第13話:零の衝突、鋼の心
強風の進撃
中央管理タワーへと続く「新宿メインストリート」は、今や完全な戦場と化していた。だが、それは火薬の匂いが漂う泥臭い戦場ではない。音もなく空を切り裂く高出力レーザー、思考速度で展開されるドローンの包囲網、そしてすべてを無機質に塗り潰す「鋼鉄の規律」の論理が支配する、冷徹な殺戮場だった。
「来るわよ! 座標10時、12時、3時から高エネルギー反応!」
リナが叫ぶと同時に、上空の雲を割り、三翼の巨大な自律飛行兵器が姿を現した。それらが放つ光線は、触れた瞬間に物質を分子レベルで分解する。
「……消えろ」
九条刹那が、抜き放った『一秒の破片』を水平に一閃させる。
刹那の周囲に展開された蒼い波紋が、降り注ぐ光線を「静止」させた。空中で静止した数千の光の矢。刹那が指を鳴らすと、それらのベクトルは反転し、放った主である飛行兵器へと突き刺さった。爆発音さえも、この世界の規律によって抑制されているのか、奇妙に低く、篭った音が響く。
「すごい……。魔法という『不条理』が、あいつらの『合理』を上書きしていくわ」
義手のレールガンを連射しながら、霧島冴子が驚嘆の声を上げる。彼女率いるレジスタンスたちは、刹那が作る「静止した時間」の隙間を縫うように前進し、次々と防衛線を突破していった。
だが、タワーの頂部が不気味な紅い光を放ち始めた。
「……ターゲット、確認。誤差修正、完了。論理抹消砲、発射」
塔の先端から放たれたのは、光ですらなかった。それは「空間の定義」そのものを書き換える波動。波動が触れた建物、地面、そして逃げ遅れたドローンさえもが、ポリゴンの欠片のように崩れ、完全な『無』へと消えていく。
「刹那! あれはマズいわ、防壁が透過される!」
リナが悲鳴を上げる。彼女の魔導障壁が、波動の余波だけで激しく明滅し、砕け散ろうとしていた。
「……第零法則、部分展開」
刹那は左手を前に突き出し、意識を極限まで加速させた。
「――『世界の再定義:不壊の証明』!」
消去の波動が刹那たちを飲み込んだ。だが、波が過ぎ去った後も、刹那が立っていた円形のエリアだけは、傷一つなくそこに存在し続けた。彼は「自分たちが消える」という情報を、世界の根源レベルで拒絶したのだ。
鋼鉄の王座
タワー内部の直通エレベーターは、瞬き一つの間に刹那を最上階へと運んだ。
扉が開いた先、そこは壁一面が透明な強化ガラスに覆われた、巨大な展望室のような空間だった。眼下には、規律によって管理された死んだような街並みが広がっている。
部屋の中央、漆黒のデスクに座っていた男が、ゆっくりと椅子を回転させた。
神崎零司。……いや、この世界の神崎議長だ。
「……遅かったな、九条刹那。計算によれば、あと三十二秒早く到着するはずだった」
議長は眼鏡を指で押し上げ、感情の欠片もない瞳で刹那を見つめた。その服装は基点世界の零司と似ているが、纏っているオーラはまるで異なる。彼は一人の人間ではなく、巨大なサーバーそのものが肉体を得たような、恐ろしいまでの静謐を放っていた。
「零司。……そんな顔で僕を見るな。あんたのその理論、今すぐここで叩き壊しに来た」
「理論か。……刹那、君は相変わらず感情という不確実なリソースに依存している。……見てみるがいい。この街には、飢えも、差別も、犯罪もない。すべてが最適化され、人類は滅亡という最大の『エラー』を回避し続けている」
議長が指を鳴らすと、部屋の中央に巨大な結晶体が浮かび上がった。
その中では、どろりとした黒い霧――『虚無の王』の欠片が、無数の電子の鎖に繋がれ、脈動している。
「私はこの王の欠片を、世界の『安定材』として利用している。感情を捨て、個を捨て、全人類が単一の思考回路に接続されることで、世界は『虚無』に飲まれることなく、永遠の停滞を手に入れる。……それが、私の裁定だ」
「……停滞なんて、死んでるのと変わらない。美遊が命を懸けて守ったのは、そんな凍りついた未来じゃない!」
刹那の『一秒の破片』が、怒りに呼応して虹色の輝きを放つ。
論理対意志
「……交渉決裂か。ならば、君という『バグ』を、私の論理で上書きしよう」
議長が立ち上がると同時に、部屋の四隅から無数の黒いナノマシンが噴出した。それらは瞬時に合体し、基点世界の零司が使う『空間法則』を機械的に再現した、巨大な「空間切断機」へと姿を変える。
「――『論理領域:絶対切断』」
議長の言葉と共に、刹那の周囲の空間が格子状に断裂した。
