第16話:救いなき荒野、魔王の戴冠
無彩色の沈黙
次元航行艦『アレテイア』が跳躍を終えたとき、艦橋を包んだのは、警報音でも魔力の奔流でもなく、耳が痛くなるほどの「静寂」だった。
「……何、ここ。センサーに何の反応もないわ。生命反応も、魔力反応も、文明の音さえも……」
リナの声が震えている。メインモニターに映し出されたのは、かつての東京――世界線シグマ・03の姿。そこには鋼鉄の街も、極彩色のジャングルもなかった。ただ、果てしなく続く灰色の砂漠と、崩れ落ちたコンクリートの墓標が並んでいるだけだった。
「九条刹那が存在しなかった世界……」
刹那は、自身の存在が「無」である場所を冷徹に見つめた。
彼が生まれなかったこの世界では、十年前の『大崩落』を止める者がいなかった。結果として、因果は捻じ曲がり、希望は芽吹く前に摘み取られたのだ。
「刹那、見て。あそこ……空が燃えてる」
リナが指差した先。灰色の空に、不気味な「逆さの城」が浮遊していた。そこから溢れ出す漆黒の魔力が、地上に残ったわずかな酸素を食い潰しながら、世界を終わらせるための秒読みを続けている。
牙を剥く「かつての恩師」
「――動くな、異物め」
冷え切った、だが聞き慣れた声が響くと同時に、アレテイアの艦橋に直接「魔力の刃」が突き立てられた。空間転移によって現れたのは、漆黒の法衣に身を包み、冷酷な黄金の瞳を持つ女性。
「……冴子、さん」
刹那がその名を呼ぶが、彼女の瞳には微かな揺らぎもなかった。
この世界の霧島冴子。基点世界では魔法庁の最高顧問として刹那を導いた彼女は、ここでは世界を滅ぼす『断罪の魔王』として君臨していた。
「私の名を気安く呼ぶな。この世界に九条という姓を持つ魔導師は存在しない。……貴様らは、どこの『可能性』から漏れ出したゴミだ?」
冴子が指先を鳴らすと、アレテイアの頑強な防壁が、紙細工のように容易く捻じ切られた。
「……っ! この魔力、今までの番人たちとは性質が違う! まるで世界そのものを『拒絶』しているみたい……!」
リナが必死に防御術式を展開するが、冴子の放つ「虚無の波動」の前では、どんな魔法も意味を成さない。
「救世主」がいなかった結末
「……なぜ、あんたがこんなことをしている」
刹那は『一秒の破片』を抜かず、静かに問いかけた。
「なぜ? 滑稽な問いだな」
冴子は冷笑し、足元に広がる灰色の世界を見下ろした。
「十年前、世界が壊れ始めた時、私は誰かが現れるのを待っていた。秩序を正し、明日を繋いでくれる『裁定者』を。……だが、どれほど祈っても、どれほど同胞が死んでも、そんな者は現れなかった。神も運命も、この世界を見捨てたのだ」
彼女の背後に、巨大な『虚無の王』の影が揺れる。
「なら、私が終わらせてやる。希望という名の毒を撒き散らし、苦しみを長引かせるこの醜い世界を、私の手で完全に白紙に戻す。それが、救われなかった者たちへの唯一の慈悲だ」
刹那は悟った。 この世界の冴子は、あまりにも強すぎたのだ。
救世主が不在の絶望の中で、彼女一人が世界を背負おうとし、その重圧に心が壊れてしまった。彼女が魔王になったのは、悪に染まったからではない。誰も救ってくれないなら、自分が「死」という名の救済を与えるしかないと結論づけてしまったからだ。
鏡合わせの決闘
「……悲しいな、冴子さん。あんたに魔法を教わった僕が、あんたを止める立場になるなんて」
「魔法を教わっただと? 戯言を」
冴子が右手をかざすと、空間から数千の「黒い棘」が放たれた。それは対象の過去・現在・未来を同時に貫き、存在そのものを無に還す絶滅魔術。
「――第零法則:『存在の再定義』!」
刹那が『一秒の破片』を振り上げると、虹色の輝きが黒い棘を次々と弾き飛ばした。
だが、冴子の攻撃は止まらない。彼女は自身の命を削り、この世界線に残された全魔力を注ぎ込んで、刹那を圧殺しようとする。
「無駄だ! 存在しない者が、何を変えられるという! 貴様がどれほど輝こうと、この世界の歴史に『九条刹那』の一行は刻まれない!」
「……ああ、そうだ。僕はこの世界の住人じゃない。あんたにとって僕は、ただの幽霊かもしれない」
刹那は、冴子の猛攻を浴びながらも、一歩、また一歩と彼女へ近づいていく。
『一秒の破片』が、彼女の放つ絶望のオーラを切り裂き、その奥にある「震える魂」を捉えた。
「だけど、幽霊にだってできることはある。……あんたが抱えきれなかったその絶望を、半分だけ僕が引き受けてやる!」
「――時空超越:『共鳴する一秒』!!」
魔王の涙
刹那が冴子の体に触れた瞬間、二人の意識が激しく混ざり合った。
刹那の脳内に流れ込んでくるのは、十年間の孤独。守れなかった教え子たちの死顔。そして、誰もいない都庁の屋上で独り泣き続けた冴子の記憶。
「……もう、いいんだ。冴子さん」
刹那の虹色の魔力が、冴子の漆黒の鎧を溶かしていく。
「……あ、……あぁ……」
冴子の瞳から、黄金の光が消え、人間らしい涙が溢れ出した。
彼女が魔王として積み上げてきた「拒絶」の理が、刹那という「あり得たはずの希望」に触れて、霧散していく。
しかし、その決着の隙を突くように、空の「逆さの城」が異様な脈動を始めた。
冴子を媒体にしていた『虚無の王』が、彼女を見捨て、より巨大な実体を持って顕現しようとしていた。
【中盤の試練。……魔王は去り、真の『虚無』が胎動する。】
【裁定者よ、己が存在しない世界で、君は何を証とするか。】
「……リナ! アレテイアの全出力を僕に回せ! 冴子さんを……この世界を、ここで終わらせはしない!」
灰色の砂漠に、かつてない虹色の柱が立ち昇る。
救世主のいなかった世界に、今、遅すぎた「一秒の奇跡」が刻まれようとしていた。
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