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ハマギク(1)

作者: 島央加

[1]

今日も暑い。テレビでは連日、観測史上1番の・・・と耳にする。外からは今日も蝉の鳴き声が聞こえる。たしか、地上に姿を現してたった1週間の命だったかな。しかし、力強く、懸命に大きな声を出している。必死に生きた証を何かに伝えようとしているのだろうか?だとしたら尊敬に値するな。それに比べて・・・。「ごめんね七海。」そう愛娘の顔を見て静かに呟いた。最後にかける言葉はそれしか思い付かなかった。使い古した安物の扇風機が、弱の風量でカタカタと力なく回っている。力強さの全く無い、弱々しい動きだ。扇風機に私との類似点を自然と心の中で重ね合わせていた。今までの人生で、自分のことをかわいそうだと思ってる人間が何人かいた。その人たちのそういうところが私は好きになれず、嫌悪感を抱いた。でも、今は自分がそうなってしまっているんだな。

横に寝ている娘に視線を移す。自分の娘ながら可愛いなと思う。本当に可愛い。大好きだよ。七海。ごめんね。・・・本当に・・・ごめん。

この子は、七海は可哀想だ。こんな母親の娘に産まれてしまって。たった3年という短い人生が今終わろうとしている。この許しがたい、無能な母親の手によって。七海にとってはいつものお昼寝の時間なのだ。すやすや眠っている。可愛らしい寝顔だ。よくこの子は大きくなったら美人になるねと言われた。全てではないだろうが、お世辞ではないと思ってしまう。この整ったまだあどけない顔を見ていると。この可愛い顔をずっと見ていると、ためらってしまう。七海・・・七海・・・。駄目だ。早く実行に移そう。・・・大丈夫。大丈夫だよ七海。すぐにお母さんも逝くからね。・・・なんで・・・。本当ならこの子をなに不自由なく楽しい生活で幸せに育ててあげたかった。なのに・・・なのに。あいつが・・・あんな働きもしない、浮気性な夫を持ってしまったばかりに。生活保護さえ受けれない。役所では五体満足の夫がいる為なのが理由で門前払い。あいつが働くわけないのに。私のレジ打ちのパートの給料じゃ家賃と生活費で消えていく。もっと私が強ければ打開策も考えれたかもしれないけれど、夫の浮気と暴力で、気持ちが途切れた。机の上に置いたあの男への恨み辛みがこもった遺書をこの世へ残して、私と七海は天国へと旅立つんだ。

じっと七海の顔を見て、首に両手を回した。これで七海ともお別れだ。両目を閉じ、心を決めた。1つ大きく深呼吸をした。一気に力を入れようとした。しかし、そのときだった。

ドンドンドン。玄関のドアが力強く叩かれた。

誰だ。ドアを開けようと一瞬立ち上がろうとして止めた。七海と旅立つ決意が、誰かと話をしたら揺らいでしまうかもしれない。静かにドアをたたく人物が去っていくのを待とうとした。しかし直ぐにもう一度、ドンドンドンと強い力でドアをたたかれた。今度はその後、声が聞こえてきた。

「おい、いるんだろ。わかってんだ。開けな」その声を聞いて、ハッとした。声の主はすぐにわかった。女性なのにドスのきいた太い声。大分年はいっているはずだが迫力は若い男性を遥かにしのぐ。

「開けないんだったら、扉、叩き壊すよ。」ゆっくりと低い声で脅迫ともとれる言葉を発し、ドアの前から離れない。なんだこの人は。・・・怖い。その感情のみがわたしの心に浮かんだ。はったりではないんだろう。そう感じた。開けるしかない。七海との旅立ちはとりあえずの中断を余儀なくされた。

[2]

「全く暑すぎるだろ。夏といったって今年は半端ないね。地球の気候はどうなっちまってるんだよ。昔はこんなんじゃなかったよ。嫌だね。地球温暖化ってのは。テレビをつけてもたいして面白い番組やってねーしな。まだ夕方の練習まで時間ありすぎだ。やることない高齢未亡人ってのは暇で仕方ないね。」

ってまたいつもと同じような愚痴を吐きながらアパートの二階から下の道を行き交う人の観察をして時間を潰してる。

「おーい。明代さんよ~、今日も暇そうだな。」宅配業者の健二がでかい声で下から話しかけてきた。こいつはいつもテンションが高い。

「うるさいよ。暇じゃないんだよ。休憩中だ。」私を見上げてニヤニヤしながら、「何の休憩だよ。まだこの時間は暇だろ?」こいつはいつも私をからかう。悪気はなくていい奴だから本気で怒る気にはならないが、こうも暑いと鬱陶しくなってくる。

「うるさいね。お前は。人のことからかう暇あったら若者なんだから一生懸命働きな。」健二の周りを歩く人達は私達が喧嘩してると思っているのか、ヒソヒソ話を横の人としながら歩いている。

