第3話 井戸は順番に使って。どうぞ【都市の井戸独占問題】
父から譲り受けた『リーヴェル市』へ向かう馬車の中。
僕は揺れに酔わないよう気をつけながら、分厚い書類の束に目を通していた。
それは、この都市の過去五十年にわたる行政記録と、土地台帳の写しだ。
「……なるほど。この街は商業ギルドの力が強いのか」
「アレイン様、敵襲ですか!?」
僕が独り言を呟いただけで、向かいに座る赤髪の騎士――クラリスが、バッと剣の柄に手をかけた。
青い瞳が爛々と輝いている。やる気満々すぎる。
「違うよクラリス。ただの独り言だ」
「そうですか……。ですが、いつ何時、刺客が襲ってくるかわかりません。このクラリス、寝ずの番で主殿をお守りしますので!」
「いや、寝て。頼むから」
彼女は真面目だ。真面目すぎて、僕がトイレに行く時すら護衛しようとするので困っている。
そんなやり取りをしているうちに、馬車はリーヴェル市へと到着した。
◇◆◇
リーヴェル市は、川沿いに広がる活気ある街だった。
だが、街の中心広場に差し掛かった時、怒号が聞こえてきた。
「金だ! 水を汲みたければ銀貨一枚払え!」
「そんな! ここはみんなの井戸だぞ!」
「うるさい! 今日からここの土地は俺様のものになったんだ!」
広場の中央にある大きな井戸。
そこを、数人の荒くれ者たちが取り囲んでいる。
その中心にいるのは、金ジャラジャラの成金趣味な服を着た太った男だ。
「あれは……確か、この街の商人ガストンだな」
僕が書類で見た顔だ。あくどい商売で悪名高い男。
市民たちが水桶を持って抗議しているが、ガストンの雇った用心棒たちに突き飛ばされている。
「おのれ、無辜の民を虐げるとは……! アレイン様、ご命令を。あの肉ダルマを膾切りにして参ります!」
クラリスが殺気を放ちながら剣を抜こうとする。
「待って待って! いきなり斬らないで!」
「ですが、明らかな暴挙です! 武力で制圧するのが手っ取り早いかと!」
「僕には僕のやり方があるから。……ついてきて」
僕はため息をつきつつ、馬車を降りて人だかりの中へと進んでいった。
◇◆◇
「おい、そこをどけ! 怪我したいか!」
用心棒の一人が僕に気づき、威嚇してくる。
僕は怯えそうになるのを必死で堪え(膝はちょっと震えていたけれど)、努めて冷静に声をかけた。
「……騒がしいですね。何事ですか?」
「ああん? 誰だお前は」
ガストンが不快そうに振り返る。
僕が答える前に、後ろに控えていたクラリスが一歩踏み出し、鋭い声で告げた。
「控えろ下郎。このお方は、この街の新たな領主、アレイン・フォン・ヴァルムシュタット様である!」
その一喝に、場が静まり返った。
ガストンは一瞬驚いた顔をしたが、僕のひ弱そうな見た目を確認すると、すぐに卑しい笑みを浮かべた。
「ヘッ、これはこれは新領主様。ご挨拶が遅れましたな。商人のガストンです」
「丁寧な挨拶は結構です。それより、なぜ市民に井戸を使わせないのですか?」
「ああ、これですか? 実は昨日、この広場を含む土地の権利を私が買い取りましてね。私の土地にある井戸の水は、私のものです。タダで飲ませる義理はありませんなぁ」
ガストンは権利書をヒラヒラと見せびらかす。
確かに、法的には『土地の所有者は、その地下水も利用できる』のが原則だ。
市民たちが悔しそうに唇を噛む。
「嫌なら他へ行きな! もっとも、一番近い別の井戸まで徒歩二十分はかかりますがね! ガハハハ!」
ガストンは勝ち誇っている。
クラリスがギリリと歯噛みし、剣の柄を握りしめた。
だが、僕は静かに言った。
「なるほど。土地はあなたのものだ。それは認めましょう」
「おっ、話がわかる領主様だ! そう、金のない奴は泥水でも啜ればいいんです」
「――ですが、ガストン殿。あなたは一つ、重大な勘違いをしています」
僕は鞄から、先ほどまで読んでいた『都市行政記録』を取り出した。
「な、なんです? その古臭い本は」
「四十五年前の記録です。この井戸の石組みと、水を汲み上げる滑車……これを作ったのは誰かご存知ですか?」
「はあ? 知るかそんなもん!」
「記録によれば、当時の領主が『公共事業』として、税金を使って整備したとあります。つまり、土地はあなたのものでも、この井戸という『設備』自体は市の所有物……公共財産なんですよ」
僕はガストンの目の前に記録書を突きつけた。
「えっ……」
「あなたは今、市の所有物である井戸を勝手に占拠し、不当に営利目的で使用しようとしている。これは『公共物横領罪』および『公務執行妨害』にあたります」
ガストンの顔から血の気が引いていく。
僕は畳みかけるように続ける。
「土地の権利を主張するのは自由です。ですが、井戸という設備を独占する権限はありません。もし井戸を使わせないと言うなら……そうですね、市としてこの『設備』を即刻撤去・回収しましょうか?」
「て、撤去!?」
「ええ。石組みを崩し、埋め戻します。そうすれば、あなたはただの『穴の開いた土地』の持ち主ですね。水は汲めなくなりますが、それで満足ですか?」
井戸は、石組みなどの設備があって初めて機能する。それがなければ、ただの危険な穴だ。
ガストンは脂汗をかきながら、パクパクと口を開閉させた。
「そ、それは困る! 俺だって水が必要だ!」
「ならば、今まで通り市民に開放してください。そうすれば、設備の使用を許可しましょう。……さあ、どうしますか? 今すぐ決めてください。クラリス、彼の返答次第では――」
「はい! 即座に切り捨てます!」
クラリスがジャキッ! と音を立てて剣を半分抜いた。
その殺気に、ガストンと用心棒たちは悲鳴を上げた。
「わ、わかった! 開放する! タダで使ってくれぇぇぇ!」
ガストンたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
わっと歓声が上がり、市民たちが井戸に駆け寄ってくる。
◇◆◇
「お見事です、アレイン様!」
クラリスが目をキラキラさせて僕を見つめてくる。
距離が近い。熱気がすごい。
「剣を抜かずして悪を挫く……これぞ王者の戦い。私、感動いたしました!」
「いや、だから近いです、クラリスさん」
「この井戸の水のように澄んだ主殿の知略……。一生ついていきます!」
市民たちからも「ありがとう領主様!」「若様万歳!」と感謝の声が飛んでくる。
僕は少し照れくさくなって、咳払いをした。
「……井戸は順番に使って。どうぞ」
こうして、リーヴェル市での最初の一歩も、どうやら平和的に(?)解決したようだった。
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