第6話:停滞する中枢と、断罪の残影
重力なき墓標
廃墟と化した魔法庁中央塔。かつて「世界の法」を司り、数多の魔術師たちが秩序のために奔走したその場所は、今や物理法則が完全に瓦解した「時間の澱み」と化していた。
「……慎重に進め。ここから先は、一歩ごとに『現実』のルールが変わる」
九条刹那が警告を発する。彼の言葉通り、塔の内部は凄まじい空間の捻じれによって、上下左右の概念が消失していた。ある場所では重力が反転して天井が床になり、またある場所では空間が折り畳まれ、数歩歩くだけで数百メートル先の廊下へと繋がっている。
零司が『空間演算』を走らせ、安全な足場を特定しながら一行を導く。
「酷いな。空間の構造そのものが、何重にも『多層化』されている。まるで、この世界そのものが自分自身を拒絶し、縮こまってしまったかのようだ」
リナは魔導具のセンサーを見つめながら、絶え間なく鳴り響く警告音に顔をしかめた。
「刹那、ここ、時間の密度が異常に高いわ。私たちの『一分』が、ここでは『一時間』にも『一秒』にもなり得る。不用意に魔力を使うと、術式が自分自身を追い越して自壊するわよ」
そんな極限状態の中、巫女の美遊だけは一点を見つめていた。 彼女の手元にある『終焉の聖典』が、不気味な鈍色の光を放ち、ページが自動的にめくられていく。
【裁定者、絶望の深淵へと足を踏み入れる。そこにあるのは、救えなかった者たちの声なき絶叫。】
「……あそこに、何かがあります」
美遊が指差した先。中央塔のメインホールであったはずの広大な空間に、巨大な『魔力の渦』が停滞していた。それは周囲の瓦礫を飲み込みながら、ゆっくりと、だが確実に周囲の時間を削り取っている。
残響する「最後の日」
渦の中心に近づくにつれ、刹那たちの耳に「音」が聞こえ始めた。 それは物理的な音波ではない。過去の記憶が、強大な魔力に焼かれて空気に刻みつけられた『残留思念』の叫びだった。
『……全滅だ! 空間壁がもたない!』
『九条、やめるんだ! これ以上時間を戻せば、因果律が……!』
渦の中から、かつての魔法庁幹部たちのホログラムのような影が浮かび上がる。
そして、その中心にいたのは、全身からどす黒い魔力を放出し、狂気と哀しみの混ざった表情で咆哮する『復讐者の刹那』だった。
『戻せ……戻すんだ……。母さんも、冴子さんも、みんなが笑っていたあの日に……!』
影の刹那が、自身の『一秒の破片』を自らの心臓に突き立てるような仕草を見せた。
その瞬間、周囲の空間がガラスのように砕け散り、凄まじい衝撃波が現在の刹那たちを襲った。
「くっ……! 零司、防御だ!」
「分かっている! ――『多層空間中和結界』!」
零司が展開した防御壁と、過去の記憶の衝撃が衝突し、火花を散らす。
それは単なる爆発ではない。過去の「悲劇」という情報が、現在の「存在」を侵食しようとする概念攻撃だった。
「……これが、この世界の最後か」
刹那は、目の前で繰り広げられる惨劇を、冷徹な瞳で見つめていた。
復讐を果たした影の刹那は、失ったものを取り戻そうとして時間を逆行させようとした。だが、膨大すぎる因果の歪みに耐えられず、世界そのものを巻き込んで自壊してしまったのだ。
「悲しい……。あの日、誰も彼を止められなかったのね」
リナが悲痛な声を漏らす。
『……止められるはずがないわ。だって、誰も「本当のこと」を知らなかったのだから』
突然、ホールの影から、聞き覚えのある凛とした声が響いた。
現れたのは、実体を持たない、だが先ほどの影たちよりも鮮明な姿をした『霧島冴子』だった。
師匠の告白と、世界の裏側
「冴子さん……」
刹那が呟く。それは先ほどの「管理者の見せ物」ではない。この世界の崩壊の最中、自身の魂の一部を時空の澱みに定着させた、本物の残滓だった。
『久しぶりね、刹那。……いいえ、私の知る刹那ではないけれど。でも、その瞳を見れば分かる。あなたは「選んだ」のね』
冴子の残滓は、静かに美遊の持つ『時空の種子』を見つめた。