「はいよ。じゃあまたね。」と言って小走りでトラックに乗り込んだ。無駄話をするくせにいつも忙しそうだ。

それにしても暑い。今日は何度あるんだい。窓をあけ首から上を外に出し、団扇で扇ぐ。冷房が効けば窓を閉めて、涼しい部屋でゆっくり過ごせるのに、我が家のエアコンはポンコツな年期入りだ。私の住むマンションも大分年期が入ってきた。築30年は経ってるね。新築の時に入ってそんなに経つんだね。時の流れは早いというが、本当にそうだよ。やれやれ。嫌になっちゃうね。

そんなことを考えながら道向かえに建つマンションにふと目をやる。このマンションはここよりもちょっと新しいか。ここよりは新しいがけっこう古くなってきたね。建築工事の時はやかましかったな。懐かしいねえ。

どこからともなく蝉の強く鳴く声が耳を刺激する。こいつらの鳴き声ときたら鬱陶しさをさらに強くする。まあ夏を感じさせる1つの風物詩でもあるといえば聞こえはいいが、まー鬱陶しい。全く暑いったらありぁあしないよ。

心のなかでまた、暑さへの愚痴を唱えていると、ふと、向かえのマンションの一室に目が行った。一組の親子。たまに見かける母親と娘。この二人はいつも仲良が良さそうな雰囲気だ。娘の方はいつもニコニコしていて可愛らしい笑顔が印象的なんだよな。その傍らではそんな愛娘を微笑みながら見つめて歩いている母親。この前は近くの道ですれ違ったときに、娘は元気に挨拶をしてきて、母親の方はいつもの感じで、微笑みながら会釈をしてきたな。こちらの気分を和ませてくれる良い親子だよ。最近じゃああいう癒しを与えてくれるような親子はあまり見かけなくなったもんだよ。今日も仲良く何か話でもしてるのかねぇ・・・・・違うね。違う。

「こうしちゃいれねえ。」急いで向かいのマンションへ駆け出した。

[3]

「はい。どちら様でしょう?」誰なのか、それは知っていた。この辺りの人ならほとんどがその存在を認識している。

「開けてくれって言ってんだよ。別に怪しいもんじゃないよ。迎えのマンションに住んでる本田だよ。ちょっと用事があるんだ。」そう話す、その言葉1つ1つに力強さを感じる。何の用事なんだろうか?もしかして、私のしようとしてたことがわかっているのだろうか。まさか。誰にも口外していない。誰にも気付かれていることは絶対にないはず。何とかしてこの場をしのいで実行に移したい。でも開けなければこの人は納得しない。本当にドアを叩き壊されるかもしれない。蛇口からゆっくりと落ちる水滴を見ながら、額に滲んでいる汗を右手で拭った。

「はい。何のご用でしょうか?」そう言いながら恐る恐るドアを開けた。扉の前に立っていたのは勿論あの人だ。話した事はない。交流といえば、軽く挨拶をする程度だ。でもよく知っている。大きな存在感をこの町に与えている人物だ。

彼女はゆっくりと口を開いた。

「別に大した用はないんだけどさ、さっき迎えのマンションから家の中にいるあんたたち親子が見えたんだよ。別に覗いてたわけじゃないよ。窓が開いてたから見えたんだけね・・・・・あんた、何をしようとしてたんだい?」そう言って、ギロッと私を鋭い眼で見上げた。ビクッとして背筋に何か、電流の用な物が走った感覚におそわれた。

「何をって、言われましても、べ、別・・・、に何もしようとは・・・。」上手く言葉を発する事が出来ない。上手く話せる心理状態ではないことは自分でよくわかっている。どうしよう。どうやって切り抜けよう。今まで感じたことがない心理状況だ。背後から聞こえる七海の寝息と、前方から発せられる視線を通してのオーラに挟まれ、心が押し潰されそうだ。

「ちょっと邪魔するよ。」そう言って、急に中へと上がってきた。

「待ってください。あの・・・。」私がそう言葉を何とか絞り出した時にはすでにテーブルの横にいた。

「何だい?これは?」彼女が指差した先にあったのは遺書だった。焦りの気持ちが増した。足の震えと、心臓の強い鼓動がしっかりと感じられているのが分かる。どうしよう。遺書を見られたら全て気付かれてしまう。しかし、封筒には何も書いてない。普通に見たら遺書だとはわからない。

