099:サトコ救出大作戦 一
走馬灯はここでおしまい。
「……はぁッ」
あたしは目を閉じ、肺から息を絞り出した。
顔中が、体中が、汗でぐっしょり濡れている。
生と死を大映しにした瓦礫の壁はもう何も映さない。今は砂嵐に乱れ「ざざざ」「ざざざ」と雑音が響くだけ。
両手で顔を覆って歯を食いしばり、あたしは嗚咽を噛み殺した。
「……赤ちゃん産むの……ちょう怖い……」
あの子の苦しむ姿が瞼から消えない。
あの子の絶叫が耳から離れない。
あたしだって女に生まれた以上「いつかは」って考えることはあるけれど……「痛いんだろうな、つらいんだろうな」って考えることはあるけれど……
まさか、死ぬなんて。
あんなに苦しんだ挙句、血塗れで。
そりゃ鬼にだってなるわよ──あんなことがあって平気でいられる人なんて。今までと同じように過ごせる人なんて。
そんなの、いたらそれこそ人間じゃない。
『……恨、めし……やぁ……』
そう、恨めしくって当然だ。
雑音に混じるおぼろげな声にあたしは顔を上げた。
砂嵐の壁に向かい立ち、人の形をした黒い影が揺らめいている。
目を凝らせば消し炭色の手足がぼんやり透けて、周囲の瓦礫が見えていた。あの大浴堂で見た襲撃者の魂と同じように。
狭い瓦礫の空間に、吹けば飛びそうな鬼の魂と二人きり。
もう怖いとは思わない。
ただただ悲しくて仕方がない──それはやっぱり“鬼の眼”に何もかも見せられたせいなんだろう。
鬼はもともと人だった。
もとは優しい“ととさま”だった。
おじいちゃんたちが退治した鬼だってそう、つらいことがなきゃ、人間やめるわけないんだから。
『恨……めし、やァ……』
影はこちらに目もくれず──そもそも顔のあたりに目鼻口が見当たらない──よろめきながら、その場で足を踏み出した。
わずかに遅れて瓦礫の特等席が大きく揺れる。
ずしん……
『御所はどこじゃあ……』
この揺れ、なに──?
一瞬ビビって身構えたけど、その正体はすぐにわかった。
あたしを飲み込んだ巨大な瓦礫の鬼、アレが動いているのだろう。ずしんずしんと地響きをたてて。
『御所は……どこじゃあ……』
きっと“ととさま”は御所に特攻かける気なんだ。
この恨み晴らさでおくべきか──その一心で、瓦礫の鬼を操って。言うなればここは操縦室だ。
ずしん……
だけど目的地が見つからない。
顔が無いから。
目が潰されたから。
あたしは恐る恐る、揺らめく黒い魂に声をかけた。
「ねえ……何にも見えないの?」
すると消し炭色の影がこちらを向いた。
『……パン屋の娘か』
自分以外の何かがいることに初めて気づいた、そんな顔で。
もちろん相手に目鼻口はないし、辺りは真っ暗闇。光源は首から下げた“鬼の眼”だけ──表情なんかわからない。
わからないけど、どことなく疲れた様子で影は少しだけ笑ったようだった。
『……止めだてするつもりかえ。勇気のあることよ……ほ、ほ、ほ』
「べ、別にそういうつもりじゃあ……ないですけど」
『祓い、浄め、調伏せんとするのであろう……すればよい、大王に仇成すその前に』
そう言ってまた前を向く。
ずしん……
『わかっておる……見苦しきことなど、百も承知』
ずしん……
『勝ち目などなきことも』
ずしん……
『先ほどから魔法が吾を捉えておる。一人の魔法ではない、二人あるいは三人……吾を調伏せんと待ち構えておる』
「でも行くんでしょ……西の大王に、直接文句言いに行くんでしょ」
『文句か。ほ、ほ、ほ……取り殺し奉らんと思うとるわえ』
「……」
『止めぬのか』
止めてほしいんだろうか。
取り殺してやるなんて言葉は過激だけど、そんなこと出来そうには……ちょっと見えない。
「肉体を滅ぼしたせいで、憑りついてた鬼神が野放しになっちゃった」なんてコジマくんは言っていた。でも目の前で揺れてるこの黒い影の、なんと頼りないことだろう。
