治癒師の奮闘と第二王子
ダボスの街は、人口1,000人弱の都市である。
その都市で、前触れもなく短期間で約半数の住民が、タグステン病を発症し、救援部隊到着までに約30名の死者が出ていた。
幸いにして領主の迅速な判断で、王都への急ぎの救援要請と、他地域への出入りを禁止したため、近隣都市ではまだそれほどの感染者はいなかった。
一部の治癒師を近隣都市に配置し、残りはダボスでの治癒にあたっていた。
「酷い状況ですね。病の場合治癒魔法で一気に治すわけにもいかないから、歯がゆいわ」
ダボスまで3日、到着してから2日、臨時で設置された救護所に収容された患者に、私達は片っ端から治癒術を行使している。
怪我と違って、病の治癒は時間がかかる。
思うように減らない患者に、治癒部隊長も歯がゆい思いがあるのだろう。
「ああ。でも、栄養食の用意もあるから、患者の体力をつけながら、頑張ろう。クラウディアのお陰で、俺達も随分と助かってる。根気勝負になるけど、とりあえず新規の感染者が減れば、もう少し楽になるはず。とりあえず今後の死者ゼロが目標だな」
「そうね……でも、なんでこんなに急に……」
「確かに。明らかにおかしな状況だが、我々に出来るのは、まずはこの街の患者をどうにかすることだ」
不自然な感染爆発に、どの治癒師も思うところはあるけど、確かに私達が今やらなければならないことは、目の前の患者を救うことだ。
休憩もほどほどにそろそろ現場に、と思ったところで、休憩室の扉がノックされた。
「失礼するよ」
よく通る張りのある声は、聞き慣れたものだ。
「セルディオ殿下」
室内にいた治癒師達が立ち上がり、礼をとる。
「ああ、楽にして。ここの状況を確認に来たんだ。あと、君達に必要な物や情報があれば、教えて欲しい」
セルディオ殿下は、軽く手を振ると、早速本題に入る。
ここを統括する指揮官として、極めて実務的で有能な方だと思う。
エリオットと学生時代の同級生で、プライベートでは親しくしている、と出発前に聞かされていた。
3人いる王子殿下方の中で、彼は国の軍事を取り仕切っているらしい。
殿下に答えたのは、治癒部隊長のジェイドだ。
「ありがとうございます。
では、まずこちらの状況ですが……このタグステン病は飛沫・接触感染の病で、全身の発疹、高熱、呼吸困難を引き起こし、未治療の致死率は50%を超えます。
有効な薬剤はありませんが、飛沫接触を避けること、後は治癒術を一部特殊使用することで予防は可能です。
潜伏期間が1週間程。治療は、すでに発症している場合、治癒術で補助して、呼吸器を保護した上で患者の免疫力を上げ、最終的には自身の力で打ち勝ってもらうしか」
「わかった。では、患者には充分な栄養補給と安静が必要ということだな。後は、もともとここにいた者は、1週間程度の隔離と地域の閉鎖。我々は、予防策を行うと。
もっともここにいる者は、既に予防の治癒術を使ってもらっているから、その他の者への衛生管理だな」
「おっしゃる通りでございます。では、こちらからもう一つ」
ジェイドが、私にチラッと目配せした。
私は頷いて、殿下と部隊長の周囲に防音結界魔法を行使する。
「この急激な感染は不自然です」
「何?」
「初期感染者数と拡大のスピードがおかしい」
「……その話はこの場で留めておけ。内密に調査する」
「かしこまりました」
セルディオ殿下が手を振ったので、結界は解除した。
そのまま部屋を出ていこうとして、出口でこちらを振り返る。
「頼んだぞ、ジェイド……ああ、あとクラウディア」
「はい」
「エリオット・ハワードから伝言だ。気をつけて、無事の帰りを待っている、と」
「⁉ え? 殿下? あの……」
「ハハハ……では、よろしく頼む」
そう言う捨てて、殿下は笑いながら行ってしまった。
周囲からの視線が、痛い。
「もう〜」
「やるねえ、ハワード隊長。セルディオ殿下と親しいんだろう? あれ、絶対牽制込みで殿下に頼んだんだよ」
「う〜〜、やり過ぎです」
居た堪れなくなった私は、バタバタと患者の治癒に向かったのだった。
そうして、約半月が過ぎた。
私はジェイドと一緒に報告書をまとめていた。
「お疲れ様。なんとかなったな」
「はい。本当にここで食い止められてよかったです」
「結局、魔力量が多いクラウディアの負担が一番多かったな。本当に助かった」
「いえいえ、皆が無事でよかったです。ここに来るまでに亡くなった方々はお気の毒でしたが」
「我々だって神じゃない。出来ることは限られているさ」
「そうですね」
到着後にすぐに行った感染予防策が効いて、感染が落ち着き、発症者の治癒もなんとか上手くいって、予想外に早く、この騒動は落ち着いた。
周辺地域でも新たな発症はないという。
これも、セルディオ殿下が上手くコントロールしてくれたお陰だ。
でも実は、治癒師達は、タグステン病の他に対処した治癒術行使が相当数あった。
そのことを振り返って、ジェイドはため息混じりにこぼす。
「それにしても、近衛の怪我人が意外と多かったな。セルディオ殿下が我々近くで行動していたからか? 警備が充分ではなかっとは言え、この状況で襲撃など愚かだな」