「なんでもないです。ただの通知ですよ。」何とかそう冷静を装い、返した。

「あぁ、そうかい。」と言った次の瞬間、遺書を持ち上げ、封筒の口を破き出した。

「ちょっと、なにするんです。」

「やかましい。動くんじゃないよ。」その言葉が耳に入ったと同時に、体は自由が奪われ、その場から一歩も動くことが出来なかった。

彼女が遺書の内容を読んでいるとき、ただ黙って待っていることしか出来なかった。何分、何秒が過ぎていったかわからない。全く時間の過ぎていく感覚が私の中で皆無となっていた。ただ目の前の女性が、紙に認めた文字に目を通している。私は黙って斜め下に目をやり、部屋の床を見ているだけだった。何とも言えない感情だ。私のしようとしていたことが知れてしまった不安、罪悪感もあるが、とりあえずの死への恐怖から解き放たれた安心感も多少ある。静かな時間が過ぎ、彼女は遺書から私に視線を移した。そして1つ、静かにため息和をついた。そのため息は、静寂から一転する合図のようだ。もう何も考えることは出来なかった。しかし、「なんじゃこりゃ?」と予想だにしていなかった言葉を彼女は軽く一言言っただけだった。彼女は玄関へ向かい、「邪魔したね。」と言いながら靴を履ぎ、「ちょっとついてきな。」と言った。

[4]

やや年期の入った建物の前に来ると彼女は黙ってドアを開けた。七海はまだ私の背中で寝息をたてている。

「入んな。」私たちに背を向けたままそう言うと、彼女は靴を脱ぎ、中へと入っていった。

この建物は私たちの住むアパートの道向かいにある。だからここはどこなのか、勿論知っている。そして地元では有名な場所だ。この町の人間ならほとんどわかるはずだ。

「お、お邪魔します。」初めてここに入る。私たちの生活の場から目と鼻の先にある場所に入るのは何か不思議な感じだった。

建物の奥にある椅子にどかっと腰を下ろし、彼女は下から私をジロッと睨んだ。かと思うと、直後に、ニコッと笑った。

「あんた、毎日ここに娘預けな。」そう軽く話し出した。勿論私は困惑した。

「え、どういうことでしょうか?」何もわからない。

「どういうことでしょうか?そういうことだよ。」全くわからない。どうしていいかわからず、何を言っていいかわからず、ただ黙っていると、彼女はゆっくり話し出した。

「あんた、パートの仕事だけじゃ、生活出来ないんだろ?さっきの安っぽい遺書に書いてあったなぁ。娘いるし。色々弊害あんだろ?だったらここで1日見てあげるからもっと稼いで来いってことだ。365日いつでも見てあげるよ。飯だって食わしてやるから心配するな。あ、大丈夫だよ。金は1銭も取らないよ。そういうことだ。こんなばばあだから娘預けるの心配だろうが、死ぬよりましだろ?なはははは。」

ただただ唖然とするだけだった。口は悪く、嫌みを含ませながらそう言われたが、別にイラッとはしない。というか、この人は急に何を言っているのだろうか。あんなことをした私を罵倒するものとばかり思っていた。訳がわからないまま、返答した。

「いや、そんな。そこまでお世話になるわけにいきません。そこまでしてもらうなんて。」

「あ、何言ってんだよ。遠慮すんなって。つーかよ、また元の通りに戻ったら、死のうとするんだろ?じゃあ駄目だ。あんたが死ぬのは勝手だけどよ、この子可哀想だろ?何も知らずに殺されちまう。こんなにかわいいのによ!」その言葉を聞き、呼吸が乱れるのがわかった。殺される。そのフレーズを聞いてどきっとした。聞き慣れない言葉だ。普段ニュースやドラマでしか聞かない。殺される?私は別に殺したくて一緒に死のうとしたわけじゃない。反論しようとして一瞬顔を上げた。しかし、言葉を発するのを直ぐに止めた。確かにそうだからだ。この子は何も悪くない。ただ、大人たちの、汚い大人たちの勝手な都合で命を落とすところだったんだ。そんなことを考えていたら、とてつもない罪悪感が私の心に流れ込んできた。真っ白なキャンパスに真っ黒な絵の具を撒き散らすが如く。気が付くと、号泣していた。涙が止めどなく流れてくる。もう涙なんか渇れ果てたと思っていたのに。自然と両膝を床につけ、力なく、ただただ泣き続けた。寝ている七海を抱えたまま。

どれくらい泣いただろうか。まだ七海は寝ている。この空間に私の泣き声と、嗚咽のみがしばらく聞こえていた。

少し落ち着いて、静かに呼吸を整えた。その時、左の肩に強い衝撃を感じた。肩を見ると、彼女の右手だった。そして、私の顔の直ぐ近くで少し微笑みながら声を発した。

「あんた、こんなに力強く泣くこと出来るんじゃないか。まだ、力余ってるよ。」そう言って立ち上がり、背伸びをした後、大きくあくびをした。

建物の事務所のソファーに座り、彼女と向かい合い座った時、七海は目を覚ました。

「おー、お嬢ちゃん、起きたかい。おはよう。はは、やっぱり可愛い顔してんじゃないの。ちょっと待ってな。今ジュース持ってきてあげるよ。」そう言って、部屋を出て行った。先程とうって変わって優しい口調だ。少しして御盆に乗ったコーヒーとオレンジジュースを持ち、部屋に戻ってきた。

