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重陽

 九月九日、早朝に孫登は湯浴みをして、養母から贈られてきた桔梗色の直裾袍に袖を通した。

「不思議なほどぴったりですね」

 今日も護衛役の陳表が呟いた。

「母上が手紙で仰っていたが、従兄弟の同じ年頃の着物の大きさで作ってみたそうだ。親類ゆえ似たような背格好になるのかもな。それにしてもぴったりだ」

 孫登は銅鏡に自分の姿を映してみて満足した。

「太子殿下、そろそろ出発の時刻でございます」

 側仕えの谷昭が促した。

「今日は忙しくなるな」

「はっ」


 その日は、重陽の節句の儀式を午前中に済ませ、昼からは妃候補選抜の最終課題を兼ねた王太子孫登の生辰の宴が行われることになっていた。


 重陽の節句には城の郊外まで出て丘に登り、上は秋の高く澄み渡った空を眺め、下は咲き誇る菊を眺めながら菊酒を飲み、厄を払い長寿を祝うのである。女達は呉茱萸ごしゅゆという苦みの強い実を香り袋に入れ身につける。これも厄除けである。

 九月九日、九、九というのは陰陽の陽の極まった日であって、当初は不吉と考えられていた時代もあったが、次第に陽気の強い縁起のよい日と思われるようになり、丘に登る登高(とうこう、ピクニック)などが行楽行事となった。


 天気も良く晴れ渡った空の下、孫登は父と群臣達と登高の儀式を終えると一足先に馬車で宮中へ戻り、北側の芳林苑まで直接向かった。

 芳林苑には広い野外の舞台があり、今日の催しごとにはちょうど良かった。すり鉢状に舞台があり、斜め上に貴人の観客席が設けられていた。儀式や宴会を考えられていて音がよく響くように設計されていた。


 子玉と芮氏らは顔に濃い舞台化粧や隈取りを施し、武将役の子玉と丁氏は付けひげまでつけていた。

 子玉はぷーっと息を吹いて、つけ髭がたなびくのを見て遊んでいたので、謝氏に、怒られていた。

「馬童さん!あなたは項羽役なんだからしっかりなさい」

「はーい」

 気の抜けた声で返事をする。

 彼女ら芝居組の順番は五組中四番目であった。まだまだ出番は先だ。緊張が高まる。


 御簾で仕切られた主賓の席に、呉王孫権、中宮歩氏、王太子孫登、長女の孫魯班こと大虎王女が並んだ。孫登の後ろには陳表が護衛で立っている。今日はごくごく身内の祝いの宴である。

 酒は重陽らしく菊の花びらを浮かべた酒だ。山海の御馳走のなかにも、栗と棗入りの蒸し餅が入っていて、秋らしい。


「子高、わしはそなたが生まれた日のことをよく覚えておるぞ」

「わたしもです。あの日も今日のようによく空が晴れていました」

 孫権と歩氏がほほえみながら語る。

「わたくしもよく覚えているわ。幼かったけれど。父上がとても喜んでいらっしゃったもの」

と少しすねたような大虎。今日は赤紫の衣に全身真珠の装飾品をつけていた。

「すねるでない。大虎よ。わしはそなたが生まれたときもとても嬉しかったぞ。初めての子だったしな」

 大虎は孫権の言葉を聞いてようやく機嫌をなおした。

 孫登は父にお礼を言った。

「今日はわたくしめのために盛大な宴を催してくださり、ありがとうございます」

「うむ。そなたの妃選びも兼ねておる。よく見て、よく選ぶがよいぞ。では、酒の用意はいいか?では子高の長寿を願って乾杯!」

 それぞれ、乾杯して、蒸し餅を囓り始めた。

 谷利が孫権に「始めてよいか」と尋ねて、頷くのを確認すると、銅鑼が鳴らされた。

 簫公公の司会の声が銅鑼に負けずに響き渡った。

「妃候補の最終選抜を始める。まず第一の組は進み出よ」

 第一の組は、竹子夜と張花蓮の二人による刺繍であった。

 二人はお辞儀をすると、布の両端を持って広げてみせた。作品は旗であった。

「おおーっ、虎か!これはまた勇壮な虎だな」

 感嘆の声を上げたのは孫権だった。

 孫登は比較的落ち着いて見ていた。

 作品の刺繍もそうだが、作っている妃候補の少女達も眺める。美しいがごく普通の変わったところもない娘に見えた。

 青地に白抜きで孫と縫い取りがしてあり、その周りの二匹の金色と黒と白の糸で刺繍された虎が活き活きとして、今にも飛びかかりそうなほど躍動感があった。

「見事ですね」

 孫登は素直に感心した。

「わしは気に入ったぞ」

 悦に入る孫権に、大虎がたしなめた。

「父上、これは子高の妃選びなのよ。父上が気に入ってもどうしようもないわ」

「はは、それもそうだの」

  

