第14話:極彩色の地獄、暴走する福音
境界の航跡
次元航行艦『アレテイア』の艦橋に、重苦しい沈黙が降りていた。
メインモニターには、急速に遠ざかっていく「鋼鉄の街」の残像が映っている。二十年ぶりの雨に打たれ、規律から解き放たれた人々。そして、その秩序の礎となって消えた、もう一人の神崎零司。
九条刹那は、自席で深く椅子に身を沈め、手の中にある「壊れた眼鏡」を見つめていた。
「……結局、何も救えていないんじゃないか。僕は」
「刹那……」
傍らに立つリナが、心配そうにその肩に手を置く。彼女もまた、親友の「死」を目の当たりにした衝撃を隠しきれずにいた。
『――感傷に浸っている時間は、我々にはないぞ、刹那』
通信回路から、基点世界の神崎零司の声が響く。その声はいつも通り冷徹だったが、微かに震えているようにも聞こえた。
『あいつ……「鋼鉄の私」が遺したデータによれば、虚無の王の欠片はさらに加速度的に各並行世界へ分散している。次の座標は、すでに聖典が示しているはずだ』
刹那は、膝の上に置かれた『終焉の聖典』を開いた。
美遊の命が宿ったその本は、今やページの端々から虹色の魔力を溢れさせ、新たな警告を刻んでいた。
【第二の世界:シグマ・ワントゥエルブ。……そこは、溢れ出した福音がすべてを溶かす、色彩の墓場。】
「……わかっている。リナ、跳躍準備だ。次の世界は、さっきとは真逆だぞ」
「了解よ。……次元共鳴エンジン、再起動。ターゲット、世界線シグマ・12。……跳躍!!」
飽和するエーテル
次元の壁を突き抜けた瞬間、アレテイアの艦内に凄まじい「悲鳴」のような警告音が鳴り響いた。
「なっ、何!? 全計器がオーバーフローしてるわ! 外部の魔力圧が……基点世界の数万倍以上よ!」
リナが悲鳴を上げながら、制御盤に魔力を叩き込む。
窓の外に広がっていたのは、目を焼くような極彩色の世界だった。
空は紫から黄金へと常に変化し、雲は結晶化した魔力の粒子となって煌めいている。地上を見れば、異常成長した魔導植物が超高層ビルの残骸を飲み込み、その花弁からは爆発的なエネルギーが絶え間なく噴き出していた。
「……これが、『魔法が暴走した』世界か」
刹那はアレテイアの防壁を透過してくる熱量に顔をしかめた。
前の世界が「零」だったとするなら、この世界は「無限」。
すべての物質が過剰な魔力によって崩壊と再生を繰り返し、形を保つことさえ困難な地獄。
「刹那、外に出るのは危険よ! 生身でこのエーテルを浴びたら、細胞が魔術回路に変換されて内側から弾け飛んじゃう!」
「……『一秒の破片』がある。僕の周囲だけは、因果を固定して魔力の流入を止める。だが、アレテイアをこのまま停泊させるわけにはいかない」
刹那は『一秒の破片』を抜き放ち、艦のハッチをこじ開けるようにして外へ飛び出した。
一歩踏み出した先の大気は、空気というよりは「液化した魔力」に近かった。肺に吸い込むたびに、内臓が熱を帯び、意識が膨張しそうになる。
「――『因果固定』。……静まれ」
刹那が自身の周囲の時間を「一秒間」だけ完全に停止させることで、過剰なエネルギーの干渉を遮断する。彼の周囲十メートルだけが、鮮やかな色彩を失った「静止したモノクロームの世界」として確立された。
彷徨える「魔女」
崩壊した都市の残骸を歩く中、刹那は奇妙な光景を目にした。
過剰な魔力に耐えられず結晶化した人間たちの残骸――「魔力像」が、街の至る所に立ち並んでいる。彼らの表情には、絶望ではなく、あまりにも強すぎる快楽に脳を焼かれたような、狂った恍惚が張り付いていた。
「……誰も、救いを求めていないのか。この世界では」
『――いいえ、それは違います。刹那様』
不意に、聖典から美遊の声が微かに響いた。
『彼らは、救われることさえ忘れてしまったのです。溢れ出す可能性に飲み込まれ、個としての形を失うことが「幸せ」だと錯覚させられている……』
「……誰にだ?」
その問いに答えるように、極彩色の空から巨大な影が降りてきた。
それは、背中に十二枚の光の翼を広げた、圧倒的な魔力を放つ女性だった。
彼女が纏っているのは、魔法庁の制服をベースにしながらも、数多の魔導結晶で装飾された「神衣」。
その顔を見た瞬間、刹那の呼吸が止まった。
「……リナ?」
そこにいたのは、アレテイアに残っているリナではない。