「さて・・・じぁあ明日からこの子ここに預けな。おい、お嬢ちゃん。七海ちゃんと言ったね。明日からここでお母さん帰ってくるまでおばちゃんと待っていような。大丈夫。おばちゃんけっこう優しいんだぞ。ちょっと恐そうに見えるかもしんないけどな。なはははは。」そう話しかける彼女を見て、七海は不思議そうな顔をしていた。当然だろう。我が家で眠っていて、目を覚ましたら知らない所で、母親と知らない人が一緒にいて、理解出来ないであろうことを話し掛けてくるのだから。

「あんた、それでいいよな?」こちらに向き直り、七海に話し掛ける時の優しさはなく、彼女は力強い口調でそう言った。

「はい。よろしくお願いします。」そう言うしかなかった。しかし、この時、何か吹っ切れた様な感覚にとらわれ、清々しい心境に変わっていた。冷静に考えると、明日からの生活のことを考えると不安になるのだろうが。とりあえず、この人についていこう。今はそんな考えになっていた。

[5]

「七海。行ってくるね。じゃあ明代さん、よろしくお願いします。」

「はいよ。しっかり働いてきな。」

「お母さん、行ってらっしゃい。」

この老舗のボクシングジムに七海を預けるようになって、3週間が経った。南信ボクシングジム。昔からこの地域に存在している、唯一のボクシングジム。地元の人なら誰もが知っているだろう。地元のテレビの取材を何度も受けている。私もテレビで見た記憶がある。

ボクシングジムに娘を預けるというのは若干の抵抗が心の中にあった。七海も最初は戸惑ってウジウジして無口になってしまい、心配したけど、それも少しの間だけだった。ここは明代さんだけではなく、近所の方たちや、明代さんの同世代の仲間が幾人か来てくれて、七海の面倒を見てくれる。特に、青田良恵さんは毎日の様に来てくれる。明代さんの40年来の友人で、子供が大好きらしく、とても七海のことを親身に見てくれている。

私は仕事をパートから正社員に変えた。店長に相談したところ、元々正社員を募集していたこともあって、歓迎してくれた。多少労働時間が増え、業務内容もレジ打ちだけでなく様々なことをこなさなくてはならなくて、初めの頃は戸惑いもあったが、その分提示された給料は以前より勿論増えていた。生活に余裕が出来るだろうからやりがいも感じる。生活が一変した。

この生活に変わってから1日があっという間に過ぎていく。それだけ充実しているということなのだろうか。今日も気付くとお昼休憩。まだ正社員になり日も浅い為、多少疲れがたまり、この時間は少しだけぐったりしてしまう。でも、同僚からは疲れている様子とは真逆の事を言われる。今日も、「梢ってさ、本当最近なんか様子変わったよね。生き生きしてるっていうかさ、急に正社員になるし、何かいいことあった?もしかして、彼氏出来たとか?旦那がいるのにこいつー。」今日は涼子が最近の私の様子を茶化してくる。旦那の悪事は周りには話していない。私はごく一般的な妻と思われているのだろう。

「そんなんじゃないよ。別に今までと変わらない。七海の為にもっと頑張んなきゃって思って、やってるだけだよ。」私がそう言うと、ふーんとだけ返し、弁当の唐揚げを美味しそうに食べながら、涼子は全く違う話をしだした。本当に涼子はよく喋る。


西の空に広がるオレンジ色の空を眺めながらジムへと向かう。両手を空に突き上げ伸びをする。最近この動作が癖になってきたのかな。仕事帰りに思わずやってしまう。でもこの動作をすると、なんか仕事やったぞーという、充実感が込み上げてくる。・・・やっと吹っ切れた気持ちに成れてきた。少し前まで、まだ心の中に存在していた罪悪感。いや、まだある。そして、決して忘れてはならないのだろう。七海の命を奪おうとしてしまった愚かな自分。もう過去の事だと開き直ることは絶対に駄目だ。

「お母さーん、おかえり。」ジムに着くとここの愛犬のアリと戯れながら、七海が大きく手を振っている。ジムでは今日も、幾人かの人達が、汗を流していた。スリッパに履き替え、中へと入って行った。

「ただいま。いい子にしてた?みんなに迷惑かけてない?」七海の頭を撫でながらそう聞くと、「うん。大丈夫だよ。」そう笑顔で返してくる。この笑顔を見ると、まだ心が若干痛む様な気持ちに苛まれる。

