第5話:亡霊たちの語る残照
色彩を失った終焉
その場所には、「命」の響きが一切存在しなかった。 空に鎮座する『黒い太陽』は、熱を放つ代わりに周囲の温度を奪い去り、世界を永劫の薄明の中に閉じ込めている。かつて近未来魔導都市として繁栄を極めた東京の街並みは、巨大な力で押し潰されたように無惨に歪み、錆びついた鉄骨が骸骨の肋骨のように空を突いていた。
「……ひどい。これが、もう一つの『現在』だっていうの?」
リナが掠れた声で呟く。彼女の足元には、かつて多くの人々が行き交ったであろう大通りの成れの果てがあった。コンクリートの割れ目からは、植物さえも生えていない。ただ、灰色の砂のような土が風に舞い、視界を不透明に遮っている。
九条刹那は、自身の名前が刻まれた巨大な墓標の前に立ち、静かに周囲の「時間」を読み取ろうとした。 だが、彼の研ぎ澄まされた感覚に帰ってくるのは、凪のように静まり返った絶望だけだった。
「時間の流れが死んでいる。……いや、腐敗していると言った方が正しいか」
「刹那、見てくれ。この建物の崩落の仕方……単なる爆撃や震災じゃない」
神崎零司が、傍らの崩れた壁を指差した。そこには、空間そのものが内側から弾けたような「捻じれ」の跡が刻まれていた。
「空間が幾重にも折り畳まれ、元に戻れなくなった果ての崩壊だ。……この世界の私は、おそらくこれに巻き込まれて消えたんだろうな」
零司の言葉には、自らの死を目の当たりにした恐怖よりも、魔術師としての純粋な戦慄が混じっていた。 一方、巫女の美遊は、抱えた『終焉の聖典』を強く胸に抱き、周囲を警戒するように見回している。
「ここには……まだ『未練』が漂っています。剪定され、捨てられた世界の痛み。それが具現化しようとしている……」
美遊の予言を肯定するように、街の影から、ぼうっとした燐光が立ち昇り始めた。
残響の魔法庁
「止まれ。何かが来る」
刹那の警告と同時に、彼らは武器を構えた。 だが、現れたのは実体を持たない「影」だった。それはかつての魔法庁の制服を着た魔術師たちの残滓であり、意志を持たない記録映像のように、虚空に向かって何かを叫んでいる。
『……九条刹那を止めろ! 彼をこれ以上進ませるな!』
『法は死んだ! 秩序など最初からなかったんだ!』
影たちの叫びが、音にならない振動となって刹那の脳内を揺さぶる。 その映像の中心に、一人の男の姿があった。 若き日の零司。そして、その対面に立つのは、復讐に狂い、全身から赤黒い魔力を放つ刹那の姿だった。
かつて刹那が歩みかけた「復讐者」の道。 この世界では、刹那は零司を殺し、魔法庁を壊滅させ、その強大すぎる時間魔術で世界の理を強引に書き換えてしまったのだ。その結果、世界はバランスを失い、自重に耐えきれなくなって崩壊した。
「……あいつが見せたかったのは、これか」
刹那は、自身の影が世界を滅ぼしていく光景を、瞬きもせずに見つめていた。
「復讐を遂げた先に待っているのが、この虚無だという証明……」
『……いいえ、違います』
不意に、影の中から一人の女性が歩み出てきた。 その姿を見た瞬間、刹那の呼吸が止まった。
「……冴子、さん?」
そこにいたのは、霧島冴子だった。 だが、刹那が知る快活で強気な師匠ではない。全身に深い傷を負い、その瞳からは光が失われている。彼女の影は、静かに刹那を見つめた。
『刹那……。あなたは最後、一人で泣いていた。全てを壊し、誰もいなくなったこの場所で、止まらない時間を抱えて、あなたはただ……謝り続けていた』
「僕が……謝っていた?」
『そうよ。復讐なんて、最初から望んでいなかったのに。あなたはただ、奪われた温もりを取り戻したかっただけ。……でも、過ぎ去った時間は戻らない。それを認められなかったから、世界はこうなってしまった』
理の番人の嘲笑
冴子の影が、静かに霧となって霧散していく。 代わって、廃墟の街に不快な高笑いが響き渡った。
「素晴らしい! 誠に素晴らしい自己批判だ! 可能性の残骸が、これほどまでに芳醇な絶望を醸し出すとは!」
ビルの屋上から、一人の男が優雅に降り立ってきた。 彼は純白の法衣を纏い、背後には巨大な時計の歯車のような後光が浮遊している。 その顔には目も鼻もなく、ただ巨大な「瞳」が一つだけ描かれた仮面をつけていた。
「何者だ」
刹那が冷たく問いかける。
「私は理の番人が一柱、『記録の管理者』。……九条刹那、君はこの『失敗した自分』を見て、どう思ったかな? 憐れみか? それとも同族嫌悪か?」
