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彼(騎士)の場合

騎士の一人称は「俺」なんです。

伯爵家の三男として、通常女性達や上司と話すときは「私」なんですけど。


 俺が、初めてクラウディアに会ったのは、4年前の22歳のとき。

 当時はまだ、魔獣討伐騎士隊の副隊長だった俺が、隊長を庇い大怪我を負って運び込まれた、魔獣討伐最前線の救護所だった。

 正直こんな致命傷を負ったのは初めてで、さすがの俺ももう死ぬんだろうな、と漠然と思った。

 痛みなんて感じる余裕すらなくて、寒気と薄れゆく意識。呼吸すらままならない。


「しっかり!大丈夫貴方は、私が助けます!」


 突然掛けられたそんな声と共に感じたのは、暖かで優しい風。息ができる。暗くなっていた視界が、ボンヤリと明るくなる。まるで冷たい氷の中から引き揚げられて、ぬるま湯に漬けられたような温かさ。

 そして、目に写ったのは、優しい金色と透き通るような蒼。


「もう大丈夫。ゆっくり休んで」


 休む? ああ、ここはきっと天国だ。

 そう思って意識を手離した俺が、数日後目覚めた場所は、救護所の簡易ベッドの上だった。


「俺、死にかけていたんじゃ……」


 半ば信じられない気分で、俺は呟いた。いくら腕のいい治癒師だって、瀕死の怪我を後遺症もなくこんなに完璧な状態に治すなんてこと、不可能だ。

 そんな俺に答えたのは、同じ魔法騎士のケビンだ。士官学校からの同級生でもあり、今は同じ騎士隊にいるケビンとは、親友としても同僚としても頼りになる男だ。どうやら随分と心配をかけたようで、暇さえあれば様子を見に来てくれていたらしい。


「運が良かったな、エリオット。クラウディアちゃんがいてくれて」


「クラウディア、ちゃん?」


 初めて聞く名、しかもケビンのちゃん付け呼びに、思わず訝しげな声が出た。


「知らないのか? 今年軍に入った、凄腕の治癒師だよ。国に数人しかいない精霊魔法の使い手で、治癒師長が超熱心に勧誘して、軍に来てもらったらしいぜ。まだ16歳なんだけど、めちゃくちゃ腕が良い治癒師だ。見ろよ、ここに運ばれていた怪我人、生きて運ばれた奴は、全員助かったんだぜ。後遺症もなしだ」


「は?」


 精霊魔法使い手の治癒師? 16歳? まだ成人したての少女じゃないか? そんな娘がこの激戦地に派遣されて、しかも全員後遺症もなく治癒させた?


「信じられないよな。俺もこの目で見ていなかったら、信じなかったさ」


 驚きの余り固まっていた俺の心情を、正確に読んだケビンが、事実であると俺に告げた。

 しばらく掛けてそれを消化した俺は、ケビンに尋ねる。


「そうか……その治癒師はどこに?」


「昨日王都に戻ったよ。ここの怪我人は、全部治療が終わったからってな」


「じゃあ、王都に戻ったら、礼をしなきゃだな」


 そうか、ここにはもう居ないのか。

 残念に思う気持ちと、萎んだ期待に思わずため息がこぼれる。

 王都に戻ったら、必ず彼女を訪ねよう。そう決めて、俺はベッドから起き上がった。





 王都に戻ってすぐに、俺はクラウディアを訪ねて、治癒師が所属する治癒部隊に彼女との面会を希望した。


「あ〜悪いね。ノーズレイン君始め、治癒師への面会は希望者が多すぎてねえ。仕事に支障が出るから一律に断っているんだよ。我々治癒師は、治療が仕事だから、改めての礼も不要だよ」


