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うわさ話

「聞きました?いっぺんに八人も落とされたのですって」

「でも、今回はなんとなく理由のわかりやすい人達だったわね」

「まぁ怖い。落とされずに済んでよかったわ」

 講義のない休日の或る日、妃候補の少女達は、部屋に閉じこもっているのも暑く、広く開けた講堂や広間で思い思いにおしゃべりに興じていた。

 本来馮老師や韓老師が座る一段高い席に陣取り、一演説ぶち始めた美少女がいる。顔立ちのはっきりとした華やかな美貌の持ち主、黄秋華十九歳。荊州江夏郡の高官を多数出している名門の娘である。

「太子さまは今はまだ王太子でいらっしゃるけれど、いずれは父君の呉王陛下が皇帝に即位されたら、皇太子におなりになるわ。そうすると王太子妃は皇太子妃になるのよ。まぁ、皇太子妃は周家のお嬢様よね。今回は妃選びに参加されなかったけれど」

 武昌から選ばれた色白でふっくらとした体つきの興善琬がおっとりと話しかける。

「でも、呉王陛下は王太子殿下に亡き関羽の娘を娶せようとしたこともあったし、魏への任子(人質)の話が出た時はあちらの都で結婚相手を探すとも仰せでしたわ」

 荊州の南陽郡出身の銀寿思が口を挟んだ。豊かな黒髪が自慢のようで複雑なねじりの入った回心髻に結い上げて、銀の簪を刺している。

「わたしの実家は玉製の装身具を扱う商売をしていて後宮にも出入りを許されているけれど、太子さまの姉上の大虎さまが太子さまののお相手は周家のお嬢様じゃなきゃ絶対に駄目だと仰っているらしいわ」

