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七夕

七月に入り、七夕の日になると外に祭壇が設えられ、捧げ物をし香を焚いて妃候補たち全員と侍女達も加えて祈った。

「羊肉と当帰のスープ……」

 少女達が列をなす中、後ろの方で吉子玉がにまにましながら呟いた。

「あら、馬童さん、羊の炙り肉もおいしいですわよ」

 色白でふくよかな頰と胸の興善琬がふふふと囁いた。

 最近では、子玉はあちこちで自分から人懐っこく声をかけるので「馬童の娘」から「馬童さん」に呼び方が変わっていた。

「あなた達、食欲しか頭にないの?」

 眉をひそめて二人を見つめているのは謝青蝶。

「今日は裁縫の腕が上達するのと良縁を願う日なのよ」

「謝さん、わかっているけど羊のお肉が……」

「うふふふふ……」

 ふたりの頭の中は捧げ物の羊肉でいっぱいのようだ。

「まぁ呆れた。芮さん、色糸の用意をしましょう」

「え、ええ。わかりました」

 謝氏と芮淑静は五色の色糸を用意し、針も出してきた。

 他の少女達も色糸と針を持ち出してきた。

 外に設置された白木の卓の上に一寸(二十三センチ)ばかりに切った糸を並べ、針を横に置く。

 子玉も唐婆やが糸と針を運んできたので、慌てて用意をしている。

 女官の程女史が声をかける。

「みなさん用意はいいですか?では、始め!」

 少女達が一斉に針を持ち、青糸を通し,抜き出す、それから赤、黄色、白、黒と五色の糸を通して同じことを繰り返していった。

「やった!全部通ったわ」

 一番に歓声を上げたのは意外にも子玉であった。

「別に早くっても賞品は出ないわよ」

と少しふてくされた謝氏が続いた。

 次々と針に通され、抜かれた短い色糸はまとめて燃やされる。天上に伸び上がる煙を仰いだ。

 今日は牽牛と織女が年に一度だけ出会う日。

 そして、また裁縫の上達と良縁を願って天帝に祈る。

 宿舎のまわりでは侍女達が服の虫干しを始めた。木簡、竹巻も日にあてて乾燥させている。


 その日の講義の最後には、簫公公から特別な発表があった。

「みなさん、もう宮中の生活には慣れましたか?次なる課題が皆さんには課されます」

 芮氏には右隣の謝氏がごくりとつばを飲み込む音が聞こえた。左隣の子玉をみると、なんとも緊張感のないにこにことしたいつも通りの顔をしているのが見える。

「七月の末には中宮さま(歩夫人)の不惑(四十歳)の生辰(誕生日)のお祝いの宴が催されます。みなさんには中宮さまに贈り物を一つ贈るのが課題となります」

 少女達はざわめく。さっそく手を上げる者がいた。

「物ではなく、なにかの芸でもよろしいのですか?」

 簫公公は微笑んだ。宦官らしい甲高い声で答える。

「よろしいですとも。手伝いが必要とあれば、宦官でも宮女でも申請のあった分、貸し出します。予算も宮中の物品も、ある程度は都合してもよいとの陛下のお許しが出ています」

 謝氏は直感的に思った。

(これは罠だわ。予算があっても闇雲に遣っては、質素倹約に努められない妃失格の烙印を押される……)

 ざわめきが高まったのを、手を拍って程女史が黙らせた。

「いいですか?お祝いの気持ちが通じるものを選ぶのですよ。では、散会とします」

 各自、宿舎に戻ってゆく。

 芮氏は腕を組んで顔を俯け、途方に暮れた。

(何を贈ればいいのかしら?中宮さまならなんでもすでにもっていらっしゃるだろうし……かといって芸なんてわたしにできるものは……)

 とんとんと肩を叩かれた。隣にいた子玉だった。

「芮さんはなにを中宮さまに贈るのか決めた?」

「いいえ、まだよ。とても思いつきそうにないわ」

「わたしはね、なにか縁起柄の織物にするわ」

 子玉は機織りが上手くて手早いので、すでに絹地を一反織り上げている。

「それは喜ばれそうね。わたしも縁起柄の何かを作ろうかしら……」

 芮氏はその晩ずっと悩み続けた。




 王太子の孫登は十五歳である。じき十六になる。学業が本業だ。まだ、政務や戦に出番はない。

 その日は四友のひとり張休から『漢書』の侍講を受けた。張休は父親が呉を代表する重臣張昭なのだが、彼から『漢書』の伝統に則った読み方を習って、孫登と他の三人に教えているのである。

 さすがに国の宿老たる張公(張昭)に直接孫登の家庭教師をお願いするのは申し訳ない。

「今日は成帝の部分を読みます」

 張休が言うと、諸葛恪が木簡を広げて孫登の前に差し出し、机案の上にのせる。

(まだ前回は昭帝のあたりで終わっていたのではなかったか?成帝はまだ先のはず?……)

 孫登は疑問に思ったが、まずは黙って聞いていた。

 講義が進むうちに、なぜ張休が「成帝」の部分を選んだのかぼんやりとわかってきた。

 前漢の成帝は趙飛燕、合徳姉妹に溺れて政治を顧みなかった暗君なのである。

 一時(二時間)を過ぎて講義が終わりになると、孫登はむっとして言った。

「叔嗣(張休の字)、言いたいことがあるなら遠回しにではなく、直接言ってくれ」

 張休は太子が自分の意図をわかってくれたかと安堵し、満足げに頷いた。

「最近の太子殿下は学問にも、騎射の練習にも身が入っておりません。暇ができるとすぐ陳表とこそこそと出かけていらっしゃる」

「むぅ。こそこそなどしていないぞ。二人で済む用事なのだからいいだろう」

「今度は是非わたしも連れて行ってほしいですね」

 諸葛恪がにやにやと訳知り顔で笑う。

 プイと孫登は顔を背けた。

「妃候補の中に、そんなに殿下の心をかき乱す美女でもいるのですか」

 顧譚が何気なく尋ねる。

「美女ではない!美少女ですらない!」

 力強く否定する孫登に三人は驚いた。

 陳表が端で孫登の言葉に頷いていた。

「それはなおさら大変だ!美女でもないのにそんなに殿下の御心を乱すのですからとんだ毒婦ですね!」

「子玉はそんな子じゃないし、毒婦でもない、どちらかといったら醜女だけど決して悪い子じゃない……」

「醜女……なんでそれをまた……?」

 呆れたように諸葛恪が呟いた。

 孫登の代わりに陳表が言い訳した。

「子玉という娘は淑やかさも美しさもない、宮中ではみられない型の女子なのです」

 三人は呆れ、ため息をついた。孫登は思わず顔が赤くなった。こんなバツの悪いことは滅多にない。

「どうか殿下、漢の成帝のように酒や女色に溺れず、身をやつしてお忍びで遊び歩いたりなさいませんように」

 張休が講義の締めを行うと、

「うむ」

とだけ孫登は返事をした。 

 


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