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すでに涙はなく、強い眼差しで墓を見据える。
「ねぇ、幸せでないのなら、戻っていらっしゃいよ。この汚い世界へ」
それを耳にしたハイシェルの体がビョンと跳ねた。そうとう驚いたらしく、珍しく声を張り上げる。
「まてっ! さすがに、屍はっ。
――えっ、待てよ……俺が掘り返すのか? ――うぷっ、ま、まてっ。考え直せ、ノーラ!?」
「ハイシェル、落ち着いて。大丈夫よ。彼はね、天国で幸福なのだから、こちらに戻ることはないの。永遠に家族と一緒なのよ。頑固者だもの、きっと娘の手を二度と離さないわ」
「……そ、そうか。良かった。うぷっ」
「なぁに、吐くの? 死体なら見慣れているでしょうに」
「それと、これとは話が違う。死んでから時間が経っているんだぞ。腐敗しているんだぞ。想像してみろ。まず蛆が……ウッ、ゲッエエエエ」
ハイシェルは腹を押さえて見事、昼食をすべて吐き出して見せた。ノーラは、「実演はやめてちょうだい」と冷静に思考する。
「ハイシェル。あなた、もう想像しなくてもいいのよ。大丈夫、落ち着いて。ほら、現実には何もないわ」
「……ああ、そうしよう」
腹を押さえつつも、すっかり真顔に戻った彼。ノーラは激しい後悔に襲われて額を押さえた。
どうやらハイシェルは、天国に人間としての『尊厳もろもろ』を落としてきたらしい。
その事実を目の当たりにして、己の業の深さを実感してしまったのだ。
「ハーシェ、あなた、すっかり『人間』らしくないわ」
そう言うと、彼は「当然だ」というような表情をした。
「なにせ、俺は神の眷族だからな」
ヘヘヘと照れ顔をする彼に、ノーラはやれやれと首を振った。
だが、ハイシェルの言ったことは正しのである。
眷族という意味では、間違いではない。
ただ、ノーラは神ではない。
そのことは声を大にしてでも言いたいと思う。
「さて、そろそろ、カリナおばあさまの家へ戻りましょうか」
二人が墓地から去ろうと足を動かした瞬間だった。
「――だめよ」
まるで小鈴が鳴るような凛とした声が辺りに響いた。
その声に「まさか」と驚いて、ノーラはすぐさま振り返る。
そこには困惑顔をした老婆、カリナ。
それから数人の警備兵。
一番先頭に、セーラー服に似た衣類を纏った十六、七歳ほどの娘がひとり。
「ねぇ、貴女どこへゆこうというの?」
それは、どこかで聞いたような甘ったるい口調だった。
その当人であるノーラは、思わぬ人物の登場に、驚愕し過ぎたあまり、思わず地の部分が出た。
「――ま、まりあんなぁ!?」
マリアンナ。
まるで本物の花弁が舞うような美しい立ち振る舞いを見せる彼女は、ブラッドレッド・ルージューサンという紫がかった赤毛、ふんわりと巻き上げた頭頂部に可憐な細工の髪飾り(カチューシャ)を付けている。
ただ、可憐なそれに似つかわしくないほど、鋭い鳶のような色味の双眸と、おまけのようにゴツめの双剣を背負う。
ノーラは彼女のことを表現する時、まさに物語上の「ヒロイン」として存在するような子と称している。