治癒師は最後の恋を宣言する
「よかったわね。やっとアンタ達が無事にくっついてくれて、私もホッとしたわよ」
今日はアリアの家にお邪魔している。
彼女には、今までも随分と心配を掛けたから、今日はエリオットとのことを報告ついでに、遊びに来たのだ。
「ありがとう。でも、本当にいいのかな? エリオットの婿入りの話、あの侍女の方の話、全くの嘘ではないと思うのよね。それに……」
「なによ? 思うとこがあるなら、ちゃんと本人に確認すればいいじゃない。恋人になったんだから、変な遠慮はしなくていいのよ」
「うん。ほら、でも……ユーシスの件もあったじゃない? 貴族間のことって、本人の意志じゃどうにもならないことって、あるでしょう? 今回はエリオット様よりも格上の侯爵家がお相手みたいだし……」
実はそのユーシスからお手紙をいただいたのだ。
彼は元同僚で、軍の治癒師だったのだけれど、結婚して伯爵家を継いだので、治癒部隊には非常時のみ手伝いに来てくれる補助要員のような立場になっていて、たまにしか顔を見なくなった。
伯爵家の領地管理や貴族としてのお仕事が忙しいのだ。
ユーシスは以前お付き合いしていたこともあったけど、今は友人として私のことを気にかけてくれている。奥様とは仲睦まじく過ごしていて、もうすぐ子供も生まれるらしい。
その彼も、私とエリオットのことは知っていて、最近社交界で流れている噂話のことを心配して、知らせてくれたのだ。
「う〜〜ん、でもさ、あのエリオット様でしょ? 絶対何とかしちゃうと思うんだよねえ」
「そうかなあ。でも、やだな。私、エリオットと別れたくない」
「当たり前よ! あの人はアンタを傷つけないって私達に誓ったんだから。アンタは堂々と構えていればいいの。でも、不安なことは、ちゃんと聞くのよ?」
「うん、そうだね」
以前の恋とは違う。エリオットのことはとても大切で、この気持ちはもう変えようがなくて、ずっと彼に寄り添っていきたいと思う。
それに、もう恋心は消さないと約束した。
だから、ちゃんと話をして言葉を交わし、すれ違わないようにしなければ。
次の休日、私はエリオットの家に招かれていた。
急な伯爵家への訪問に、どうしようかと焦ってしまったけど、長年彼女の一人もいなかったエリオットにやっと念願の恋人が出来たから、ぜひ一度顔を見せて欲しいと、ご家族に頼まれたのだと言う。
一応、貴族のお屋敷にお邪魔するのだから、と数少ないドレスから失礼にならなそうな物を引っ張り出して、なんとか身だしなみも整えた。
エリオットは、わざわざ馬車で寮まで迎えに来てくれた。
果たして、ハワード伯爵家の王都のタウンハウスは立派なお屋敷で、さすがに勢いのある伯爵家という感じ。
最初はお庭を案内してくれるというので、馬車止からエリオットにエスコートされて、庭園へと回った。
いきなりご家族と対面にならずにちょっとホッとする。
冬の庭園では、クリスマスローズやスノードロップ、パンジーが咲いていて可愛らしい。
「今年は少し暖かめの冬だからかしら? もうスノードロップが咲いているんですね」
「うん。君の花だから、庭師に頼んで大切に育ててもらってる。スノードロップの聖女様」
うわ……台詞と視線が、なんか、すごく、甘いんですけど。
恋人になって、なんだか距離感も近くなった気がする。
馬車に乗っていたときから、髪に唇を寄せられたり、耳元で囁かれたりして、割といっぱいいっぱいだ。
「エリオット……あの、嬉しいんですけど、ちょっと恥ずかしい、です」
「私の聖女様は、可愛らしいね」
貴公子モードだわ。お願いだから、聖女様呼びはやめてください。
「ところで、家族との昼食の前に、君に話しておくことがあるんだが……」
口調が改まったエリオットから聞かされたのは、来月末に予定されている王家主催の舞踏会の話。
「王家主催の舞踏会に私達が? でも、私、社交界にはデビューしていなくて、経験ないのですけど」
「ああ。もちろん、知ってはいるが、実はちょっと厄介なことになっていて……」
「厄介なこと? もしかして、社交界でのエリオットとアーデルハイト様のご婚約の噂のことですか?」
「知っていたのか……」
意外そうに目を見開いたエリオットが、何故?というように私を見る。
「その噂のことは、ファルデン伯爵様からお手紙を貰って、知ったのですけど」
隠す事ではないので、正直に告げる。
すると、立ち止まったエリオットが、私の両肩に手を置いて、眉間に小さくシワを寄せ、覗き込むように視線を合わせた。
「ファルデン伯爵って、まさか、ユーシス・ファルデン?」
「はい。以前、お付き合いしていた同僚なんです。今はもう、こちらを辞めてご結婚され、家業に専念していらっしゃいますが」
「……今もまだ、付き合いが?」
