騎士の恋は、前途多難
「邪魔な女だわ」
「アーデルハイト、焦ることはない。大丈夫だよ。社交界で噂は撒いたし、伯爵家がこのまま良い返事を寄越さないなら、圧力を掛けることも出来る。
それに、女の方は、男爵家の娘と言ったか?
あの、魔法騎士の力は、是非ともうちに欲しい。女が邪魔なら、上手く排除すればいい」
「エリオット様のこと、私、以前からお慕いしておりましたのに。お父様。力を貸して下さいませ。私に考えが、ありますの」
やっと、クラウディアと念願の恋人同士になった俺は、デーメル侯爵家からの婚約話が、思いのほか根深かった事に、全く気がついていなかったのだ。
迂闊なことに、それがクラウディアを危険に晒すことになってしまう。
クラウディアと祝祭に行く約束を交わして数日後の朝、鍛錬場に向かう俺の前に、一人の男が現れた。
白い近衛騎士の制服を纏った、若い男。明るい栗色の髪にヘーゼルの瞳を持つ美しい顔立ちの青年。
「はじめまして。私は近衛騎士隊所属のシリウス・メレディスと申します。魔獣討伐騎士隊エリオット・ハワード隊長。少々お時間をよろしいでしょうか?」
にこやかに、しかし、その瞳は笑ってはいない。まるでこちらを見定めるような視線だ。
確かに初対面ではあるが、互いに認識はしていた。
「君は……そう。クラウディアのことかな」
クラウディアの3人目の恋人だった男だ。
俺と出会う少し前まで、彼女と付き合っていたという青年。
今更、何故こんなところに現れた?
「はい。ハワード隊長は、デーメル侯爵家のアーデルハイト様とご婚約されると伺いました。貴方がクラウディアを傷つけるのなら、私はもう遠慮しません。彼女を返してもらいます」
一方的な決めつけと宣言に、ざわざわとした不快感が沸き起こる。正義感をふりかざすその態度が気に入らない。
だが、ここで激昂するのは大人気ない。目の前の彼は、21歳のクラウディアよりも1歳下の20歳の若者だ。
俺は溜息を一つ溢すと、彼に向き合った。
「待ってくれ、メレディス殿。その話は、事実じゃない。当家は私に持ち込まれる婚約話は、全て一様に断っている。クラウディアを傷つけたと、貴殿に言われるのは、心外だ。それに、君は……」
「確かに、私は1年ほど前までクラウディアと付き合っていた頃、彼女への想いが強すぎて、執着や束縛が加減できず、互いに傷つけ合ってしまいました。
彼女と別れることになった時、絶望と苦痛のあまり、彼女に願って治癒術も使ってもらいました。でも、あの時の狂おしいほどの想いは癒せても、その後何度だってクラウディアを好きになる。
貴方は、婚約話は事実ではないと言うが、今社交界ではアーデルハイト様との縁談の噂が、まことしやかに流れています。ユーシス・ファルデンのことだってある。
だから、私はもう一度クラウディアに、告白するつもりです。今度は彼女を傷つけたりしない。クラウディアを愛しているんです」
まるで自分ならクラウディアを幸せに出来ると思い込み、彼女の今を知らずに、自分の愛情が彼女を幸せにすると信じているその考えに、腹が立つ。
「はあ。身勝手なのは、変わっていないらしい……若造が。
確かにデーメル侯爵家の一件は、遅れを取ったようだ。対処しよう。だが、俺達は互いに心を通わせた恋人同士だ。今さらお前の出る幕はない。余計な事でクラウディアを煩わせるな」
「な⁉ それが貴方の本性か」
思わず少々威圧を込めて告げた俺の言葉に、驚いた様に男は顔を歪ませた。
「なんとでも言うがいいさ。クラウディアは、俺がどういう人間かよく知っている。その上で、好きだと言ってもらえたからな」
だから、部外者は、引っ込んでろ!
怒りを発散させるように剣を振るい、一度湯を浴びて執務室に戻った俺に、副官のケビンが俺の前に山のような書類の束を置いて、首を傾げる。
「エリオット、なんだか機嫌悪い? クラウディアちゃんとは、両思いっていうか、ちゃんとホンモノの恋人になったんだろ?」
「ああ、やっとね! やっと好きだって言ってもらえたんだ。でも、恋人になったけど、なんかいろいろ横槍が入るというか……もう、頼むから放っておいて欲しい」
「あ〜、侯爵家のお嬢様だっけ?」
「ああ、知っていたのか? 確かに一度打診があったとは聞いたけど、しっかり、きっぱり断ってる! 両親も問題ないって言ってたし。だから、済んだことだと思っていたんだけどな……クラウディアに聞くまで、記憶にも残っていなかったし」
「相手は諦めていなかったわけだ。でクラウディアちゃんに直撃しちゃったわけね。更に、社交界で噂までばら撒いてるってことか」
やけに詳しいな。もしかして、夫人に聞いたのか? 全く……クラウディアと夫人は、思っている以上に仲が良いらしい。
俺はケビンを見上げて、それに答えた。
「俺達が、社交界には顔を出さないことを良いことに、やりたい放題だ。さすがに母上が手を打ったようだけど、鎮火には至らずってとこだな。
いざとなれば、俺が伯爵家を出て、平民になったっていいんだ。さすがに侯爵家の後継の跡取りが平民じゃ」
「お前自身も爵位持ちだろ? 平民になるのは、無理だろうが」
「そんなの、返上したっていい。騎士爵には領地もないしな。侯爵家の後継を避ける方法なんていくらでも」
本当にこんな馬鹿げた騒ぎで、クラウディアをなくす位なら、心底爵位なんてどうでもいい。
