第4話:鏡像の断罪者
虚無に染まった新宿
都庁前広場は、もはや現実の法則が通用する場所ではなかった。 重力は螺旋を描いて空へと向かい、砕け散ったアスファルトの破片は、停止した時間の中で無数の静止画のように空中に固定されている。空はどろりと濁った紫色に変色し、その中心に穿たれた「次元の断層」から、絶え間なくノイズ混じりの風が吹き荒れていた。
その混沌の中心で、二人の「九条刹那」が対峙していた。 一人は、多くの葛藤を乗り越え、世界を守る決意を宿した『裁定者』。 もう一人は、復讐の果てに心を焼き尽くし、並行世界の「理」に飲み込まれた『復讐者』。
「……信じられない。魔力波形が完全に一致している。でも、中身が……あまりに禍々しすぎるわ」
後方で魔導具を構えるリナの声が震えている。 彼女の持つ観測機は、目の前の「復讐者の刹那」から放出されるエネルギーを、もはや測定不能な「負の特異点」として認識していた。
『……何を見ている、幸福な僕よ』
復讐者の刹那が口を開く。その声は、何重もの残響が重なったような、この世ならざる響きを帯びていた。
『その目は、あの日、魔法庁の連中に親を殺された時の痛みを忘れた目だ。……反吐が出る。守護者だと? 裁定者だと? 笑わせるな。僕たちの手に残されたのは、世界を呪うための黒い炎だけだというのに』
「忘れてなどいない」
刹那は静かに、だが鋼のように硬い声で応じた。
「あの日の痛みは、今も僕の根底にある。だが、復讐の果てには何も残らないことを、僕は知った。君が辿ったその道は、行き止まりだ」
『行き止まりか……。なら、その行き止まりの先へ、世界ごと連れて行ってやるよ!』
衝突する二つの「破片」
復讐者が動いた。 その速度は、物理的な移動ではない。時間そのものを極限まで圧縮し、未来を強引に現在へと引き寄せる『時間短縮』。
「零司!」
「分かっている! ――『空間多重防壁・無限層』!」
零司が刹那の前に展開した空間の壁は、本来なら戦術核の直撃にも耐えうる。 しかし、復讐者が振るった赤黒い光を放つ『一秒の破片』は、その空間の層を、まるで熱したナイフでバターを切るかのように容易く切り裂いた。
キィィィィン!!
刹那が自身の蒼い『一秒の破片』でそれを受け止める。 二つの魔導具が激突した瞬間、周囲の空間に凄まじい衝撃波が走った。衝突点からは、時間軸の矛盾によって生じる「時空の火花」が飛び散り、触れた物質を一瞬で消滅させていく。
「……っ、重いな」
「当然だ。僕が背負っているのは、何千回、何万回と繰り返された『魔法庁への憎悪』だ。一人の人間の意志で支えられる重さじゃない!」
復讐者の剣筋は荒々しく、破壊的だった。 彼は自身の魔力回路を焼き切らんばかりの勢いで、周囲の時間を腐食させていく。彼が踏み込んだ場所から、地面が灰色に風化し、文字通り「存在の寿命」が尽きていく。
対する刹那は、最小限の動きでそれを捌いていた。 零司から受け継いだ「空間演算」により、敵の攻撃が届く直前の空間をわずかに歪め、運動エネルギーを別の次元へ逃がす。 二人の戦いは、もはや魔法という枠を超え、「世界の在り方」を定義する数式の衝突に近かった。
空間に、刹那が展開した裁定領域の術式が数式となって浮かび上がる。 彼は敵の「復讐の加速」に対し、自身の「存在の安定」を対置させた。
美遊の叫びと、綴られる真実
「刹那さん、負けないで……!」
医療用カプセルから這い出し、現場へ駆けつけていた美遊が、必死に『終焉の聖典』を抱えて叫んだ。
彼女の手元にある本には、今まさに目の前で行われている死闘が、恐ろしい精度で刻まれていく。
【裁定者、己の影と対峙す。影は問いかける。――奪われた命に、救済はあるのか。】
【裁定者の答えは……。】
