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贈り物

「次は芮淑静」

 簫公公に名前を呼ばれた芮氏は心臓がバクバクと激しく脈打つのを感じた。

 いつもの制服より長い裳裾が歩きにくい。今日は水色の衣に鴇色被帛をかけている。

手巾ハンカチを献上いたします」

 黒い漆塗りの盆にのせ、黄色みがかった絹地の手巾を差し出す。

 宦官が恭しく受け取り、御簾の中へ運んだ。

 歩氏は盆から手巾を取り上げると、広げて刺繍を眺めた。

「まぁ丁寧な仕事ぶりね」

「鶴と亀か縁起がよいな」

 歩氏も孫権もそれぞれ褒めたので、孫登はこっそり微笑んでいた。

「でも、亀のかたちは変ね」

と大虎が呟くと、孫登の後ろで、今日は護衛役の陳表が「くぅっ」と無念のため息をかすかにこぼしていた。

「美しい鶴もいいけれど、無骨な亀がまた味わいがあるわ。とても気に入りました。ありがとう」

 御簾の内から声をかけられ、芮氏は平伏した。

(なんとか笞打ちだけは回避できそう……)


 次に声をかけられたのは、最年少の吾平児である。

「笛で「天保」を演奏いたします」

 『詩経』の「天保」は臣下が君主の永遠を祝福するめでたい詩歌であった。

 以前丁氏や司馬氏の舞に合わせて吹いていたのとは断然違う音が鳴り響いた。ふくらみがあって豊かな音色に変わっている。力みもなく、自然に奏でており、百合髻に結った髪の二つの輪が音に合わせてゆるやかに揺れていた。

 曲が散じると、自然にため息が漏れ、拍手喝采となった。

「名演奏であった。素晴らしい」

「ほんとうに素敵な音色ね」

 孫権と歩氏は微笑み合って、吾氏を褒めた。

「いったいどんな名笛なのかしら?」

 大虎が尋ねると、吾氏は小さい体をよけい縮めて答えた。

「ごく普通の笛です。あ、でも、馬童さん……じゃなくて吉子玉さんに笛を直してもらったらすごく音がよくなりました」

「ほう……」

 孫権は興味深げにしながら、顎髭を撫でていた。

「よい演奏でした。わたくしから褒美をとらせます」

 大虎が言うと、孫登が立ち上がった。

「姉上。この者たちはわたしの妃候補です。すなわちわたしの家の事。賞罰を決めるのはわたしの役目です」

「これは母上の慶事です。我が家孫家のことです。長女のわたしが論功行賞を指図して悪いことがありますか?」

「大虎。やめなさい。姉弟で言い争うなどみっともない」

 あわてて歩氏が止めた。

 孫権が杯を片手に、からかった。

「子高、そなたの姉は暇なのだ。ひとの家に口出ししたくなるほどな」

「……父上」

 孫権は愛娘の方にも顔を向けて、諭した。

「大虎。そなたは弟の家庭に口を挟むくらいなら、早く再婚して自分の家庭を持った方がよいぞ」

「父上!」

 大虎は父から顔を背けた。涙が今にもあふれ出しそうだった。まだ、夫を失った痛手からも立ち直ってはいない。ひりひりと心の中の傷が今にも裂けて血を流しそうだった。

「父上……男の方にはわからないのです。寡婦の哀しみなんて」

 孫権は手を伸ばして、大虎のほっそりとした肩を軽く叩いた。

「そうか……父が悪かった。まだそなたの中では、循児は生きておるのだな」

 孫権は孫登に向かって命じた。

「座がしらけたぞ。そなた練師のために、「天保」の詩の一節を諳んじてみせよ」

「……わかりました。父上」

 孫登は立ち上がり、歩氏に向かって優雅な姿勢で揖礼し、ゆったりと立つと、詩の最後の一節を朗朗と諳んじ始めた。

「月の恒なるが如く

 日の升るが如く

 南山の寿の如く

 (けず崩れず

 松柏の茂る如く

 (それ)に承くる或らざるなし」

 日月のように、山のように永遠に続きますように、との祝いの詩だった。

 孫権は歩氏に対して祝意が薄い孫登に詩を諳んじてみせることで、無理矢理祝わせたのだ。


(まあ、太子さまのお声って優しくてまだ少年の声でいらっしゃるのね)