鬼神の風格なんて、祟り神の風格なんて、どこにも見当たらない。
ボロボロの魂を隠すため、必死で外側を大きく見せている──少なくともあたしには、そう見える。
「……止めようとか、あんまり思ってないわよ。行けるとこまで行けばいいじゃない」
瓦礫の隙間で、あたしは膝を抱えて座り直した。
「……ぜんぶ見たの。あんたが見せたのか“鬼の眼”が勝手に見せたのか、理屈はわかんないけど──でもあんなことがあったって知っちゃったら」
『ではいっそ吾に与するか』
「や、別に味方するわけじゃないですけど……」
だけど肩入れしてやりたい気持ちが多少はあるのも、否めなくて。
「あんたが怒ってるんだってこと、大王に直接言ってやるくらいいいんじゃないかって……思ったのよ。文句の一つくらい言ってやったって、罰は当たらないんじゃないかって……でなきゃあんまり」
『哀れ、と申すか』
「まあ……そういうことですけど」
『鬼の肩を持つなど、おまえの祖父が知ったら何と言おうか』
ほ、ほ、ほ、と影が笑う。
「……怒んないわよ、うちのおじいちゃんは」
『ほう、そうか』
「むしろ一緒になって怒り出すわよ……『見えないんなら目になってやれ』くらい言ったりして」
『ほほほ、なれば案内を頼もうか』
「してあげたくても外が見えないじゃない」
もっとも、見えたところで道がわからない。
首から下げた“鬼の眼”はすっかり静かになってしまった。胸元でぼんやり光って揺れて、壁を砂嵐で乱すだけ。
ずしんずしんと瓦礫が揺れるから、どこかに向かって進んでいるのは間違いないけど……道、合ってんのかしら。せめて“鬼の眼”が、外の様子でも見せてくれればいいんだけど。
白い石をつまんで、小さく溜息。
視線を感じて顔を上げたら、鬼がじっとこちらを見ていた。
「これがあんたの目だったら……いいのかもね」
だって、そういう名前なんだから。あたしは半笑いで呟いた。
「あたしは魔法使いじゃないし、借り物だから使い方わかんないの……さっき色々見せられたのも、何がきっかけでそうなったのかさっぱりわかんなくて。
あたしじゃなくて大王の前でスイッチ入れば良かったのにね……そしたらあんたが怒ってるってこと、よーく伝わ、んぐッ!」
ずしん……!
あたしは舌を噛み、体勢を崩してその場にひっくり返った。
ずしん……!
何かに衝突したのかパラパラと瓦礫の粉が、カケラが、頭に落ちてくる。
ずしん……!!
間断なく繰り返し、繰り返し──なにこれどうしたの、瓦礫の鬼が何かに体当たりしてる?
ぐわんぐわんと揺さぶられ、体じゅうをあちこちにぶつけ、起き上がれない!
「ね、ねぇ、ちょっ……これ、何がどうなって、あだッ!」
『あな忌々し。守りの壁ぞ』
「守りの壁ぇ……?」
それってもしかしてアレだろうか。
エード城のお堀や、ファタルの境界や、ハーロウさんちであたしとコズサ姫を隔ててた、アレみたいなやつ?
西の大王のおわすところもそういう魔法で守られていて、それを鬼は体当たりで壊そうと──
──え、無理じゃない?
たぶん無理よね。
だって今、御所にはマーロウさんも待機してるって。
返り討ちに合うだけじゃない!?
「ま、待って! ちょっと冷静になっ……あだっ!!」
『これを破れば、そこが御所ぞ。大王め、大王め、今行くぞ』
「ちょっと待ってよ、御所の壁を破る前に瓦礫の鬼が壊れちゃう! そこの壁見てよヒビ入ってるじゃない!!」
あたしは瓦礫の欠片から頭を守りつつ、必死で声を上げた。
「ここが崩れたら! あんただってマズイんじゃないの!?」
あたしに何もかも教えた瓦礫の壁に、みしみし音を立てて亀裂が入る。そこからヒュウヒュウと隙間風。
つぶてのようにあたしの頬を叩くのは雨粒だろうか。外、荒れてんのかしら。みんなはいったい、今どうして──
そのときいっそう激しい衝撃に、あたしは再びひっくり返った。
ずしん──!!
