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出世

 いろいろと波乱があり、大変だった中宮の四十の賀の宴の翌日、月は八月となった。

 朝から芮淑静は大きな贈り物の箱を受け取った。

 贈り主は孫魯班、大虎王女である。

 宦官が中身を広げてゆく。萌黄色の上衣に、橙色の下裳、蜀錦の帯、翡翠の珮玉ととても華麗な一揃えだった。

「まぁ……」

 びっくりして声も出ない芮氏の背中をつつき、子玉が小声で囁く。

「芮さん。お礼を申し上げたらどう?相手の方が待っているわよ」

 芮氏は褒美を運んできた宦官がじっと見ているのにやっと気づいた。

 居住まいを正して座り、頭を下げた。

「ありがとうございます。大虎王女さまには感謝をしてもしきれません」

「では、確かにお届けいたしました。朝から失礼いたしました」

 宦官たちは芮氏が謝辞を述べたのを機に帰って行った。

「よかったわね」

 子玉はにこにこ笑っていた。

「でも、もらっていいのかしら?太子さまは大虎さまが口出しされるのを嫌がっていたみたいだから……」

「太子さまはとりあえず笞打ちを阻止してくれたのよ。大虎さまだって母君を喜ばせた人に褒美をあげたいだけなんだわ」

 芮氏は戸惑っていた。

「いいのかしら……?それにあの手巾の下絵図は子玉さんや陳さん達に描いてもらったものよ」

「わたしのことは気にしなくていいわ。むしろ飾り布を作ってもらったわたしが感謝するほうだわ」

「陳さん達に何かお礼をしなくてはね……」

「お菓子でも作ってあげたら?宦官や宮女の見習いさん達はおやつももらえないみたいだし」

「じゃあ、そうするわ。あら、いけない。機織りの時間ね」

「行こ行こ」

 子玉は笞打ちを回避したことで、嬉しそうだった。芮氏の腕を取ると楽しそうに歩き始めた。


 妃候補たちの織室では、まだ程女官が到着しておらず、機織りの用意をしながら、おしゃべりに興じていた。

 許理姫という少女が話し出す。

「わたし吾平児さんと同室なんだけれど、朝一番に大虎さまのご褒美が吾さんに届けられて、『すごいわね』なんて話していたら、次は中宮さまのお使いがやって来て吾さんを連れて行ってしまったの」