『この世界の刹那が理を壊したとき、私は気づいたの。……この世界が滅びたのは、単なる彼の暴走のせいじゃない。「理の番人」たちが、最初からこの結果を望んでいたのだと』
「どういう意味だ?」
零司が問いかける。
『番人たちの目的は「可能性の収束」。一つの完璧な世界を作るために、他の世界を意図的に絶望へ追い込み、その際に発生する膨大なエネルギーを回収しているのよ。この世界の刹那は、彼らにとって最高の「燃料」だった。……復讐心という名の高純度なエネルギー源』
冴子の言葉によれば、番人たちは並行世界ごとに異なる「悲劇」を仕掛け、魔術師たちがその運命に抗おうとして失敗する瞬間のエネルギーを糧にしているのだという。
「……ふざけてる」
刹那の手に持つ『一秒の破片』が、怒りに呼応して蒼い輝きを増す。
『刹那、この奥にあるメインサーバー室へ行きなさい。そこには、番人たちがエネルギーを吸い上げるための「中継点」がある。それを破壊すれば、この世界の「存在の重み」を番人たちから取り戻せる。……そうすれば、その「種」が芽吹くための土壌ができるはずよ』
冴子の姿が、徐々に薄れていく。
『……頑張りなさい、私の自慢の弟子。どの世界にいても、私はあなたの幸せを願っているわ』
「……ああ。任せておけ」
刹那は短く答え、師の最後の光を見送った。
メインサーバー室の番犬
冴子の導きに従い、一行はさらに深部へと進む。 辿り着いたメインサーバー室。そこは、かつての魔法庁の全データが眠る聖域であったが、今は巨大な銀色の触手が壁一面を覆い尽くし、中央に浮遊する黒い結晶へとエネルギーを送り続けていた。
「あれが『中継点』か。……趣味が悪いな」
零司が指を鳴らし、空間の座標を固定する。
「刹那、あの結晶を叩け。私がルートを作る」
だが、二人が動こうとした瞬間、結晶の前に一人の「番犬」が舞い降りた。
それは、魔法庁の制服を着ているが、顔の部分が鏡のように滑らかな「無貌の魔術師」だった。
「――理を乱す者は、ここで削除される」
無貌の魔術師が手をかざすと、サーバー室の全データが物理的な実体を持って襲いかかってきた。 何百万もの数式、報告書、そして過去の死刑判決文が、鋭い刃となって空間を埋め尽くす。
「リナ、美遊を連れて下がっていろ! 零司、一点突破だ!」
「了解だ! ――『因果切断』!」
零司の放つ空間の刃が、情報の濁流を真っ二つに裂く。その隙間を、刹那が閃光となって駆け抜けた。
「……悪いが、僕は『削除』される予定はない」
刹那は空中で『一秒の破片』を旋回させ、裁定者の力を解放した。
「――時空超越、第二段階:『因果固定』!」
情報の刃たちが、刹那に触れる直前でピタリと静止する。
単なる時間停止ではない。その攻撃が「発生したという事実」そのものを空間に固定し、無力化させたのだ。
刹那はそのまま無貌の魔術師の胸元へと踏み込み、蒼い一撃を叩き込んだ。
世界の重みを取り戻す
魔術師は音もなく砕け散り、背後の黒い結晶が激しく振動を始めた。
「これで……終わりだ!」
刹那が結晶を真っ向から両断する。
パリンッ、という透明な音と共に結晶が砕け、中から眩いばかりの光の奔流が溢れ出した。
それは、番人たちがこの世界から奪い取っていた「可能性」と「命の記憶」だった。
光は廃墟の街へと広がり、美遊が持つ『時空の種子』に吸い込まれていく。
種子は鼓動するように温かな光を放ち、枯れ果てた美遊の聖典に、新たな色が灯り始めた。
【裁定者、中継点を破壊。死せる世界に、再生の息吹が宿る。】
【されど、番人の怒りは頂点に達し、一行を『真実の檻』へと誘う。】
「……刹那! 空間の揺れが収まらないわ! 世界が……元の座標に戻ろうとしている!」
リナの叫びと共に、視界が白く染まっていく。
この滅びた世界に、微かな、だが確かな「未来への予感」を残して。
刹那たちは、次なる戦いの舞台へと強制的に転送されていった。
彼らが最後に見たのは、荒廃した東京の空に、一瞬だけ見えた澄み渡るような青空だった。
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