昭和生まれの納豆巻き女と平成生まれのコーヒー男
少しずつ彼とは仲良くなっていった。
私はメイド喫茶の仕事帰りに納豆巻きを買って河川敷で食べるのが好きだった。
彼は同じ時間帯にいつも私から少し離れた位置でコーヒーを飲んでいた。
「美味しそうな納豆巻きですね。俺。水戸出身なんで納豆大好きですよ。あっ。コーヒーお好きですか?」
彼がそう言ったので彼はコーヒーをわけてくれ、私は納豆巻きを何個か彼にあげるようになった。
初めて近くで顔を見たときは(少し惜しいな!)と思ったのを覚えている。
ハンサムとかイケメンではなく『男前』なのだ。
それに真面目。
背は高いが筋肉質で坊主頭で顔が濃い。
チャラ男やダメ男好きの私の好みではないがモテそうだ。
「日本の兵隊みたいだね」と言うと
「夢は自衛隊です」
と答えてくれた。
今思うと失礼な事言っちゃったかな?
彼は戸越亮太君。21才の大学生。
河川敷でのランニングで疲れた体をコーヒーで癒すのが好きらしい。
ハキハキと自己紹介されたので私は偽りなく今の自分を語った。
『あゆ』『30才』『メイド喫茶のお笑い担当』。
いい年なのに髪をピンクに染めて若い娘にいじられながら男に貢ぐために金を稼いでいる……と。
『私ってダサいよねー』『私ってキモいよねー』『私ってサイテーだよねー』
私のネガティブな愚痴を彼はいつも真剣に聞いたあと
「そんなことはありません」
と強く否定してくれた。
これがとても嬉しかった。
女も30越えるとズルくなる。
私は彼が私に好意を持っている事に気がついていながら彼に何か納豆巻き以外を与える訳でなく愚痴を聞かせていた。
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「彼氏が浮気してるかもしれない……つーかしてるわ絶対」と私が言うと
「水戸の男は怒りっぽいとか飽きっぽいから浮気する……とか言われるけど俺は違います。本当の水戸男である俺は納豆のように粘り強い男です。浮気なんてしないです」
彼が熱っぽく語るので私は
「はははー。なにそれー?おもろー!」
と笑って誤魔化した。
彼なりに私を口説こうと勇気を出したことを悟ったが、気づかないふりをした。
ごめんね。
「……本当です」
「……いい男だ。君は。きっと素敵な彼女が見つかるよ」
結婚の事と引っ越しの事を彼には黙っていた。
明日からいきなり私が来なくなったら彼はどう思うだろうか?
案外何も思わないかもね。
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・
4年経った。
私はこの町に帰ってきた。
いや、逃げてきた。
「結婚したら変わってくれる」と思った私がバカだったよ。
私の旦那。
旦那は変わるどころか結婚してすぐに仕事を辞めた。
そして私に夜の仕事をさせた。
キャバクラやメンズエステは堪えられたが、毎晩知らない男に抱かれるのは無理。
中絶も経験した。
私は産みたかったが、彼が「妊婦に客はつかねーよ」と怒鳴り、殴るので泣く泣く中絶した。
心が壊れた私は今日。隙を見て旦那から逃げ出し、あの河川敷に来ていた。
……寒いな。
冬だもんな。
薄着で飛び出すなんて私はバカだなぁ。
「もう死にたいぃ……けど死ぬのは怖いよぉぉ。あーーん!うえーん!」
マイナスの感情が爆発して私は歩きながら大泣きしてしまった。
靴ずれが痛い!お腹減った!寂しい!
目を閉じて歩いた。
私なんていっそ川に落ちてしまえばいい!
「……コーヒー飲みます?」
水筒のキャップ? に注がれた湯気の出たコーヒー。
それを持った彼。
亮太君がいた。
「お久しぶりです」
「……まだここ走ってたんだ?」
「ほぼ毎日」
・
・
全部話した。
亮太君は相変わらず何も否定せずただ話を聞いてくれた。
彼は大きな大きなダウンコートを私に貸してくれた。
ダウンの下はタンクトップしか着ていなかったの亮太君は鳥肌だらけになっていたが
「鍛えてますから」
と笑った。
相変わらず男前だなぁ。
・
「はいっ!みーっけ!」
旦那だった。
「……何で?」
「大事な商売道具にはGPSぐらいつけるだろおー?」
やられた。
服?靴?バック?どこだかわからないけどここまでするんだ……怖いよ。
あんなに好きだった旦那の金髪も細い眉もピアスも笑顔も声も全部怖い。
「……私と別れてください」
「嫌です」
「お願い」
「ん~……いいけど。そうなるとお前は独身でソープ嬢になるけどそれでいいの?」
「何で!?別れたら関係ないじゃん!」
「……いや?お前はずっと俺のATMフォーエバーですが?」
……駄目だ。もう人間と話している気がしない。
この人は裏の世界にどっぷり浸かった人間だ。
逃げても逃げても無駄だろう。
脱力した私の手首を男が、掴んだ。
「行こうか?……いって!」
そしてその手首を亮太君が握った。
「いいぃってええ!やめろてー!」
力を込めた亮太君の腕は手首から肩まで血管がハッキリ浮き上がっている。
筋肉について何も知らない私から見ても鍛え上げられているのは分かる。
「なんなの?お前は?」
「ずっといたじゃないですか?」
「わりぃねー。俺の目にはおめーみてーなゴミはうつんねんだ……わ!」
「わ!」で隠し持ったナイフを取り出しその刃は亮太君に向かう。
「危ない!」
「大丈夫です」
ナイフを取り出した方の手首も握った。
これで男は両手首を握られている事になる。
「別れろ」
「いーーったい!いたいいだい!」
「別れろ」
「あいー!あいーって!わーったて!」
「俺はずっとあゆさんから離れない。何度来ても同じだぞ?」
「あいーーー!」
「よし」
次の瞬間の光景を私は障害忘れないだろう。
亮太君は男をハンマー投げの要領で投げた。
人ってあんな飛ぶんだ。
男は藪の中にドサリと落ち、しばらく呻いた後、悲鳴を上げて逃げていった。
・
「……」
「……」
告白される?まさかプロポーズ?
「俺はあゆさんから離れない」と言った後だ。
何を言われても真剣に受け止めよう。
今回は笑ったりしない。
「四年前言えなかった。言葉があります」
「うん」
「お友達からお願いします!」
「アーーーッハッハッハッ!」
大爆笑!
なんでー?えー?今私トキメイてますが?弱ってますが?
強引に迫られたら最後までイケちゃうよ?
なんて欲のない子なのかしら!平成生まれってみんなこう!?草食系ってやつ!?
「……なんで笑うんですか?」
「ごめんごめん。じゃあゆっくり彼氏彼女になろうよ」
「……はい」
いやー。可愛いのなんの。
「お腹減ったね。服とご飯買いにいこう。やっぱり亮太君といると納豆巻きが食べたくなるなぁ」
「はい」
「亮太君の言った通り「水戸の男は納豆のように粘り強い」ね」
「あ……はい」
「あれ?」
なんかおかしいなーと思った。
『亮太君は実は納豆が嫌いで私に話しかける口実の為に嘘をついた』
『一緒に納豆巻きを食べている時は楽しかったけど少し嫌だった』
なーんて話を私が知ったのはこの平成生まれの青年と昭和生まれの私の間に令和に生まれる赤ちゃんを授かった後の事だ。