第1話 入学推薦
芳ばしい小麦の香りが、窓の隙間を抜けて鼻をくすぐる。
微睡む意識の底に、扉を激しく叩く音が鳴り響いた。
「リリア、いるんだろう」
「ふぁ、ふぁい!」
飛び起きたリリアの体が後ろに傾き、反動で振り子のように前へと弾き出される。
「ちょ、ちょっとまってください。いま開けますから!」
左右の車輪を器用に操作し、玄関へと滑り込む。
ガチャリと鍵を捻り扉を開くと、紺のスーツに身を包んだ男が小さく左手を上げて立っていた。
「おはようリリア。ちょっと早く着き過ぎたかな?」
リリアはチラリと壁の時計を確認すると、慌てて首を横に振る。
「そんなことありません、オリバーさん。いつもどおり時間ちょうどです」
オリバーはリリアの頭越しに部屋の中を見回すと、作業台に散乱した書類で目を止めた。
「また、入学願書用の論文を書いていたのかい?」
「はい、書類選考で落ちてばかりですけど、送るだけ送りたいんです。また、お願いしてもいいですか?」
「全然かまわないよ。郵便局に持って行くだけの簡単な仕事さ、なにも難しいことじゃない」
眼鏡の奥の瞳が、作業台に散乱した書類からリリアの口元へと落ちる。
「それよりも、涎、ついてるよ」
はっとしたリリアは、熱くなる頬を誤魔化すようにゴシゴシと口元を袖で拭う。
「はいこれ、今週分の買い出しね」
口元を拭き終わったリリアの膝に、ズシリと重い紙袋が乗せられた。
「いつもありがとうございます」
その場で器用に回転したリリアが、紙袋を膝に抱えたまま車輪を床に滑らせる。
「かまわないよ、大した量じゃない」
すぐ隣のオリバーが一歩を踏み出すたびに、甘い薔薇の香りがフワリと漂ってくる。
膝上の紙袋を覗いたリリアは、中から紅茶の良い香りがすることに気づいた。
「あ、紅茶買ってきてくれたんですね。早速飲んでも良いですか?」
「どうぞ、よければ僕にも一杯いただければ嬉しいな」
「もちろんです」
リリアはキッチンに後ろ向きに入ると、横を向いたままケトルに水を汲み、火にかけるために腕を伸ばす。
プルプルと震えるリリアを見かねたオリバーが、声をかける。
「やっぱり僕が持つよ、火傷でもしたら大変だからね」
「すみません。ありがとうございます」
火にかけられたケトルの底が赤く染まり始める頃、テーブルを挟んで向かい側に腰掛けたオリバーが口を開いた。
「じゃあお湯を待っている間に、頼んでいた魔道具を見せてもらおうかな」
「はい、ちょっと待ってください」
リリアの流れるような銀髪が、フワリとなびく。棚の上に置かれていた腕輪型の魔道具を手に取り、オリバーへと手渡す。
「はい、動作に問題はないと思いますけど、魔力が無い私では確認できないので、いつものように動作確認お願いします」
「わかった」
オリバーはリリアから手渡された腕輪を慣れた手つきで左腕にはめると、カチャカチャと弄り始める。
オリバーが無事腕輪を着け終えたことを確認したリリアは、腕輪について得意げに語り始めた。
「今回のオーダーは魔法の発動速度を出来るだけ早くとのことでしたので、T回路を使用せずに225回路を使用して魔力損失を低減させています。起動時に魔力を注入しすぎると、負荷がかかりすぎるので、最初はゆっくりと・・・・・・」
リリアの説明が終わりきる前に、オリバーの腕からパチンと胡桃が弾けたような音が響く。
「・・・・・・え?」
「・・・・・・あ」
次の瞬間、視界全てが白飛びするほどの閃光が部屋全体を埋め尽くした。
「だめっ!」
奪われた視界のまま、勘だけで後方の工具へと手を伸ばしたリリアが、勢いそのままに腕輪の緊急減圧弁へと工具を差し込む。
緊急減圧弁が作動し溢れた魔力が霧となって急速に排出されていく。部屋を満たしていた閃光が収まった頃には、オリバーの左腕には淡く青白い光を放つ腕輪が残されていた。
「はあはあ、よかった安定した。初動さえ気をつければ、あとは大丈夫だと思います」
魔道具が安定したことを確認したオリバーが、肩をすくめる。
「よかった、危うく左腕が消し飛ぶかと思ったよ。やっぱりオーダーメイドはピーキーだね」
