第12話:鋼の論理、法の断絶
鉄の秩序、心の摩耗
地下レジスタンスの隠れ家は、湿った油と錆びた鉄の匂いに満ちていた。モニターから放たれる青白い光が、霧島冴子の険しい横顔を照らし出す。彼女は魔法庁の精鋭部隊を率いていた基点世界の姿とは対照的に、いくつもの戦傷を負い、使い古された機械の義手を軋ませながら、この世界の惨状を語り始めた。
「この世界には、かつて魔法が存在した。だが二十年前、ある『特異点』の発生と共に、大気中のエーテルは急速に枯渇し始めた。人々が混乱に陥る中、救世主として現れたのが神崎零司だったわ」
冴子の指が、地図上にそびえ立つ監視塔を指し示す。
「彼は魔法に代わるエネルギーとして『高効率科学』を提唱し、巨大企業『鋼鉄の規律』を設立した。それだけなら、ただの産業革命だった。……けれど、あいつが次に手を付けたのは、人間の『精神』の効率化だった」
「精神の効率化……。まさか、感情の制御か?」
リナが不安げに尋ねると、風見が冷たく言葉を継いだ。
「脳内に埋め込まれたナノマシンによる、最適化だよ。悲しみ、怒り、迷い――生存に不要な感情を『ノイズ』として排除し、人間を社会という巨大な歯車の一部に作り変えた。それが神崎零司の敷いた、絶対の法だ。……皮肉なことに、この世界には犯罪も紛争も存在しない。ただ、意志を失った『人形』たちが整然と生きているだけだ」
刹那は黙って話を聞いていた。基点世界の零司もまた「法」と「秩序」を重んじる男だ。だが、彼の求める秩序はあくまで人間が人間として生きるための枠組みだった。
この世界の零司が選んだのは、人間であることを放棄させることで達成される、あまりにも完成された、そして冷酷な「静寂」だった。
二人の神崎零司
『……信じられんな。それが、別の可能性を辿った私だと言うのか』
アレテイアの通信回線を通じて、基点世界の神崎零司の声が響いた。彼の声には、隠しきれない嫌悪感と憤りが混じっている。
『法とは、混沌を統べるためにある。だが、魂を殺してまで得られる秩序など、それはただの死体置場と同じだ。刹那、あいつは……もう一人の私は、私の信念に対する最大の侮辱だ』
「わかっている。零司、そっちの演算リソースをこちらに回せるか。この街全体を覆う監視網……ナノマシンの制御信号を逆探知したい」
『容易いことだ。こちら側の計算機は、魔法と科学の融合による高次演算を行っている。鋼鉄に依存した旧時代の論理など、数秒で解析してみせよう。……ただし、注意しろ。その世界の私……神崎議長は、すでに君たちの存在を『エラー』として認識しているはずだ』
その言葉を裏付けるように、隠れ家の天井に設置されたスピーカーが、不快な電子音を鳴らし始めた。
「――警告。未登録の思考波形を検知。コード701、全個体に告ぐ。対象を『廃棄処分』せよ」
機械的な、だが紛れもなく零司と同じ声が地下室に降り注ぐ。
それと同時に、壁を突き破って、四足歩行の戦闘ドローンが次々と乱入してきた。
魔法と科学の交錯
「来たわね! 刹那、リナ、下がってて!」
冴子が背負っていた巨大なレールガンを構え、火を吹かせる。
一発の弾丸がドローンの装甲を貫き、電気火花が散る。しかし、ドローンの数は尋常ではない。奥の通路からは、ナノマシンによって強化された「法執行官」たちが、感情のない瞳で迫ってくる。
「リナ、魔力を集中しろ。アレテイアからのエーテル供給ラインを確保する!」
「わかってる! ――『魔導障壁:物理透過抑制』!」
リナが展開した蒼い盾が、法執行官たちの放つ高周波ブレードを弾き返す。
魔法を知らないこの世界の住人にとって、物理法則を無視したリナの防御は、未知の恐怖……いや、彼らの論理には存在しない「バグ」そのものだった。
「僕の番だ」
刹那が『一秒の破片』を抜く。 彼は法執行官たちの集団の中に、一瞬で飛び込んだ。
「――『時空超越:一秒の断罪』」
刹那が通り過ぎた後、数秒の間をおいて、すべての執行官たちが膝を突いた。
斬ったのではない。彼らの「動力源」となっているナノマシンの通信時間を、刹那の力で局所的に数万年単位で停滞させたのだ。
物理的には無傷。だが、そのシステムは永遠に「次の命令」を待つフリーズ状態に陥った。
「魔法……。これが、計算外の力か」
風見がタブレットを操作しながら、驚異を見るような目で刹那を観察している。
「風見、感心している暇はない。神崎零司のいる場所を教えろ。……一分以内にこの場所は包囲される」
鋼鉄の王座への道
「あいつは都庁ビル……今は『中央管理タワー』の最上階にいる。だが、そこは幾重もの物理障壁と電子の壁に守られているわ。生身で近づくのは不可能よ」
冴子が銃に新しいマガジンを叩き込みながら言った。
「なら、僕が道を作る。……零司、聞こえるか」
『ああ。解析は終わった。……興味深いことがわかったぞ、刹那。その世界の私が敷いた『鋼鉄の規律』、その真の目的は秩序ではない。……『虚無の王』の欠片を安定して保存するための、巨大な冷却装置だ』
刹那の瞳が鋭く光る。
「……どういうことだ?」
『感情の排除、思考の統一。それはすべて、人間の精神から発生する熱……因果の揺らぎをゼロに近づけるためだ。王の欠片は、観測者が多ければ多いほど、その存在を増大させる。……逆に、誰も『意志』を持たなければ、王は安定したまま、その世界に根を下ろすことができる』
つまり、この世界の神崎零司は、虚無の王を自らの管理下に置き、宇宙の崩壊を「停止」させようとしているのだ。たとえ、それが全人類の心を殺すことになっても。
「……あいつらしい、最悪の合理主義だ」
刹那は、隠れ家の出口を見据えた。
外はすでに、数千のドローンと武装ヘリが埋め尽くしている。
「リナ、冴子さん、風見。……僕が先陣を切る。全員、僕の『一秒』の背中についてこい」
刹那が『一秒の破片』を掲げると、虹色の魔力が廃墟のような地下室を照らした。
かつては絶望を記録した美遊の力が、今は「魔法のない世界」を塗り替えるための唯一の希望の筆となっていた。
宣戦布告
中央管理タワー。
その冷徹なガラス張りのオフィスで、一人の男が眼下の街を眺めていた。
神崎零司。鋼鉄の規律の議長。
彼は、自身の網膜に投影された「エラー発生」の警告を、無感情に消去した。
「……計算外の変数、九条刹那か。……懐かしい名前だ」
彼は椅子に深く腰掛け、目の前の空間を操作した。
そこには、巨大な結晶の中に閉じ込められた、脈動する『虚無の王』の一部があった。
「……私の秩序に、感情という名のノイズは不要だ。……たとえそれが、かつての友であっても」
神崎議長が指を鳴らすと、タワー全体が変形を始め、巨大な砲身が刹那たちのいる方角へと向けられた。
それは街一つを「情報的に抹消」する、この世界の究極の兵器。
魔法対科学。
友情対論理。
互いの正義が激突する、運命のカウントダウンが始まった。
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