 面倒そうにあっさりと断られて、まあ、それもそうかと納得もする。彼らに助けられた者達がいちいち押しかけていたら、確かに仕事にならないだろう。

 だが、少しでもいい。感謝を受け取って欲しくて、粘ってみる。


「ではせめて、お礼の品だけでも」


「それも不要。君達だって、魔獣討伐の個人的な謝礼なんて受け取らないだろう?」


 そう言われてしまえば、何も言えない。俺達討伐部隊も、確かに市民の個人的な謝礼は断っている。受け取ってしまえば、キリがないからだ。

 同じ軍の人間でも、それは同様なんだろう。


 俺は諦めて、退散するしかなかった。

 だが余計に、彼女に対する感謝の念と興味は深くなっていく。


 俺が18歳で軍に入隊してからこれまで、幸いなことに軍属の治癒師と関わることは全くなかった。


 魔力が豊富な魔法騎士は、治癒魔法付与の食物を摂ることによって、魔力を治癒能力に変換させ、大抵の怪我ならその場で問題なく治ってしまう。

 液体で戦闘中の持ち運びには向かないが、魔法薬のポーションだってある。

 自力で経口摂取が出来ないほどの外傷を負わない限りは、まず治癒師の世話になることは無いのだ。

 だから、治癒師達のことは、あまり詳しくなかった。


 それでも、クラウディア・ノーズレインという治癒師は、彼女が軍に入って半年余りで、知らぬ者がいないという程有名になった少女だ。

 俺はケビンに聞くまでは知らなかったが、少し気をつけていれば、いくらでも噂話が耳に入ってくる。


 稀少な精霊魔法の使い手で、類い稀な能力を持った治癒師。生きてさえいれば、どんな怪我だって治してしまう。

 輝くような金色の髪、蒼い湖のような澄んだ瞳。華奢で可憐な戦場に咲いた花。

 まるで聖女のようだ、と。


 そして、次の遠征先での大規模な魔獣討伐が終了したとき、俺はケビンと一緒に救護所に足を向けたのだった。

 噂でしか聞いたことのないクラウディアを、ひと目この目で見てみたかった。可能ならば、直接感謝を伝えたかった。




 そこは、治癒師達の戦場だった。


 むせ返る血の匂い。苦痛に喘ぎ、悲鳴やうめき声があちこちで上がっている。大小の怪我を負った兵士達が溢れ、その数に比べて圧倒的に少ない治癒師達が、重症度に応じて、皆懸命に治癒や手当てに駆けずり回っていた。


