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008:御用パン屋

 あたしはぽかんと口を開けて固まっていた。さっきあたしに剣を向けた男の人は、跪き(こうべ)を垂れている。

 その目の前に黒髪の美少女。

 なんて美しい、凛とした立ち姿。


「如何にも、わらわがコズサである」


 お姫様はそう言うと、男の人──アルゴさんに向かって言い放った。


「この娘はわらわの客人じゃ。このような無礼は今後許さぬ」


 そして次に、あたしに向かってこう言った。


「なぜ転ぶ」

「へっ」

「転ばねばそのまま城の中へ入れたというに。なぜ転ぶ」

「う……運動不足で……」


 とっさに口をついて出た返事は、ずいぶん情けないものだった。

 コズサ姫は表情を変えず、けれど小さく鼻を鳴らし「来るがよい」と衣装の裾を翻す。

 ……どこに連れて行かれるんだろう。

 でも、剣を向けられるようなことはきっともう無いはずだ。不安と安堵でごっちゃのまま、あたしはよろよろ立ち上がった。

 腰を抜かすなんて生まれて初めて。ずっと正座してたみたいに足腰に力が入らない。

 あたしがお姫様について歩き出すとアルゴさんも立ち上がり、三歩下がってついてきた。兵隊さんたちに「任に戻れ」と言い残して。

 塔を見上げれば西日の赤はだいぶ落ち着き、東では薄紫の空に一番星が光っている。


 ……おかーさん、心配してるだろうなあ。

 ちゃんと帰れるのかな、あたし……


 小さなお姫様にくっついてお城の大門を横目にやり過ごし、少し離れた小さな通用門をくぐる。

 腰をかがめてくぐった先は中庭だった。

 草原みたいな、自然のお花畑みたいな、生き生きとした庭。花も植木も思い思いに枝葉を広げている。

 その庭を囲む回廊をお姫様は進み、途中で降りた。敷石を踏んで歩むその先には、小さなあずまや。


「アルゴはここで待て」

「……しかし」

「案ずるな、おじじも一緒じゃ」


 お姫様がおじじと呼ぶ人物はあずまやの中で待っていた。

 あたしは「あっ」と声を上げた。

 シルエットを見ればもうわかる。二メートルはありそうな長身、頭にとんがり帽子、手には曲がった樫の杖。


「マーロウさん!」

「よく来たの、サトコちゃん。こんばんは」


 そう言ってマーロウさんは「ふぉっふぉっふぉっ」と笑った。

 よ……良かったあ……!

 やだ、ちょっと泣きそう。怖かったのだ、それくらい。


「サトコどのも掛けられよ」


 と、お姫様はあずまやの椅子に腰かける。

 マーロウさんの登場ですっかり安心したあたしは、ぺこりと会釈して椅子をひいた。

 テーブルの上にはティーセット。

 どうやらお茶をする気満々で待ち構えていたようだ。お茶菓子はきっと、あたしが持ってきたメロンパン──ああだけど一個しかない。こうなるって知ってたらもっと沢山持ってきたのに。