低くなった声に、私は慌てて首を横に振る。
「まさか! そんなことはありません。奥様もいらっしゃって、お幸せそうですよ。
でも時々、困っていることはないか?って、尋ねてくれるんです。そんなに心配しなくても、もう大丈夫なんですけどね」
「…………」
黙り込んでしまったエリオットが、一体何を考えているのか分からなくなる。
でも、何か誤解があるなら、解いておかないと。
「……あの、ファルデン伯爵様のこと、聞いてくれますか?」
恐る恐る尋ねてみると、エリオットは一度目を伏せて息をつき、もう一度私を見て頷いた。
「ああ。聞かせて欲しい。君達に何があったか、教えてくれるかい?」
私はもう2年近く前の記憶を呼び起こす。
そして、ユーシス・ファルデンと別れた日のことを、話しだした。
その日、勤務が終わった私達は、いつものように帰り道を歩いていた。
いつもと違ったのは、ユーシスの様子がどことなくおかしかったこと。
彼は話があると、寮の近くの公園へと私を誘った。
そして告げられたのは、彼の家の事情と、決まった結婚、そして私との別れ話だ。
「すまない。君をどれほど傷つけるか知っているのに、伯爵家を選ぶ僕のことを、許してくれとは言わない。
罵ってくれていい、憎んでくれたっていい」
ただ、頭を下げてそう言う彼に、私は立ち尽くす。
「ユーシス……」
だって、ユーシスのことが好きだった。急に別れを告げられて、どうしていいかわからなくて。
何も言えずに、ただ溢れる涙が止まらなくて。
私では、彼の力になれないのが悲しくて。
「君は、本当に素晴らしい女性だ。治癒の腕だけじゃない。いつだって勇敢で、優しくて、健気で、皆に愛される女性だ。僕だって、ずっと君を愛してた。そしてそれは、今もだ。だからこそ、中途半端なことは、絶対にしたくない。
僕は君の手を離して、遠くから君の幸せを祈っているから。だから、すまない。別れてくれ。
そして、いつかちゃんと、幸せになってくれ」
でも、ユーシスの気持ちもちゃんとわかったから……
「ユーシス、ありがとうございます。たくさん迷って、考えてくれたんですね」
「馬鹿だな、君は。こんな男に、礼なんて言うもんじゃない」
悲しくても、辛くても、苦しくても、胸が痛くてどうしようもないけど、ちゃんと別れないといけないんだということは、理解出来た。
でも、一つだけ聞いておきたい。
「お相手の女性の方は、私達のこと、ご存知なのですか?」
「ああ、ちゃんと全部話したよ。
彼女は、それでも構わない、と。人の気持はどうしようもないからと言って。ただ、醜聞にならない様に上手く隠せ、と」
「それって……」
思わず、唇を噛み締める。
彼女は、自分が形ばかりのお飾りの妻になるから、私のことを妾か愛人として迎えればいいと、ユーシスに言ったのだ。
「ああ。だがもちろん、そんなことは出来ない、と断った。君にも、彼女にも、侮辱的で失礼だ」
慌てて否定したユーシスに、私は安堵する。
「ふふっ。良かった。ユーシスがちゃんと私の好きなユーシスで」
「君は……」
辛そうに強く握った彼の拳に、手を伸ばす。
あなたの手が好きだった。いつも私に大切そうに触れて大事にしてくれた、大きくて暖かい手が好きだった。
「大丈夫です。私達、お別れしましょう。でも、一つだけ約束してください。どうか奥様と幸せになって」
「わかった。努力する」
「努力……ですか。ユーシス、貴方の恋心、消しましょうか?」
だから、私達の新しい恋のために、私は尋ねた。
「まさか……君は、あの術を?」
「私達の記憶や思い出が、全てなくなるわけではありません。このお別れで生まれる、恋心ゆえの苦しいとか辛い思いは消えて、恋心を伴うような記憶が、ボンヤリと霞の様になるだけ」
「でも、僕はこの気持ちに向き合って、苦しみを受け入れるべきだ。じゃないと、君に申し訳がたたない。僕には、君にそれを頼む資格がない」
「いいんですよ。だってこんな気持ちを抱えたままじゃ、誰も幸せにはなれないと思うから。私も、消してしまいます。そうすれば、また、新しい恋を始められるでしょう?」
逡巡して、葛藤して、そんなユーシスの気持ちが手に取るように分かる。
そして、そんな貴方も大好きで、私も胸が張り裂けそう。
だから、お願い。どうか受け入れて。
「……わかった。頼む」
彼の決断に頷いて、私は治癒を発動する。まずは彼に。そして、自分に。
「さようなら、ユーシス。私、貴方が大好きでした」
あとに残ったのは、まるで何年も前に終わった初恋のような淡い思い出だけ。
狂おしいほどの恋情や、慟哭をもたらす哀悲、胸を焦がすほどの独占欲は消えて、ただ、穏やかに相手の幸せを願う感情だった。
そして、今、私はエリオットとの最後の恋に向き合っている。
その恋人に、わかってもらえただろうか?
