第8話:共業(カルマ)の残響と、守護者の誇り
過去の亡霊たち
都庁前広場に降り注ぐ、不気味な銀色の光。それは『運命の織り手』が操る因果の糸が、現実を切り刻む音だった。彼女の背後に広がる虚無から這い出してきたのは、かつて九条刹那がその手で葬り、あるいは救えずに散っていった者たちの「絶望」の残滓だった。
「……あれは」
リナが息を呑み、杖を握る手を震わせた。
そこには、第一作目の激闘で刹那が断罪した、魔法庁監査部の汚職魔術師たちの姿があった。彼らは生前以上の憎悪を瞳に宿し、どろりと溶けたような魔力を滴らせている。さらには、第二作目で戦った『時の協会』の幹部たち、そして、刹那が時間跳躍の過程で守りきれなかった「名もなき犠牲者」たちの影が、無数に広場を埋め尽くしていく。
『九条刹那……。お前が正義を気取るたび、我々の絶望は深まる』
『お前が選んだ一秒の影で、捨てられた何万もの一秒があることを忘れたか』
影たちは声を揃え、呪詛を吐き散らす。それは物理的な干渉を超え、刹那の魔力回路を直接内側から焼き切ろうとする精神的な毒素だった。
「……くっ」
刹那の視界が歪む。彼の『時間法則』は、過去の因果と密接に結びついている。ゆえに、彼が否定してきた「過去」が牙を剥いたとき、その反動は他の誰よりも重く彼を打ちのめした。
裁定者の揺らぎ
「刹那! 惑わされるな! それは奴が見せている幻覚……いや、概念の揺さぶりだ!」
神崎零司が叫びながら、多重空間壁をさらに強化する。影たちが放つ負の感情の奔流を、零司の『空間法則』が必死に受け止めていた。だが、零司自身の顔も蒼白だ。彼にとっても、かつて法の名の下に切り捨ててきた罪悪感は、無視できるほど軽くはなかった。
『運命の織り手』は、百の目を細め、優雅に銀の鋏を弄ぶ。
『裁定者よ。あなたは「正しい未来」を選んだつもりでしょう。ですが、その「正しさ」とは、敗者を踏みつける力の別名に過ぎない。この影たちは、あなたが奪った可能性の結晶。……さあ、彼らの恨みを飲み込み、自らの罪に押し潰されなさい』
刹那の膝が、わずかについた。
彼の蒼いオーラが、影たちの圧力によって黒く濁り始める。脳裏に、かつて自分が復讐のために冷酷に引き金を引いた瞬間の感触が蘇る。奪った命、壊した日常。それらはどれだけ「平和」という大義名分を掲げても、消えることのない事実としてそこに在った。
(……僕は、こいつらを殺した。自分の目的のために、こいつらの時間を止めた。その僕が、今さら世界を救うだと?)
刹那の内面で、自己否定の渦が広がる。裁定者の力とは、自己の存在を世界に強く定義する力だ。自らの存在に疑いを持った瞬間、その力は霧散し、逆に世界から「異物」として排除される。
「刹那、しっかりして!!」
リナが刹那の肩を掴み、必死に魔力を流し込む。
「あんたが何を背負ってようが、あんたが今ここにいて、私たちを助けてくれた事実は変わらないわ! 過去の幽霊なんかに、今のあんたを否定させないで!」
「……リナ」
「私は、あんたが冷たいだけの人間じゃないって知ってる。不器用で、自分を責めてばかりで……でも、誰よりも『明日』が続くことを願ってる。……そうでしょ!?」
巫女の祈りと聖典の輝き
リナの叫びに共鳴するように、美遊が抱える『終焉の聖典』が、今までになく柔らかな黄金色の光を放ち始めた。
「刹那さん……見てください」
美遊が震える手でページをめくる。そこには、これまでのように黒い文字で絶望が刻まれているのではなく、微かな光の粒子が、新しい言葉を編み出していた。
【裁定者、自らの罪を抱擁す。……光は影から生まれ、影は光を証左する。】
【罪なき救済など存在せず。されど、罪を自覚する者にのみ、未来を裁定する権利が与えられる。】
