第10話:第零法則・世界の再定義
白紙の世界の真ん中で
光が、すべてを塗り潰そうとしていた。
それは救済の光ではない。意味を剥奪し、因果を断ち切り、ただ「何もなかった」ことにする絶望の白。都庁前広場も、そびえ立つ摩天楼も、そして愛すべき仲間たちの姿も、虚無の王が放つ「無」の波動によって、輪郭を失い、透き通っていく。
その消失のただ中で、九条刹那だけが鮮烈な色彩を放っていた。
巫女・美遊が自らの存在すべてを賭して解印した『第零の法則』。それは、かつて数多の並行世界が滅びの果てに見出した、宇宙で最も身勝手で、かつ最も崇高な禁忌の魔術だった。
「……あ、ああ……」
消失の間際、リナが刹那の名を呼ぼうとした。だが、彼女の口から漏れたのは声ではなく、白いノイズだった。
神崎零司も、霧島冴子も、もはや目を開けていることさえできない。彼らがこれまで築き上げてきた「魔法庁」という歴史そのものが、王の手によって破り捨てられようとしていた。
『無意味だ、九条刹那』
虚無の王の声が、色彩を失った空間に重く響く。
『一人の少女の命を薪にして、どれほどの火を灯そうという。白紙に何を書き込もうと、私がそのページを閉じればすべては終わる。それがこの宇宙の、残酷なほどに正しい終焉なのだ』
「……正しい終焉だと?」
刹那は、虹色に燃え上がる『一秒の破片』を強く、折れんばかりに握り締めた。
彼の瞳には、消えていった美遊の最後の微笑みが焼き付いている。
「そんなものが『正しい』と言うなら、僕は喜んで『間違い』になる。……あんたが白紙に戻すのが理だというなら、僕はその紙を、何度でも僕たちの血と涙で汚してやる!」
第零法則・起動
刹那の足元から、七色の魔力回路が爆発的に展開された。
それはこれまでの『時間法則』とも『空間法則』とも違う。存在しないはずの法則を、強引に「今、ここに在る」と定義する、理への反逆。
「――第零法則:『世界再定義』!!」
刹那が吠えた。
その瞬間、白一色だった世界に、凄まじい「音」が戻ってきた。
それは崩壊する街の音ではない。数千、数万の並行世界で生きてきた人々の、何気ない日常のざわめき。笑い声、泣き声、怒号、そして祈り。
刹那の『一秒の破片』から溢れ出した虹色の光が、白紙化の波と真っ向から衝突した。
「無」が支配する空間に、刹那の意志が「意味」を刻み込んでいく。
消失しかけていたリナの体が、再び確かな質量を持ち始めた。
「……せ、つな……? 体が、熱い……」
「リナ、しっかりしろ。……零司、冴子さんもだ! 認識を緩めるな! 自分たちが『ここにいる』と強く念じろ!」
「……ク、ハハ……。死に損なったか」
零司が血を吐きながらも不敵に笑い、自らの空間魔術を刹那の虹色のオーラに同調させた。
「いいだろう、九条刹那。君が新しい白紙の上に物語を綴るというなら、私はその『余白』を埋めるための法を敷いてやる」
虚無の王との対決
虚無の王が、初めて不快そうに眉を寄せた。
彼が支配する完全なる「無」の中に、刹那という不純物が、それも制御不能なほどの輝きを放って居座り続けている。
『……秩序を乱す毒が。ならば、その魂の芯まで白く塗り潰してくれる』
王が右手を一振りすると、数千の「白い鎖」が刹那に向かって放たれた。一触即死。触れた部分の因果がその瞬間に消失する概念兵器。
だが、刹那はそれを避けない。
彼は虹色の光を纏いながら、垂直に、王の懐へと飛び込んだ。
「止まれッ!」 刹那の一喝と共に、周囲の『一秒』が数万年にも感じるほど引き延ばされた。
第零法則下における『時間法則』は、もはや単なる操作ではない。それは「刹那が望む瞬間」を、宇宙の絶対的な中心へと強制的に固定する力。