 銀氏の発言を聞いてみなさざめいた。

「大虎さまが……」「王女さまの大虎さま……」

 ため息があちこちで漏れた。

 失望のため息。

「激しいご気性で有名な……」

「猛妻すぎて夫君の周公子を若死にさせたとか……」

 孫魯班についての不穏な噂が流れ飛ぶ。

 しなやかな細身の竹子夜が手を振って、みなを窘めた。

「しっ。宦官が聞き耳をたてているわよ。大虎王女さまの耳に入ったら大変じゃない!」

 そのあとには、姿を現さなかった周家のお嬢様の話になった。

「周郎と二喬と謳われた夫人の間から生まれた娘が美しくないわけがないし……」

「孫家と周家の結びつきの強さは先代さまからのものよ……」

 十三歳の最年少で小柄な吾平児が恐る恐る発言した。

「……でも、周家のお嬢様は今回の妃選びにには参加されなかったのでしょう。なにか都合が悪いのでは……?」

 黄秋華は頭ごなしに言い放つ。平児は可哀想に肩を震わせびくついた。

「馬鹿ねぇ。大虎さまの一声があればどうにでもなるのよ。わたし達はね必然的に皇太子妃の次の良娣りょうていの位を争っているわけ!もちろん、良娣になるのはわたしよ!」

 黄氏は立ち上がり高笑いさえしてみせた。

 堂々としているが、一種妙な勝利宣言に、唖然とするもの、失笑するもの、無視を決め込むものと反応は様々に分かれた。

 芮淑静は黄氏の姿を遠目に見ていたが、隣の子玉に意見を求めた。

「ねぇ、子玉さんはどう思いますか?……あら?さっきまでいたのに」

 隣でどこからともなく持ってきた蒸かした芋を無心にかじっていた吉子玉はいなくなっていた。


「では、わたしは良娣の下の孺子じゅしくらいを狙おうかしら」

 隅で黙々と木刀で素振りしていた丁虎娘が呟いた。

 黄氏は鼻でせせら笑った。

「あなたみたいな蛮族の血が混じった人が孺子なんておこがましいわ」

 丁虎娘は自らの出身を馬鹿にされ一瞬気色ばんだが、すぐにもとの顔色に戻り、素振りを再開した。

 彼女は丹陽郡の涇県の出身で、そこは山越も多く住む地域であった。彫りの深い顔をして独特の美しさを持っている。

 長沙郡の臨湘からやってきた司馬媚娘が艶めかしい腰つきで黄氏の近くへ歩いてきた。

「黄さんのお妃選びの決め手って何なのかしらね?家柄?美貌?知性?」

 黄氏は叫んだ。

「全部よ!もちろん」

「じゃあ全部みなより優れていると?」

「あったりまえじゃないの」

 かっかと興奮してきた黄氏に司馬氏がフフンと小馬鹿にした様子を見せた。

「あなたの活躍に期待しているわ」

 司馬氏はダメ押しとばかりに婀娜っぽく片目をつむって見せた。



 休日を狙って、東宮府と妃選びの建物の間にある庭園に、孫登と陳表の二人連れがやってきた。

 夏の庭園は昼間の暑さがこもり、過ごしやすいものではない。人影はなかった。

 諸葛恪達をまいて、二人で出かけるのが難しくなっていた。最近なんだかんだと質問してくるのだ。

 しかも今回は常服ではなく、念を入れて宦官のお仕着せを無理矢理借りて着てきた。

 庭園を歩いて行くと、運良くお目当てである吉子玉に出くわす。

「やぁ、子玉」

「こんにちは。陳小哥、陳大哥」

「小はいらない。陳哥でいい」

 孫登は細かく指摘した。

「じゃあ陳哥、ちょうどよかった。筆記用具を貸してくれない?」

 孫登は怪訝な顔をした。

「持っていないのか?」

「筆や硯はあるけど、小刀を持たせてもらえないの。武器になりそうなものは没収よ」

「そうか」

 孫登は自分の懐から小刀を取り出そうとして、陳表に止められた。

 陳表が代わりに自分の小刀を差し出し、子玉の手をわざわざ握って手渡した。

 子玉はにこりと笑って受け取った。

「ありがとう助かるわ。陳大哥」

 不満そうな孫登に陳表が耳打ちする。

(殿下の小刀は飾り付きで宦官見習いが持つものにしては豪華すぎます)

(おお、そうか!)

 こそこそとやりとりするふたりを放って、子玉は庭園の木陰になる適当な岩に腰掛け、笛を取り出して、さっそく笛の孔を削り始めた。

「何をしているんだい?」

「音の調節をしているの」

「音楽は得意なのか?」

「うーん。まぁまぁかしら。街の葬式や婚礼で一曲吹くとお金をもらえたわ。お小遣いが足りないときには助かったわね」

「金をとるのか?」

 びっくりした孫登に、子玉は黙々と笛の孔を削っていた。

「うーん、あんまり気の毒な人からはさすがに取れないけどね。お金のあるところからはしっかりもらうわよ。なにしろウチは目下激しく没落中なのよ」

 孫登は子玉の頭や靴を観察した。

 確かに、頭は簡素な総角に結い、紺色の飾り紐をつけているくらいである。足元もこの間孫登の頭に落とした飾り気のない紺色の布靴だ。質素で金の気配はない。

 だが制服はすらりとした身を包んでいて綺麗に着こなしている。

 近づくと清潔ないい匂いもした。

 肝心の顔がもう少し色白だったらよかったのに、と孫登は勝手なことを考える。

「一曲吹いてくれ。銭は払おう。陳大哥……」

 孫登は陳表に財布を出すように目配せした。

 陳表はうんざりとした顔をして嫌がった。

「さぁ、できた。音色を確かめてみるわ。お代は今回はいらないわ。だってこの間の借りがあるものね」

 子玉は小刀を鞘に収めて、膝に置くと、笛を吹き始めた。

 素朴な笛の音色を聞いているうちに、孫登の目の縁にはみるみるうちに涙があふれてきた。

 忘れもしない、その曲は、今は離れて逢えない養母がよく歌ってくれた子守歌だった。

 

 終わるまで聞いていられず、孫登は子玉に背を向けて顔を拭っていた。

 一方自分が泣かせたことにも気づいていないような子玉は、調節後の音色に満足すると、陳表に礼を言い、小刀を返して戻っていった。

 二人きりになると、陳表は孫登の肩を抱いた。陳表が年上の分背が高く、体格もしっかりと武人のものだ。

「殿下……」

「すまぬ、母上のことを思い出したのだ。あれは母上のよく歌ってくれた歌だ」

 孫登は袂で顔を拭った。

「子玉は呉郡出身だといっていたな。だからあの曲も知っていたのだろう」

 陳表は一瞬躊躇ってから、孫登の腕をつかみ、身を低くして視線の高さを合わせ話し出した。

「殿下、あの娘のことはわたしが調べます故、もうお会いにならない方がよろしいと思います」

「なぜだ」

 孫登は涙を拭って、驚き尋ねた。

「先程手のひらを確かめたら、女のものとは思えぬほど硬い部分がありました、武術の心得があるようです」

「子玉は音楽をよくするのだろう?楽人も琴を弾くものなどは指先が硬いぞ」

 孫登の涙も乾いてきた。

「いえ、剣術などをよくするもののように手のひらが硬いのです。それに一見ふらふら歩いているようですが、背筋の筋肉はよくついているようで、平衡がとれています。やはり怪しいことこのうえない女子です」

 孫登は考え込んだ、今さっき聞いた音色には混じりけのない純粋さを感じた。それが怪しいとは……。

「間者だとでも思うのか?文奥は」

 陳表は姿勢を正した。

「いえ、まだ確たることはわかりませぬ。ですが、なにか事情があるものとは考えられます」

 二人は夏の午後の日差しの中、途方に暮れて黙り込んだ。



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