第48話 『天』の真実
次の炎をくぐり抜けた瞬間、三人は雲海のような世界に足を踏み入れていた。
大地は雲のように淡く、踏みしめるたびに光の粒子が散る。頭上には空しかなく、上下の感覚すら曖昧になる。そこに、膝をついて杖にもたれかかった一人の影があった。
「よく来ました、小さな、勇者たち」
『天』のセレステだった。
長い髪は風に揺れ、既に息は荒い。まるで戦う前から限界にあるかのようだった。
「早速ですが、頼みがあります」
ヴィーノは一歩身構えた。
「……な、何」
「私を、封印してください」
彼女のその言葉に、全員が凍りついた。
「は?」
トレセルが言い放つ。
「ありえねぇ。七災禍が、自分から負けを認めるだと?」
「私は、他の影とは、違います」
セレステは目を伏せた。
「フェイドゥーラによって生み出された存在ではありません」
「じゃあ、何なんだよ」
トレセルは警戒を隠さない。
「私は……かつて神だった。闇に飲まれた、くだらない神です」
一瞬、誰も言葉を発せなかった。
「神……?嘘……」
ホリーが呟く。
「神が闇に飲まれたなんて、そんな話、聞いたことないよ」
「当然です」
セレステはかすかに笑う。
「私が影に堕ちたのは、兎のお嬢さんが生まれる、ずっと前の話ですから」
彼女は語った。
「私は、かつて天の理を司る、女神セレステと呼ばれていました。だがある時、フェイドゥーラの闇に侵されて正気を奪われ、天の理を……あの魔女の思うがままに動かすようになってしまったのです……あなたたちが各所で『影』を討って弱めてくれたことで、こうして時折正気に戻ることが……できるようになりました……礼を言います」
呼吸を荒げながら、セレステは告白する。
「……信用できねえ」
トレセルは両手に魔力を巡らせる。
「こうして話をして油断をさせておいて、俺たちを奇襲するつもりかもしれん」
「信じられない、か。当然ですね」
彼は少し思案し、こう続けた。
「……あなたたち、私の声に聞き覚えがないですか」
「そういえば、どこかで聞いたような……うーん、どこでだったっけ……」
ホリーが耳をピコピコさせながら考える。
彼女は薄く笑うと目を閉じ、詩を吟じるように呟いた。
――安寧の地を知り、それでも魔に立ち向かう者たちよ。ここに道しるべを授けよう――
「……あっ」
ホリーの目が見開かれる。
「天空図書館の、あの声」
「覚えていてくれましたか」
セレステは安堵したように頷く。
「あの図書館は、私が創ったものです。いつか試練を超え、大魔女を討伐するものが現れることを願って……まだ正気で居られた頃の……私が……」
「じゃあウルを弱体化できたのも」
「ああ、『ウル先生』ですか。あれは『獣』とは対極にあるオーラを元に作り上げた、奴への対抗策でした。学校という場にカモフラージュさせて……上手く働いてくれたようですね」
「全部筋書きに乗せられたみたいで気に入らないが、どうやら嘘は言ってないみたいだな」
トレセルは声を低くする。
「で、封じるってのはどうしたらいいんだ」
「私はもう、もちません。私を、討ってください」
黒い影が、彼の足元から這い上がる。
「正気を保てる時間は、僅か……頼む……心配なのはフェイドゥーラ……必ず……」
その言葉を最後まで聞く前に、影が爆発した。
「ウオオオオオオオ!」
咆哮と同時に、空が裂けた。
暴風が渦を巻き、雷光が何本も走る。
そこに立っていたのは、もはや先ほどまで語りかけてきた神ではなかった。
「来るぞ!」
トレセルが叫ぶ。
「トレセル!」
「おう!」
ヴィーノは腕輪を外し、トレセルと融合する。
風の刃が無数に放たれ、三人を切り裂こうとする。トレセルは即座に詠唱する。
「エンチャント!ウィンド・シールド!」
辛うじて防ぐが、盾ごと吹き飛ばされ、地面を転がった。
「っ、雷も来る!」
ホリーが跳び、落雷をかわす。しかし次の瞬間、嵐により空中で制御を失い、叩き落とされる。
セレステは杖を振るうだけで、天候そのものを操っていた。
雷は意思を持つ蛇のように追尾し、風は質量を持った拳となって襲う。
トレセルが前に出た。
「俺が道を作る!」
風圧をねじ伏せ、魔力の刃で雷を断ち切る。しかし、次の瞬間、上空から巨大な雷柱が落ちてきた。
「避けろ!」
トレセルとホリーが回避する。
雷は地面を穿ち、世界そのものを揺らした。
セレステの動きは鈍い。だが一撃一撃が致命的だった。消耗しているはずなのに、天そのものが味方している。
「ええーい!」
ホリーの足が強烈な衝撃波を放ち、セレステの目を一瞬くらませる。
「ヴィーノ!」
ホリーが叫ぶ。
「今だよ!」
トレセルが体から抜け出て白銀の剣に変化する。
ヴィーノは白銀の剣を握りしめ、黒影を抜く。白銀の剣でセレステを切裂くと、黒影で突きを放った。
「がはぁ……っ」
影が、セレステの胸を貫いた。
一瞬、風が止んだ。
少年と、堕ちた女神の視線が交わる。
「……あり、がとう」
確かに、そう口が動いた。
次の瞬間、セレステの身体は光と影に分かれ、静かに封じられていった。
雷は消え、風は凪ぎ、空はただの空へと戻る。
長い沈黙の後、ホリーが呟いた。
「……終わった、のかな」
トレセルは剣を下ろす。
「少なくとも、今はな」
三人は振り返らず、その場を後にした。
背後で、『天』の七災禍が完全に沈黙するのを感じながら。
それは勝利ではなく、送り届けるような戦いだった。だが確かに、七災禍の一角は、ここに封じられたのだった。