大人の女性へと成長し、その瞳に銀色の魔力の渦を宿した、この世界の『リナ・フォーセット』だった。
だが、彼女の放つ威圧感は、かつて戦った『理の番人』をも凌駕している。
「あら……。この色彩の檻に、まだ形を保ったまま迷い込める『個』がいたのね」
この世界のリナ――『極彩色の魔女』は、優雅に空中で足を組み、慈悲深い笑みを浮かべた。
「ねえ、あなた。そんな窮屈な『一秒』の中に閉じこもっていないで、こちらへ来なさい。すべてを魔力に還し、世界と一つになれば、痛みも悲しみも消えてしまうわ」
「……リナ、目を覚ませ。あんたがやっているのは救済じゃない。ただの心中だ」
「心中? ふふ、心外ね。……私はこの世界から『限界』を消し去ったのよ。神崎零司という男がかつて提唱した秩序を壊し、誰もが望むだけの奇跡を手にできる福音の世界を作った。……その代償が、少しばかり『人間』という形を捨てることだっただけよ」
福音の裏側
魔女のリナが指を鳴らすと、周囲の魔導植物が一斉に咆哮を上げ、刹那に向かって触手を伸ばした。
一本一本の触手が、一つの大魔術に匹敵するエネルギーを秘めている。
「――『多重次元断層』!」
アレテイアから射出されたリナ(基点世界)の援護魔術が、触手を切り裂く。
艦橋から転送されてきたリナが、自身の「成れの果て」を見て、顔を蒼白にさせていた。
「嘘……。あれが、私……? あんなに悲しい魔力で笑っているのが、私なの!?」
「リナ、下がるな! こいつは虚無の王の欠片に、自身の魔力回路を直結させている!」
刹那は鋭く指摘した。
「彼女はこの世界のエーテルを維持するために、自らを『王の欠片』の器にしたんだ。……エネルギーを無限に汲み出すために、自分の心を燃料にして!」
『極彩色の魔女』の表情が、一瞬だけピクリと歪んだ。
「……余計な解析ね。……不純物は、排除するわ。私の福音に、停滞した時間は必要ない」
彼女が両手を広げると、空の黄金色の雲が巨大な魔法陣へと収束していった。
それは、世界そのものの魔力を一箇所に集め、対象を概念ごと「蒸発」させる最終解呪。
「――『万象解体・極彩の福音』!!」
空から降り注ぐのは、光の雨ではない。
それは、受容した者の存在を無理やり「無限の可能性」へと分解し、個を消滅させる理の奔流。
裁定者の決意
「刹那! 逃げて! それを浴びたら、どんな防壁も保たない!」
リナの叫びを背に、刹那は逃げるどころか、逆に魔女のリナに向かって真っ直ぐに跳躍した。
「……美遊、行くぞ。……第零法則、第二段階展開!」
刹那の『一秒の破片』が、虹色を超えた「無色の輝き」を放つ。
彼は、自分に向かってくる破壊の奔流を、避けるのではなく「吸収」し始めた。
「……何ですって!? 私の魔力を……世界そのものを喰らうというの!?」
「……あんたの福音は、あまりにも眩しすぎて何も見えない。……なら、僕がその光をすべて引き受けて、あんたに『夜』を見せてやる!」
刹那の体中から血が吹き出す。過剰な魔力供給に、彼の裁定者としての肉体が悲鳴を上げている。だが、その瞳だけは冷徹に、目の前の「救われなかった相棒」を捉えていた。
「――時空超越:『遍く夜の帳』!!」
刹那が放った一撃は、光を切り裂く「暗黒の刃」だった。
それは破壊の力ではなく、過剰に高まった魔力を無理やり冷却し、静寂へと導く裁定。
極彩色の空が、刹那の刃が通った場所から、深い、深い夜の闇へと塗り替えられていく。
「……ああ……。暗い……。……でも、……涼しい……」
魔女のリナの瞳から銀色の渦が消え、彼女の体から力が抜けていく。
彼女は崩壊する魔導結晶の翼を散らしながら、夜の闇に包まれた新宿へと墜ちていった。
刹那はその体を、空中でしっかりと受け止めた。
「……リナ。……もう、奇跡に縋らなくていい。……あとは、僕が何とかする」
しかし、魔女の胸元から、砕け散った王の欠片が、さらなる「異変」を呼び起こそうとしていた。
【第二の世界、佳境。……暴走する福音の奥底で、裁定者は『救済の代償』を知る。】
聖典の文字が赤く染まり、新たな敵の出現を告げる。
極彩色の地獄は、まだその真の姿を見せてはいなかった。
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