第15話:奇跡の黄昏、響き合う魂(アニマ)
崩落する極彩色
九条刹那が放った『遍く夜の帳』は、狂気的な輝きに満ちていたシグマ・12の世界に、数十年ぶりとなる「静寂」をもたらした。しかし、それは平穏の訪れを意味してはいなかった。
「……あ、あ……」
刹那の腕の中で、魔女としての力を失ったリナが弱々しく目を開ける。彼女の銀色の瞳からは魔力の渦が消え、そこには一人の人間としての、果てしない疲弊と恐怖だけが残されていた。
「しっかりしろ! 今、魔力を逆流させて、あんたの回路を安定させる……!」
刹那が手をかざそうとしたその時、地響きと共に大気が悲鳴を上げた。
極彩色の空から魔力が消えたことで、この世界の「物理法則」が急激に収縮を始めたのだ。過剰なエネルギーによって形を保っていた高層ビルや植物たちが、支えを失った砂の城のように、音を立てて崩壊していく。
「マズいわ、刹那! 世界の『密度』が急激に下がってる! このままだと、この世界線そのものが自重に耐えきれずに、次元の底へ沈没するわよ!」
アレテイアのハッチから身を乗り出し、基点世界のリナが叫ぶ。
さらに最悪なことに、魔女の胸元から飛び散った『虚無の王』の欠片が、周囲の瓦礫や残留魔力を吸い込み、巨大な「虚無の渦」へと膨れ上がっていた。
残響する罪、重なる声
虚無の渦の中心から、不気味な咆哮が響く。それは生き物の声ではない。消えゆく世界の「存在したい」という未練が、王の欠片によって歪められた末の断末魔だ。
『……救イ……テ……。……モット……光ヲ……』
「……これが、福音の正体か」
刹那は歯を食いしばる。この世界の人々は、奇跡に依存しすぎた。その結果、奇跡が去った後に残ったのは、自力で立つことさえ忘れた「空虚」だけだったのだ。
「刹那、私が行くわ!」
基点世界のリナが、アレテイアから飛び降り、刹那の隣に降り立った。彼女は自分と同じ顔をした、衰弱した「もう一人の自分」を見て、一瞬だけ瞳を揺らした。
「あんた……よく頑張ったわね。独りで、世界中の絶望を光で塗り潰そうなんて……無茶苦茶よ」
「……あなたは……、……別の、私……?」
魔女だったリナが、震える手で基点世界のリナの裾を掴む。
「そうよ。……でも、私はあんたみたいに独りじゃない。……世界を救う『バカ』が隣にいるし、それを支える『もっとバカな相棒』もいるんだから」
リナは力強く杖を構えた。
「刹那! 私があの渦の『意味』を固定する! あんたはその間に、王の欠片を切り離して!」
「……できるか?」
「私を誰だと思ってるの? ……魔法庁最強の、九条刹那のパートナーよ!」
共鳴魔術:双極の天秤
基点世界のリナが詠唱を開始する。彼女の魔力は、魔女のリナのような暴力的な量ではない。しかし、それは極限まで磨き抜かれた、繊細で強固な「秩序」の光だった。
「――『共鳴連結』! 過ぎ去りし光に形を、来たるべき闇に意味を!」
リナの魔力が、衰弱した魔女のリナへと流れ込む。二人のリナの波長が重なり合い、この世界に霧散していた残留魔力が、一つの巨大な「天秤」の形を成した。
「今よ、刹那!!」
刹那は『一秒の破片』を頭上に掲げた。
第零法則の虹色のオーラが、彼の背後に巨大な「時計の文字盤」を描き出す。
「……奇跡はもういらない。……だが、今日を生きるための『時間』だけは、返してもらうぞ」
「――第零法則・再定義:『黎明の裁定』!!」
刹那が振り下ろした刃は、虚無の渦を真っ二つに両断した。
単なる破壊ではない。渦巻く無秩序なエネルギーに「時間的な前後関係」を与え、爆発的な崩壊を「数千年にわたる緩やかな変化」へと組み替えたのだ。
救済の代償
王の欠片は、刹那の一撃によって実体を保てなくなり、悲鳴を上げて消滅した。
同時に、空を覆っていた極彩色の残照が完全に消え、そこには基点世界と同じ、星の輝く静かな夜空が戻ってきた。
地上の崩壊も止まった。しかし、そこにあるのは美しい都ではなく、瓦礫の山と、魔力を失って途方に暮れる人々が住む、過酷な「現実」の荒野だった。
「……終わったのね」
魔女だったリナが、地面に座り込み、夜空を見上げて呟いた。
「ああ。……でも、ここから先は地獄だぞ。奇跡も、福音もない。あんたたちは自分の足で、この瓦礫の中から食い物を探し、家を建てなきゃならない」
刹那は突き放すように言った。だが、その声には微かな温かみが混じっていた。
「……ええ。……それが、『生きる』ってことだったわね。……忘れていたわ」
彼女は、ボロボロの制服の汚れを払い、ゆっくりと立ち上がった。彼女の背中にあった十二枚の翼はもうない。だが、その足取りは、先ほどまで空を舞っていた時よりも力強かった。
「……ありがとう、裁定者。……いつか、この世界が自分の力で『青空』を取り戻した時、また会いに来て」
「……考えておくよ」
次なる歪みへ
アレテイアへと帰還した刹那たちは、すぐに次なる座標の解析に入った。
この世界から回収した王の欠片のエネルギーによって、『終焉の聖典』はさらにその輝きを増し、美遊の意識もより鮮明に語りかけてくる。
『……刹那様。二つの世界を救ったことで、虚無の王の本体も焦り始めています。……次は、もっと狡猾な罠が待ち受けているでしょう』
「ああ。次はどんな『絶望』が待っていようと、全部書き換えてやる」
刹那は、自室の机に置かれた二つの遺品を見つめた。
鋼鉄の零司が遺した「壊れた眼鏡」。
そして、この世界の魔女が手渡してくれた「色褪せた魔導結晶」。
彼はそれらを、自身の旅の証として胸の奥に刻み込んだ。
「……リナ、次の座標は?」
「……出たわよ。世界線シグマ・03。……ここは、ちょっと信じられないわ」
モニターを見つめるリナの顔が引きつる。
「……どうした?」
「……『九条刹那が、この世に存在しなかった世界』。……そして、そこでは――『霧島冴子が、世界を滅ぼす魔王になっている』世界よ」
聖典が不気味に赤く点滅する。
かつての師匠、そして最愛の理解者が敵となる、最も残酷な並行世界。
裁定者の旅は、さらなる深淵へと加速していく。
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