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第五部

 退勤後、会社から少し離れた喫茶店に訪れた広瀬と深雪は、それぞれコーヒーを注文した。

 二人分のコーヒーが運ばれ、一口飲んでから広瀬が口を開いた。

「会社で話した続きをしよう。現在、行方知れずとなっている北原課長が失踪前日に、彼の部下で経理課社員の武下君と口論をしていたと言ったね」

「はい」

 と、深雪が大きな声で答えた。

 すぐそばのテーブルで、コーヒーを飲みながら週刊誌を読んでいたサラリーマンがビクッと身震いするほど大きな声だった。

 広瀬はボリュームを落とすようなだめてから、

「口論の内容は?」

 と、聞いた。

「それは知りません。ただ、目撃した仲間によると始業時刻が間もなく迫るときに、普段滅多に人が行き来しない会議室で言い争いみたいなやり取りが聞こえて、気になって覗いたら北原課長と武下さんの二人が険しい顔で言い争っているのを見たって言うんです」

 深雪の話を聞いて、広瀬は腕を組んでうなった。

「それで北原課長が失踪した理由に、ひょっとすると武下さんが関わっているんじゃないかとその仲間は睨んだみたいなんですよね」

「今の会社だが、武下君は北原課長と勤続歴が近いのか?」

「詳しくは知りませんが、私が聞いた限りだとそれなりに長いみたいですよ」

「とすると、年功序列を利用して武下君が北原課長を今の地位から蹴落とし、課長の座に居座ろうと図ったとも考えられるな。そうなると、とりあえず失踪に関わってるだろう」

「なんですか、そのネンコウジョレツって?」

 首を傾げる深雪を広瀬は一瞬唖然と見てから、仕方なさそうに説明した。

 意味を知った深雪は納得そうにうん、うんと頷き、

「なるほど、そういう見方もありますね。でも、私は違うと思いますねえ」

 と、深雪がコーヒーにミルクを注ぎながら言った。

「どうして違うと思うの?」

「だって、もし今の説が正しかったら、武下さんは北原課長が突然姿を消してしまった場合、そのネンコウジョレツとかいうので自分が課長代理を任されるのを見越していたということになりますよね?」

「そうなるね」

「その場合、真っ先に代理として指名されるのは課長補佐だと思うんです。北原課長をサポートする立場だけあって、ウチの課長補佐もそれなりにやり手で私たちもものすごく頼りにしているんです。でも、経理部長の白石さんはその課長補佐ではなくて、なぜか武下さんを北原課長の代理に任命したんです。白石さんからチラッと聞いた話だと、新人だった頃の北原課長と雰囲気が似ているかららしいです」

「つまり、経理部長個人の考えで行われた代理指名である限り、武下君が課長になるのを目論んでいたという説は却下されるわけか」

「ですね。それに、北原課長失踪という突然のアクシデントで内示を下す余裕もなかったみたいですから、真っ先に課長補佐が代理に選ばれると思うのが自然だと思うんです。それは、武下さんも同じだと私は思いますね」

 と、深雪がミルクを入れたコーヒーを混ぜながら言った。

 脳天気な見た目とは裏腹に鋭い洞察力を発揮した深雪に広瀬は感心した。

 北原課長の失踪後、経理課でどういう動きが行われたのか広瀬が知るよしもないが、問題の課に所属する倉田深雪が言うのだから間違いないだろう。

 武下秀則が北原課長の椅子を狙って立てた策略でないことは、今の深雪の話を聞いた限り間違いないだろう。だが、北原課長が失踪前日に武下と口論を繰り広げていたというのが気になった。

 口論の内容はこの際どうでもよかった。

 問題は、北原課長が姿を消した事件に武下が関与しているかどうかだった。

 ふと、広瀬の脳裏にある推理がよぎった。

(ひょっとして、俺の所にわざわざ火を借りに来るのもその事件が関係しているのか?)

