第4話 コボルト討伐依頼
翌朝。
憲兵隊の宿舎に招かれたヴィーノと(彼以外には見えない)トレセルは、上官の部屋に通された。
上官は、部屋の中央で少年を待っていた。少年が入ってくると、近づいてその手を取り、微笑んだ。
「ヴィーノくん。改めて礼を言う。君が捕まえてくれたゲヌーバ一味には、懸賞金がかけられていた。……六十万クロンだ」
「ろ、六十万……!?」
ヴィーノが目を丸くする。
トレセルは毛玉の姿のまま、袋に詰まった金貨の山を見て、ため息をついた。
「俺が生きてた頃の小国の財政レベルだな……」
上官は少し声を潜めた。
「それで、もしよければだが、もう一つ頼みがあるのだ」
「頼み、ですか?」
「報酬も用意する。……近くの谷に架かる橋の近くで、旅人が次々に襲われていてね。どうやら『コボルト』という犬面の魔物の仕業らしい。憲兵隊がやるべきなのだが、どうにも手が回らなくてね。君に討伐を頼みたいのだが、できるだろうか?」
ヴィーノはトレセルを見る。
毛玉はわずかに肩(?)をすくめた。
二人はヒソヒソと話し合う。
「どうする?路銀稼ぎには悪くない話だぞ」
「……助けられる人がいるなら、やってみたい」
「決まりだな」
話はまとまり、庁舎を後にした二人は武器屋に赴き、報酬の一部で装備を整えた。
ヴィーノの小柄な体に合う軽鎧、腰には短剣。
店主が「子どもにはもったいない」と呟くほどの上等な剣を、彼は恐る恐る手に取った。
「なあヴィーノ」
「なに?」
「剣を握るときゃ、ためらうな。ためらいが命取りになる」
「……うん」
昼下がり、街道を抜けて谷へと向かう。
橋は灰色の岩の上に架かり、下には急流が轟いている。
そのそばで、背丈ほどの影が数匹、うろうろと動いていた。
「……あれが、コボルト?」
二足歩行。犬のような顔、つぶらな目、短い尻尾。
その姿は、魔物というよりも、どこか子犬の群れのように見えた。
「なんだか……かわいいね」
「気をつけろ」
トレセルが警告する。
「奴らは人間の弱点を知ってる。『可愛いものを攻撃できない』っていう、ヒトの本能のスキを突いてくるんだ」
「う……」
「お前には特にありそうだな、その本能」
「か、からかわないでよ」
ヴィーノは腕輪を外した。
トレセルがふわりと飛び込み、光が弾ける。
次の瞬間、紅い眼をした白髪の少年が立っていた。
「行くぞ」
小柄な体が駆け、鋭い剣閃が走る。
可愛らしい顔をした亜人たちが、キューンと哀れっぽい声を上げて次々と地面に崩れ落ちる。
血の匂いが風に乗り、谷を渡っていった。
(……ヴィーノ、すまねぇな)
トレセルはわかっていた。
少年の心が痛んでいることを。
それでも、止まることはできなかった。
最後の一匹が残った。
そのコボルトは腰を抜かし、尻餅をついたまま、手を震わせて「やめて」と訴えるように片手を上げた。
小さな爪が夕日に光った。
(トレセル、もういい。あの子、一人じゃ何もできないよ)
(何を言ってる、ヴィーノ。一匹でも逃がせば厄介だ。すぐまた群れる)
(でも、もう戦う気なんてないじゃないか)
(演技だ。油断させて、噛みつくのが奴らの常套手段だ)
(敵意のない相手を攻撃するなんて、僕の身体じゃ、できない……)
次の瞬間。
動けぬはずのコボルトが牙をむき、飛びかかった。
刃のような牙が少年の喉元を狙う。
「うわっ!」
「バカ野郎!」
トレセルは反射的にヴィーノの身体から飛び出し、その牙をまともに受けた。
「ぐわぁっ!」
「トレセル!!」
「ヴィーノ、剣を……取れ!」
「えっ、でも!」
「今のコボルトなら……お前の一撃でも……仕留められるっ!」
ヴィーノの手が震える。
握る剣の柄が、汗で滑った。
それでも、トレセルの悲鳴が背を押す。
「う、うわああっ!」
ヴィーノが剣を振り下ろす。
鋭い音が響いた。
剣が、コボルトの頭を割った。
短い呻き声。動かなくなった身体。
ヴィーノの頬に、温かい血がかかる。
呼吸が荒く、視界が滲む。
「た、助かったぜ……ヴィーノ」
「……僕が……僕が、殺したの?」
トレセルはふう、と息をついた。
「ヴィーノ。俺はお前の優しさ、嫌いじゃねぇ。でもな、それだけじゃ……やってけない時もあるんだ。今が、その時だった」
「わかってる……でも、心が痛いんだ」
「ヴィーノ……」
その瞬間、ぽつりと水滴が落ちた。
ひとつ、またひとつ。
いつの間にか、空が泣き始めていた。
雨は優しく、ヴィーノの頬を濡らし、返り血を洗い流していく。
冷たいはずの雨が、なぜか少し温かく感じられた。
「……帰ろう、トレセル」
「ああ。あったかいもんでも食おうぜ」
「……うん」
二人は踵を返し、静かに街へと戻っていった。
雨音だけが、谷間に長く残っていた。