「とってもいい子にしてたな。なぁ七海。」ジムの奥からゆっくりと明代さんが姿を現した。

「はい、お疲れさん。」そう言って定期購入している青汁をコップについで渡してくれた。明代さんは健康にかなり気を使っている。だから、常に元気なのも納得出来る。

「で、どうだい?梢。仕事の方は順調か?」明代さんは知り合ってからすぐ私のことを梢と呼んでいる。私を近い距離に感じさせてくれているんだと、暖かい気持ちになる。

「大分、正社員の仕事、慣れてきました。これも、明代さん達のおかげです。ありがとうございます。」

「やめなよ、そういうの。あたしゃね、人に改めてお礼言われるのが苦手なんだよ。」そう言って顔を赤くしている。豪快さの中に、照れ屋なところがある。本当、変わった人だ。初めて会ったときのあの恐怖の女性と、こうして接しているなんて、なんか不思議な感じだ。

「あはは。わかりました。でも本当に感謝です。あ、あんまり言わない方がいいですね。それじゃあそろそろ行きます。」

「そうだよ。あんまり言わなくていいんだ。よし、帰って七海としっかりご飯食べて明日も気張りな。じゃあ七海、また明日な。」そう言って七海の頭を撫でた。七海ももうすっかり慣れた笑顔を見せて、「うん」と頷いた。

「じゃあまた明日よろしくお願いします。」

「ばいばーい。」私と七海がそう挨拶すると、明代さんと練習している数名がこちらを見て、手を振ってくれた。

「はいよー。また明日な。」

七海と手を繋いで向かいの我が家へ歩を進める。

[6]

「明代おばちゃん、どう?かっこいい?」七海がボクサーの真似をしてサンドバッグを叩いている。3歳のこんな無邪気な女の子が1人いると、男臭いジムにも華ってものを感じるね。

「かっこいいよ。なあ!明代。七海ちゃんは才能があるんじゃないか?」そう言って近所の腐れ縁のばばあどもがワイワイ騒いでいる。

「ああ、かっこいいよ。でも、七海は可愛いからな。ボクシングして、顔殴られて、目でも腫れちまったら大変だ。ははははは。」そんなたわいもない会話をいつもしている。平和ってーもんだ。

ガチャッ。ゆっくりとドアが開いた。「お願いします。」静かに挨拶をして入ってくる男。龍二だ。このジム唯一のプロ。入ってくるなり鋭い視線で周りを見回す。殺気立つ雰囲気が一気にジムを覆う。

「おい。お前さ、入ってくる時いつも何か恐いんだよ。もっとスポーツマンぽく元気に入ってこれないのかい?」そう言うと、「あ、はい。」とだけぼそっと呟いた。

愛想はないけど、こいつは、ザ、ボクサーだ。古き時代の熱い拳闘家像を思わせる。ストイック。その言葉が当てはまる。昔はわんさかプロがいたけど今はこいつだけだ。昨今は根性ある若者ってのが随分いなくなっちまった。少し前までは眼をぎらつかせて、強さに貪欲な奴等ばっかだったのにな。そんな時代ってことか。その点こいつはハングリー精神の塊みたいな男だ。まあ、色々あるんだが。しかし、いつもいつも愛想が無いんだよな。

「なんだい、なんだい龍二、いつも元気無いような声で入ってくるね。もっとシャキッとしな。お前、あと3ヶ月したらデビュー戦だよ。わかってるのか?勝てないよ。そんなんじゃ。」いつもの様に発破をかけてやるが、こいつといったら、「いや、大丈夫ですよ。勝ちます。」と素っ気ない返しをしやがる。こんな感じでマイペース。でも、内に秘めた闘志は感じてるから大丈夫だろう。

「お兄ちゃん、頑張ってね。」

「・・・。」

「おいおいおい、何も言わんのかい。何か言っておやりよ。こんな小さな子が応援してくれてんだぞ。」

「練習始めます。」・・・、本当、愛想がないね。まあいいか。

「七海、愛想がないお兄ちゃんだね。まあ悪い人じゃないんだよ。」そう言って頭をポンポンといつもの様に撫でるとニコッと可愛い笑顔を見せてくれる。この笑顔には癒されるね。私だけじゃなくここに来ているみんな同じなんじゃないかな。この癒しは金じゃあ買えないね。

