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縁起物

 休日、庭園の木陰で子玉と芮叔静は中宮さまに贈る品の図柄を考えていた。

 子玉は白地に薄緑と濃い緑の竹の葉を散らした織り模様をすぐに思いついた。

「竹は四君子の一つだからいいと思うの。わたしも大好きだし」

 子玉はそう言い、簡単に紙に葉の図案を描き上げていた。

 芮氏は作るのは絹の手巾と決めていたが、

「わたし絵がひどく下手なのよ」

と言い、図柄に思い悩んでいた。

 そこへ、いつもの二人組、孫登と陳表がやって来た。

「あら、陳哥、陳大哥こんにちは」

 平気な顔をして挨拶する子玉の背中に、芮氏はそっと隠れた。

「怖がることないわ。彼らは東宮さま付きの宦官見習いなんですって」

「でも……」

「わたしたち友達よね?」

「お、おう」

 唐突に聞かれて孫登はぎこちなく頷いた。

 子玉は芮氏を前に出して紹介した。

「こちらは、芮さん。今回一番優しくて婦徳が備わっているひとなの。家臣の皆さんからの支持も間違いなしよ。わたしの一押しだから東宮さまにもお薦めしておいてちょうだい」

「いきなり何を言うの?子玉さん」

 赤くなって戸惑う芮氏をよそに子玉はにこにこと笑っていた。

「では、そなたは何なのだ?」

「んー、縁起物かな?」

「縁起物!?なんだそれは?」

 子玉は首をひねって答えた。

「呉郡での選出の時、人相見に言われたの。あんたの顔は真っ黒な醜女だが家内安全、五穀豊穣間違いなしの周りに福をもたらす縁起のいい相だって」

「……」

 本人の口から醜女とはっきり言われて、孫登はなんと言っていいかわからず、思わず口をつぐんだ。

 見かねた陳表が話題を変えようと尋ねた。

「妃候補選抜では今何を講義しているんだ?」

「やっと『女誡』が終わって『列女伝』に入ったわ。でも、まじめすぎてつまらないし、馮老師の声は催眠術みたいに眠気を催すの」

「そんなにつまらないのか?」

 孫登が身を乗り出して尋ねた。

「すごく眠くて、手を抓って、眠気に耐えてるわ。ねぇ、芮さん?」

「えぇ。馮老師のお声は優しいの。なんとも眠たいわね」

「ほう……」

「ねぇ、東宮さまは今何を勉強なさっているの?」

 孫登はなんと答えたものかと悩んだが、ありのままを言った。

「『漢書』とか歴史や聖賢の書を読んでいるよ。南陽郡から支老師が来てからは黄老の書や他国の話もよく聞く」

「へー、それってすごくおもしろそう!」

 子玉は目を輝かせた。その背中を芮氏がとんとんと突く。

「子玉さん、一応ここは後宮の外れなのですから、男の老師は入れませんのよ」

「あぁ残念。そうだったわね」

 孫登はあることを思いついていた。

 そして、こっそりと呉郡に人を遣って子玉の身元を調べさせている後ろめたさもあり、何か彼女の喜ぶようなことをしてやりたいと思った。

 考え事に耽っていると、不意に子玉が声をかけてきた。

「ねぇ、陳哥、陳大哥。絵を描いてくれない?縁起がいいものを」

 子玉は薄板に貼った紙と筆を差し出すと、座っていた岩を明け渡した。ここに座って書けということだろう。

「わたしは絵など心得はないぞ」

と陳表は手を振って拒否した。

「芮氏さんが、困っているのよ。義をみてせざるは勇無きなり、とも言うじゃない?」

 孫登は筆を受け取ると、さらさらと鶴を描いた。二羽の鶴が仲良く並んで鳴いているところだ。

「陳哥は鶴ね、じゃあ陳大哥は亀を書いてちょうだい」

「なに?」

 陳表は困りながらも、四つ足が生えた丸と菱形の間のような物体を二つ描いた。

「うーん、なかなかいいじゃない」

 子玉はさらに、鶴に松柏を、亀に蓮の花を描き加えて、芮氏の前に広げて見せた。

「じゃーん。どう?刺繍の下絵になりそうじゃない?」

芮氏は頰を抑えて驚いていたが、慌てて立ち上がりお礼を言い始めた。

「ありがとうございます。お二方、それに子玉さん。助かりました。なんとかなりそうですわ」

「そんなに恐縮しなくともよい。ただの絵だ」

「……」

 陳表は自分の絵と絵を描かされたことに不満があるようだった。

 そこへ、ひょこっともう一人背の高い青年が現れた。諸葛恪だった。

「ふたりとも何を怠けているんだ!早く持ち場に戻れ!」

 口調は厳しいが、目はにやにや笑っている。

 孫登と陳表は怒るわけにも、逆らうわけにもいかず、黙って戻っていく。

 子玉は、その気も知らず、「ありがとねー」なんて能天気に後ろで叫んでいた。


 三日後、馮老師の講義の時間に見慣れぬ人物が現れた。

 頭も真っ白な銀髪で、鶴のように痩せているお爺さんだが、背はしゃきっと伸び矍鑠としていた。白くて長い顎髭をゆったりと撫でている。これだけ豊かで立派な髭があると言うことは宦官ではなく男性らしい。

