第26話 フェイドゥーラ学園
「うわっ!」
地面に叩きつけられ、トレセルは転がった。
芝生が手のひらに柔らかく沈む。草の匂いが鼻をつく。
ヴィーノも背中を押さえて起き上がり、ホリーはすでに立ち上がって空を見上げていた。
陽ざしは穏やかで、雲はほつれた綿のように浮かんでいる。
近くで鳥が一度だけ鳴き、止んだ。
「ねぇ、あれ」
ホリーの指差す先に、校舎があった。
白壁は陽を弾き返し、窓には青空がそのまま吸い込まれたように映っている。中央時計塔の、どこかで見たようなオベリスクが象徴的だ。
「……あれが、フェイドゥーラ学園、か?」
遠くから、大きな声が聞こえる。
「おーい、転校生ども!」
呼び声に振り返ると、ジャージ姿のウルが立っていた。
「ウル!」
三人は、ザッと戦闘態勢をとる。
「お、もう名前覚えたのか。上出来だな。でも先生をつけなさい先生を」
ウルは胸を張り、くっくと笑った。
「そう、オレが体育のウル先生だ。これからみっちり鍛えてやるからな。ほら、遅刻だぞ。行け行け」
このウルにかつての戦場で見た威圧感は全くない。それにまるでマスコットのように小さく、かわいらしくなっていた。彼は気軽に片手を上げて踵を返した。
「ま、待て。お前、敵……」
「教師に敵って言うのか? 困ったやつらだなぁ」
ウル『先生』は苦笑し、戻っていった。
足音はすぐに芝に吸われ、消える。
「……どうなってんだ」
「とにかく入ってみようぜ」
校舎の扉を開けると、ほのかにワックスの匂いがした。
床は陽光を受けてまだらに光り、扉の金具が静かに揺れる。
昇降口の脇の購買部。
棚には焼き立てのパンが並んでいた。袋の透明な面に湯気の曇りが少しだけついている。
「転校生ちゃ~ん。新作パン、どう~?」
店員のスカブがにこっと笑った。上目遣いで、細い指先でトングをひらひら振り、背後のパンを示す。
「『ハイエナ』の……スカブ?なぜここに?」
「僕、今ここでお仕事中なんだぁ。いらないの~?」
声は軽やかで、どこか甘ったるい。
「あんた、オリジナルでもそんなキャラじゃなかったじゃん……」
「オリジナルぅ~?なにそれぇ~?」
ホリーが説明しようとした時、また別の鋭い声が飛んできた。
「新入生たち!背筋が曲がっているぞ!せすじー、のばせ!」
軍靴の音を響かせながらやってきたのは、記憶にも新しい『虫』のセクだった。
「一年生は廊下での歩き方からだ。ついてこい」
「いやいや、お前……学校関係者じゃなくて軍人だろどう見ても!」
「軍人ではない、風紀委員だ。規律は歩幅にはじまる。行くぞ。いちに、いちに」
反論する間もなく、三人は連れられて廊下を進む。
すれ違う生徒たちはみな、どこかで見たことのある『影』だったが、お互い談笑し、誰もこちらに敵意を向けてくる様子はない。
教室からも笑い声が聞こえる。窓の外では風が植え込みを一定のリズムで揺らしていた。
「ここが一年三組だ」
扉が引かれ、教室が開ける。
「あら、あなたたちが噂の新入生?」
『磁』のマグネラが黒板前で友人と談笑していた。
「席は空いているわ。好きなところにどうぞ」
「……マグネラまで……」
教室の窓から差し込む光が、彼女の髪の筋を一本だけ浮かび上がらせる。
チャイムが鳴った。
音が教室の空気を軽く震わせ、その波がすぐに静まる。
入ってきたのは『透』のノーディだった。
彼女は淡々と出席を取り、出席簿を黒板横に置いた。
「では始めましょう」
ただそれだけ。
こちらのことを知っているのかいないのか、『普通に』授業を進めていく。
机の表面には細い傷がいくつも走っているのに、不思議と使い込まれた気配はなかった。
窓の外で、雲がゆっくり形を変えていく。
授業が淡々と流れていく。
ペンの走る音。
椅子がきしむ小さな音。
どれも現実と変わらないのに、胸の奥には答えの出ない問いが沈殿していく。
言葉にならないまま、腑に落ちない思いが三人の胸を占める。
こうして、奇妙で『平穏な』学園生活が、静かに始まった。