「ちょっと待て! お前らしくない。ちょっと冷静になれよ。
あのな、お前だけの問題じゃないだろ? クラウディアちゃんだって男爵家の令嬢だ。その立場に護られていることだってある。
彼女は、軍が……いや国が、絶対に手離したくないと思っている治癒師、というか精霊魔法師だ。お前と結婚することで彼女がこの国に留まることが確実なら、問題ないわけ。だから伯爵家だって、この件に関しては、侯爵家に強く出られるんだ」
確かに、ケビンの言うことは間違ってはいない。
「だが……」
「何、迷ってるのさ。クラウディアちゃんと一緒に、社交界に顔出せばいいじゃん。一緒に行ってさ、噂なんて吹き飛ばしてくればいい。幸い今は、魔獣討伐のオフシーズンだ。祝祭のしばらく後には、王家主催の舞踏会があるんだろ? 騎士爵の俺達にも、招待状きてたよね?」
確かに、新年の月の月末に、毎年恒例の王家主催の舞踏会が開催される。
爵位を持つ者全てに、招待状は送られてくる。
「ああ、あれか。顔だけ出して帰るつもりだった。だが、無理だ。舞踏会まであと一月半もない。クラウディアの準備が、間に合うわけない」
盛大な舞踏会だ。女性達は、かなり前からドレスや装飾品の準備を整えるという。
「それこそお前の両親に相談してみろよ。あの伯爵夫人のことだ。何とかしてくれるって」
「だが、クラウディアがなんというか……彼女は、仕事一辺倒で、デビューすらしていないと」
「ああ、サスティーヤ魔法学校を飛び級で卒業して、16歳で軍に入ったんだっけ? でも別にマナーが出来ていないとかはないんだろ?」
「もちろん。男爵家ではちゃんと教育されていたのだと思う。所作は綺麗だし、公式の場での振る舞いは問題ない」
「じゃあ、それこそ問題ないじゃん」
そうかも知れないが、積極的には出したくない理由もある。
「いや……これ以上、クラウディアのことを知られるのは避けたい、というか」
「はあ? まさか、他の貴族の前にっていうか、男の前に彼女を出したくない、とか言わないよな?」
「……クラウディアは、すごくモテるんだ。軍属の騎士や治癒師の間だけだって、あんなに人気なのに。社交界に出したりしたら……」
「お前なあ、自分の事は棚に上げてよく言うよ」
「俺の場合は、まあ、否定はしないが……鑑賞物というか、ただの街の人気者的なやつだろ? 偶像崇拝的要素というか」
「あ、一応、自覚はあるわけね」
「でも、彼女は違う。本気でクラウディアに惚れ込んでいる奴等の、突き刺すような視線の多さは、この1年間、嫌ってほど感じた。
まあ、その位、彼女の傍にいられるなら、何でもないけどな。寧ろ優越感しかないし」
「うわっ、性格悪」
「だが、社交界に出れば、それなりの地位や権力がある男達にも、クラウディアのことが知られてしまう。彼女が、ただの男爵令嬢でないことが周知されてしまう」
「珍しいな、お前がそんな弱気になるなんて。お前だって、この国の英雄だぞ?」
「物騒で野蛮な二つ名持ちが?」
そう言うが、魔獣討伐中の俺を見たら、軍属でもない貴族女性は、卒倒するだろう。
クラウディアは平然と、いや寧ろ憧れるような視線で俺を見ていたが。
大抵の者には、畏れをもった視線や態度で遠巻きにされることが多い。
「お前なあ、氷龍の魔王は、この国の危機を何度も助けてきたホンモノの英雄だ。
魔力も戦闘力も、今や国で一番の騎士だろ? 国民が魔獣の脅威に脅かされず、国が発展できているのは、お前のお陰だよ。そんなことは皆知ってる。
もちろん、俺達もクラウディアちゃんもだ」
「ケビン……」
まあ、魔獣討伐部隊の皆は最前線にいるからな。
「エリオット、お前クラウディアちゃんに関しては、視野が狭くなってるぞ? クラウディアちゃんがお前のことを、ちゃんと好きだって言ってくれたんだろ?
じゃあ、彼女の気持ちと覚悟を信じて、全部話して、二人でどうするか、決めたらいいと思うぜ?」
「そうだな……ありがとう、ケビン」
「ったく。お前らしくない」
ケビンの一言に、俺は苦笑する。
だって、やっとだ。やっとクラウディアと、恋人になれたのに、数日後には、前の男がやって来て好き勝手な事を言い出し、社交界ではアーデルハイト嬢と婚約するという噂が流れてるなんて、どんな不幸だよ。
冗談じゃない。一体、何年越しの恋だと、思ってるんだ。
うちの両親や兄達には、1年前にクラウディアと仮の恋人として付き合うようになった時に、事情は話してある。
仮、じゃなくさっさと本物にして来い、とも言われていた。
過去に俺の命を救ってくれたことに感謝していることもあるが、俺が彼女以外の女性を好きになることはないと、わかっているからだと思う。
「氷龍の魔王」は、単なる二つ名じゃない。
3年ほど前に、訳あって氷龍の力を身に宿した俺は、強力な魔法が使える様になった代償に、力を行使する時には身体の一部が竜化したり、龍の性質を一部受け継いでいる。その一つが、番と定めた女性以外を愛することはないというもの。
番のことはクラウディアに伝えるつもりはないけれど、俺はどのみち彼女以外は、無理なのだ。
だからこそ、やっと恋仲になれた俺達のことは、絶対に邪魔されたくないし、本当に放っておいて欲しい。
「まあ、舞踏会のことは母上に相談して、クラウディアに声をかけるか……」