第32話 決意を新たに
薄い雲が月を隠した夜。三人は足取りも覚束ないまま宿へ戻った。
扉が閉まった瞬間、それまで張り詰めていた緊張がぷつりと切れ、部屋の空気は濁ったように沈んだ。
ヴィーノはベッドの端に腰を落とし、握っていた拳をゆっくり開く。
「……『武』のロンフゥ、か。全然届かなかったな。あんなに必死にやってきたつもりなのに」
声は震えてはいなかった。だが悔しさを噛み殺すような硬い響きがあった。
トレセルは床に座り込み、ただ首を振る。
「分析が追いつかなかったとか、行動パターンを読むとか以前の話だ。あれは……桁が違った」
ホリーは毛布に顔を埋め、くぐもった声で叫んだ。
「悔しい! 私、ほんとに何もできなかった!」
震える毛布。力の抜けた尻尾。いつもの明るさが、今は影もない。
部屋を沈黙が埋め尽くした。
窓の外で吹く風の音だけが遠く聞こえる。
しばらくして、ヴィーノがぽつりと呟く。
「……僕たち、これまでなんだかんだやってこれてた。色んな『フェイドゥーラの影』と戦ってきたし、ガンスミスにも勝てた。でもロンフゥは……今までの何もかもと違った」
少年は唇を噛む。
ホリーは毛布から顔を出し、赤くなった目で二人を見る。
「……私たち、強くなれたって思ってたのにね。ぜんぜんだったのかな?」
トレセルは静かに首を振った。
「強くなってるさ。でも七災禍は次元が違う。今のまま挑めば……」
その先を言う必要はなかった。三人とも理解していた。
また沈黙が落ちる。
だが、暗い空気の中で、ヴィーノがゆっくり顔を上げた。
「……一度、仕切り直そう。僕らは、もっと知らなくちゃいけない。『影』のことを。あいつらに対する対抗策を」
ホリーが鼻をすする。
「知るって……どうやって?」
その問いに、トレセルが答える。
「天空図書館だ。まだ何か手がかりがあるはず。影に関する古い記録、対抗策なんかも」
ヴィーノが強くうなずく。
「うん。影の弱点も、七災禍に対抗する方法も……何か掴めるかもしれない」
ホリーは腰ポーチを探り、小さな銀色の笛を取り出す。
「行くなら……あの子たちの力を借りないとね」
ナコから託された『呼び出しの笛』。
ホリーはかすかに笑った。弱々しくても、確かな光が宿っていた。
「また……来てくれるかな。ナコたち」
「来るさ。あいつらは仲間のためなら必ず来てくれる」
「仲間、か」
沈んでいた空気に、小さな灯がともる。
三人はようやく、再び立ち上がるきっかけをつかんだ。
早朝。『忘れられた遺跡』の入口に立つ。
ホリーは銀色の笛を両手で包み、息を整える。
「……吹くよ?」
ヴィーノとトレセルが黙ってうなずいた。
ホリーが笛を唇に当てる。
透明な音が空に細く伸びていった。
吹き終え、三人は耳を澄ます。
……風の音だけ。
……鳥の声すらない。
ホリーが眉を寄せる。
「届かなかった……?」
「いや。ナコなら来る。『いつでも呼んでね』って言ってたもの」
ヴィーノが言い切った瞬間、空気が震えた。
地上に巨大な影が揺れる。雲を切り裂くように、大きな影が三つ、四つ。
強烈な突風が地面を揺らし、巨大な『フライングドッグ』たちが次々と着地する。
背には鎧を纏ったフライングドッグたち、そして、先頭でひらりと降り立つ少女。
「お待たせ!」
ナコが片手を上げ、笑顔を向けてきた。
ホリーが走り寄る。
「ナコ! 本当に来てくれたんだ!」
「当たり前じゃん。あなたたちが呼んでるんだもん、来るに決まってるでしょ?」
フライングドッグたちが嬉しげに鼻を鳴らし、尻尾を揺らす。
ヴィーノとトレセルも近づき、再会を喜んだあと、ナコは真剣な顔をした。
「……何かあったんだね?」
ヴィーノが深くうなずく。
「七災禍の一角に全く歯が立たなかった。だから……影の弱点を探しに、天空図書館へ行きたい」
ナコは即答した。
「わかった。あの高度まで行けるのは、うちの子たちだけだし。案内するよ」
ホリーは胸をぎゅっと押さえながら微笑む。
「……ありがとう、ナコ。ほんとに助かる」
ナコはホリーの肩に手を置き、明るく笑った。
「行こう! 落ち込んでる仲間なんか、見てらんないしね!」
三人と飛犬騎士団の再会は、新しい旅の幕開けとなった。
目指すは雲のさらに向こう、天空図書館。
影への対抗策を探し、もう一度立ち向かうために。