白い鎖が刹那の体まで数センチのところで静止し、逆に虹色の亀裂が鎖を伝わって王へと逆流した。
「あんたは『何もいらない』と言ったな。……だが、僕はこの空っぽの世界に、美遊が遺した『想い』を感じる。……リナが僕を呼ぶ声を感じる! 零司が守ろうとした法を感じる!」
刹那の『一秒の破片』が、王の漆黒の長衣の胸元に突き立てられた。
物理的な衝撃ではない。王という「無の概念」に対して、刹那が持つ「有の質量」が真っ向から衝突したのだ。
『……ぐ、おおおおおっ!?』
王の無機質だった顔が、驚愕と苦悶に歪んだ。
王の体から、奪い取ってきた並行世界の記憶が、眩い奔流となって噴き出した。
白に染まっていた新宿の街並みが、色彩を取り戻していく。空の『次元の断層』が、刹那の放つ虹色の魔力によって、強引に縫い合わされていった。
一時的な終息と代償
「……これ……でっ!!」
刹那が全魔力を込めて破片を押し込むと、世界を揺るがす大爆発が起きた。
光と影が反転し、重力が螺旋を描き、意識が情報の彼方へと吹き飛ばされる。
……静寂が訪れた。
気がつくと、刹那は都庁前広場のアスファルトの上に倒れていた。
空を見上げれば、そこには夜明け前の、紺碧の空が広がっている。巨大な亀裂も、虚無の王の姿も、そこにはなかった。
「……刹那! 刹那!!」
リナが駆け寄り、ボロボロになった刹那の体を抱き起した。
零司や冴子も、重傷を負いながらも一命を取り留め、周囲の状況を確認している。
新宿の街は、半分以上が異世界の建造物と融合したまま固定されていたが、それ以上の侵食は止まっていた。人々は混乱の中で立ち上がり、自分たちの手足があることを確かめ、安堵の声を漏らしている。
「……勝ったの、か?」
刹那が掠れた声で問う。
「……いいえ、まだよ」
冴子が沈痛な面持ちで、広場の中央を指差した。
そこには、美遊がいた場所には、彼女の遺品である『終焉の聖典』だけが落ちていた。
そして、そのページは―― 今や真っ白ではなく、この世界とは別の、数多の風景が写真のように刻まれていた。
「王は消えていない。……刹那の最後の一撃で、彼は複数の並行世界へと分散し、潜伏したのよ。この『基点世界』の白紙化は止まったけれど、他の世界ではまだ、番人たちが暗躍を続けている」
零司が聖典を拾い上げ、刹那に手渡した。
「美遊は……彼女の存在そのものが、この聖典に『記録』として移り変わったようだ。彼女を、そして他の世界を救う方法は、ただ一つ」
刹那は重い体を動かし、聖典を受け取った。
ページをめくると、そこには美遊の筆跡で、震えるような文字が記されていた。
【裁定者よ。扉は開かれた。……バラバラになった世界を繋ぎ、本当の未来を綴る旅へ。】
第二章への序曲
「旅……か」 刹那は、夜明けの光に透ける『一秒の破片』を見つめた。
そこには、美遊が託した七色の魔力が、今も微かに拍動している。
虚無の王を完全に討つためには、分散した彼の「核」を各世界で回収し、真の意味で世界の理を再構築しなければならない。
それは、魔法庁の管轄さえも超えた、果てしない時空の旅になるだろう。
「刹那、行くんでしょ?」
リナが、覚悟を決めた瞳で刹那を見つめる。
「……ああ。一人で行かせてくれとは言わないさ」
「当然よ。あんたの相棒をクビになった覚えはないわ」
零司も一歩前に出た。
「魔法庁の全リソースを投入し、時空移動用の艦艇を建造させる。……神崎零司の名において、君の行く道をあらゆる空間からサポートしよう」
刹那は立ち上がり、コートの襟を正した。
かつての復讐者は、守護者を経て、今、世界の運命を書き換える「裁定者」としての第一歩を踏み出した。
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