第10話 最初の「七災禍」
ザイフザイの街を出たヴィーノとトレセルは、険しい山岳地帯を移動していた。
岩肌が突き出した崖、狭まる山道、ところどころに残る雪解け水のぬかるみ――自然の地形が、少年の歩みに緊張感をもたらす。
「気のせいかな。この辺り、妙に静かだね」
ヴィーノがつぶやく。周囲の鳥の鳴き声すら消えたようで、風の音だけが谷に反響している。
「気のせいじゃない。ここら一帯のどこかに、俺たちを狙ってフェイドゥーラの影が潜んでる可能性が高い。動物も危険を察知して逃げ出したんだろう」
トレセルがふわりと岩の上に着地し、周囲を警戒する。
「大魔女の復活の兆候もある。自然も『自然』じゃいられないさ」
「なるほどね。でも、フェイドゥーラの好きにはさせない」
ヴィーノが決意を新たにする。
その時だった。
「そんなぁ。フェイドゥーラ様の好きなようにさせてよ?」
崖の急斜面を白いシルエットが滑り降りてくる。滑らかな毛皮に、桃色に輝く具足。『兎』のホリーが、陽光に髪をきらめかせながらくるりと一回転し、二人の前に飛び降りた。
「また会ったわね、坊や」
「ホリー!」
トレセルが唸る。
「山岳地帯ならあたしの方が有利よ。あの時の屈辱、晴らさせてもらうわ!」
「ヴィーノ!」
トレセルが剣へとその身を変える。ヴィーノは白銀の剣を握りしめ、ホリーと相対する。
「ふん、街の時のようにはいかないわよ!」
岩場を利用してホリーが跳躍する。岩を蹴りながら素早く移動し、空中でくるりと回転、その勢いを利用して蹴りを放つ。ヴィーノは咄嗟に横に飛び、攻撃をかわす。回避した場所の岩が粉々に砕け、その威力の強さを物語る。
「こいつ……やっぱり強い!」ヴィーノが叫ぶ。
ホリーは笑みを浮かべ、岩を足場に、残像が見えるほどの高速で次々と跳び回り、上空から蹴りや魔力の衝撃波を繰り出す。白銀の剣をかざすヴィーノは回避と迎撃を繰り返すが、山の地形が戦いをさらに厳しくする。
「くっ……この地形じゃ不利だ」
ヴィーノが剣を振り、衝撃波を受け止めながら歯噛みする。
「だからそう言ってるじゃない」
ホリーが妖艶に微笑む。
ヴィーノは白銀の剣で反撃し、ホリーの脚をかすめるが、彼女は余裕の笑顔を浮かべる。
「終わりよ」
ホリーの具足が鋭く輝く。
ズゥゥン……
「!」
そのとき、谷全体を覆うような地鳴りが二人を襲った。岩の上から、大地のように巨大な獣の影が現れる。それは、黒褐色の毛に覆われた、顔は狼、身体は大熊という怪物だった。目が赤く光り、唸り声だけで地面が震える。
「ウルだ……あいつ……七災禍の一人、『獣』のウル!」
ホリーが思わず後ずさる。普段の余裕は消え、目は真剣そのものだ。
「ナナサイカ……?」
ヴィーノが眉をひそめる。
「フェイドゥーラ様の影の中でも、最上位の七つの災い。中でもあれは、私達動物系の頂点……!」
ウルは一声咆哮して岩から降り立ち、突進してくる。地を蹴って跳躍するだけで、その衝撃波が少年を押し返す。突撃するその巨体を、ヴィーノは真正面から受け止めた。
「ぐうっ……」
だが魔獣の勢いはとまらず、ヴィーノは砂埃を立てながら崖に向かって押しつぶされるように追い詰められる。
「まずい……崖が……」
(ヴィーノ!)
頭の中にトレセルの声が響く。
と、その時。地を割る轟音とともにウルの前進が止まった。
見ると、隣でホリーが具足に魔力を纏わせ、ウルの身体を押し返している。兎女の額に汗が流れる。
「ホリー!」
少年が驚きの声をあげる。
「……何やってんのよ。ここであんたたちがやられたら、次の標的はあたしになるじゃない!」
声に苛立ちと焦りが混じる。
少年は目を見開き、それから屈託のない笑みを浮かべた。
「そうだね。じゃあ、一緒に倒そう!」
「……っく、気に入らない!」
ヴィーノとホリーが力を合わせて前に出て、少しずつウルを押し返す。二人は連携し、山道の細い地形を利用して、ウルを逃さない。
「坊や!ここで一発かますわよ!」
「よし!」
ホリーが魔力で獣の足元の岩を浮かせてよろめかせ、ヴィーノは白銀の剣で肩口に斬撃を集中させる。
ウルは咆哮を上げ、岩を崩しながら跳び上がる。衝撃波で二人が吹き飛ばされるが、ヴィーノは踏ん張り、剣を構え直す。ホリーも空中で光の刃を飛ばして牽制する。
(ここだ、ヴィーノ!)
脳内にトレセルの声が響く。
「うんっ!」
ヴィーノは全力で剣を突き、白光がウルの胸を貫いた。獣は痛みに吠えながらも完全には倒れず、谷間の奥に退却していった。
「ふぅ……なんとか止めたわね」
ホリーが肩で息をし、汗を拭う。
「助けてくれて、ありがとう」
ヴィーノが微笑む。
「勘違いしないで。あたしは自分を守りたかっただけ……でもまぁ、一応、礼を言っとくわ。ただ、次に会う時は敵同士だからね」
「なぁ」
毛玉に戻ったトレセルが問いかける。
「何よ」
「つまりあいつはお前の上司だろ?逆らっていいのか?」
「誰が上司よあんな化け物!」
『兎』は心底嫌そうな顔をする。
「あたしたち動物系の影の中で一番強いってだけ。……力の差が、怖いの」
ホリーはため息をついた。
「じゃあね、あたし以外の影にやられるんじゃないわよ、なんてね」
そして柔らかい笑みを浮かべ、ホリーは崖の隙間に消えていった。
「『獣』のウル……格が違うな……」
トレセルが、ホリーの消えた方角を見つめる。
「しかもあの力。フェイドゥーラが復活しつつある証拠だ」
トレセルは冷静に言った。
「でも、やるしかないよね」
「そうだ、もう逃げられない」
二人は歩みを再開する。険しい山道の先には、まだ見ぬ影と、フェイドゥーラの復活の兆候が待ち構えているのだった。




