第6話 鐘は誰のもの?【教会と都市の時刻支配問題】
『エルディア王国歴150年 晩夏』
領主の仕事とは、尽きることのないモグラ叩きのようなものだ。
リーヴェル市の領主館には、今日も朝から怒号が響き渡っていた。
「ふざけるな! 鐘が鳴らなきゃ市場が開けねえだろうが!」
「神聖なる教会に向かって、その口の利き方はなんだ!」
「うるせえ! こっちは商売あがったりなんだよ!」
執務室に招き入れたのは、この街の経済を牛耳る商人ギルドの長、バルトロ。
そして、街の中央にある教会の司祭、ガルガンだ。
二人は僕の目の前で、掴みかからんばかりの勢いで言い争っている。
「……静粛に。話が見えません。順を追って説明してください」
僕がこめかみを押さえながら言うと、まずは商人バルトロが鼻息荒く進み出た。
「領主様、聞いてくだせえ! この街では、教会の『朝の鐘』を合図に市場を開き、取引を始める決まりになってやす。ところが最近、その鐘が鳴るのが遅すぎるんです!」
「ほう、遅いとは?」
「一時間も二時間もズレるんですわ! おかげで他所の街から来た商人は待ちぼうけ、生鮮食品は傷んじまう。損害は莫大です!」
なるほど、それは由々しき問題だ。時間は金なり、商売の基本だ。
僕は視線を司祭ガルガンに向けた。彼は立派な法衣をまとい、ふんぞり返っている。
「ガルガン司祭。なぜ、鐘を定刻に鳴らさないのですか?」
「心外ですな、領主代行殿。我々は祈りを捧げているのです。神への祈りが長引けば、鐘を突くのが遅れるのは当然の理。神の意思よりも、小銭稼ぎを優先しろと?」
ガルガンは「神」という言葉を盾に、傲慢な笑みを浮かべた。
要するに、自分たちの気分次第で時間を動かしているわけだ。
「それに、あの鐘楼は教会が建てたもの。いつ鳴らそうが、我々の勝手でしょう」
ガルガンの言う通りだ。
土地台帳を確認したが、確かに鐘楼と鐘の所有権は教会にある。前回の井戸のように「市の所有物だから」という論理で強制介入することはできない。
「くっ……! これだから坊主どもは!」
バルトロが悔しそうに拳を震わせる。
このままでは、リーヴェル市の経済活動は教会のさじ加減一つで麻痺してしまう。
教会の権威を笠に着た、実質的な「時間支配」だ。
「アレイン様。あの生臭坊主、叩き斬って鐘を取り上げましょうか?」
背後で控えていたクラリスが、殺気立った声で囁く。
彼女の手はすでに剣の柄にかかっている。
「駄目だよ。宗教施設への武力介入なんて、国際問題になりかねない」
「では、どうなさるのですか?」
「……所有権がないなら、『基準』を変えればいい」
僕は立ち上がり、二人の前に立った。
「ガルガン司祭。あなたは『鐘は教会のもの』とおっしゃいましたね?」
「いかにも。神の家にあるものは、すべて神のものです」
「わかりました。では、その権利を尊重しましょう。今後、市は教会の鐘に関して一切の口出しをしません。何時に鳴らそうが、あるいは鳴らすまいが、あなたの自由です」
ガルガンが勝ち誇ったように笑う。
バルトロが絶望的な顔で僕を見た。
「り、領主様! それじゃあ俺たちは……!」
「――ですが」
僕は言葉を継いだ。
「鐘が『宗教儀式』のための道具である以上、それを『公共の時刻』として使うのは不適切でしたね。本日より、リーヴェル市は独自の『標準時』を定めます」
「……は? 標準時?」
きょとんとするガルガンを無視し、僕はバルトロに向き直った。
「バルトロ殿、広場の管理は商人ギルドに委託していますね?」
「は、はい。そうですが」
「では、広場に大きな『砂時計』と『日時計』を設置してください。そして、専任の『時報係』を雇うのです」
僕は羊皮紙にさらさらと新しい布告を書き込んだ。
「これより、市場の開閉および労働時間の基準は、教会の鐘ではなく、市が管理する砂時計と、時報係が鳴らす太鼓の音とします。これを『リーヴェル市標準時』と定めます」
その場にいた全員が目を見開いた。
「なっ……! 馬鹿な! 鐘の音なしで、どうやって民を導くというのだ!」
ガルガンが慌てて叫ぶ。
「導く必要はありません。時間は神のものではなく、万人に平等な資源ですから」
僕は冷ややかに告げた。
「今後、市民や商人は日時計と砂時計を見て動きます。教会の鐘は、あくまで『お祈りの時間』を知らせるだけの合図となる。……誰も、あなたの鐘で仕事をしなくなるだけです」
「そ、そんな……! それでは教会の権威が……!」
鐘が都市の生活リズムを支配していたからこそ、教会は特権的な地位を維持できていたのだ。それがただの音に成り下がれば、彼らの影響力は地に落ちる。
「さあ、バルトロ殿。正確な砂時計の手配を頼めますか?」
「がってんだ! 最高の職人に作らせます! へへっ、これで朝寝坊な司祭様を待たなくて済む!」
バルトロは満面の笑みで飛び出していった。
ガルガンは顔を真っ赤にして何か言おうとしたが、クラリスが鋭い眼光と共に剣をカチャリと鳴らすと、逃げるように去っていった。
◇◆◇
その日の夕方。
バルコニーに出ると、広場の方から「ドン、ドン」と太鼓の音が聞こえてきた。
市場の終了を告げる、正確で規則正しい音だ。
一方、教会の鐘はまだ鳴っていない。おそらく、司祭が慌てふためいているのだろう。
「……ふぅ。また一つ、敵を作ってしまったかな」
「いいえ、素晴らしい采配でした」
いつの間にか、クラリスが背後に立っていた。
夕風に赤い髪をなびかせ、熱っぽい瞳で僕を見つめている。
「時すらも支配する……。アレイン様は、まさに王の器です」
「いや、ただの合理化だよ。大げさだなあ」
「謙遜なさらずとも。……ところで、今の時間は『市標準時』では休息の時間ですが」
クラリスが距離を詰めてくる。
彼女の吐息が耳にかかる距離だ。
「私とアレイン様だけの『特別な時間』は、どのように定められておりますか?」
「えーっと、法律には特に規定が……」
「では、慣習法に従いましょう。……今夜も、お部屋に伺いますね?」
彼女は僕の耳元で甘く囁くと、逃げられないように僕の腕をがっしりと抱きしめた。
この都市の時間は僕が定めたが、僕自身の自由時間は、どうやら彼女に管理されているようだった。
遠くで、ようやく間の抜けた教会の鐘が鳴り響いた。
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