「……私の世界が滅びたとき、誰も自分の罪を認めようとしませんでした。みんな、他人のせいにして、自分だけが正しいと言い張って……だから、世界はバラバラになったんです」
美遊が、刹那の前に立ち、織り手を見上げた。
「でも、刹那さんは違う。自分のしたことを、ずっと苦しんで、覚えてる。……その痛みこそが、あなたが『本物』である証拠です!」
美遊の言葉と、聖典から溢れ出した光が、広場を埋め尽くしていた負のオーラを中和していく。 刹那の瞳に、再び蒼い火が灯った。
因果の受容:新魔術の発動
「……ふう」
刹那は静かに息を吐き、立ち上がった。彼の周囲に漂っていた黒い濁りは消え、代わりに、蒼い輝きの中に「星の瞬き」のような銀色の粒子が混じり始める。
「織り手……あんたの言う通りだ。僕は聖人じゃない。多くの命を奪い、多くの過ちを犯してきた。その報いは、いつか必ず受けるつもりだ」
刹那は『一秒の破片』を逆手に持ち、自身の心臓に柄を当てるような構えを取った。
「だが、それは今じゃない。僕がここで倒れれば、僕が救おうとした人たちの未来まで『なかったこと』になる。……過去に負けるわけにはいかないんだ。僕が背負った罪の数だけ、僕は未来を創り出す義務がある」
刹那の魔力が、特異点的な収束を見せる。
彼が導き出した答えは、過去を「消去」することでも「忘却」することでもない。
すべての因果を、自身の現在という瞬間に「統合」することだった。
「――時空超越、第三段階:『因果統括・遍く残照』!!」
刹那が大地を踏み締めると、蒼と銀の波動が円環状に広がった。
その波動が過去の影たちに触れた瞬間、彼らは消滅するのではなく、一筋の光の筋となって、刹那の『一秒の破片』へと吸い込まれていった。
「……なっ!? 過去の負債を、自身の魔力として吸収したというのか!?」
織り手が初めて、その百の目を驚愕に見開いた。
「吸収じゃない。……引き受けたんだ。彼らの無念も、絶望も、全部僕の一部として連れて行く」
刹那の全身から放たれるプレッシャーは、先ほどまでの比ではなかった。影たちを背負うことで、彼の『裁定』の重みは、文字通り「一世界分」の質量へと進化したのだ。
決戦の序曲
「零司、リナ……待たせた。ここからは僕が道を作る」
刹那が一歩踏み出すと、周囲の空間が震え、織り手の展開していた銀の糸が次々と弾け飛んだ。もはや織り手の鋏による「存在の切り離し」は、あらゆる因果を内包した今の刹那には通用しない。
「……生意気な。ただの人間が、運命の重みに耐えられると思っているのですか!」
織り手が激昂し、銀の鋏を巨大化させ、空間そのものを断ち切る一撃を放つ。
だが、刹那はそれを避けない。
彼は『一秒の破片』を一閃させ、鋏の刃を真っ向から受け止めた。
ガキィィィィィィィン!!
都庁前広場が、二人の衝突による衝撃波で激しく揺れる。
零司の空間壁が悲鳴を上げ、リナの支援術式が火花を散らす。
だが、刹那の足取りは、一歩も後ろへは退かなかった。
「耐えてみせるさ。……一秒ごとに、新しい未来を書き込む。それが僕の……裁定者の生き方だ」
刹那の蒼い刃が、織り手の銀の鋏に食い込んでいく。
勝利への道筋が、暗闇の中に一筋の光となって見え始めた。
しかし、その時。 空の『次元の断層』のさらに奥、すべての並行世界の中心部から、これまでとは比較にならないほど強大で、圧倒的に「無」に近い魔力の胎動が、地上へと伝わってきた。
【第二の試練、終盤。……されど、大いなる『王』の目が開かれる。】
【三柱目、沈黙の支配者が動き出す。】
美遊の聖典に刻まれた不穏な一節。
戦いは、織り手との決着を超え、さらなる深淵へと突入しようとしていた。
お読みいただき、ありがとうございます!
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです!




