妃候補
芮淑静はほっとしていた。
呉王孫権とその夫人の歩氏の面接が終わり、第一関門を通過できたのだ。
(これでお父様や一族の皆にも顔向けができる……)
それでも、芮淑静はぜんぜん自分に自信が持てずにいた。
最初に集められたときに、まわりを見ても、顔は言わずもがな、体つきがすらりとしていたり、豊満だったりと女らしい魅力にあふれた少女ばかりであった。
彼女は中肉中背、顔は印象に残らないような人並みの顔で、女らしい魅力もなく、とりたてて得意な芸事もなかった。
それがなぜ丹陽郡の役所から選ばれ送り出されてきたかといえば、孫堅、孫策、当代の孫権と三代にわたって忠義を尽くしてきた家だからというだけの理由である。
彼女自身には直接結びつかない家の事情だ。それゆえ、自信もなく広間の隅の方でびくびくとしていた。
「十人ばかり落選した娘がいたけど、理由はなにかしら」
竹子夜という武昌から選ばれた少女がおもむろに呟いた。その名の通りの竹のような細腰の持ち主である。
広間に集まった少女達は五十人から四十人に減っていた。
「所詮、呉王陛下の意向にかなわなかったのでしょう」
吐き捨てるように江夏郡から選ばれた黄秋華という睫毛の長い艶やかな顔立ちの少女が言い返した。
竹氏は、黄氏のケンカを売るような物腰も気にせず、呟き続けた。
「落選された方達のなかにはわたしなどよりずっと名門の美しいお嬢さんがいらっしゃったわ。腑に落ちないの」
そこで、壁に寄りかかっていた謝青蝶が立ち上がって話し出した。会稽郡の名門の娘である。
「ここにいる女達は基本二千石(郡太守クラス)の家の出身がほとんどよ」
隅にいた呉郡烏程県から選ばれた吾平児がぴくりと小柄な体を震わせた。彼女は寒門の家の出である。
謝氏は話を続けた。
「三公を出した袁家も周家も今回は不参加のようね。さっきの落選には名門かどうかは関係ないと思うわ」
「じゃあなんなのよ」
挑発染みた口調で黄氏が尋ねる。
「簡単なことよ。挨拶がまともにできるかと装飾過剰かどうかね」
謝氏は腰に手を当てて薄い胸を張って言った。
「さっき落ちた娘達はいずれもけばけばしく飾り立てて孔雀のようだったわ。品位と節度を問われる妃にはふさわしくないのよ」
そう謝氏が言い切ると、広間の少女達は静まりかえった。
パンパンと手を拍つ音が広間に響く。
中年を過ぎた威厳のある女官が背筋を伸ばして中に入ってきた。後ろに宦官達が続く。
広間に少女達が整列する。
「まずは第一関門通過おめでとうございます。みなさんには二人に一部屋ずつ与えられます。そこでさっそく制服に着替えていただきましょう。以後の妃候補選抜での生活は特別の機会を除いて制服で過ごしてもらいます」
後ろの方で「ええーっ」と悲鳴が上がる。「衣装櫃を三つも持ってきたのに……」
年頃の少女にとっては着飾るのは、自己を目立たせる表現の手段に他ならないのだ。それに愉しみでもある。
しかし、さきほどの謝氏の言った「孔雀のように装飾過剰の娘達が落選していった」事実を考えると、計算高い者達はおとなしく制服を受け入れた。
女官は自分たちの紹介を始める。
「わたしは今回の妃候補選抜の世話役の女官の程恵媛です。こちらは同じく世話役の簫公公」
横にいる中年の宦官が頭を下げる。
「こちらは学業を担当する、同じく宦官の馮老師」
目がしわに埋もれているお爺さんというような宦官が一礼する。
「こちらは養生法、体操を担当する韓老師」
中性的な若い宦官が優雅に深々と頭を下げると、声にならないため息がどこからともなく聞こえた。
韓老師は少女達には刺激的な美貌の持ち主だったのだ。
東宮に嫁するかもしれない身を忘れてうっとりと韓老師を眺める者が幾人も居た。名門のお嬢様は刺激に飢えているのである。
「では、みなさんにお部屋を案内します」
各自に与えられた部屋は簡素なものであった。必要最低限に整えられている。
帳のついた寝台。食事用の机案、文机、敷物。鏡台。手水鉢など什器もそれぞれ二人分揃っていた。
侍女の寝起きする区画は別に設けられているようである。
芮淑静が部屋に案内されると家から連れてきていた侍女が待っていた。
「お嬢様!よかったですね」
「ありがとう。なんとか第一関門で落ちる恥は免れたわ」
「お嬢様の淑やかさはお妃にふさわしいと信じておりましたとも!」
「もうよして……制服とやらに着替えなければ」
そう芮氏が呟くと、侍女は途端に暗い顔になった。
「なんだか囚人服みたいです。わたしの服より地味だなんて……」
差し出された服は薄藍の麻の上下の服だった。仕立ては丁寧にされていたが、如何せん色鮮やかな服も選べた名門のお嬢様方の目には物足りなく映る。
また、侍女は若く可愛らしく機転の利く者を選んで、こざっぱりと身なりを整えさせている。下手をすれば女主人より容貌が優れていることもあるくらいだ。
この時代嫁ぐ際には媵妾と言う役目のものがいた。女主人に差し障りがあって閨に侍ることができない場合の代役である。妾であるが、その者が生んだ子どもは女主人の子と見做されるので、ほかの側女よりは地位が高い。
万が一のことも考えて美しい侍女をみな従えてきているのである。今回は侍女各一人から二人の同行が認められていた。
その愛らしい容貌の侍女より劣る淑静が地味な制服に着替えたら、余計見劣りがするのではないか、淑静の気分は暗澹たるものになっていた。
それを突然ぶちこわしたのがいきおいよく戸を開けて、部屋に入ってきた色黒の元気な少女であった。
「こんにちは!初めまして。わたし吉子玉というの。呉郡から来たのよ。よろしくね!」
吉子玉と名乗る少女の後ろからはぽっちゃりと太った婆やがよたよたと着いてきた。
「こっちはうちの婆やの唐婆やよ」
侍女と自分を比べて落ち込んでいた芮氏の悩みを吹き飛ばすほどの威力のある二人だった。
「ねぇ、あなたのお名前は?」
「え、ええ芮淑静よ。丹陽郡から来たの」
「わぁ、ぴったりな素敵なお名前ね」
子玉は眼を輝かせて淑静を見つめた。見つめられた淑静は少しとぎまぎした。
(なぜこんな色黒で、ちぢれ髪の娘が……眼はきらきらとして歯も白いけど……余計に肌が黒く見えるわ……)
子玉はすたすたと中へ入ると間仕切りを部屋の真ん中に立てた。たらいを用意し、婆やを座らせて、自分で水を汲みに走って往復した。
(沐浴するのね……わたしも……)
何かを言いつけるまえに、侍女が動いて同じくたらいに水を満たし始めていた。
「ねぇ、芮さん。意外とこの服着心地が良くていいわね」
にこにこと沐浴を終え、薄藍の制服に着替えた子玉が隣に座って話しかけた。
「そうね。麻だから涼しいわ」
淑静も同じことを思っていた。
そして新しい思いつきもあった。
(もし……太子さまがこの服みたいなまじめで質実剛健な女性をお望みなら、地味なわたしにも希望があるかも……)