「だから、もうお互いに、以前のような「好き」という気持ちは、残っていないんです。ただの、仲の良かった同僚としての気遣いですよ」
「そうか」
私はエリオットに手を引かれ、彼の腕の中に囚われる。
「エリオット?」
「何があっても俺には、いや、俺達には、その治癒術を使わないでくれ」
不安げな声が、直接頬に伝わってきた。私も彼の背に手を回して、抱き締める。
「はい。そう約束、しましたよ?」
「うん。でも、本当に心配。いざとなったら、君は全部無かったことにして、俺を置いていくんじゃないかと」
信用ないなあ……と思わず笑ってしまう。
私はそのまま、自分の今の気持ちを正直に口にした。
「だから、しませんって。それに、もし貴方に対する恋心を消してしまっても、多分私、また貴方のことを好きになってしまいそうです」
「え?」
身体を離され、彼と視線が合う。彼の空のような青を見つめて、伝える。
「貴方が大好きです。だから、大丈夫ですよ。それに、貴方の魔力量すごく多いので、本気で抵抗されたら、さすがに術も弾かれちゃいそうです」
エリオットが安心したように微笑んで、私に伸ばされた彼の手に頬を寄せる。
そして彼の唇が、私のそれにそっと重なった。
「クラウディア、愛してる。この気持ちも、感情も、記憶も、俺にとっては何にも代え難い大切なものなんだ」
「嬉しいです、エリオット。私、ちゃんと貴方が好きですよ? 1年かけてたくさん貴方を知って、いろんな貴方を見て、どのエリオットも好きになりました。
心の奥まで根を張ったように、きっと治癒を使っても消し去ることが出来ない位、貴方を見ると湧き上がる愛しいと思う気持ちは、もう消せないんです。
だから、覚悟してくださいね? 私結構重いかも?」
そう宣言した私を、エリオットはいきなり抱き上げた。
「……よし! 結婚しよう、クラウディア。俺の妻になって? 早速、今日皆に話そう?」
そうして、そのまま屋敷に向かって歩き出すエリオットに、私は慌てて彼を止める。
「ええっ? いきなりすぎません? まずは、ほら、お付き合いのご挨拶から……」
もう、どこまで本気なのだか判断しようがないエリオットの暴走に、多分ご家族もちょっと? いや、かなり? 引いていたと思う。
だけど、楽しみにしていた年明けの祝祭もあと1週間という頃、私に……というか治癒部隊に、急な遠征任務が舞い込んできた。
「え? ダボスで、疫病……ですか?」
休暇前に浮かれていた部隊の治癒師達に、緊張が走る。
疫病発生なんて、異常事態だ。しかも、陛下の勅命で軍が派遣されるレベルなんて、災害レベルだ。
「ああ。すまない。至急向かって欲しい」
「はい。もちろんです」
国中に疫病を蔓延させないよう、早急な対策が必要だった。絶対に王都に持ち込ませてはいけない。
「今回は第二王子も、現地住民の慰安と現場指揮で同行する。編成は、現地の災害支援や統制も含めて総勢300程になる予定だ。だが、中心となるのは、治癒部隊の治癒師達だ。皆、よろしく頼む」
かくして、第二王子セルディオ殿下を筆頭に、近衛騎士、軍部の歩兵2個中隊、そして治癒部隊が、早々に王都を出発した。
本日19:00にもう1話アップします。