 しかし、広瀬は経理課の人間ではないし、そもそも二人とはそれほど深い付き合いがあるわけでもない。武下とはタバコの火を貸してやったのがきっかけで知り合っただけだし、北原課長に関してはそもそも面識すらないのだ。

「武下君がタバコを吸うかどうかは分かったかい?」

 と、広瀬はもう一度確かめてみた。

 しかし、深雪はコーヒーを飲みながら首を左右に振った。

 北原課長の消息も気にはなるが、広瀬は特に知りたい謎が一向に解けず歯痒い気持ちにかられた。

「どうしてタバコを吸うかどうかがそんなに気になるんですか?」

 と、深雪が尋ねた。

 当然の疑問だろう、と広瀬は苦笑してからここ最近武下に火をねだられ続けたことを打ち明けた。

 話を聞いた深雪は益々面白そうな様子を見せ、

「なるほどなるほど。それで喫煙者かどうかをやたら気にしていたんですね。でも、タバコを吸っている時点で決定じゃないんですか? タバコって中々やめられないって聞きますから」

「まあ、そう言われればそうなんだがね。私も初めてタバコを吸う前は、一度吸ってそれ以降は吸わないでおこうと決めていたんだが、予想以上に中毒性があってね。結局、この年になるまで肌見離さず持ち歩いているよ」

「広瀬さんに火を借りたその日に初めて吸ったんじゃないんですかね?」

「君、タバコを吸ったことは?」

「ありません。体に悪いですもん」

「じゃあ実感が湧かないだろうが、タバコってのは初めて吸うと誰だって必ずむせるものなんだ。私も最初はむせた。だけど、彼はそんなことはなかった。手慣れた感じで嗜んでいたよ」

「それじゃあ、武下さんも喫煙者で決まりですよ」

「しかしね、私はどうも腑に落ちないんだ。どうしてわざわざ、私の所へ来て火をねだるのか。他にも吸っている社員はあちこちにいるにも関わらずだ。それと、どうして自前のライターを用意してこないのか。勘繰りかもしれないが、なにか狙いがあって私に接近しているように思えてならないんだ」

「でも、お二人は全然違う課の人間同士でしょう。精々部署が隣同士なだけで、業務上で関わり合う要素は全くありませんよねえ」

 と、深雪は言った後、突然深刻そうな顔を浮かべ、

「突飛なこと考えちゃいました」

「聞こうか」

「もしかして武下さん、口論の末に北原課長を…」

「…なんだ。殺めた、とでも言うのかい?」

 深雪は真顔で頷いた。

 が、広瀬は一笑に付した。

「確かに突飛だし、意外と物騒なことを考えるんだな」

「でも、それだと理に適うと思うんです」

「どういう風に?」

「口論の結果、武下さんは北原課長を弾みで殺してしまった。死体をなんとかしようとしていたとき、広瀬さんが現場の近くにいたのに気付いてしまった」

「待ちなさい。とすると君は、私が北原課長殺しの現場を目撃したとでも言うのか? 私はそんなの見てないぞ」

 と、広瀬は慌てて否定したが深雪は構わず続けた。

「当然、動かなくなった北原課長のそばにいるところを見られたと武下さんは思った。ただし、思い込みの可能性もあるので、タバコの火を借りるという口実を使って広瀬さんに接近して、反応を確かめることにした。どうですか?」

「どうですかって…。飛躍のし過ぎだよ。第一、今君は口論した挙句に武下君が北原課長を殺したと言ったが、二人が言い争いをしていたのは始業前の朝だろう? だったら、その瞬間から既に北原課長は行方をくらませていなければおかしいじゃないか」

「朝は何事もなく済んだだけで、もしかすると業務を終えた後にも言い争いをしたのかもしれないじゃありませんか」

 と、深雪が負けじと言った。

 広瀬は腕を組んで考えた。

 社内での北原課長の評価は広瀬も知っている。決して、無断欠勤などという行為を働く人間でないことは、面識のない彼にも想像がついた。

 その彼が、同じ経理課の仲間である武下と口論した翌日に、突然姿をくらませた。

 どう考えても、武下との言い争いが失踪に関わっていると考えるのが妥当だろう。

(彼女の説がもし正しければ、武下が俺に接近した理由も頷ける)

 しかし、武下が北原課長の死体のそばにいる場面を広瀬が目撃したと深雪は言ったが、広瀬自身は全く見た覚えなどなかった。

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