 簫公公が孫登に「次に進んで良いか」と尋ねた。孫登は静かにうなずいた。

「二人とも下がって良い。次の組はじめるがよい」

 次の組は四人組の輪舞であった。宮中の楽人による音楽に合わせて四人がくるくると輪舞した。司馬媚娘のようなあからさまな薄絹を着たり、婀娜っぽい魅力はないが、一人を除いて、三人は孫登のほうではなく、御簾越しに孫権の方を見ていた。

 司馬媚娘の出世と転落を見てもなお、第二の彼女の地位と、寵愛を狙うもの達がいた。接近するなら太子よりも、さらに権力の頂の呉王がよい、と。

 このあからさまな秋波に孫権も孫登も苦笑した。

「父上、今回もこの娘らをお召しになってはいかがですか?」

「嫌味をいうものではないぞ子高よ。この間のことでさえ、張公に楚の平王(息子の嫁候補を奪って国の火種となり、伍子胥に死体を鞭打たれた暗君)を知らぬのかと叱責されたばかりなのだぞ」

「そうですか。失礼いたしました」

 簫公公に孫登は苦笑しながら、まじめに踊っている一人を除いて、三人を落第させるように指示した。

美しい舞いは最後まで見ていた。

「次の組、出でませい」

 次に出てきたのは、銀寿思と興善琬の二人だった。二人ともに朱塗りの盆に青磁の小さな壺を三つずつ、合計六個持っていた。

「生姜の蜂蜜漬けです。これからの冬に体を温めるのにちょうど良いかと思います」

 銀氏が口上を述べた。

 さっそく銀匙をもって宦官が毒味をする。

「くっ……」

 苦しげな声を出した宦官に俄然注目が集まる。「毒!?」かと。

 控えていた孫権の護衛兵が身構えた。 

「み、水……」

 毒味をした宦官は水を欲しがった。

 銀氏と興氏は手を取り合って、ぶるぶると震える。「こんなはずじゃないのに……」とつぶやきながら。

 水を与えられた宦官は一息に飲むと、叫んだ。

「生姜が辛すぎます!入れすぎです。とても太子殿下に差し上げられません」

「も、もうしわけありません。では、生姜の量を半量にして、柑子の皮を入れたものも召し上がって見てくださいませ!!」

 興氏は粘って、別の壺を宦官に渡す。毒味係の宦官は水で口直しをすると、勧められた蜜を新しい銀匙にすくって舐めてみる。

 毒味係の宦官は明るい顔をした。

「これなら大丈夫です。太子殿下にも差し上げられます」

 大丈夫だと太鼓判を押された方の蜜を孫登も舐めてみた。生姜が効いており、ピリッとするが柑子の皮で爽やかだ。そして蜂蜜の甘さがある。体が温まるようだった。

「父上、これは体が温まります。寒い前線におられる呂将軍に送って差し上げましょう」

「そなたは優しいのう……」

 孫権は目を細めてわが子を見つめた。

「辛い方は厨人に味を調えさせてみましょう。辛いままにしておくには、蜂蜜がもったいない」

 大虎が笑った。

「子高は細かいことまでよく気がつくこと。うるさい夫になりそうね」

「むぅ……わたしは前線の広陵の寒さを思って言ったまでです。姉上」

「はは、毒でなくてほんとによかったな。袁公路は蜂蜜もなめられずに惨めに死んだが、蜂蜜をなめて死ぬのはもっと愚かしい」

 孫権の言葉に、銀氏と興氏は恥じ入り、小さく震えていた。

「柑子の皮入りの方はうまかった。自信を持って良いぞ」

と孫登が褒めると、二人は抱き合って喜んだ。

 簫公公の声がかけられた。

「では、次に参ります。芝居の組です。芝居の演目は『楚漢戦争の覇王別姫』の場面です。演じるのは、芮淑静、吉子玉、丁虎娘、文啓妹。脚本、演出、監督は謝青蝶でございます」

 いよいよ子玉たちの芝居の幕が上がった。


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