「本当に。近衛騎士の方々が命を落とすことがなくて良かったです」
そう。外部からの襲撃が何度もあったのだ。
セルディオ殿下は、ご自身もとてもお強いと聞いているけど、さすがに近衛騎士を身辺警護に連れてきており、その近衛騎士の怪我に何度か治癒術を使ったのだ。彼らは魔力持ちが多いのだけど、魔力量はそう多くはなく、業務効率の問題で治癒師が治療にあたることが多い。
私達治癒師は、今回部隊の約半数である30名ほどが参加しているが、その内5名が女性だ。
セルディオ殿下は、私達女性治癒師の安全確保のため、寝泊まりする部屋を殿下の部屋の近くに置き、近衛騎士に私達も纏めて護衛するように取り計らってくれたのだ。
お陰様で、外部からの襲撃にも巻き込まれることなく、殿下はもちろん、治癒部隊は皆無事に救援活動を終えられた。
そして、王都への帰還日。
私は殿下に呼ばれ、指定された部屋に入った所で、意識を失った。
目が覚めたのは、おそらく移動中の馬車内。
ガタガタという音が響いてはいるけど、振動はそこまでひどくない。
「……ここは?」
「目が覚めた?」
聞こえた声に、思わずギョッとして体を起こす。
明るい栗色の髪にヘーゼルの瞳の美丈夫が、目の前に座っていた。
「シリウス?」
セルディオ殿下の護衛の為に来ていた、近衛騎士のひとりだ。今回も一度、怪我した彼を治癒したので、来ていたのは知っていたけど……
見慣れない馬車に彼と二人きりという事に、不安になる。かつての恋人だったけれど、もう1年以上も前に別れた人だ。
「うん。クラウディア大丈夫? 辛いところはない?」
でも、目の前のシリウスは、私のことを本当に心配そうに見て、声を掛けてくれた。
その事に少し落ち着いて、ちゃんと座りなおして、彼に向かい合う。
まずは、状況を把握しないと。
「ええ、あの……一体」
シリウスは、少し困ったように続けた。
「君とゆっくり話す時間が取れなくて、強引な手段を取ることになって、すまない。今、君が王都に戻るのは危険だ。しばらく身を隠す必要がある」
「え?」
予想もしなかった内容に、思考が停止する。
王都が危険? 身を隠す?
「デーメル侯爵が、本格的に君の排除に動き出した。今、王都に戻れば、君が危険だ。
デーメル侯爵は、氷龍の加護を受けたハワード隊長を、どうしても侯爵家に取り込みたいらしい。
アーデルハイト嬢とハワード隊長の婚約話を事実にしたいんだ」
しばらく忘れていた、エリオットとアーデルハイト様の一件を思い出した。
「ちょっと待って。シリウス、ここはどこなの? 貴方と私は、今どういう状況になってるの?」
「今、メレディス辺境伯領へ向かっているところだ。しばらく、うちに内密に滞在して欲しい。
私は、殿下の指示で動いている。君は、申し訳ないが失踪扱いだ」
「そんな……」
「大丈夫。ほとぼりがさめたら、ちゃんと戻れる」
「シリウス、私、今ハワード様とお付き合いしているのよ? 貴方のご実家に行くわけにはいかないし、失踪なんてしたら、職場だけじゃなく、エリオットも心配する」
「君が彼と付き合っているのは、知ってる。ハワード隊長には、殿下から伝えてくれるそうだ。
クラウディア、彼とアーデルハイト嬢の婚約話は避けられない。しかも侯爵家が、彼らの邪魔になる君の排除に乗り出したんだ。今回のタグステン病だって、以前小競り合いのあった隣国と侯爵家が結託して、関与しているのでは? と殿下は疑っている」
なんだか、情報過多で頭の中が混乱しそう。
え? 何? 今回の疫病騒動に関連する諸々は、エリオットを婿入りさせたい侯爵家が、隣国と手を組んで仕組んだこと、なの?
「シリウス……もしかして、ダボスで貴方達近衛の怪我が多かったのは、殿下じゃなくて、私の……せい?」
襲撃は私を狙ってのことだった?
そこまでして、私を排除したかった?
背筋が冷えて、無意識に手先が震える。私一人を排除する為に、どれだけの犠牲を出したというの?
震えだした私の手を、シリウスが遠慮がちに握ってくれる。彼の手の温かさに、少しだけホッとした。
「君のせいなんかじゃない。悪いのは、今回の件を企んだ輩だ。
お願いだ。私を信じて、クラウディア。
君の事は今でも好きだ。でも、無理強いするつもりはないし、今回の事でハワード隊長に顔向け出来ないことをするつもりもない。
ただ、君を危険に晒したり、傷つけたりすることから遠ざけたいんだ。
この件は殿下が動いてる。だから、少しの間、私と待っていて欲しい」
懸命に言い募るシリウスに、少しずつ冷静さを取り戻す。
恋人だった時、シリウスの真っ直ぐ過ぎる想いや執着を伴う愛情が、私に対する過度な嫉妬や束縛となってしまい、互いに歩み寄れずに破綻してしまった。
壊れてしまった関係は修復出来ず、彼のコントロール出来ない苦しくて辛い感情を治して、別れることを選んだ。
でも、本来の彼は、優秀な近衛騎士だ。
今も好きだとは言ってくれるけど、以前のような執着は感じられないし、話す内容も理性的なことに私は安堵した。
「わかったわ。シリウス、ありがとう。貴方を信じて、お世話になります」