「いっ……!!」
ガツッと後頭部を打ちつけ「痛い」も言えずにうずくまる。やだ、切ったかも──首のあたりが生温い。
ぶつけたところを押さえて唸っていると、鬼もこちらに気づいたようだった。
『おお』
と声を上げ、黒い顔がふたたびあたしの方を向く。
『人の身はやはり弱きものよ』
そう言って黒い腕を片方こちらに伸ばし──
あたしは自然とその手を取ろうとした。
助け起こしてくれるんだから、この鬼はまだ“人”なのかも。
まだ優しい“ととさま”の心を残しているのかも。
そう思った。
思ったのに。
黒い腕はあたしの手をすり抜け、首元に伸びて──“鬼の眼”をぶちっとむしり取った!
「あ……ああーーー!?」
叫んだときにはもう遅い。“鬼の眼”は鬼の手の中だ。
白だと思い込んでた魔法の石は、きらきら金色の光を放つ。星のように皓々と。あるべき場所に戻ったのだと喜ぶように──なんだろう、石相手におかしいけれど裏切られたような気がすごくする!
肌身離さず一緒だったのに!
なんで、どーして!?
「だめ、それ返して!」
とにかく、絶対、取り返さなきゃ。
「返せー!!」
あれは借り物だし、命綱だし、くれてやるわけに行かないんだから!
奪還せんと立ち上がり、あたしは黒い影に跳びかかった。全身使ってアタックするも、そのまますり抜けてもんどりうつ。
『ほほほほほ!』
無様にひっくり返ったあたしが可笑しかったのか、それとも魔法のアイテムを手に入れて嬉しかったのか、けたたましい声で鬼が嗤った。
あたしは歯ぎしりしながら顔を上げ、げっと呻いて目を瞠る。
「バキン」と嫌な音がした──鬼が、“鬼の眼”を、今まさにかち割った音。
真っ二つにした魔法の石を、鬼は左右の掌に乗せる。そして実に満足げに見つめると──
『ほほほ、良きものを手に入れた』
──その真っ黒な顔にカチリと嵌め込んだ!
『これで、これでよう見える! にっくき彼奴らの顔がよう見える!!』
あたしはただただ蒼ざめた。
鬼の顔に嵌った目玉がカッと輝き、そこからサーチライトのように光が伸びる。
なにこれ。
なんなのこれ。
鬼の眼からビームが出た。もしかしてここからがあの魔法の石の本領発揮なんだろうか。
ヒビだらけの壁を両目で照らせば、砂嵐の向こうに何かが映り込む──あたしは呆然と座り込み、慄いて震えるだけ。
『おお、おお、御所が見えたぞ』
両の目玉を得たせいなのか、何も無かった黒い顔に真っ赤な口が現れた。左右に裂けて、大きく歪む。
笑っているのだ。
嬉しくてたまらない、というように。
『吾子と同じ目に遭わせてくれようぞ。骨を軋ませ体を裂いて、三日と三晩の苦しみじゃ。己が血の海でのた打ち回り、苦しみ抜いて地獄に堕ちよ。吾子の無念晴らしてくりょうぞ、ほほほほほ!!』
鬼の哄笑に呼応するように、吹き込む風が激しくなる。瓦礫のどこかが本格的に崩れたのだ。
そこから鬼の眼の光が漏れる。
きっと外から見たら、ただでさえ異様なものがますます異様に──
「──外、ですって?」
あたしは壁に目を走らせた。薄れゆく砂嵐を凝視した。
鬼の眼ビームの照り返しに目をすがめながら──でも、眩しいのは照り返しだけじゃない。
この黄金の影は、外からだ。
鼓動が高鳴って胸が苦しい。拳で心臓のあたりをぎゅっと押さえ、あたしは耳を研ぎ澄ませた。
息を飲んで全神経を壁に集中させた、その時。
──ごわあ──
金色の光に目を灼かれ、あたしはきつく瞼を閉じた。
顔をしかめながらもう一度、わずかに開く。
目を凝らす。
「来た……」
見えたのは、大きく枝わかれした立派な角。
長い体を覆う無数の鱗。
左右に裂けた赤い口から、並んで覗く鋭い牙。吐き出す息吹が瓦礫を揺する。
「来た……!」
来てくれた。
来てくれたのだ。
嵐の向こうに見えたのは、ファタルの龍。
金色の目玉でこちらを見据え、その背に見知った影を乗せ、瓦礫の鬼のとなりを悠々と飛んでいた。




