかっこいー!」と黄色い声が上がる。淀みないトークはさすがあの弟子にしてこの師匠。


「やれやれ、これが逆の立場だったらと思うと背筋がぞっとしますなあ……本当はさっさと頭を下げてしまいたいところでしょうに。いかに大王様が人にして人に非ざる御方とはいえ、人間(われら)の理ではとてもとても!

 しかしまあ、お立場が許さないのもわかりまするぞ」


 ちくりちくりと刺されたハーロウさん、「ふん」と小さく吐き捨てる。

 その視線はマーロウさんから外れ──わずかに彷徨った。

 あたしの首元で「きゅー」と鳴いた小さな龍の、その後ろでじっととぐろを巻く、ファタルの龍の視線を避けるみたいに。


「エードの姫が、大王様をお育てした魔法使いと、御所の前広場で言葉を交わす──やりとりはそのままエード王家と大王家の公のものとして残りましょう。龍神の御前とあらば尚のこと、いくら人払いをしたところで誤魔化しは利きませぬ。

 とはいえ頭を下げては権威もヘッタクレも有りませぬからなあ……大王様の御威光が翳るのは、エードとしても望むところでは御座いませんしの。

 それに己の主に肩入れしとうなるのはお互い様ですじゃ。自分が矢面に立って泥を被ろうとした兄上のお気持ち、ワシにはよーくわかりまするよ」


 そう言うとマーロウさんはコズサ姫に向き合った。杖を支えにゆっくりと腰を折り、頭を下げる。

 御所の前広場で。

 あたしたちと、龍神の目の前で。

 本格的に慌てたのはハーロウさんだ。


「ひいさま、とても代わりにはなりますまいが……せめてこのマーロウが伏してお詫び申し上げましょう」

「おい、マーロウ」

「度重なる不敬、無作法、平に平にお許し頂きたく」

「おい! やめろこのばかっ」

「もうよい」


 だけど魔法使いの兄弟を、コズサ姫は穏やかに遮った。


「もうよいのじゃ……兄じじの言葉を額面通りに聞くのは浅慮であると、始めからわかっておる。我らのかかわりは即ち、国と国とのかかわりゆえに」


 その後ろ姿は平静で──

 緊迫した空気がかすかに緩んだ。

 わずかな沈黙ののち、ハーロウさんが短く息をつく。どことなく決まりが悪そうに。


「……さすがだな、エードの姫よ」


 ほんの少し、声音から苛立ちが失せていた。

 代わりに混じったのは、諦めの色にも似た響き。


「ここが御所でなく、おれが大王様の名代でなければ確かに話は別だ……人間(ひと)の娘を貰うのならば、人間の理で臨まねばならぬこと、こちらも重々承知しておる。言わねばならぬ言葉も、しなければならぬことも……しかし今は」

「よいと申したはず。詫びならおじじから受け取ったゆえ」


 なぜだろう。

 さっきまでとは違う居心地の悪さに、あたしは眉をひそめた。


「それでは兄じじよ、本題じゃ。大王様の名代としてしかと答えられよ」


 胸がざわついて落ち着かない。

 コズサ姫の声は穏やかなのに、一触即発の空気は薄れ、霞のように消えかけてるのに──どうしてかそれが釈然としない。

 嫌な感じが、すごくする。


「サトコどのの抱いた赤子のことじゃ。大王様ならこの赤子をどうなさるか、聞かせて頂きたい」


 だって、一番の当事者なのに……誰よりも一番、落ち着いていて。

 すると肩のあたりに誰かの手が触れた。

 レオニさんだった。

 目が合うと小さく首を横に振る──その意図もまた、あたしにはよくわからない。


「生まれたばかりで母を亡くし、父もおらぬ。寄る辺なきこの哀れな赤子を、慈悲深き大王様は如何なされよう」

「……見せて頂こう」


 全員の視線が集中し、あたしは思わず一歩後ずさった。はずみでレオニさんの手が肩から外れる。


「サトコどの」


 姫様の唇があたしの名を呼ぶ。催促するように。

 あたしは何て答えるべきか、どうするべきか、この嫌な感じはなんなのか、必死で考えて──


「そちらの赤子を兄じじに」

「──嫌です」


 気づけばそう答えていた。


 はっと誰かが目を瞠り、ごくりと誰かが息を飲む。

 あたしは震える腕で、赤ん坊をしっかり抱き直した。


「嫌です。赤ちゃんは渡しません!」




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