 その中で際立った早さと魔力で、次々と兵達を治癒していく少女が一人。


「その位で、死んだりしません! 次に行くから、少し我慢して!」


「待っている人がいるんでしょ! しっかりして!」


 治癒魔法を使いつつ、彼女を待つ兵達に厳しい口調で声を掛けている少女。

 長い金髪を一つに結んで、その白い制服や綺麗な顔を血と泥で汚しつつも、清廉に見える聖女。


 惹きつけられた視線が外せない。

 彼女の挙動全てが、脳裏に鮮烈に焼き付けられていく。


「苛烈というか鮮烈というか、すごい女の子だな」


 ケビンの一言は、俺が彼女に持つ印象を代弁したかのようだった。

 でも……


「ああ。だが、とても……綺麗だと思う」


 多分、あの時俺は、恋に落ちたのだと思う。

 彼女の瞳に自分を写してもらいたい、彼女と言葉を交わしてみたい……憧憬と尊敬と感謝の混じったこの想いを、彼女に直接伝えたい。

 そんな気持ちが湧き上がってきたことに、俺は動揺した。


「ケビン、行こう」


 俺は救護所に入らずに、踵を返す。


「え? いいの? 話しかけなくて」


 そんな状況じゃないし、彼女の邪魔は出来ない。かと言って、治療が終わるまで、ここで待っていられほど暇でもない。俺達には他にやるべきことがある。

 それに、少し冷静になりたかった。


「ああ。今はまだいい。彼女を待ってる怪我人は、たくさんいるからな」


 そうして、俺達は結局クラウディアと話す機会もなく、再び王都に戻ったのだった。



「クラウディアちゃんさあ、恋人が出来たんだって」


「え?」


「あ、エリオット、やっぱり気になる?」


 ケビンに言われて、思わず彼を睨みつけてしまったが、彼は何かと情報通で察しの良い男だ。冗談では、ないのだろう。


 クラウディアは、17歳になったと聞いた。

 相手は俺よりも歳下の王都警備の騎士だという。

 どういう切っ掛けで知り合ったのかはわからないが、悪いと思いつつ、つい相手の素性まで調べてしまった。

 勤務態度は、真面目。人間は悪くないがどうも優柔不断で、押しに弱いところがある男だ。

 それでも彼女が選んだ男だ。俺にどうこう言う資格はない。

 なんとなく気になりつつも、そのまま1年ほどが過ぎた。


「クラウディアちゃんさあ、恋人の浮気が原因で別れちゃったんだって」


「はあ?」


 再びのケビンの情報に、俺は驚きを隠せなかった。

 実は、2度ほど街で彼女を見掛けたことがあった。例の男と楽しそうに笑っていた。相手の男が羨ましくて妬ましくて、足早に立ち去ったが、彼女の幸せそうに笑う顔が、頭から離れなかった。

 恋人の浮気……彼女の恋人でありながら、他の女にまで。別れて正解だ。だけど、きっと彼女は傷ついている。


「ねえ、エリオット。クラウディアちゃんのこと好きだよね? 彼女に会いに行く?」


「? お前、何言って……」


「俺の恋人、クラウディアちゃんの親友なんだ。多分、個人的に紹介出来ると思う」


「⁉」


 思わず、ケビンに詰め寄っていた。クラウディアに、会えるかも知れない。そのことに、勝手に浮き立つ心を止められなかった。


 だが……


 その日の夕方、緊急で入った遠征命令は、南部に大量発生した魔獣討伐任務。当然、紹介云々は流れてしまう。

 それはきっと、傷ついた彼女を思いやれず、会えることを嬉しいと思った俺への罰だったのかもしれない。


 それから半月程続いたその遠征の終わり、どうしようもなくクラウディアの姿をひと目見たくなり、治癒部隊の宿営地を訪ねた俺は……

 同僚の治癒師の男に手を取られ、ハラハラと涙を流すクラウディアの眦に、そっと口づけが落とされるのを、呆然と眺めていた。


 王都に戻って間もなく、クラウディアが、とある伯爵家の嫡男である治癒師の男と付き合い始めた、という噂が流れてきた。




「あの子ねえ、すっごくモテるんですよ。でも、あんまり自覚がないんです。だから、虎視眈々と隙を狙っている男に無防備なんですよねえ。男達も真剣だから、別れた絶好の機会を逃すはずないし。

 実は私、前の恋人の浮気、今の彼が噛んでるんじゃないかとちょっと疑ってるんですよねえ」


 庶民にとってはちょっと良いレストランの個室。俺はそこで、ケビンとその恋人の女性と三人で食事をしていた。


 ケビンの恋人という女性は、アリアーヌと名乗り、クラウディアの幼馴染で、王都に一緒に出てきてからも、ずっと付き合いが続いている親友だと言う。

 王立図書館の司書で、ケビンとはそこで出会い、彼が猛アタックして付き合い始めたそうだ。

 ノーズレイン男爵領の出身で、男爵家の執事長の娘ということだった。


「クラウディアも押しに弱いというか、恋人がいない状態じゃ強く断れないし、しかも今度の彼は、同期採用で以前から仲も良かったみたいだし、まあ、男の方は下心満載だったんでしょうけど」


 歯に衣着せない物言いに、圧倒されていると


「アリアちゃん、カッコ可愛い……」


 ケビンが、彼女に見惚れている。よくわからん。


「でもね、ハワード様。私、クラウディアの前の恋人が彼女を傷つけたこと、絶対に許せない。例えどんな女が出てきても、フラフラするなら、ちゃんと、別れてから次に行けっていうの!」