 馮老師がいつもの自分の席に彼を座らせて、紹介した。

「こちらは太子太傅の程徳枢さまです。太子さまのお計らいにより今日は特別授業をしてくださいます。みなさんご挨拶を」

 少女達は立ち上がり膝を屈めて、お辞儀した。

「やぁ、みなさんこんにちは。わたしは太子さまの守り役の一人、程秉です」

 にこやかに挨拶する声もしわがれておらず若々しいものであった。

「さっそくですが、みなさんに質問します。漢朝が滅びた主な原因がわかりますかな?」

「うーん」と考え込む大勢の中、さっと手を上げる者がいた。

 謝青蝶である。

 程老師は謝氏を指して話すように促した。 

「宦官と外戚の害です」

「その通り。あぁ、もちろん、馮老師達のようなまじめな宦官もいますし、たくさんの有徳の士を推挙した宦官などもいますね」

 ちゃんと周りへの気遣いも忘れない。

「今日は外戚の害の例として、『史記』呂后本紀を取り上げましょう」

 程太傅は大学者鄭玄に学んだ正統派の学者であったが、戦乱で交州まで避難した苦労も経験している。

 教えることも上手くて、街の講談師よりもずっと臨場感のある語り口で少女達を呂后、すなわち呂雉の人生に引き込んでいった。呂雉が義父と一緒に項羽に捕らえられたときは、少女達は口を抑えて嗚咽し、戚夫人が手足を斬られる残酷な目に遭う場面には阿鼻叫喚となり、竹子夜と吾平児はあえなく気絶した。

 話が絶大な権力を振るった呂后が亡くなり、呂氏一族が殲滅させられるころには、放心状態であった。

「みなさんは呂后の専横の例は見習わず、例えば明徳馬皇后のように仁徳と節義をもって東宮さまにお仕えして下さいね」

と話を締めくくると、にこやかに手を振りながら程太子太傅は去って行った。

 

 その日の夕暮れ、程秉を送り込んだ結果を知りたくてうずうずした孫登は、着替えもせず、陳表を振り切って例の庭園までやって来た。

 そこでみた物は、猿のように高い枝にぶら下がる子玉の姿であった。

「おい、何しているんだ?」

「あら、陳哥。こんばんは」

 子玉はぱっと木の枝から手を離すと着地した。

「今のはなんだ?」

「背を伸ばそうと思って」

「なにゆえに?」

「今日は程太子太傅がお見えになったんだけど、明徳馬皇后のようになりなさいっておっしゃっていたから、形から入ろうと思って」

「形?」

「馬皇后はとても背が高かったんですって。きっと威厳があったことでしょうね」

 孫登は話についていけず、目をパチパチさせた。

「どういう意味なんだ?」

「いきなり婦徳を磨くっていってもわたしには無理だし、身長を伸ばして格好から入ろうと思ったの」

 孫登は頭を抱えた。

「きみは馬鹿なのか……?」

「はい?」



 その夜、陳表は宿直であった。仮眠を取って、太子さまの側の部屋で勤務していた諸葛恪と交代する時間になった。

「元遜、交代の時間だ」

「おう」

 諸葛恪がふと陳表の肩をつかんできた。

「?」

「あの娘はいつも総角髪なのか?」

 すぐにあの娘とは子玉のことを指しているのがわかった。

「そうだが……?」

「文奥、あの娘、本当は色白かもしれんぞ」

「なんだと?あんなに日に焼けているのに?」

 諸葛恪は高身長なので上から覆い被さるようにして、耳に囁いてきた。

「夜に声が高いぞ」

「すまん」

 陳表は素直に謝った。

「総角髪だといつも頭の中央から髪を分けることになるだろう?」

「ああ」

「あの娘は髪の分け目の地肌がとても白かった」

「!?……」

「なぜ色黒の振りをしているんだろうな。ことによっては……これ以上、太子殿下に近づけさせるのは考え物かもな」

「……わたしもそうは思っているのだが」

「離しがたいのか?いずれにせよ詳しく調べる必要はあるな」

 陳表は子玉と楽しそうに過ごす太子を思うと引き離すのに躊躇われた。


 月明かりに照らされた廊下で、しばらく陳表は独りでたたずみ考え込んでいた。




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