「あの、ごめんなさい。今日は挨拶だけのつもりだったから……」

「いやいや、いいんじゃよ」


 とマーロウさんは片手をひらひらさせる。


「ワシがひいさまにお教えしたのじゃ。パン屋の娘が城に参上するようです、とのう」

「メロンパンを一つ持ってくる、と申してな」

「せっかくだからお茶でもどうかと仰せになられての。すまんかったのう、城門を隠しておったからわかりづらかったじゃろ」


 城門を隠すって、やっぱり魔法の力なんだろうか。メロンパンが一個しかないと知っていたのも。

 なんでわかったんですかと訊ねる前に、マーロウさんはあたしの胸元を指さした。


「その光る石じゃよ」


 見ると、出がけにコジマくんから受け取った白い石が、夕闇の中でぼんやり光っている。

 マーロウさんはお茶を淹れると、お姫様とあたしに勧めてくれた。その向こうでは、アルゴさんがこちらに背を向け控えている。


 いやーもし自分だったらちょっとつらいわ、あの立場……


 あちらは仕事だし、こちらもそんなつもりはないけれど、なんだかハブってるみたいで胸が痛い。


「その石での、だいたいわかるんじゃよ。どこにいて何をしておるのか。コジマが小麦粉で遊んで失敗したことも、タカコさんにどやされたことものう」

「でもコジマくん、そんなこと一言も」

「ふぉっふぉっふぉっ。ワシが教えてないからのう」

「おじじの“鬼の眼”か。何でも筒抜けじゃな」


 コズサ姫が“鬼の眼”と呼んだ白い石、現代日本で言えばGPSみたいな……

 いや、もっと高性能な魔法の道具なんだろう。コジマくんがおかーさんに怒られたことまでわかるんだから。他にも機能があったりして。

 メロンパンの紙袋を出すと、角は潰れてたけど中身はどうやら無事みたい。転んだ時に潰してなくて本当に良かった。

 袋の口を開けると、受け取ったコズサ姫が嬉しそうに笑う。カッティングボードに乗せてナイフを取り、なんと手ずから切り分けはじめた。


「懐かしい。子どもの頃に食べて以来じゃ」


 いいのかな。大丈夫かな。すっかりやらせちゃって失礼にあたらないかしら。や、でも、お招き頂いた側があれこれ手を出す方が失礼か。

 それより何より「子どもの頃」と仰った──すなわち、「今は子どもじゃない」わけで。


「あの……母から聞きました。コズサ姫はあたしと同い年って」

「うむ。たしかにわらわは齢十八、サトコどのと同輩じゃ」


 コズサ姫は横目であたしを見ると、にっ、と笑った。


「この姿が不思議でならぬか」


 メロンパンを四等分し、三つをそれぞれ洒落た小皿に取り分ける。乗せるお皿を立派にした途端、うちのメロンパンが何だかありがたく見えてきた。

 最後の一つは、コズサ姫がもう一度紙袋へ。

 どうするんだろ、取っておいて後でまた食べるのかな──いやいや相手はお姫様だ、そんな庶民みたいなことはしないだろう。


「さあ、遠慮はいらぬ。元々サトコどのが持ってきたものじゃ」

「……あ、はい! いただきます」


 こうして夕暮れ時のお茶会が始まった。


 頂いたお茶は紅茶とも日本茶ともつかない不思議な風味。ふくよかな香りでほんのり甘く、わずかに渋い。

 玉露に似てるかも。

 コズサ姫は綺麗な白い指先でメロンパンを取り、上品に唇を開いて一口かじった。

 反応を伺うあたしの前で、その大きな瞳をバチッと見開き──


「美味い……!」

「あ、ありがとうございます。母も喜びま」

「美味いッ! 特にこのカリカリしたところじゃ、これがなんとも言えず美味い。それでいて中はふわっとして甘さを押さえておる、これがまた堪らぬ!」

「はあ」

「幼い頃に食べたあの味じゃ。十五年間高めに高めた期待を裏切らぬ優しい思い出の味じゃ。待ち続けたかいがあるというものよ! もう一つ、もう一つ食べたい……!!」


 なんかこの感激の仕方って……


 ちょっと頭がクラクラしてきた。

 今に始まったことではないけど、どーゆーわけかあたしの回りには喜怒哀楽のハッキリした──もっと言うとオーバーな人が多い。

 例えば母。

 例えばコジマくん。

 亡きおじいちゃんもそうだった。

 あたしはその中で地味に大人しく生きてきたんだけど、まさか異世界トリップした先のお姫様までとは……


「そうじゃ!」


 うわっ出た。

 何か思いついてしまったに違いない。いやーな予感にちょっと引き気味のあたしを、コズサ姫はキラキラした瞳でまっすぐ見つめた。

 ま、眩しい……

 直視できない……!


「サトコどの、折り入って頼みがある!」

「は、はあ」

「これから毎日、わらわにパンを届けてくれぬか?」

「へっ」

「よし、決まりじゃ。時間は午後三時、二つほどで良いから甘いのと甘くないの取り混ぜて持ってきてくりゃれ。よいな?」

「あの、えーっと、うち木曜はお休みで」

「ならばそれ以外で毎日、代金はアルゴから渡すようにしよう。うむ、それがいい!」

「え……あ? ええーっ?」


 アルゴさんは中庭の回廊で、こちらに背を向けてじっと待っている。

 今の話、聞こえてるよね……

 はたしてどう思っているやら引き締まった後姿はピクリとも動かない。

 正直あたし個人としては、仮にも刃物向けてきた相手と毎日やり取りするなんて気が進まないんですけど……でもお姫様に向かってそんなこと、とても言えやしない。

 あたしは根っからの小市民なのだ。


「大丈夫じゃよ、サトコちゃん」


 あたしの心の中を読んだように、マーロウさんがお茶をすすりながらゆったり笑う。


「アルゴ隊長は怖い人ではないからの。近衛士の長で、ひいさまを守護し奉って十年になる。

 さっきはのう、目隠し魔法がすこーしほつれておったんじゃよ。そのほつれが転んだとたん破けてしもうて、サトコちゃんが近衛士たちの真ん中に飛び出てしまったんじゃ」

「はあ……」

「とは言うてみてものう。魔法でも何でも、言葉だけの説明じゃちっともわからんじゃろ。自分で使う立場にないとのう、その中身が染みてこないものじゃ。ワシがパン作りの説明を聞いてもちんぷんかんぷんなようにのう。ふぉっふぉっふぉっ」