「なあ七海。ここはどうだい?楽しいか?」そう七海に聞くと

「うん。」とこれまた金じゃあ買えない笑顔でそう返してきた。

「すごーく楽しい。」そう言って愛犬のアリをぎゅっと抱きしめた。

「家とこことどっちが楽しい?」何気なくそう聞いてみると、うーんと言って子供ながらに真剣そうに考えだした。

「どっちも。どっちも楽しいよ。」またニコッと笑う。

「そうか。そうか。」そう言って頭を撫でていると、「おーう。元気かー?」

いつものように良恵がやって来た。

「元気かーってあんた2日前に会ったばかりだろ。」

「あれー、そうだったか?まあいいじゃねえか。明代、何か冷たいものはないかい?」

「あるよ。ジムの前に自動販売機あんだろ。」

「何だよ何だよ。金払えってか。ケチだねー。」たわいもない会話を挟み、ジムのソファーに座り休んでいくのが良恵のいつものパターンだ。

「お、七海元気かい?」良恵は大の子供好きだ。七海の顔を見るとすぐニコニコした顔になる。私と喋っているときとは大違いだ。

「おはよー。」そう挨拶する七海の横へ座り、話し出す。

「ここはどうだい?楽しい?」

「うん。楽しい。」そう七海の返事を聞くと、良恵はにこーっと笑った。

「そうかい。そうかい。あ、これあげる。美味しいよ。」とポケットから飴を2つ取り出し、七海に渡した。

「ありがとー。」そう言って受け取る。

「おいおい、何あげてんだい。勝手なことするんじゃないよ。」そう注意すると、今まで七海に見せていた笑顔とは全く違う表情で、「うるさいばばあだね。飴くらいいいだろ。お前、この子の親か?なぁ七海。」そう言って七海の肩を抱く。

「親代わりだ。このジムで預かっている時は私が保護者みたいなもんなんだよ。全く。変なもんあげて、虫歯になったらどうすんだい。あとね、ばばあだの何だのって言葉を使うんじゃないよ。七海が覚えちまうだろ。」そう捲し立ててやると、「おー怖っ。七海、怖いねー。」と言って七海に向かって舌を出しておどけて見せている。七海は笑って私たちの会話を聞いている。まだ3歳だ。あまり意味は理解できていないだろうけど、こんなばばあどもの会話でも、楽しい雰囲気をこの子には与えてあげたい。もう少しでこの子はこの世からいなくなるところだった。梢を責めることは出来ないが、あそこまでいくには悲しい思いや、辛い思いを子供なりにしたんじゃないかね。

「ハイハイ。ごめんなさいね。」そう良恵が言って、一通りのやり取りは終了した。

「そう言えば七海、お父さんって何してんだい?」何気なく聞いた良恵の言葉に、あ、と心の中で思わず呟く。良恵は知らない。話していなかった。七海の父親のことを。確かに何も知らなかったら思い付くであろう当然の疑問だ。良恵は悪くはないが、七海にとっては聞かれたくないことだろう。何て誤魔化そうか考えたが、何と言っていいか、瞬時に言葉が出ない。心の中で焦りを感じていると、「わかんない。だってずっとおうちに帰って来てないもん。んー。お母さん、もうじき帰ってくるかなー?」そう言って軽く答えた?そうか。この子はあまり父親に対して、興味を持っていないのかもしれない。長い間父親が帰って来てないというのは本当なんだろうな。数ヵ月前に見た、梢の遺書が頭に浮かんだ。

「さあ、もうじきお母さん帰ってくるよ。もう少しおばちゃんと待っていような。」そう言って七海を抱き上げると、「うん」と言って笑顔を見せた。世の中は全てが恵まれた環境で生活出来てる子供ばかりじゃあないのはわかる。仕方がないことだ。でもこんな小さな子たちには全て両親の愛ってもんを与えられてほしいもんだ。っていうか、この子の父親と梢はこれからどうしていくんだろうね。ちょっと梢には聞いてみるか。大きなお世話かもしれないが、ここまで関わってんだ。ちょっとぐらい聞いてもバチは当たらないだろう。

「おーい。おーい。」外から誰かが叫んでいる。

「誰だい?うるさいね。」

「明代。春夫だよ。」そう言って良恵が、やれやれといった顔をしている。なんだよ。春夫か。近所に住む柳沢春夫だ。私とは幼なじみ。もう何十年もの付き合いだ。良い奴だが少し前から認知症の症状が出てきちまっている。

「何だよ春夫。うるさいね。」ジムの窓を開け、注意すると、

「おーう。明代。俺だよ。春夫だよ。」

「わかってるよ。今春夫って呼んだじゃねえか。このボケジジイが。」いつもこんな感じのやり取りで私と春夫の会話は始まる。

「で、春夫。さっき何か言おうとしてただろ?」ジムの窓越しに何気ない会話は続いた。

「ん、何だったっけな?あれ・・・。」やっぱりこんな返しか。最近はいつもこうだ。

「わかった、わかった。春夫、もういいよ。」そう言うと、思い出したのだろう。斜め上に顔を持ち上げ、あー、と大きな声を出した。

「そうだ。そうだ。さっき怪しい奴見たんだった。」わざとらしく右拳で開いた左手を打った。

「ん、怪しい奴?何だい?どういうことだ?どこで見たんだよ?」

「えーと、どこだっけ?あ、そこだそこだ。ジュース売ってる機械の影から見てたんだ。ガキんちょだ。じーっとここを見てたから、何してんだって言ったら、何でもないって言ってどっかへ行っちまった。」

