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バラ園の約束  作者: ヤン
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第五話 噂

 沙羅(さら)は、このホームに就職して四年目だ。介護の資格は持っていないが、新人教育の係りを任されていた。面接を受けた男性・山田(やまだ)慎二(しんじ)は、当然沙羅が付いて教えることが多かった。



「その人ね、すごくいい人なんだ。関わるのが難しいお年寄りとも、何か上手く接してたし」


 沙羅は、その頃を思い出しながら、話した。


「だけど……」


 大きく息を吐き出してから、話を続けた。



 山田は、入職から一か月ほどで、かなり仕事が出来るようになっていた。山田の姿勢から学ぶことも多く、充実した日々を送っていた。


 ある日、同僚の女性が、沙羅のそばに来て、小声で言った。


三上(みかみ)さん。噂になってるわよ」

「噂、ですか?」


 いったい何のことだろう、と彼女の次の言葉を待った。彼女は微笑を浮かべると、


「そう。噂」

「噂って何ですか?」


 はっきりしない彼女の言葉に苛立ちを感じた沙羅は、いつになく少しきつい言い方で彼女に言葉を返した。彼女は、ふんと鼻を鳴らすと、


「決まってるじゃない。山田さんとのことよ」

「山田さんと? 何ですか?」

「三上さんと山田さんが付き合ってるって、そういう噂。別にいいわよ。二人とも大人だから。でもね、三上さん。山田さんには、奥さんも子供もいるでしょう。あなた、わかっててそんなことしてるの?」

「何もしてないですけど」


 沙羅と山田は、付き合っていない。ただ、教育担当として接する機会が多かっただけだ。山田はいい人だ。いつも穏やかで、誰に対しても優しい。沙羅に優しいのも、付き合っているからではなく、それが山田慎二なのだ。この人は、何を勘違いしているのだろう、と、沙羅は憤りを感じた。


「もう、偉い人たちも知ってるわよ、この噂。その内、呼び出しがかかるんじゃないかしら」


 彼女は、くくっと笑うと、その場を去り、仕事に戻っていった。沙羅は、頭に血が上ったようになっていた。誰がそんな変な噂を広めたのだろう。


 彼女の言葉を、頭の中で反芻する。


(山田さんには、奥さんも子供もいるでしょう。あなた、わかっててそんなことしてるの?)


 奥さんと、子供。既婚者だったのか、とその時気が付いた。そして、軽い絶望感を味わった。その感情の揺れに、沙羅は初めて自分の気持ちに気が付いた。


(私、山田さんを好きになってたのか)


 自分にそんな心が残っていたのか、と驚いた。沙羅が恋愛について拒否感があるのは、母親のせいだった。



「いとーちゃん。私が、何で人と食べ物をシェア出来ないか、話したことあったっけ?」


 沙羅の問いに、伊藤は首を振った。


「そうか。話してないよね。あの時から、みんなが遠慮してくれるようになっただけだよね」



 高校三年の時、ちょっとした事件が起きた。沙羅は、昼休みに友人たちと昼食を取っていた。その日、いつも立ち寄るお店に、珍しいパンが売っていたので、迷わず買った。いつも買っている物を先に食べ終えてから、今日初めて買ったそのパンを食べようと、袋を開けた正にその時だった。友人の一人が目を輝かせ、


「それ、見たことない。おいしそうだね。少しちょうだい」


 沙羅が返事する前に、その友人は沙羅が手にしていたパンをちぎって口に入れた。


「わー。おいしいよ、これ。お礼に、私のパン、少しあげるよ」


 言われたが、沙羅は首を振った。友人の行動は、一般的に見れば、そこまでひどいことではなかったかもしれない。返事をする前に行動したのは問題かもしれないが、そんな程度のことだ。


「ごめん。そんなに嫌なんだと思わなかった」


 友人が慌てて沙羅に謝ったが、沙羅は黙って目を閉じた。少し、気分が悪くなっていた。


「これ、食べていいよ」


 目を開けてから、沙羅は友人にそのパンを押し付けた。友人は驚いた顔をしながらも受け取って、「ありがとう」と言った。沙羅は、席から立ち上がると、廊下に出た。窓が開いていて、心地よい風が入って来る。少しずつ、心が落ち着いてくる。


(いつまでも、馬鹿みたいだな)


 そのことがあってから、友人たちは沙羅と少し距離をとって接してくれるようになったのだった。



「みんながあの後、私の取り扱いに気を付けてくれたから、私は何とかやってこれた。感謝してるんだ。それまでは、私が人と接するのをむやみに嫌がるから、ちょっと変な人って思われてた感じだったから。でも、いとーちゃんたちは、寄り添ってくれたよね。嬉しかった」

「だって、オレもあいつらも、三上さんを好きだったから」

「そっか。それは、ありがとう」


 つい、溜息を吐いてしまう。


「シェア出来ない理由の話をするね」

「いや。いいよ。話さなくていいよ」

「話したい。話さないといけないって、そう思うから」


 沙羅は、さらに憂鬱になるようなことを話し始めた。

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