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29.命の恩人

「それで、あなたとクラークスは袂を別れたわけね」

「……まあ、そう思ってもらっていい」


 少し含みはある様子だけど、ジュードは頷いた。


「俺はそのくらいの頃、いつ死んでもおかしくないし、いつ死んでもいいと思ってた。俺を生んだせいで母上は体調を崩すし、生まれてきた俺は王位継承候補としては落第のどうしようもない病弱だったから」

「……そう」


 彼が口癖のように言う『期待されていない』という言葉は、幼少期からの根深いものだったのだ。ずっとそういう目で見られて、自分でさえもそのように己を責めていたんだろう。


「今は、そういうふうには見えないけど」


 ジュードが言った言葉に対してだけじゃなく、『期待されていない』というふうには見えないという意味も込めて言う。


 ジュードはそれをわかってか、わかっていないのか、眉をわずかに寄せ、困ったような微苦笑を浮かべた。


「――乳母がいい乳母だった。どうしようもない俺を、藁にもすがる思いで独断で『聖女』のところに連れて行ってくれたんだ」

「……『聖女』?」


 それって、私?


「まあ、死んだんだけどな。風邪拗らせて。生きてたら、リーンもあの人に見てもらいたかった。今のリーンの乳母もよくやってくれてるが……」

「それは辛い別れだったわね……」

「ああ。俺が泣いたのはそれが最後だったな……」


 しんみりと二人で当時の乳母を思う。

 きっと孤独だったろうジュードの心をここまで開いていた人だ、とても素晴らしい人だったんだろう。私も、ご存命であればお会いしてみたかった。


「……あの、ところで、『聖女』って……」

「あ? お前しかいねーだろうが、『偽聖女』サマ?」


 そうよね。そうなんだけど。


「私、あなたと会ったこと、あったの?」

「あったよ。お忍びで行ったから、当時のアンタは俺を王子とは思ってなかったろうけど」

「……」


 ジュードの顔をじっと見る。


 金色の髪、きれいな菫色の瞳。通った鼻筋は、幼くてもきっと整ったメリハリのある顔つきをしていたはずだ。


 記憶のどこかにはあるはずだと、遠い遠い昔まで思い出す。けれどなかなかピンとこない私を、ジュードはフッと軽く笑った。


「乳母が、自分の子どもだって俺のことを偽って連れてきてくれたんだ。生まれてからずっと、熱を出していない日のほうが少ないんだって。なんとかしてやれないか、って」

「……あ」


 ――いた。その親子の記憶はある。

 母親とはあまり似ていないけど、お父さん似の子なのかなあと思いながら、話を聞いていた。


 ハッキリとした病気じゃないみたいだからどうしたらいいか悩んだけど、基本的な体力向上の効能がある素材を組み合わせてなんとか薬を作り上げた。


 まだ私は『聖女』として働き出したばかりで、毎日毎日やってくる人たちに対してどうしたら誤魔化せる、どうしたらこの人たちを救える、と悩んでばかりの毎日で、この親子は病気や怪我で困っているわけじゃないから、最初から『聖女の奇跡で治せる類』のことではなかったから、少し気楽に話が聞けた。


 この人たちはいますぐ治せないとわかったら、私を叱るだろうか、疑うだろうかと不安にならなくてもいいのは、本当に気持ちが楽だった。その分、薬作りにも集中できたと思う。


「親父は治るようなものじゃないから、って言って俺をアンタのところに連れて行こうとは全く思わなかったらしいが、アンタが煎じてくれた薬のおかげで俺は人並み程度の身体を手に入れたんだよ」

「そ、そうだったの」

「そうだよ。だから、今の俺があるのはアンタのおかげ」


 顔を上げたジュードの目が、いつも以上にまっすぐに私を見ている気がするのは、こんなことを言われたせいだろうか。

 必要以上にドキリとしてしまって、私はつい目を逸らす。


「ご、ごめんなさい。私、ちっとも覚えていなかった」

「いいよ。アンタにはそれくらい普通のこと、なんてこともないことだったんだろ?」


 ジュードは柔らかく笑う。


「……そういうのがすげえなって思ったんだ。アンタにとったら困っている人がいたら救うのはごく当然のことなんだって」


 普段しない表情。だけど、「ジュードならこういうふうにも笑うかな」と思えた。とても優しい笑みをしていた。


「あなたは覚えていてくれたのね。ありがとう」

「当たり前だろ、忘れるもんか。俺にとったら命の恩人なんだから」


 じぃんと胸が温かくなり、『命の恩人』という言葉を噛み締めると目頭が熱くなるけれど、どうしても引っ掛かりを覚える。

 そのわりには、成長してからの初対面があんまりだった。


 因縁つけられ、ずたぼろの火傷で迫られ、無理やりキスして婚約者になれと脅してきたのだから。……もう少し、穏便に事情を話して、とはいかなかったのだろうか――とは、思う。


「命の恩人に対して、ずいぶんひどいことをしてきたわよね」

「悪かったよ」


 いきなり脅してきたことを言えば、ジュードは素直に謝った。


「俺も後悔してる」


 私の想像以上にジュードは真剣な声色で、だけど、聞き取りにくいくらいの囁き声で呟いた。


「惚れた女を脅して巻き込むべきじゃなかった」


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