「……趣味の悪い見世物だと思っただけだ」
「見世物? とんでもない! これは慈悲だよ。君に『正解』の重みを教えるためのね」
管理者は両手を広げた。
「君のいる『基点世界』は、あまりにも多くの犠牲の上に成り立っている。他の何千もの世界がこうして滅び、エネルギーを奪われたからこそ、君たちの平和は保たれている。……つまり、君が救おうとしている世界こそが、最も贅沢な強盗犯なのだよ」
管理者の言葉は、鋭い針のようにリナや零司の心に突き刺さった。 自分たちが享受している平和が、他の並行世界の破滅の上に成り立っているという残酷な事実。
「そんなの……私たちが望んだことじゃない!」
リナが叫ぶ。
「望もうが望むまいが、事実は変わらない。……さあ、裁定者よ。君に問おう。この滅びた世界たちの叫びを無視して、君はなおも、自分たちだけの未来を『正しい』と裁定するのかい?」
裁定者の覚悟
管理者が指を鳴らすと、周囲の瓦礫が意志を持ったように浮き上がり、刹那たちを包囲した。 それは物理的な質量ではない。この世界で死んでいった者たちの「恨み」が結晶化した魔力の弾丸だった。
「……答える必要はないな」
刹那が静かに一歩踏み出す。 彼の周囲に、蒼い粒子が渦を巻く。
「他者の犠牲の上に成り立つ平和。それが事実だとしても、僕には止まる理由がない。……もし僕の世界が強盗犯だと言うなら、僕はその罪ごと、全ての未来を背負ってやる」
「ほう? 全ての罪を背負う、か。傲慢だね、九条刹那!」
管理者が手を振り下ろすと、数万の瓦礫が一斉に刹那たちへ襲いかかった。 零司が即座に多重空間壁を展開するが、管理者の攻撃は「理」そのものの干渉。物理的な防御を透過し、直接魂を削りにくる。
「くっ……! 零司、そのまま支えていろ!」
刹那が自身の『一秒の破片』を頭上に掲げた。
「リナ、魔力供給を最大に! 美遊、君の本に刻め! ……僕たちは、この絶望の記録を、希望の序章に書き換える!」
刹那の魔力が爆発的に膨れ上がる。 それは時間を止める力でも、空間を断つ力でもない。 『今、ここに存在する意志』を宇宙の絶対的な法則として定義し直す、裁定者の真髄。
「――時空超越、絶対裁定領域・展開!」
刹那を中心に、蒼い衝撃波が円形に広がった。 触れた瓦礫は砂となって崩れ、管理者が放つ負の感情は、刹那の放つ圧倒的な存在感によって浄化されていく。
「なっ……世界の恨みを、個人の意志でねじ伏せるというのか!?」
管理者の仮面が、驚愕に歪む。
「恨みだけで未来は作れない。……あんたの記録には、僕がこの絶望を越えて、あんたの首を獲る未来も書き込んでおけ」
刹那の瞳は、一点の曇りもなく管理者を見据えていた。 その背後で、美遊が持つ『終焉の聖典』が激しく発光し、新たな文字を刻み始める。
【裁定者、絶望の写し鏡を砕く。……一行は、この死せる世界に潜む『真実の欠片』へと手を伸ばす。】
残された希望
刹那の放った光が収まると、管理者の姿は消えていた。 だが、それは勝利ではない。管理者はただ、試練の第一段階を終えて去ったに過ぎなかった。
「……みんな、大丈夫?」
リナが肩で息をしながら問いかける。 零司も、空間壁を維持し続けた反動で額に汗を浮かべていたが、静かに頷いた。
「ああ。……だが、奴の言ったことは重いな。我々の世界が、他を犠牲にして成り立っているというのは……」
「……それでも、進むしかないんだ」
刹那は、足元に落ちていた「何か」を拾い上げた。
それは、先ほどの冴子の影が消えた場所に残されていた、小さな、だが温かい光を放つ『時空の種子』だった。 この滅びた世界に残された、唯一の「やり直しの可能性」。
「これがあれば、この世界もいつか……」
美遊が希望に満ちた目で種子を見つめる。
「ああ。今はまだ種でしかないが、僕たちが『理の番人』を倒し、正しい理を再構築すれば、この場所にもう一度命を宿すことができるかもしれない」
刹那は種子を美遊に預け、再び黒い太陽を見上げた。 復讐の果ての廃墟。そこで見つけたのは、過去への謝罪ではなく、未来への責任だった。
「行こう。次は……この世界の僕が、最後に行き着いた場所へ」
一行は、廃墟の奥に鎮座する、崩壊した魔法庁の中央塔を目指して歩き出した。 そこには、この多層世界の崩壊を止めるための、最後の手がかりが眠っているはずだった。
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