 ダンっとテーブルを叩いた彼女は、真剣にクラウディアを傷つけたことを怒っている。親友というのは、事実だろう。

 その彼女の視線が、まっすぐに俺を見据えた。


「ハワード様は、クラウディアのこと傷つけたりしませんか?」


 ああ、本当に。

 クラウディアにはこんな心強い友人がいる。

 それがとても嬉しい。思わず溢れた笑みに、何故か彼女の顔が小さく引き攣った。


「もちろん、アリアーヌ嬢。

 私は決して彼女を傷つけたりしないし、可能なら、例え恋人という立場は得られなくても、彼女の側で彼女を守る剣と盾になりたいと思っている」


 真摯にそう告げた俺に、目の前の恋人達がヒソヒソと言葉を交わす。


「……ねえ、ケビン。聞いてたより、重いんだけど」


「う〜ん。なんていうか、ほら、初恋を拗らせてる的な?」


 俺はテーブルの下で、ケビンの足を踏んでやった。




 結局、その後クラウディアと治癒師の男は、順調に付き合っているようだった。

 だが、ある時突然に、二人の破局は訪れる。

 相手の治癒師の実家である伯爵家が事業に失敗し、急遽裕福な子爵家の娘と、事業提携を前提にした政略結婚をすることになったのだ。

 当然、クラウディアとは別れることになる。


 俺は思わず、彼女の寮へと走った。

 だが、面識のない異性がいきなり面会出来るわけもない。俺は、ただ遠くから彼女の部屋を眺め、彼女の心の傷が癒えるのを祈ることしか出来なかった。


 数ヶ月後、俺は、ケビンとアリアーヌの結婚式に招かれた。

 クラウディアも参列すると聞いていたし、その場で彼女に紹介するとも言われていたから、俺は気合を入れて教会へと向かったのだが……


「2日前に、北の隣国と小さな紛争があったの聞いているだろう? その調停に王太子殿下が向かったんだけど、一個中隊と近衛の他に、念の為にクラウディアちゃんが同行することになったんだって。だから、今日は欠席だって……」


 申し訳なさそうにそう言ったケビンを責めることなんて出来ない。

 彼らだって、クラウディアに来て欲しかったのだろうから。

 ただ、つくづくタイミングが悪いのだと、思わず神に文句の一つも言いたくなる。


 そのひと月後、俺達も討伐の遠征を終えて王都に帰ってくると、クラウディアは、近衛騎士の男と付き合っていた。

 だが、今回はどうやら熱心に言い寄られた上の、お試し付き合い的要素が強いのだと、アリアーヌ嬢もとい、ザルデン夫人は言う。


「ハワード様、もし本気でクラウディアの側にありたいと思うのなら、まずはお友達からでどうですか?

 私、今度こそクラウディアにガツンと言ってやるので、人として互いにちゃんと好きになれるか? まずは向き合ってみたらどうでしょう?

