第50話 『武』の最奥
次の蒼い炎をくぐった先は、空も大地も、すべてが鈍い鉄色に染まった闘技場のような空間だった。
足元は硬質な岩盤、天井は見えない。重力すら、どこか重く感じられる。
「……来たか」
低く、しかしよく通る声が響いた。
中央に立っていたのは、一人の男。
鎧も武具も身につけていない。上半身は鍛え抜かれた筋肉が剥き出しで、身体には無数の傷痕が走っている。長い白髭が、彼が『武』に費やしてきた時間を物語る。彼の立ち姿には、一切の隙がなかった。
「我が名はロンフゥ。『武』の頂に立つ影」
男は静かに拳を握る。
その風圧だけで、空気が軋んだ。
ヴィーノは息を呑んだ。
この男だ。かつて廃工場で、一撃で自分たちをねじ伏せた存在。
恐怖はある。だが、逃げたいとは思わなかった。
「また来たか。いい顔になったな、小さき勇者よ」
ロンフゥの口元が、わずかに歪む。
それは嘲笑ではなかった。
期待だ。
「七災禍、『武』のロンフゥ。お前を、倒しに来た」
トレセルの言葉に、武人は薄く笑みを浮かべる。
「災禍、災厄、か。我はとうにあの魔女なぞに興味は持っておらぬ」
ロンフゥが、呼吸を整える。
「我は……善でも悪でもない。ただ、全力で殴り合える相手を求めているだけだ」
拳を構える。
「来い」
その瞬間だった。
地面が爆ぜた。
ロンフゥの踏み込みは、視認できないほど速い。
次の瞬間、ヴィーノの視界が反転した。
「っ!」
衝撃が全身を貫き、背中から地面に叩きつけられる。防御魔法を張る暇すらなかった。
「ヴィーノ!」
ホリーが跳ぶ。
空中で身体を捻り、ヴォーパルトゥースを構えたまま、ロンフゥの側頭部へ蹴りを放つ。
だが――
ガッ、という鈍い音。
蹴りは、ロンフゥの腕で受け止められていた。
「軽い。だが鋭さは悪くない」
次の瞬間、ホリーの身体も弾き飛ばされる。地面を転がり、咄嗟に受け身を取らなければ、骨が砕けていたであろう一撃。
「ヴィーノ!融合だ!」
トレセルが吼える。銀の腕輪が外れ、光となってヴィーノに飛び込む。
ヴィーノの意識が、一段深く沈む。魔力が、全身に満ちていく。
「エンチャントっ!ファイヤー・ウインド・フィスト!」
両の拳に風と炎を纏わせ、突進する。
ロンフゥが、防御の構えをとるのが見えた。今度は、奴の動きが目で追える。実力は互角、いや、紙一重で奴のほうが上か。
技と技がぶつかり合い、衝撃波が走る。
その勢いにロンフゥの身体が一歩、下がった。
「ほう……」
ロンフゥを下がらせた。その事実に、ヴィーノ自身が驚いた。だが、次の瞬間には、肋骨に重い一撃が突き刺さる。
「ぐっ……!」
「慢心するな」
追撃。
肘、拳、膝。
純粋な打撃の嵐。
トレセルは歯を食いしばる。
確かに強い。だが、前のように一方的ではない。
「ホリー!」
「オッケー!」
ホリーが再び跳躍する。
今度は正面からではない。
ロンフゥの死角、背後へ回り込み、連続でヴォーパルトゥースによる斬撃を叩き込む。
血が地面に散る。
「ぐっ」
ロンフゥの顔が、わずかに歪む。
「……効いている」
トレセルは、そう呟いた。
まだ傷は浅い。
だが、確実にダメージは蓄積している。
「三位一体。悪くない連携だ」
拳を振るうたびに、ロンフゥの息が、ほんのわずかずつ荒くなっていく。
それでも、倒れない。
むしろ……楽しそうだった。
「来い……もっとだ!」
地面を踏み鳴らし、衝撃波を放つ。
トレセルとホリーが同時に吹き飛ばされる。
視界が揺れる中で、ヴィーノは思う。
怖い。だが、逃げない。
この男は、試している。
自分たちの「今」を。
「トレセル……!」
「分かってる。溜めるぞ!」
トレセルは拳を握りしめる。
炎、水、風、雷、氷、土、光……
全ての属性を、拳の一点に集束させる。
身体が悲鳴を上げる。
汗がしぶきのように飛ぶ。
それでも、トレセルは魔力を収束させ続ける。
「……ほう」
ロンフゥは、その変化を見逃さなかった。武人が構えを正す。
「それだ。その顔だ」
拳を突き出す。
「我も、全力で応えよう」
武と魔のオーラが真正面から激突する。
衝撃で、足元の岩盤が砕け散り、空間が歪む。
「エレメント・フィスト!!」
「我が一撃、受けてみよ!」
拳が、ロンフゥの拳に叩き込まれた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、拳からロンフゥの身体に、無数の亀裂が走る。
光が、そこから溢れ出す。
「……ははは」
ロンフゥは、崩れ落ちながら笑っていた。
「良い……実に、良い……」
膝をつき、それでも顔を上げる。
「我は……満足だ」
身体が光へと還っていく。
「勇者よ……また、生まれ変わったら……拳を交わそう」
その言葉を最後に、ロンフゥは消えた。
静寂。
ヴィーノは、膝に手をついて息を整える。
拳が、まだ震えていた。
「……勝った、のか」
「勝ったよ」
ホリーが笑う。
「ちゃんと、ね」
トレセルは何も言わず、空を見上げていた。
また一つ、七災禍を越えた。
だが同時に、確信していた。
これで終わりではない。
最後の七災禍。『超』のタマモ。そこではもっと深く、もっと厳しい戦いが待っているだろう。
それでも。
今は、確かに前に進めている。
三人は、蒼い炎の残滓を背に、次の試練へと歩き出した。