「救済……か」
刹那は、敵の猛攻を凌ぎながら、自らの内面にある深い闇を見つめていた。 もし、自分がリナに出会っていなければ。 もし、零司と剣を交える中で、一歩でも道を間違えていれば。 目の前にいる狂った自分こそが、本来の姿だったのかもしれない。
『答えろ! 守護者気取りの僕よ! 過去に死んだ者たちは、この綺麗な未来を喜ぶとでも思っているのか!?』
復讐者の剣が、刹那の肩をかすめる。コートが裂け、鮮血が舞った。
「彼らが喜ぶかどうかは、僕には分からない。死者は沈黙している。……だが!」
刹那は傷を顧みず、一歩踏み込んだ。
「死者の無念を言い訳に、未来の可能性まで殺す権利を、君に与えた覚えはない!」
刹那の魔力が、蒼から、より純粋な『無色』へと変化し始めた。 それは、時間も空間も関係ない、ただ「そこにある」という事実を確定させる、裁定者の真の力。
「――『時空超越:存在裁定』!!」
影の霧散
刹那の手から放たれた衝撃波が、復讐者の赤黒いオーラを真っ向から打ち消した。 爆発的な魔力の奔流が広場を埋め尽くす。 零司は必死に結界を維持し、リナと美遊を爆風から守った。
光が収まったとき、復讐者の刹那は、膝を突き、その姿を半分ほど透けさせていた。 その手にある赤黒い『一秒の破片』には、無数のヒビが入っている。
『……ハ、ハハ……。強いな、さすがは……「正解」の世界の僕だ……』
その瞳から、狂気が少しずつ薄れていく。代わりに宿ったのは、深い、あまりにも深い哀しみだった。
「君は……」
刹那が歩み寄ろうとするが、復讐者の体はノイズのように激しく乱れ始めた。
『勘違いするな……。僕はまだ、諦めたわけじゃない……。理の番人たちが……本気を出せば、君の世界なんて、瞬き一つで「なかったこと」にされる……』
「理の番人とは何だ? 誰がこの現象を引き起こしている」
『……知りたいか? ……なら、連れて行ってやろう。……君が選ばなかった、もう一つの「あの日」へ……』
復讐者の刹那が不敵な笑みを浮かべた瞬間、彼の体が爆発的な光を放った。 それは攻撃ではない。強引な次元転送の門だった。
「刹那! ダメだ、引き込まれる!」
リナの叫びも虚しく、門から溢れ出した黒い霧が、刹那、リナ、零司、そして美遊の四人を飲み込んでいく。
「くっ……。零司、空間を固定しろ! バラバラにされるな!」
「言われずとも分かっている! ――『時空連結』!」
意識が遠のく中、刹那は美遊の本に刻まれた最後の一行を目にした。
【第二の試練、完了。……一行は、可能性の墓場へと誘われる。】
感覚が反転する。 上下左右も、過去も未来も曖昧な情報の濁流の中、刹那たちは、この「基点世界」ではない、どこか別の場所に放り出されようとしていた。
漂流の果てに
次に刹那が目を開けたとき、鼻をついたのは、焼け焦げた鉄と、血の匂いだった。
「……ここは?」
立ち上がった刹那の目に映ったのは、壊滅した東京の姿だった。 だが、それは先ほどまでの屈折現象による破壊ではない。 何十年も放置され、風化したような、絶望的な廃墟の街。
空には太陽がなく、代わりに巨大な『黒い太陽』が鎮座し、地上からあらゆる色彩を奪い去っている。
「……あ、ああ……」
隣で目を覚ましたリナが、息を呑んだ。
彼らの目の前には、かつて魔法庁本部があった場所に、巨大な墓標が建っていた。 そこには、こう刻まれていた。
【九条刹那、ここに眠る。復讐の果てに世界を滅ぼした罪人として。】
「……ここが、あいつのいた世界か」
刹那は拳を握りしめた。 そこは、彼が辿ったかもしれない、もう一つの、そして最悪の「結末」だった。
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