第36話 鬼退治といきますか
昇竜門――ヤトマの都を守る、見上げるほどに巨大な門。
最近、度々鬼がここで暴れるため、梁は折れかけ、瓦は多くが吹き飛んでいる。
それでもその威容は下がることを知らず、門の下にいると、まるで自分が蟻かなにかの、地を這う虫になったかのように感じる。
今、夕日を浴びた門に満ちる空気は重く張りつめ、冷たい緊張が支配している。
「……その、『鬼』のことなんだけど、カゲハガネについての記録の中で鬼についても触れられていたんだ。」
鬼の襲来を待ち受けている間、ヴィーノは古文書の写しをめくり、短い詩のような文を二人に示した。
「……ここに。妙な文体だけど」
ホリーとトレセルが覗き込む。
――鬼は決して欠けることなし。
たとえ欠けようとも、瞬刻のうちに全となる。
「ぜんと、なる……?全力を出す……とかか?」
「文体が古すぎて、いまいち意味が理解できないね……」
ホリーは身体を大きく左右に揺らしながら呟いた。
「……まあ、変な言い回しの伝承ってあるもんだしな。気にしても答えは出ねえ」
「うん。とにかく“厄介な相手”ってことだけは間違いないよ」
ヴィーノがメモを閉じる。
三人は小さく息を整え、前を見据えた。
と、門の巨大な梁と柱が、まるで生き物のように軋んだ。最初は家鳴りのような微振動。だが一拍遅れて、全体が地鳴りとともにわずかに浮いたかのように揺れる。
「……来る」
トレセルの毛が総立ちになる。大気そのものが震え、乾いた石畳に波紋のような振動が走った。
轟音。地面が震える。
門の向こうから、砂煙を蹴散らしながら、ひとつの影が姿を現した。昇龍門をはるかに超える大きさの化け物。
角。
筋骨の盛りあがった黒紫の皮膚。
牛のような巨躯に、岩塊のように巨大な金棒。
鬼――ラショウが現れた。
「あいつだ!『鬼』のラショウ!あいつも『影』だよ!」
「ァァァァァァアアアアッ!!」
その咆哮が空気を破裂させた。衝撃波が奔り、三人の髪と衣服を荒々しく揺さぶる。
「大きい…!」
ホリーが思わず後ずさる。
「ガアッ!」
ラショウが地を蹴ると、門前の石畳が砕け散り、破片が弾丸のように飛んでくる。金棒が暴風のように襲いかかる。
「っく……!」
ホリーが宙返りをして、死の一撃を回避する。
「行くぞ、ヴィーノ!」
「任せて!」
トレセルの身体が白銀の閃光となった。獣のシルエットが光に溶け、次の瞬間、ヴィーノの手の中には一振りの白銀剣が握られていた。
「はっ!」
剣が振るわれ、火花が散る。
白銀の刃は金棒を受け流し、巨体の勢いを押し返した。
ラショウは驚いたように赤い目をむいたが、すぐに獰猛な笑みを浮かべる。
「オモシレェ……!」
再び、金棒が襲い来る。
ヴィーノは肩を裂かれながらも踏み込み、
「武器を奪えば!」
跳躍して斬り上げ、鬼の右腕を断ち切った。
ずぅん、と重い音を立てて腕が地面に転がる。
「よし!」
「ククク……」
だが、肩口からすぐ、ずる、と切り口が盛り上がり、肉が繋がり、骨が生え、数秒もせぬうちに鬼の腕が完全に再生した。
「嘘……!?」
ヴィーノの表情に焦りが浮かぶ。
「これが、『全となる』か!なら首でも落とさねえと止まんねえ!やるぞ!」
「うん!」
再度の突進。
ヴィーノは白銀剣を構え、昇龍門の屋根まで飛び、そこから渾身の力でその首を狙った。
斬撃。
空中で鬼の首が舞う。
だが――
またも、ずるり、と切り口が膨れ、肉が芽吹き、骨が伸び、頭部が元の位置に再生した。
ラショウは低く笑う。
「ナニカ シタカ?」
ホリーの手が震えた。
「頭まで!再生が速すぎる……!」
ヴィーノも唇を噛む。
「身体は斬れても、ラショウの生命力そのものは削れてない……」
「じゃあ、どうやって倒すのよ!」
鬼が咆哮し、三人は吹き飛ばされる。
金棒を振り回すラショウは暴風そのものだった。門の柱が砕かれ、瓦が舞い、悲鳴のような風音が響く。
立ち上がったホリーの頬を、熱風がかすめる。
(どうやって、じゃない、あなたがやるんだよホリー!……これを倒さなきゃ、ツルギさんの道具を取り返すのも、カゲハガネの鍛造も──全部できなくなる……!)