 もしかしたら、ハワード様のクラウディアへの気持ちも、恋心ではないかもしれませんしね」


 恋心でない筈はない。だけど、彼女と直接言葉さえ交わしたことのない俺は、目の前の二人にそう告げることは出来なかった。


 そして、俺達がザルデン夫人の紹介で初めて出会うことになったのは、彼女が例の近衛騎士と別れてすぐ、冬の始まりのことだった。




 その日、いや正確にはその前日の晩から、俺は相当に落ち着きがなかった、と思う。

 初めて、正式にクラウディアに会う。

 ザルデン夫人が彼女に送ったという手紙の内容も、聞いている。

 今度こそ、変な邪魔が入らないように祈り、無事に約束の時間になったときは、神に感謝した。

 彼女の瞳の色に近い蒼色のタイとポケットチーフが映えるように、コーディネートしたカジュアルスーツ。

 日頃あまり容姿には拘らないが、何度も鏡を覗き込み、可笑しな所がないか確認した。



「こんにちは。クラウディア・ノーズレイン嬢、アリアーヌ・ザルデン夫人から紹介されてきたのだが……」


 俺は、ローズガーデンの噴水前に現れたクラウディアの前に立ち、初対面の女性に警戒されないよう最大限の注意を払って、声をかけた。


 彼女が顔上げる。

 何度も遠くから見た彼女が、目の前に立っている。

 華奢で可憐な、そう、まるで妖精のように綺麗な彼女。

 そんな彼女が驚いたように、蒼色の瞳を目一杯見開いて、俺を見て、口を開く。


「エリオット・ハワード様……でしたか」


 彼女が俺を認識して、俺のフルネームを唇に乗せる。ただそれだけのことに、湧き上がる歓喜に笑みこぼれてしまう。


「ご存知でしたか……光栄です」


 そうして、俺は友人として、仮の恋人として、彼女の隣に立つことが許されたのだ。



 彼女と共に過ごす時間は、至福だった。

 知り合って、しかも周囲には恋人同士として認識されている俺達は、共に派遣される遠征先でも互いに会いに行くことが出来た。

 討伐現場を彼女が実際に見ることもあった。

 王都に戻れば、休日や空いた時間に二人で彼女と会うことも出来た。

 大袈裟でなく、出会って言葉を交わす度に、彼女に惹かれ好きになっていく。

 ただ、あくまでも俺達の関係は友人同士。

 時々クラウディアを抱き寄せたくなったり、頬や額に口づけを落としたくなったりするのを、必死で押さえ込み、レディに対するエスコートの範囲を守り、指先への口づけで我慢する。


 そうして1年が過ぎ、俺達は友人関係のまま、再び年の瀬がやってきた。

 年明けの祝祭に彼女を誘う。

 だけど……


「嬉しいお誘いだけど……エリオットと約束しましたね。恋人のフリは、お互い好きな異性が現れるまでの期間限定って」


 その一言に、俺は凍りつく。

 クラウディアに好きな異性が現れた?

 胸の中心が苦しいくらいに痛む。咄嗟に声が出ない。呼吸の仕方がわからない。

 この関係が、終わってしまう?

 足元から冷気が立ち昇る。魔力の制御が外れそうだった……が、続いた彼女の台詞に、少し冷静さを取り戻した。


 結局、根も葉もない噂……いや思い当たることが、なきにしもあらずだが、それはまた処理することにして、俺は彼女の誤解を必死で説いた。


 結果、俺達はこの関係に向き合うことになる。


「エリオット……私達、話をしましょう」


 凛と立ち、俺をまっすぐに見つめる蒼色に、俺も覚悟を決める。

 どういう結果になっても、俺がクラウディアを愛していることに変わりはない。そして、これからどういう形の関係になろうが、俺はそれを受け入れるしかないのだ。


「私の以前の恋人達のこと、聞いたって言ってましたよね」


 ポツリと落ちた彼女の言葉に、俺は頷く。


「ああ。君が辛い思いをしたことも」


「そう…………ねえ、エリオット。恋心って、病みたいなものだと思いません?」


「そう世間では言われることもあるが……」


 病……彼女にとっては、辛かった過去の傷。まだ、忘れられていないのだろうか。


「だから、私ね、治しちゃったんです。恋の病」


「は?」


 彼女はいきなり、何を言い出したのか? 思わず間抜けな声がこぼれた。


「人生で最初の失恋が辛すぎて、私、自分の恋心を病に見立てて、癒しちゃったんです。レンに対する恋心を消してしまいました」


「…………」


 何も言えずにただクラウディアを見つめていると、彼女は寂しそうに目を伏せた。

 長い睫毛が、彼女の頬に影を作る。


「二人目と三人目の彼は、頼まれて相手の恋心も消しました」


「それは……」


「知ってます。それって前例は無いけど、多分違法行為スレスレですよね。でも、失恋の辛さがわかるから……断れなかった」


 誰が彼女を責められるだろう。

 確かに精神に影響を及ぼす魔法は禁じられているけれど、そうしなければならない程、彼女達の恋心は厄介で辛いものだったのだ。

 だが、ふともう一つの可能性が思い浮かんだ。


「……もしかして、君がいた戦場で精神的なトラウマを持つ患者が少なかったのは?」


「私の治癒術は、身体の外傷を治す過程で、その原因となった出来事の記憶を曖昧にすることが出来ます。記憶は残っているけど、その詳細や受けた苦痛がボンヤリするというような。

