第1話 過去
第1話 過去
この国についての昔話を少々――。
豊かな国があった。大きな国だ。
その国には王様がいた。
国の中心から、やや外れた大きな町に。
気高くどっしりと構えた城のバルコニーから見える、その姿。
女王とならび、声をあげる高雅なその姿を、その町の住民の誰もが目にしていた。
この国の王は、とてもとても賢く、優しく、強かった。
民を想い、さまざまなことに目を向けた。そして、手を差し伸べた。
誰もが信頼と、そして“愛”を当たり前のように捧げていた。
誰もが、この国を、王を、愛していた――――と思われていた。
彼も、人間であった。どんなにも優れていようとも。
人間であるからこその、敵が存在した。
王を正義とするのなら、彼らを悪としよう。
ぽつんっと、いつのまにか、いつのまにか、1つの組織ができあがった。
大きな欲を描き、溺れ、染まった集団。
悪はいろんなモノを欲しがった。
手に入れたかったんだ。
地位を、名誉を、富を。
それだけだった。
それだけだった。
悪達が欲望のまま、狂い暴走したその夜のこと。
月の輝きにも劣らない、光が溢れたその夜のこと。
絶望しか知らぬ涙を、血と共に流したその夜のこと。
悲鳴にも似た雄叫びが、城へと侵入した。
太陽が沈み、紅さを失った空の下で。
ただ欲望のまま、それは繰り広げられた。飲み込むほどの血を流して。
突然の招かざる客。いや、侵入者たち。
王家に仕える騎士は、冷静さを欠くことなく向かい撃った。
威圧する布に身を包み、細い長剣を腰にさげた屈強な者たち。
波のように押し寄せる悪に、騎士たちは容赦なく剣を振るった。
壁を、床を、肌を、血が塗りたくる。次から次へと舞い散る血。
だが、事はそう簡単に片付かなかった。
痛みによる絶叫。それを悲鳴とも呼ぶ。
雄叫びはいよいよ悲鳴に変わり、あちらこちらで飛び交った。
それは、騎士たちのものでもあった。
上書きされていく血。まだ、空を舞っていた。
悪は、弱くなかった。
数に物を言わせるだけの集団ではなかった。
死体が足場を埋め尽くし始めたが、悪の勢いは止まることはなかった。
はじける金属音。
広すぎる開放的なホールに充満する声。
白を基調とした上品なそれは、もう無かった。
死体は増えるばかり。
やがて、声は小さくなっていった。
足の裏を地につける者は確実に減っていった。
そして――。
儼乎たる衣装をまといし騎士軍の姿は、床に落ちていた。
この惨状を目にし、なぜ笑い声が生まれたのか。
甲高い狂喜の声が響いた。
響いて響いて響いて、消えた。
光によって。
襲い掛かったその光はあまりにも場違いな美しさを持っていた。
見惚れる光が生み出したものは、この場を上塗りする血だったのだが。
コツン、コツンとうめき声に混ざる音。
あまりにも堂々と、床を鳴らし歩を進める存在。
誰だ、とかすれた声で誰かが言った。
足を止めた人影は、いつのまにかホールにおりていた。
「この国の王だ」
低い声で言った。
次の瞬間、ひとつの金属音が現れる。
それを合図に生き残り達が地を蹴った。
ホールに足を踏み入れたときには、すでに満身創痍の姿だった王。
王に飛び掛った1人が、ひきつった口元から、あなたが死ねば……との言葉が漏れた。
それに対してか、複数を相手に剣を振るう王の歯がギリリと音を鳴らした。
器用に体を動かし、相手の攻撃をかわし続ける。
そして、決して軽そうに見えない剣からは、光が放たれ続けた。
光の纏ったその強く硬く握られた長剣。
眩いその光は、決して外の明かりで反射したものではない。
剣から放たれるその奇麗な光。
小さな粒が集まり塊となった光。
それはまわりを飲み込むかのように溢れ、広がっていた。
光に当たり、飲み込まれ倒れる者たち。
しかし、生き残りはまだ尽かない。
キラキラと硝子の破片のように小さな小さな光の粒が、相手の目をかすませる。
真横に振られた剣がまた血を空に散らした。
確実に減り続ける悪。
だが、弱くないからこそ残った悪。
鋭い眼ですべての相手を刮目していた王。
だが、やはりどんな力があろうと、彼も人間なのだ。
たくさんの眼が体中に存在するわけではない。
死角から刃。
殺気に反応し、死から逃れる。だが、とっさに反応したせいで体勢がやや崩れた。
そこが平らな場ならば、何事も無かっただろう。
しかし、足元には転がる死体。もちろん見知った顔も存在していた。
一瞬、一瞬だ。気をとられてしまった。
いくつもの迫る刃に体勢を整えながら対応する。
光を一心同体かとでもいうかのように操り、必死に生を掴もうとする。
ひとつの濁った銀がまたも死角から迫る。
金属音は響かなかった。
これは100年程前のお話。