第39話 四番目の「七災禍」
時は遡り、トレセルたちがゴンドウと戦っていた頃。ヤトマの都から遠く離れた森の奥、ひっそりと建てられた小さな祠がある。風も通わぬその場所で、闇が、静かに揺れていた。
九つの尾を生やした凄絶な美女。切れ長の目に淡く光る金の瞳が、天を見上げている。彼女は空の向こう、いやもっと遠くの何かを感じ取っていた。
「あら?」
ふ、と彼女の目が驚きに見開かれる。
「ふふ……あらあら」
そして彼女は面白がるように笑った。
「ゴンドウが負けるなんて、久しぶりの出来事ねぇ。面白い子たちだわ」
指先で尾を撫でる。
「所詮下位影とはいえ……人間って、時々本当に面白いわ」
その目が、都のある方角へ向けられる。
「さて、どうしましょうか」
九つの尾が一斉にゆらめき、空気がひときわ冷たくなる。
「しばらくは様子見……いえ。遊びに行くのも悪くないわね。そうと決まったら早速準備しましょう」
彼女は立ち上がり、ゆるりと歩き出す。
「ホリー……ヴィーノ……トレセル、でしたっけ。あなたたち、どこまで私たちに抗えるのかしら?」
その声は風にも乗らず、誰にも届かない。九尾の影が、静かに森へ溶けた。
それから数日後。
カブキ騒動から一夜明け、小さな港町に宿を取っていた三人は、まぶしい朝日で自然と目を覚ました。
「よし、帰ってニブラリあたりでまた作戦を立てるか」
一行は軽く身支度をして工房の外へ出た。
……はずだった。
扉を開けた瞬間、三人は固まった。
「……え?」
そこにあったのは夜、いや、『闇』だった。
さっきまで確かに差し込んでいたはずの朝の光は消え、空はひび割れた硝子のように黒と紫が入り混じり、裂け目から暗い霧が流れている。
宿の周囲には、人魂のような紫色の火がふわふわと浮かび、街並みも地面も、どこか歪んで揺らいでいた。
「なにこれ、どうなってるの……?」
震える声でヴィーノが呟く。
その時だった。
女の声が空のどこからともなく響き渡る。
『ふふふ、はじめまして。突然だけど、あなたたちの『世界』、預かったわ』
「世界を……?」
三人は背筋が冷えるのを感じた。相手はとんでもない力を持っていることが、口調からだけでも感じられる。
『返してほしければ、ヤトマ山頂の祠までおいでなさいな』
ふっと声が消える。
「……もしかして僕ら、フェイドゥーラ学園の時と同じように異世界に飛ばされた?」
ヴィーノが息を呑む。
しかしトレセルは首を横に振った。
「違うと思う。『預かった』って言ってたろ。
多分……『俺たちが異世界に来た』んじゃなくて、俺たちの『世界』の方が丸ごと人質に取られたんだ」
「そんな……そんなことできるの?」
ヴィーノが震える。
「普通なら、無理だよ。でも……」
ホリーが息をつく。
「七災禍レベルならできる。あいつらの力なら」
紫の炎が揺れる。
どこか、笑っているように見えた。
「とにかく、行こう」
三人は頷き合い、ヤトマ山の方向に向かう。急いで山道を駆け上がり、山頂の祠にたどり着いた。
そして、その中央に。
「……!」
ひとりの美女が佇んでいた。
白い肌。流れる黒髪。艶やかな赤唇。そして背後には、ゆらめく九本の巨大な尾。
手には光を閉じ込めたような深淵のように輝く、水晶玉を持っている。
よく見ると球の中には、歪んだ街並みや空がぎゅうっと圧縮され揺らめいていた。
「よく来たわね、小さな英雄たち」
女は冷たく微笑む。
「あなたたちの世界は、この水晶玉の中。返してほしければ、力づくででも取り返してごらんなさい?」
ホリーが息を呑む。
「タマモ。ショウキやゴンドウたち『超越系』影の頂点、『妖狐』のタマモ……!」
その名を告げると、美女、タマモの金色の瞳が細められた。
「ふふ、さすが『かつて』私たちの側にいた子は話が早いわ」
タマモは水晶玉をその風貌とはかけ離れた膂力で握りしめる。水晶の中の『世界』がひずみ、悲鳴のようなノイズが響く。
「やめろッ!」
ヴィーノが思わず叫ぶ。
「ねぇ、あなたたち、私たち七災禍を倒すつもりなんでしょう?」
「……!」
「ねぇ、それってとっても楽しそうじゃない。私、あなたたちに『期待』してるのよ」
艶やかに笑い、タマモは九つの尾をふわりと揺らした。
「さ、私と戦いなさい。手加減してあげるから。私に勝てたら、この『世界』を返すわ」
「そいつを人質に取ってまで、何がしたいんだよお前」
トレセルが問う。
「ただ、あなたたちの『器』を見極めたいの。本当に、七災禍へ挑めるだけの価値があるのか。さぁ」
タマモの周囲の空気が震え、紫炎が渦を巻いた。
「来なさい」
その声と同時に、猛烈な妖気が三人を押しつぶそうと襲いかかる。
トレセルが白銀の剣へ変化し、ホリーがヴォーパルトゥースを構える。
「ヴィーノ!」
「うん、いこう!!」
ヴィーノは黒影をゆっくりと鞘から抜いた。
白銀と黒影、二本の刃が交差し、白黒の気が爆ぜる。
「いくぞタマモ!」
タマモが微笑い、指を鳴らした。
「では、始めましょう。
あなたたちの“世界”の未来を賭けた――試しの一戦を」
九本の尾が巨大な刃のように広がり、タマモが地を蹴る。
『世界』を賭け、少年と兎女が妖狐に挑む。