ホリーはヴォーパル・トゥースを手の甲から発生させ、ラショウの死角に回り込んだ。
同時に正面からヴィーノが斬りかかり、鬼の注意を引く。
「鬼さんこちら!」
「チョコマカト……!」
鬼が金棒を振り下ろす。
その瞬間、ホリーは地を蹴った。
鬼の肩へ飛び乗り、手甲剣・ヴォーパルソードを振り下ろす。
「うおおおおおおおッ!!」
渾身の一撃が、右腕の付け根を斬り裂いた。肉を断つ冷たい感触がホリーの手に走る。
腕が、飛んだ。
地面に落ち、転がり、血煙を上げる。
ラショウが吠える。
「ムダ……!スグニサイセイ……」
だが、異変が起きた。
断面から肉が盛り上がらない。
骨も、生えない。
ただ血が流れ落ち、鬼の巨体がよろめく。
「……ア?」
再生しない。
それを最初に理解したのは、ヴィーノだった。
「ホリーの刃……ヴォーパル・トゥースは影の力を持つ武器だ……!」
「つまり──」
「影の武器で断てば、ラショウの再生は止まる!」
ラショウが苦痛に吠えながら、残った左腕で金棒を構える。
「ガァァァアアア!! クソガキィィィ!!」
巨体が揺れ、ふらつきながらも突進する。
ヴィーノがトレセルの刃を振り下ろし、足を狙った。
「今だ……ッ!」
白銀の刃が淡く光を帯びる。
踏み込み。
横薙ぎに一閃する。
その刃がラショウの右脚を断ち切った。
巨体が傾き、体勢が崩れる。
「ホリー!!」
「わかってる!!」
鬼が地に手をつき、最後の咆哮を吐いた。
「ヤロウ……!」
「これで、終わりッ!!」
ホリーはまるで踊るかのように回転する。手の甲から伸びる刃が閃光となり、ラショウの首を切り裂いた。
「奥義!ダンシング・ラビット!」
首は宙を舞い、地面に落ちる。
今度は──。
再生は起こらない。
巨体は震え、ゆらり、と揺れ、膝をつき、
最後には崩れ落ちるように倒れた。
ラショウの肉体は淡く光りはじめ、粒子となって風に散った。
静寂。
「はぁ……はぁ……やった……?」
ホリーが息を整えながら呟く。
トレセルが元の姿に戻り、しっぽを揺らした。
「お見事。最後の一太刀、見事に決めたな、ホリー」
「そんな、ヴィーノの一言があればこそ、だよ」
ヴィーノも肩の傷を押さえながら微笑む。
「実際に決めたのはホリーだよ。君の一撃が勝利を引き寄せた」
ホリーは照れくさそうに笑った。
「へへ、ほめてほめて」
三人は散った光の余韻の中、昇龍門の前で呼吸を整える。
鬼の巨体が光粒となって散り、風に溶けて消えていった。
その光の中から、何か重みのあるものがぽとりと地に落ちた。
「……ん? あれ、なんだ?」
トレセルが首をかしげながら近づく。
石畳の上に残されていたのは、黒革でできた膨らんだ袋。鬼の腰にぶら下がっていた小袋だ。
ホリーがそっと拾い上げると、中で金属が触れ合う澄んだ音がした。
「まさか……」
ヴィーノは慎重に袋を開く。
中に入っていたのは磨かれた鉄槌、専用の折り金、鍛造のための特殊な鋼芯――どれも丁寧に使い込まれた跡のある、由緒ある鍛冶職人の道具だった。
「これ……ツルギさんの、だ」
ヴィーノの声が震えた。
「本当か!?」
ホリーが目を輝かせて身を乗り出す。
「うん、間違いない。この印、ツルギさんの家にあったやつだ」
トレセルは鼻を鳴らし、ほっとしたように言った。
「ったく……盗んだだけじゃ飽き足らず、戦いの最中にまで持ち歩いてやがったか。影の連中は本当に小賢しいことしやがる」
ホリーは袋を胸に抱きしめるようにして笑った。
「でも……よかった。これでツルギさん、鍛冶ができる!」
「うん。これで、本当に『影を断つ鋼』へ鍛えられる」
ヴィーノは夕陽に照らされる昇龍門を見上げた。
ホリーは深呼吸し、仲間に向き直る。
「じゃあ……戻ろう。ツルギさんが待ってる」
「おう!」
トレセルが威勢よく尻尾を振り、ヴィーノも傷だらけの身体を押しながら歩き出す。
三人は、鬼の残滓を背に、ツルギの工房へと足を向けた。
影に抗うための、新たな武器を手に入れるために。




