第43話 最後の『七災禍』
シェールが残した燃える青紫の炎に触れた瞬間、ヴィーノ、ホリー、そしてトレセルの感覚は反転し、次の瞬間には見知らぬ荒野に放り出されていた。空は濁った灰色で、乾いた風が吹いている。
「……ここ、どこ?」
ホリーがきょろきょろと周囲を見渡す。
目の前に、枝のような影が三つ見えた。いや、違う。近づくにつれ、それ三人の老婆だと分かった。地面に腰を下ろし、それぞれ杖を持ち、同じ方向を向いている。
「あら? 誰か来たよ」
「来る? 何が?」
「来なかったのう」
三人は同時にしゃべり出した。だが会話が微妙にかみ合っていない。
耳は遠いらしく、声は大きい。動きは遅く、立ち上がろうとしても足がもつれて立てず、誰かが話し始めると別の誰かが被せてくる。
ホリーが小声で言う。
「……え?この人たちが七災禍?」
「ちょっと拍子抜け、かも」
ヴィーノの言葉にトレセルは尻尾を揺らした。
「名乗りもしねぇ。敵意も感じねぇ。どうする、ヴィーノ」
「……とりあえず、話を聞こう」
老人は各々、盛んにまくし立てている。
「……来たかね?」
「来ないよ、もう来ない」
「もう帰ったのでは」
互いの言葉がまるで噛み合わない三人。
ヴィーノは一歩前に出た。
「すみません、僕たちは――」
その瞬間。
「瞬間魔力増大だと!ヴィーノに何をする気だババァ!」
トレセルの尻尾が弾けるようにしなり、一人目の老婆を突然横殴りに吹き飛ばした。
「え?」
間も置かず、二人目、三人目も順番に弾き飛ばされ、地面を転がる。
「ちょ、ちょっとトレセル!?」
ヴィーノが声を上げる。
「なんてことを! 相手はご老人なんだよ!」
「そうだよ!」
ホリーも青ざめて叫ぶ。
「力の差とか考えて!いや、 それ以前の問題よ!」
トレセルは頭を掻いた。
「いや……でもよ、突然魔力の増大を感じて……」
その言葉は、最後まで続かなかった。
吹き飛ばされた三人の老婆が、同時にこちらを見た。
「……今」
「殴ったなぁ?」
「わしらを」
三人の老婆が、不定形の影になって地面に落ち、互いに溶け合う。
影は引き伸ばされ、圧縮され、絡まり、次の瞬間、そこに立っていたのは、一人の『小柄な少女』だった。
銀色の短髪。年不相応に鋭い眼。口元には、楽しそうな笑み。
「あーあ」
少女は肩をすくめる。
「老人の姿に油断してる間に不意打ちして仕留めようと思ってたのに」
少女がとてつもない魔力を放っているのが、ヴィーノにも分かる。
「わたしは『時』」
少女は胸に指を当てる。
「『時』の七災禍、バージェだよ」
ヴィーノの背筋に、冷たいものが走った。
「ほら、言ったろ」
トレセルが低く言う。
「何かあると思ったんだ」
「くっ」
ヴィーノが腕輪に手をかけた瞬間、少女はすでに背後にいた。
「っ!」
衝撃。拳が地面を叩き、岩盤が蜘蛛の巣状に割れる。小さな拳とは思えない威力だった。
ホリーが距離を取る。
「速……っ!」
「現在を、未来に」
バージェが指を向ける。
「あなたたちの身体を、50年後の未来の姿に変えてあげる、つまりはじいさんばあさん。ププ」
バージェの指先が、軽く振られた。遊び半分の仕草だった。放たれた光に、ホリーが凍りつく。
「い、いや……」
「――させるか!」
トレセルが割り込む。光線を真正面から受け止める。
白い毛並みが、音を立ててひび割れた。
光線から、熱は感じなかった。
焼けるでも凍るでもない。ただ、体が異常な速さで老化していく。
「……っ、くそ……!」
毛並みの白が、ざらつく。
ふさふさとしていた毛が、色を失い、乾いた繊維のように硬化していく。
次に、皮膚。
白い毛の下の皮膚が、音もなく割れる。
ひび割れは一本ではない。
細く、無数に走り、まるで干上がった土のように広がっていく。
「な……んだ、これ……」
トレセルの声が、低く、かすれる。
皮膚の下で、筋肉が痩せていく。張りを失い、内側に引き絞られ、骨の輪郭が浮き上がる。腕が、細くなる。
腕はやがて、枝のように脆く、節くれだった形へと変わっていく。
「ああっ……」
ヴィーノの喉から、声にならない音が漏れた。
トレセルの胸郭がきしみ、背中が丸まり始める。背骨が一本ずつ圧縮され、姿勢を保てなくなる。
「まだだ……」
トレセルは老いていきながらも歯を食いしばる。
関節が鳴り、可動域を失う。
脚は震え、地面を踏みしめる力が消えていく。
最後に、目。
紅かった瞳は濁り、焦点を失い、遠くを見る老人のそれに変わっていく。
「はは……」
トレセルが、乾いた笑いを漏らす。
「時間ってのは……容赦ねぇな……」
毛並みはもはや形を保てず、
身体全体が一本の老朽化した柱のように細く、脆く、軽くなる。
ぱき、と小さな音がして、
トレセルの身体は、耐えきれずに崩れ――
一本の、白い毛だけが、風に舞った。
「あれ?」
バージェは首を傾げる。
「思ったより、早いね?」
その声を、ヴィーノは一生忘れなかった。