 怪我の回復には、身体機能的な問題だけでなく、精神面も大きく影響しますから」


 精霊魔法由来の治癒術は、そんなことまで可能だったなんて……


「だから激戦地に君が派遣されていたのか」


「そうですね」


 16歳の少女が、あんな現場に派遣されることを不思議に思った事もあったが、軍の上層部は知っていたのか。


「……別の記憶に置き換えたり、とかは可能なのか?」


 クラウディアは、ハッと顔を上げると、首を横に振る。


「まさか。そんな力はないですよ。回復のために眠りに落とすことは出来ますが、夢を見せることも出来ませんし。

 私に出来るのは、ただ、心の傷を癒すように記憶を曖昧にすることだけです。完全に記憶を無くさせてしまうことも出来ません。だから恋心も、相手を想う心が苦しいと感じる気持ちを失くしてしまう治癒なんです」


 つまり、クラウディアは、本人にとって苦痛で辛いと思う恋心を消してしまえると言っているのだ。

 それは、彼女自身だけでなく、俺に対しても可能だということで。

 そう考えた瞬間、激しく拒否する思いが、湧き上がる。


「駄目だ、クラウディア。

 一つだけ、私と……いや俺と約束して欲しい。

 君の心の中にある、俺に関連するどんな記憶も想いも消さないでくれ。

 俺に対しても同様に。クラウディア、君に関すること全てが、絶対に曖昧には出来ない想いだから」


「エリオット……」


 揺れる蒼い瞳に、俺は懇願するように彼女の頬に手を伸ばす。


「その代わり、約束する。これから先、君が苦しかったり忘れたくなるような気持ちや想いを持つことが無いように、俺は、君に敬慕と真摯な愛情を持って向き合って生きていくと誓うから」


「真摯な愛情?」


 ゆっくりと尋ね返すように、クラウディアの唇が動く。

 それに応えるために、俺は言葉を紡いだ。


「君が好きだよ、クラウディア。でも、君が俺を友人としか思えないなら、俺は君にとっての男友達でいいから、近くにはいさせて欲しい」


 結局、彼女との関係にどんな名前がつこうとも、俺は彼女の傍にいたいのだ。

 クラウディアの瞳に、透明な雫が湧き上がる。


「片想い、かと思っていました。私、貴方の女友達として側にいる為に、この恋心を治してしまおうかと……」


 ああ、もう! 

 俺は思わず彼女を抱きしめる。


「クラウディア! 俺は間に合った? まだ君の中に俺への恋心は残ってる?」


 俺の胸に顔を埋めたクラウディアの両手が、俺の背に回り、上着を必死に掴むのがわかる。


「消せなかったんです、エリオット。少しずつ、少しずつ雪が降り積もるように重なって大きくなったこの気持ちが、愛おしくて、切なくて……私、消したくなかったんです。私も貴方が好きです、エリオット」


 この気持ちが恋心と言うなら、二人にとっては幸せと悦びしか、もたらさないのだと思う。

 ああ、胸を締め付けるような、瞳の奥が熱くなるような、そんな歓喜と少々の痛みを伴う恋の病だ。

 そして、病と言えど、どんな些細な記憶や想いも、絶対に失えない、失いたくない。

 だから君にも伝えよう。

 俺がどれだけ、君を想っていたのか……


「やっと……やっと君に届いた。やっと君に言える。君を愛してる、クラウディア」

書き足りないエピソードはまたいつか。

読んでいただいて、ありがとうございました。

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