 あたしはもう一度「はあ」と呟き、アルゴさんから視線を外してメロンパンを口に押し込んだ。

 紫の宵闇は西の空の端まで届き、いっそう暗い東の空に星がいくつも瞬いている。

 あずまやはほんのり明るく、それが火を灯しているのか魔法の力なのかあたしにはわからないけれど……


「……わらわが普通の娘であれば」


 ふっと目を伏せ、子どもの声でコズサ姫が呟いた。


「配達を頼むより、店で焼きたてを頂いてみたいものじゃ。タカコにも会いたい。コジマの働きぶりも気になる」

「コジマくん、ご存知なんですか?」

「おじじの弟子じゃ、昔っから知っておる。あれは人の話を聞かぬが愉快なやつよ」


 ほんと、その通り。

 本人いないけどこんな風に言われてるのが、コジマくんっぽくてなんだか可笑しい。

 日はあっというまに落ち、日本の街中じゃ見られないような星空があたりを淡く照らしている。星明りを受けて“鬼の眼”も輝きを増した。


「少し冷えてきたか」


 お茶の最後の一口を飲み終えて、コズサ姫が立ち上がった。

 あたしも慌てて席を立ち、マーロウさんは魔法の杖をひょいと一振り。すると中庭の回廊にぼんやりと明かりが灯る。

 腕時計を見るともう夜の七時。いつの間にか長居してしまった。


「アルゴ!」


 コズサ姫の一声に、アルゴさんはこちらを向いて一礼した。

 この人すごく訓練されたプロなんだろうな──だってあたしたちがお茶をしてる間ピクリともしなかった。

 本当に、ただの一度も。


「サトコどのをお送りせよ」


 アルゴさんはまた一礼した。今度はあたしに向けて。

 つられて、あたしもペコリと頭を下げる。

 あずまやを後にして、コズサ姫とマーロウさんはさっきの通用門のところで見送ってくれた。

 いいお姫様みたい。

 子どもの姿だし、なんだか本当の子どもみたいなこと言ったりもするけれど……そりゃそうよね、だってもうすぐお嫁に行くくらいだもん。


「サトコちゃんや、タカコさんにお詫びを伝えてくれるかのう。コジマがご迷惑をおかけして、師匠のワシの責任じゃあ」

「そんな。コジマくん、けっこう頑張ってくれてますよ」

「いやいや、あやつはすぐ調子に乗るからのう。素直なんじゃが、うっかり者でのう……」


 その通りすぎて、ほんと可笑しい。

「ふうやれやれ」と息をつくマーロウさんの横でコズサ姫もうすく微笑んだ。

 大人と話してるのか子どもと話してるのか、わからなくなりそう。今のスマイルは思慮分別ある大人の微笑みだ。


「サトコどの、遅くまで引き留めて相すまぬ。気をつけて帰られよ」

「いえ、あの……あたしこそありがとうございます。明日また来ますね」


 お姫様はにこりと笑って頷いた。

 あたしはぺこっと頭を下げ、アルゴさんに続いて中庭を後にした。


 お姫様の御用パン屋かあ……


 あ、ちょっと嬉しくなってきた。

 きっとお輿入れまでの期間限定だろうけど、異世界でのサクセスストーリーみたいじゃない?

 これをきっかけにブーランジェリー松尾がすごく繁盛しちゃうんじゃない?

 自分の想像に嬉しくなって、あたしはアルゴさんの後ろで少しニヤニヤした。そんでもって、さっきまでの疑問や不安は忘れてしまった。


 どうしてコズサ姫は子どもの姿なのか、とか。

 紙袋に戻したメロンパンの残りはどうするのか、とか。

 エード城の城門を隠していたのは何故なのか、とか。


 それはやっぱり、現代日本という平和なぬるま湯に浸かって生きてきたせいなんだろう。

 ぬるま湯でふやけたあたしの頭は、家に帰れる安心感と継続的なご注文を頂いた喜びで、あの中庭のようなお花畑状態だった。


 平和ボケと言われてもまったく反論の余地もない。


 だって本当に、その通りだったから。




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