(あんなにすらすらと諳んじられるとは、学識も相当高いんだわ)

(なんてかっこいいのかしら、御簾でお姿を拝見できないのが残念)

 祝い酒が少し回ってきた妃候補の少女たちは、孫登の影と声に慕わしさを募らせた。


「次、吉子玉」

 いつになく緊張した面持ちの子玉が前に進み出る。竹で編んだ箱に芮氏の作ってくれた飾り布を掛けて宦官に差しだした。

 今日の装いは制服と変わらないような薄蒼色の衣に薄緑の被帛をあわせている。髪はこれまた、いつもの総角だ。

「中宮さまのお仕事に役立つものでございます」

「ん?楽器ではないのか?さっき笛を直したと言っていたな。演奏も得意なのであろう?」

「今回は楽器を持ってきませんでした」

「それは残念だ」

 孫権は悔しがっていた。先程の笛の音色がそんなにも気に入ったのだろうか。

 一方、孫登はせっかく織った織物を切り裂かれた子玉が、二日間で何を贈り物と選んだのかひどく心配だった。

 宦官から箱を受け取り、歩氏がゆっくりと蓋をあけた。

「きゃっ!!」

「なんだこれは!?」

 驚いた歩氏は箱の中身を少しこぼした。

 歩氏の悲鳴をきいて孫登は近づいて箱の中身と散らばったものを見る。

「これは……」

 緑の桑の葉が箱に敷き詰められ、その上に転がるのは白くころんと丸まった虫、すなわち蚕であった。丸々と太った蚕たちは桑の葉をもごもごと食んでいた。

 黙り込んでしまった四人のかわりに、簫公公が子玉を叱りつけた。

「いったいどういうつもりですか?中宮さまに虫を贈るなど、不届き千万!」 

「……」

 子玉は黙って俯いていた。

「待って、尋ねたいことがあるわ」

 黙っていた大虎が口を開いた。

「あなたは籍田と親蚕の礼のことを考えてこれを選んだのかしら?」

「はい。大虎王女さま」

 その返事に、孫権と歩氏は「ほう……」と感心のため息を漏らした。

 反対に孫登はいままで心配して損したと怒りに燃えた。

(籍田(畑を耕す祭事)は皇帝、親蚕(養蚕)は皇后をそれぞれ示すもの。子玉は歩夫人が皇后に相応しいとおもねっているのも同然だ!)

 いまだに呉にいる養母を忘れられず、父との復縁を諦めずにいる孫登にとっては、子玉の行為は裏切りにも感じられた。

 歩夫人は落としてしまった蚕も自分で拾い上げ、箱に戻した。

「ありがとう。そなたの気遣いは嬉しいわ。織室にてちゃんと世話をいたしましょう」

「恐れ入ります」

 子玉は深々と頭を床に着けるほど下げてから、静かに席に戻った。


 そのほかの者は、刺繍した小物類、手作りお菓子、詩の暗唱、琵琶や琴などの楽器演奏、贈り物としては適当で割合平穏であった。

 一風変わっていて圧巻だったのは、長沙郡からやってきた司馬媚娘の舞である。後宮の楽団を借り受け、軽快な異国風の音楽に合わせて艶やかな胡風の舞を踊ってみせた。透ける羅の薄い胡服をまといくびれた腰を強調した踊りはなんともなまめかしい。孫権は自分でも楽しみながら、横目で息子の様子をうかがった。

 孫登は踊りには目もくれず、御馳走を頬張っていた。先程の怒りでやけ食いである。

(まだ色気より食い気の年頃かのう……)

 孫権は向き直り、引き続き司馬氏の美しい舞を鑑賞した。


 妃候補達の席では、重圧から解放された子玉が御馳走を頬張っていた。

「この蒸し鶏おいしいわよ。芮さんも食べたら?」

「ありがとう……まだ少し緊張していて食欲がないの……」

 その様子を謝青蝶が、じっと見つめていた。

(馬童の娘と侮っていたけれど、案外ただの馬鹿じゃなさそうね。でも、なぜ愚かなふりなどする必要があるかしら?)

 謝氏にはよくわからなかった。

  

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