腕輪を外しながら苦笑いするオリバーが、感心したように腕輪を眺める。
「でも注文通りだ。さすがグスタフさんのお孫さんだね」
「そんな、私なんてまだまだです。初動の魔力量過多を制御する調整も甘かったですし・・・・・・」
「いや十分だよ。これだけピーキーな魔道具を仕上げられる技師は王都でもそうはいない。並の技師なら今頃僕の左腕は木っ端微塵だったろうからね」
「その時は腕だけじゃなく、この部屋ごと木っ端微塵でしたね」
あながち冗談そうでもないリリアの言葉に、オリバーは目尻を軽く引き攣らせる。
「オホン」
短く咳払いしたオリバーが、眼鏡の鼻当てを押し上げ視線を奥の部屋へと向ける。
「グスタフさんが亡くなって、もう三年も経つんだね」
「早いですよね。私なんてまだ、お爺ちゃんがひょっこり帰ってくるんじゃないかと思う日があります」
声を潜めて俯くリリアの瞳には、在りし日の日常が映されているようだった。
「オリバーさんには感謝しています。お爺ちゃんがいなくなって、ひとりじゃどうしようもなかった私に声をかけてくれたんですから」
「気にする必要はないよ、僕はただ優秀な才能に投資しただけだからね。ギブアンドテイク、商売の基本さ」
いつもと変わらない口調で話すオリバーの口元が僅かに緩む。
「あ、そうだオリバーさん。昨日ようやく魔力集積装置の試作品が完成したんですよ!」
「試作品・・・・・・ということは、まだ完成ではないんだね?」
「はい、昨日初めて大気中の魔力の集積と放出が安定したんですけど、まだまだ調整することが山ほどあって・・・・・・」
左手で唇に触れたオリバーは、少し考え込む素ぶりで話す。
「とはいえ、それでも十分にすごいことだよ。大気中の魔力を使えるなんて、純血派の貴族が聞いたら卒倒するだろうね」
オリバーは視線を右上へ流し、ふと何かを思い出したかの様に口を開いた。
「そうだ、素晴らしい話を聞かせてくれたリリアに、僕からも良い話があったんだ」
何度か頷いたオリバーは、右手を差し出すようにリリアの前へと突き出す。
「前々からお願いされていた魔法学園への推薦の件なんだけど、今年は上手くいきそうなんだよ」
オリバーの言葉を聞いた瞬間、リリアの瞳が溢れんばかりに見開かれた。
「ほ、本当ですか!?」
身を乗り出したリリアに引っ張られた車椅子が、ガタンと音を立てて跳ねる。
「ああ、本当だとも。去年と一昨年は生徒の調整で難しかったけど、今年はまだ空きがあるみたいでね。学園の先生方も是非君に会ってみたいとおっしゃってくれていたよ」
リリアの心臓が熱を持って弾む。いつもの倍以上に膨れ上がった心音が、耳元でうるさく鳴り響いている。
平民で、尚且つ魔力すら無い人間が、魔法学園に入学するなんてあり得ないと、いつも笑われてきた。
唯一。お爺ちゃんと、オリバーさんだけが笑わずに聞いてくれた夢が、やっと・・・・・・。
「本当に、本当にありがとうございます!」
「喜んでもらえて何よりだ、僕も色々と頑張った甲斐があるってものだよ」
目尻を拭うリリアは潤んだ瞳でオリバーを見上げ、何度も頭を下げた。
微笑むオリバーは胸の前で両手を叩くと、明るい口調で言葉を紡ぐ。
「じゃあ、魔力集積装置の完成と、魔法学園への入学祝いも兼ねて、今夜食事でもどうだい?」
オリバーがそっと手を差し伸べる。
「もちろん僕の奢りでね」
「いいんですか!? 私結構食べちゃいますよ?」
「ははは、知っているよ。リリアのお祝いなんだ、これくらいはさせてくれ」
「ありがとうございます」
夕方また迎えにくると約束したオリバーは、振り返ることなく玄関を後にした。
オリバーが去っていった扉をしばらく見つめていたリリアは、胸に光るペンダントを強く握りしめる。
「よかった・・・・・・これで、やっと」
閉じた玄関扉の向こうでは、オリバーが御者台に座る男へと話しかけていた。
「ああ、今夜だ、頼む」
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第2話は本日19時、第3話は本日20時、第4話は本日21時に投稿予定です。
その後は毎日12時、20時に投稿予定です。