たまにここを見て、時間潰ししている奴はいる。春夫が言ってるのもそういう奴の中の1人だろう。

「そうかい。わかった。でも春夫。どんな奴かもわかんないのに声かけるんじゃないよ。何されるかわかんないからね。」

「大丈夫だ。俺は1番偉いんだからどんな奴でも土下座して去ってくよ。土下座。」また訳の分からないことを言い出した。これが始まると話が長くなる。

「わかった。わかった。春夫、早く帰りな。家族が心配するだろ。」そう言うと、ジムの中を見回し、

「あ、まだいる。人殺しの息子。明代、まだ世話してんのか?いやいや、お人好しだね。」こいつはここに来るとちょくちょくその言葉を口にする。龍二にはあまり聞かせたくない。昔の話だ。

「春夫。この前もその話しはするなって言っただろ。」

「だって人殺しの息子だろー。なー、なー。」

「だから止めろよ。春夫、いい加減にしないとぶん殴るよ。」こいつは昔からお調子者だ。認知症を発症してからそこが更に強くなった気がする。

「おー、怖いですねー。退散、退散。」ぶつぶつ言いながら春夫は帰って言った。

[7]

人殺しの息子?あの龍二君という選手が?・・・、別に盗み聞きするつもりはなかった。仕事を終えて、七海を迎えに来たら、明代さんが、春夫さんと話していた。自然と耳に入ってしまった。春夫さんは明代さんにきつく言われ、とぼとぼ帰っていくところだった。夕焼け空を背景にして帰る春夫さんからは、哀愁の雰囲気が見てとれる。春夫さんが明代さんに怒られているところはたまに目にする。それにしても、どういうことなんだろう。あまり、詮索しない方が良いのだろうけど、七海を預けている身だ。聞いておいた方が良い。聞いておくべきだ。

「只今帰りました。ありがとうございます。」

「おー、梢。お疲れさん。」いつものように、明るく迎え入れてくれた。ちょっと今の会話の内容を聞くには、あまり適さない雰囲気だ。

「お母さんお帰り。」そう言って七海が私の右足に嬉しそうにしがみついてきた。ますます聞きづらい。

「七海、ただいま。・・・あの・・・、明代さん、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが。」そう切り出すと、「なんだい?改まって。どうした?何かあったのか?」といつも話している感じそのままに返してきた。

「ちょっとここでは。」

「なんだいなんだい。わかった。ちょっと事務室入んな。七海、ちょっとここでアリと遊んでな。」そう言われ、はーいと言って七海はアリの所へ走って行った。

「で、なんだい?話ってのは?」事務室の椅子に腰掛けた明代さんは言った。

「ちょっと気になったことがあって、あの・・・、さっきジムに着いたとき、耳にしてしまいまして。」私の話を聞いた明代さんはちょっと考えている様子だったが、少しして、「ああ、さっきの春夫と私の会話かい?あいつが物騒な事を口にしてたことだろ?」と、私が聞く前に答えてくれた。

「はい。・・・、一体どういうことなんだろうと思って。」明代さんは表情1つ変えずに、「あんな話しは気にすることじゃないよ。あのボケジジイが、よく訳のわかんないこと言ってるだけだ。ははははは。」そう言って白い歯を出して笑った。本当にそれだけなのだろうか?春夫さんは確かに認知症だが、全て実際と違うことを言っている様には感じない。でもあんまり詮索し過ぎてもしつこいだけかな。まだ知り合って間もないし、それに私は明代さんのことを信頼してる。その時ふと思い出した。春夫さんが言っていたもう1つのこと。

「あの、明代さん。今の話しとは別ので、春夫さんが言っていたジムを見ていた怪しい人って・・・。そういうことはよくあるんですか?」それを聞くと、明代さんは両腕を組み、うーんと考えた後、「あんまりないねえ。通りすがりに見ていく奴はいるけど、ここをまじまじ見ていく奴は稀だ。やっぱ七海預けてるから心配かい?」私ははい、と答えると、明代さんは私の左肩をぽんと叩き、「大丈夫だ。心配するな。私がしっかり見ててあげるからよ。」そう言ってニコッと笑った。

[8]

「毎度。ありがとうございました。また御待ちしてます。」いつも来てくれる近所の保険会社に勤める3人組のサラリーマンのお客さんが帰っていく。そして交互に新しいお客さんが2名。

「いらっしゃいませ。すぐご案内しますね。少々お待ち下さい。」昼食の時間帯は、めまいがするほど忙しい。後、30分くらいは続くだろう。有難いことだ。外は今日も晴天で暑い。雨の日と比べると客足は雲泥の差だ。