避ける場所はない。空間そのものがサイコロ状に切り刻まれようとしている。
「……『因果固定』!」
刹那は自身の足を一歩踏み込み、無理やり「切断」を押し留めた。
虹色の魔力と、紅い電子的エフェクトが激しくぶつかり合い、火花を散らす。
「零司、あんたは言ったな。感情は効率を下げるノイズだと。……だが、そのノイズがあるからこそ、人は昨日よりも遠くへ行けるんだ!」
刹那は断絶した空間を強引に素手でこじ開け、議長の懐へと踏み込んだ。
『一秒の破片』が議長の展開した電子防壁を次々と貫いていく。
「……効率? 最適化? そんなもの、ただの臆病者の言い訳だ! あんたは、世界が壊れるのが怖くて、最初からすべてを殺しているだけだ!」
刹那の言葉が、議長の瞳にわずかな揺らぎを生んだ。
「……怖い? 私が? ……馬鹿な。私はただ、最善の選択を……」
『……いいや、その世界の私は、確かに怯えているな』
不意に、部屋の中に通信ではない、直接的な「思念」が響いた。
刹那の影から、基点世界の神崎零司の幻影が立ち上がった。アレテイアを通じて、魂の一部を空間的に転送させたのだ。
「法を司る者が、法に依存して心を失う。……それは、私が最も恐れていた自分自身の成れの果てだ。……鋼鉄の私よ。君の計算には、肝心な変数が抜けている。……『奇跡』という名の、可能性だ」
決着の一撃
二人の零司が見つめ合う。 その一瞬の隙を、刹那は見逃さなかった。
「――これで、終わりだ!!」
刹那は『一秒の破片』を突き出した。
だが、それは議長の心臓ではなく、彼の背後にある『虚無の王の欠片』を封じ込めた結晶へと向けられた。
「やめろ! それを壊せば、抑え込まれていた虚無が……!」
「抑え込む必要なんてない! 僕が、全部飲み込んでやる!」
刹那の刃が結晶を貫いた。
パリンッ、という音と共に、封印されていた王の欠片が解放され、どす黒い奔流となって部屋中に溢れ出した。
議長はその圧倒的な絶望の波に飲み込まれ、膝を突く。彼の脳内に埋め込まれていたナノマシンが、許容量を超えた因果情報によって次々とショートしていく。
「……あ、が……あああああっ!!」
議長の眼鏡が砕け、その瞳に、失われていた感情……「恐怖」と、そして「後悔」が戻ってきた。
刹那は、溢れ出す黒い霧の中に自ら手を突っ込んだ。
「……第零法則・因果統括。……美遊、力を貸してくれ!」
刹那の体を通じて、虚無のエネルギーが「虹色の光」へと変換されていく。
彼はこの世界の絶望をすべて自らの内側に取り込み、浄化し始めたのだ。
それは、裁定者にしかできない、世界の毒を薬に変える荒業だった。
鋼の街に降る雨
数分後。 中央管理タワーの最上階には、穏やかな朝日が差し込んでいた。
黒い霧は消え、街全体を覆っていた監視網の信号も完全に停止していた。
「……ふう、ふう……」
刹那は肩で息をしながら、床に座り込んだ。
その目の前には、ナノマシンの支配から解放され、虚ろな表情で自分の手を見つめている神崎議長がいた。
「……九条、刹那。……私は、何をしていたんだ」
「……ただの、盛大な計算違いだ。……もういい。あんたの負けだ、零司」
刹那は、議長に手を差し伸べた。
議長はその手を、震える手で取ろうとしたが、その直前――。
彼の体が、不自然にノイズを帯びて乱れ始めた。
「……なっ!?」
「……やはり、こうなるか。……一度『論理』の完成に身を捧げた存在は、その論理が崩壊したとき、世界線から排除される」
どこからともなく、風見が現れ、静かに告げた。
「待て! まだ話が……!」
「……刹那。……礼を言う。……最後に見た、この朝日は……計算式よりも、ずっと美しいな……」
神崎議長は、満足そうな、かつての親友のような微笑を浮かべ、光の粒子となって消滅した。
後に残されたのは、彼がかけていた壊れた眼鏡だけだった。
「……零司」
刹那は眼鏡を拾い上げ、拳を強く握りしめた。
この世界は救われた。だが、その代償として、もう一人の友を失った。
窓の外では、鉛色だった雲が消え、この世界で二十年ぶりとなる「雨」が降り始めていた。
それは、感情を取り戻した世界が流す、涙のようだった。
【第一の世界、裁定完了。】
【されど、聖典のページは止まらず。……次なる扉は、魔力が暴走した「極彩色の地獄」へと続く。】
美遊の聖典が、新しい座標を指し示す。
刹那たちは、止まることなくアレテイアへと戻り、次なる戦いへと備えるのだった。




