第17話:存在せぬ者の証明、灰塵の夜明け
虚無の胎動
霧島冴子の目から流れた涙が、灰色の砂漠に吸い込まれていく。彼女を包んでいた漆黒の魔力――世界への絶望そのものが霧散した瞬間、世界線シグマ・03の均衡は完全に崩壊した。
「……愚かな。依代が心を取り戻すとはな」
逆さの城から響く声は、もはや人の形を成していない。「無」そのものが震えているような、背筋を凍らせる残響。
城の中心部が歪み、巨大な「虚無の眼球」へと変貌していく。それはこの世界に残されたわずかな「存在」を飲み込み、完全な白紙へと還すための終焉の門だった。
「冴子さん、しっかりして! まだ終わらせない、僕が……僕たちがここにいる!」
刹那は膝を突く冴子を支え、上空を睨みつけた。
「……逃げなさい、刹那……。私は、もう……」
「嫌だ。あんたを置いていく自分なんて、どの世界線にも存在させない!」
非実在の英雄
虚無の眼球から放たれたのは、漆黒の光線。それは物質を破壊するのではなく、その座標にある「歴史」を消去する一撃。光線が触れた瓦礫が、煙にさえならず、最初から無かったかのように消えていく。
「リナ! アレテイアの全演算を『存在維持』に回せ! 零司、座標固定を頼む!」
『了解だ、刹那! ――空間固定、限界突破! 私の存在を賭けても、その一点だけは消失させん!』
通信越しに、基点世界の零司の声が吼える。アレテイアから放たれた蒼い光の柱が、刹那たちの周囲に「存在の絶対領域」を形成し、黒い光線を辛うじて押し止めた。
だが、地上の砂漠そのものが消え始め、刹那たちの足場が失われていく。
虚無の王が嘲笑う。
『九条刹那。この世界に君の居場所はない。君は歴史のどこにも刻まれていない不純物。無に還るのが、君にとって唯一の救いだ』
「……居場所がない? 記録にない? ……それがどうした」
刹那は『一秒の破片』を逆手に持ち、自らの胸元に突き立てるように構えた。
「記録にないからこそ、僕はなんだって書き込める。……この世界に僕がいないなら、今、ここで僕という歴史を始めてやる!」
第零法則・深度展開:『無名記』
刹那の体から、これまでの虹色を遥かに凌駕する、透明で澄み渡った輝きが溢れ出した。
美遊の遺した『終焉の聖典』が激しくページをめくり、真っ白だったページに新たな文字が刻まれていく。
【裁定者、存在の不在を証明す。……定義されざる一秒が、確定した滅びを凌駕する。】
「――第零法則・最終再定義:『無名なる黎明』!!」
刹那が跳躍した。足場のない虚空を、彼は自らの「意志」を足場にして駆け上がる。
虚無の眼球が放つ消去の波動を、彼は避けない。波動が触れたそばから、彼の虹色のオーラが「新たな存在」として空間を再構築していく。
「あんたが『無』を強いるなら、僕は『無限』で応えるまでだ! 冴子さんが流した涙の数だけ、僕はここに『明日』を書き込んでやる!」
刹那の『一秒の破片』が、虚無の眼球の中心へと突き刺さった。
灰色の世界の「初雪」
「――消えろ、虚無の王! この世界の終わりを、勝手に決めるなッ!!」
刹那が叫びと共に破片を捻り込むと、眼球が内側から弾け飛んだ。
爆発したのはエネルギーではない。それは、この世界に閉じ込められていた「失われた時間」と「人々の想い」の奔流だった。
逆さの城が崩壊し、漆黒の霧が浄化されていく。
空を覆っていた灰色の雲が、刹那の虹色の光に焼かれて消え去り、そこには……この世界で初めての、本物の「青空」が顔をのぞかせた。
地上に、白い粒が降り注ぐ。
それは死を招く灰ではない。冷たくて、どこか懐かしい……雪だった。
「……雪? 綺麗ね……」
リナがアレテイアのデッキに立ち、空を見上げて呟く。
「……ああ。この世界にも、まだ季節を刻む力が残っていたんだな」
刹那は地上に降り立ち、震える冴子の肩に、自分のコートをかけた。
旅立ちの約束
数時間後。 中央管理タワーの跡地に、レジスタンスたちの焚き火が灯っていた。
魔王の支配から解き放たれ、自分たちの意志を取り戻し始めた人々。その中心に、魔力を失い、ただの「霧島冴子」に戻った彼女がいた。
「……刹那。私は、あなたに何とお礼を言えばいいのかしら」
彼女の瞳には、もう魔王の面影はない。かつて刹那に魔法を教えた、あの慈愛に満ちた女性の眼差しだった。
「お礼なんていりません。……ただ、次に会う時まで、この世界を『空っぽ』にしないでください」
刹那はアレテイアへと続くタラップに足をかけた。
「……約束するわ。……この世界には『九条刹那』という英雄はいなかった。けれど、今日この日から、『世界を救った無名の旅人』の伝説が始まる。……私がそれを、語り継いでいくから」
「……柄じゃないな。……リナ、行くぞ。次の世界が呼んでる」
「はいはい、了解! ――次元共鳴エンジン、始動! ターゲット、世界線シグマ・09!」
アレテイアが夜明けの空へと飛び立っていく。
地上で小さくなっていく冴子の姿を見つめながら、刹那は『終焉の聖典』を閉じた。
その表紙には、美遊の文字で新しい一文が加わっていた。
【シグマ・03、裁定完了。……失われた歴史は、雪と共に新たな大地を潤すだろう。】
「……さあ、次はどんな『僕』が待ってるのかな」
刹那の言葉に、リナが笑って応える。
「どんな世界でも、あんたはあんたよ。……さあ、全速前進!」
虹色の航跡を残し、アレテイアは次元の壁を越えていった。
しかし、彼らはまだ気づいていなかった。
虚無の王の本体が、並行世界全域に張り巡らせた「最期の罠」が、すでに起動していることに。
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