 続いて銀寿思がしゃべり始める。

「わたしと同室の司馬さんなんか昨日の夜から帰ってこないわよ」

 それを聞いて、みんな一斉にかしましくなった。

 大虎さまが笞打ち三十を決行したのか?と。

「司馬さんは褒められていたじゃない?だから落第や笞打ちは無いと思いたいわ」

と文啓妹。文氏は松竹梅の絵が気に入られて、芮氏、吾氏と同じように大虎から褒美の品をもらっていた。

 竹子夜が急にひらめいたというように叫んだ。

「まさか昨日の踊りで太子さまに見初められちゃったとか!?」

 きゃーっ、と黄色い悲鳴が上がった。

 そこで程女官が入ってきた。

「なんですか、騒がしい。機織りの作業の時間ですよ」

 一喝されると、ものの見事に静まりかえり、部屋の中はやがて機織り機の単調な旋律で満たされた。



「手のひらを合わせて頭の上へ伸ばす。右足は前に、左足は後ろへ。息を吸って、ゆっくりと吐きながら体を沈めていく。お尻の穴は締める!」

 韓老師のかけ声が大きく外に響く。

 少女たちは夏空の下、美容体操をしていた。導引、一種の房中術である。

「暑いわね……」

「こんな日は養生法の座学のほうがいいのに……」

 日頃、韓老師の美貌にめろめろな少女たちからも愚痴がこぼれた。

 そこに大きな扇で風を送らせながら歩いてくる貴人が見えた。

 韓老師が片膝をつくと、少女たちもしゃがみ込み、ひれ伏した。

 高々と飛天髻に結い上げ、豪奢な金の簪が太陽の光を受けて輝く。赤い薄絹の衣をまとい、女らしい曲線美をみせつけていた。刺繍入りの絹靴が立ち止まる。

「みなさん、こんにちは。心配しているかと思って様子を見に来てあげたわ」

 顔を上げてみると、その貴人は着飾った司馬媚娘であった。

 みなその変貌ぶりに驚いた。先日までみなと同じ薄藍の制服に身を包んでいたのが、この変わりようである。

「心配したわ。司馬さん」

 司馬氏は声をかけてきた銀氏に向かって、人差し指を振って違う違うと示した。

「今のわたしは呉王陛下にお仕えする司馬夫人よ。お間違えなく」

 そう言うと、黄秋華の所へすたすたと歩いて行った。

 黄氏は頭を下げていた。

「以前あなたはお妃選びには、家柄や美貌や知性が必要と仰っていたわね。覚えておくといいわ。色香も必要なのよ」

 くっと屈辱に黄氏の顔が歪んだ。

 一夜にして呉王の寵姫となった司馬氏に、逆らうような発言はできない。


 芮氏はあまりの展開にびっくりしていた。

(息子の妃候補を側室に!?道義にはずれているわ……)

 隣の子玉の反応を見ると、彼女は司馬氏の話に飽きていて、膝の上で手指を何やら動かしていた。琴を弾いているかのように。それを見て、なんだか芮氏も気が抜けて、普通に戻れた。


「ああいう出世の仕方もあるのね……」

 暑さのなか体操で倒れそうになっていた竹子夜が、ぼんやりと呟いた。

 みな唖然として、尻を振り振り歩いて去って行く司馬夫人の後ろ姿を見送った。 



 その日の夕方、芮氏は子玉と侍女と唐婆やに手伝ってもらい簡単な菓子を作った。             

 婆やは宮中に広くツテがあり、すぐに材料を用意してきた。胡麻と蜂蜜をつかった贅沢な菓子となった。

 菓子を入れた箱を持って二人は庭園へやってきた。すでに孫登達は来ていて、子玉のお気に入りの岩に腰掛けて待っていた。

「陳さん、こんばんは。先日はありがとうございます。これ……」

 お礼を言いかけた芮氏には目もくれず、孫登は立ち上がって子玉を指弾しはじめた。

「子玉!昨日のあれはなんだ!わたしはどうやらきみのことを勘違いしていたようだ。中宮さまにあんな風におもねるとは思いも寄らなかったよ!!」

「……」

 子玉も芮氏もあまりの剣幕に驚いていた。ただ一方的に責められる子玉が気の毒で芮氏が口を挟んだ。

「陳さん。子玉さんはせっかく織っていた布を破かれて、困っていたんですよ。少しは彼女の立場を理解してくださいな」

 孫登は芮氏の話を聞いてはいたが、目線はずっと子玉をにらみつけていた。

「きみは呉に住んでいたんだろう?だったら太子の母上が誰かは知っているはずじゃないか!王后に相応しいのが誰かも!」

「……」

 子玉は俯いて黙りこみ、じっと耐えていた。

 なおも追求は止まらない。

「肝心なときはだんまりか?いつもはあんなにおしゃべりのくせに。本当にきみは最低だ!」

 袖を振ると孫登は走り去って行った。

 追おうとした陳表に子玉が小さく声をかけた。

「陳大哥。芮さんのお菓子を受け取ってあげて。この間の絵のお礼ですって。わたしとは関係ないからいいでしょう?」

 陳表は黙って芮氏の手からお菓子の入った箱を受け取り、孫登の後を足早に追いかけていった。

「子玉さん……」

「仕方ないわ。批判されるようなことをしたのはわたしなんだもの」

 子玉の口調はあっけらかんとしていたが、背中が少し丸まっていて、寂しそうに見えた。

 


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