第15話 獣と獣
風が、急に止んだ。橋の下には谷底が広がり、夕暮れの光が黒い水面に反射して揺れている。
ヴィーノとトレセルは、鉄橋を渡りきったところに残っているオベリスクに慎重に近づいた。
「マグネラは確か、こいつを七災禍『剛』のメタ…って言ってたね」
ヴィーノが小さく呟く。声は静かだが、その名を呼ぶだけで背筋にぞくりとした感覚が走った。
見上げるほどに堂々とそびえ立つオベリスクは二人の存在に反応するかのように微かに脈動し、表面の紋様がちらつく光を放った。地面には小さな振動が伝わり、耳を澄ませると金属の共振音に似た響きが鼓膜に響く。
「もう少し近づくぞ。警戒は解くな」
トレセルが低く呟き、毛玉の姿で耳をぴくりと動かす。ヴィーノも緊張して頷いた。
その瞬間、地面が軽く唸る。オベリスクの足元が微かに震え、砂利が跳ね上がった。
「……っ!? 柱が…沈んでいく!」
ズズズズッ……!
黒光りする柱がゆっくりと沈降していく。地盤が沈下するように沈み、周囲の地面も巻き込まれる。ヴィーノは思わず後ずさる。残されたのは柱の大きさに見合った大穴。そこには茫漠とした闇が広がっていた。
「逃げた……?」
「ふむ、これは自動防衛か、撤退機構だな。命を狙われていると察しての行動かもしれねぇ」
トレセルが穴の縁に立ち、覗き込む。底には『メタ』の影も形も見えなかった。
「……行ったな」
「どうしよう」
「どうしようもねぇさ。今は街に行って休むのが最優先だ」
ヴィーノは振り返り、沈んだオベリスクの跡を目で追った。
「でも、退却した場所は把握できた。後で掘り返してやろうか」
「うん……」
二人が話しながらその場を離れると、谷には夜の帳が降り、風が静まり返った。
そして二人が去って数分後、闇の中から何かが揺らめいた。地面の割れ目から黒色の気配が染み出し、まるで闇そのものが形を持ったかのように現れる。
「……ふん。やっと行ったわね」
人影と獣影の中間めいた曖昧な輪郭。瞳だけは鋭く赤く光っている。影は沈んだオベリスクの跡地に近づき、穴の縁にしゃがみ込み手を伸ばして中を探った。
「地中深くに逃げたか……相変わらず慎重なやつね。いや、『臆病』と言うべきかしら?」
影は穴の側面に手を這わせ、砂利を掻き分け、岩の隙間に顔を近づけた。指先が土の中に埋もれた黒い欠片に触れ、軽く叩く。
カン……
石とは違う硬質な感触。影は指先で掴み、ゆっくりと引き抜く。手のひらに乗せた破片は、オベリスクと同じ紋様を帯び、微かに脈打つ。
「……見つけた」
影は破片を月光にかざす。
「やっぱり外殻か。オベリスクは『剛』のメタの一部でしかない。本体の場所も不明、その全容も不明……物質系の奴ら、よくあんなのに従えるわね……まぁ、それはうちも同じか」
影は破片を懐に滑り込ませ、存在を確かめるようにぽんぽん、と叩いた。ゆっくりと立ち上がり、風に溶けるように薄くなった。
「ヴィーノ、トレセル……私は常に強いものに味方するの」
その声が乾いた谷に吸い込まれていった。
と、その瞬間、不意に風がざわめき、草が波立つ。
「ここにいたか、裏切り者め」
低く唸る声を立て、鋭い牙と爪を持つ獣人が姿を現す。
「『ハイエナ』のスカブ」
「気安く俺の名前を呼ぶな、汚らわしい」
スカブは唸り声を上げながら前傾姿勢を取り、両腕を振るって襲いかかる。影は軽くジャンプし、蹴りを交わして距離を取る。スカブはそのまま口を大きく開け、牙での連続攻撃を仕掛けるが、影は巧みに回転しながら回避。蹴りを交え、地面を蹴って反撃を狙う。
「くらえ!」
スカブの鋭い爪が影の肩をかすめる。影は身をかがめ、鋭い具足で爪を受け止めつつ、反対の足でスカブの胸元を蹴り上げる。スカブは尻もちをつき、すぐに起き上がろうとするが、影は跳躍して空中から鋭い回し蹴りを放つ。
獣人は体勢を崩しながらも地面に爪を突き、跳ね返るように立ち上がる。素早く距離を詰め、前方回転を加えた連続咬みを試みるが、影は足で蹴り払い、さらに後ろに飛び退く。石の隙間に足を着地させて着地の衝撃を吸収し、スカブの突進を巧みにいなす。
「ぐ……しぶといわね」
影は息を荒らげながら、地面を蹴って側方に跳び、スカブの腕を翻してかかと落としで地面に叩きつける。スカブは砂煙の中でよろめき、爪を振るいながら跳ね上がる。影はその間にすばやく距離を取り、蹴りと足払いを繰り返しながら、スカブの攻撃を受け流す。
「まだだ……!」
スカブが強烈な咆哮を上げ、体を低くして連続突撃を仕掛ける。影はすべての動きを計算し、前転、後転を駆使して避け、相手の攻撃の隙を作る。そして、スカブのバランスが崩れた瞬間、足先で蹴り上げ、回し蹴りで体勢を完全に崩させる。スカブは吹き飛ばされるが、すぐに体勢を立て直す。
「しつこい男は……こう!」
影は地面に手をつき、全身をバネのようにして渾文字通り渾身の蹴りで追撃する。その衝撃でスカブは黒い霧となり、夜風に吹かれて完全に消滅した。
影は深呼吸をひとつし、地面に手をついて落ち着きを取り戻す。
「……あーあ、やっちゃった」
ため息交じりに呟く影。しかしその表情はどこか晴れやかで、憑き物が落ちたようにすっきりしていた。
「さてと」
影は大きく跳躍し、月明かりの中、街のある方向へ跳ねていった。