しばらくして、先程までのあわただしさからうって変わった様に店内は静かになった。相変わらず、外からはギラギラと照り付ける太陽によって生まれる熱気がドアが開く度に、店内に入り込んでくる。そういえば、あの日もこんな天気だったな。

もう大分前のことになってしまった。父と無言の再会となったあの日。墓石には父の名前。知人から連絡をもらったときはまだ信じられなかった。ただただ、嘘であってほしい。しかし墓石に刻まれた父の名前があった。その時はまだ現実を受け入れることが出来なかった。あの場にどのくらいの時間いたのだろう。ただ父の名前をじっと見ていた。気が付くと、涙が頬を伝った。それをかわきりに、次から次へと、ダムが決壊したかの如く、涙が溢れ出てきた。後悔と自責の念が心の中全体に押し寄せてきた。もう父には会うことが出来ない。謝ることも、一緒に笑い合うことも出来ない。全ては私のせいだった。強がって家を出た時はそんな感情はなかった。でも、時が経つにつれて、どんどん両親への申し訳ない気持ちが沸き上がってきた。どれくらいお墓の前にいただろうか。私は立ち上がり、父の名前をしっかり目に焼き付け、涙を拭った。そして、父に一礼してお墓を後にした。

あれから5年程経つな。2人の前から姿を消してから産まれた優一も、もう17歳か。時の流れの早さを感じる。父と母にとって唯一の孫。彼には数日前、2人の存在の話をした。話すべきか少し躊躇したが、やはり話すべきだと思った。

優一は初めは驚いていた。そんな話は今までしたことがなかった。優一からも聞かれたことはなかった。心の中では気になってはいたんだろうけど。あの子は無口なくせに、色々考える子だから。でも、その2日後に自分からジムに行ったと聞かされた時は少し驚いた。何しに行ったのか聞いても、どんな人か見てみたかったとしか言わなかった。ただジムから少し離れた所で様子を見ていただけだと。それだけでいいのだろうか?話したりしたくはないのかな?もし、孫だと告げて、家族としてつきあっていきたいと思っているのなら・・・。

ガラガラ。店のドアが開く。

「いらっしゃ、あ、優一。」額に若干の汗をかき、優一が帰って来た。

「おかえり。暑かったでしょ?」うんと言いながら、鞄を置き、うでまくりをして流しへと移動してきた。いつも学校から帰ると、店を手伝ってくれる。友達と遊んでくればいいのにと思う時もあるけど、物静かな性格だし、そういうのはあまり好きではないのだろう。別に友達がいないというよりはことはないのだろう。たまにここに友達を連れてくる。でも、大勢でわいわい遊ぶのはあまり好きなタイプではない。

黙々と皿洗いをする優一は、段々父親に似てきた。優一の父親で、私の夫の信一は5年前、他界した。膵臓癌で、病気が見つかった時には末期で、もう手遅れだった。優一が小学校6年生で私が31歳。あれからもう5年か。父の他界した時期と近かったこともあり、けっこう精神的に辛かった。でも優一もいるし、私がしっかりしなきゃと強気で乗り越えた。散々泣いていた小学生の優一も、今は高校2年生で、私は信一の年を越えた。5年間、優一にとっての家族は私だけだった。祖父と祖母の話を聞いて、優一は何を考えたんだろう。初めて聞く、私以外の家族の話を聞いて。

「優一、ちょっと。」皿洗いも一段落付いたタイミングで、優一を呼んだ。オレンジ色の夕焼けの光が射し込む店のテーブルに腰掛けた。優一も手を拭き、私の前に腰掛けた。

「ねえ、あれからおばあちゃんのジムには行った?」何となく聞いてみた。すると、少しの間をおいて、うん、とだけ呟いた。斜め下を向いて、若干申し訳なさそうに。私は特に責める気はなかった。この子はこの子なりに何か心に思うところがあるのだろう。

「そうか・・・。別にいいんだよ。実の家族を見たいっていうのは悪いことじゃない。私はただ、、、優一がどうしたいかが知りたいんだ。孫だと打ち明けて、家族としてつきあっていきたいのか・・・。」そこまで言うと急に優一が、私の話を寸断し、「違うよ、違う。ただ・・・、ただちょっと見てみたかっただけ。」大きな声でそう答えた。

「そうか。ごめん。わかった。」自然と「ごめん」という言葉が出た。どういう意味のごめんなのだろう。自分でもはっきりわからない。急にこんなことを聞いてのごめんなのか。血の繋がった家族がいることを長い間黙っていたことへのごめんなのか。母との今のこの状況をつくってしまったことへのごめんなのか。優一はどのように受け止めたのだろうか。

「ちょっと部屋行ってくる。」そう言って2階の自室へと上がって行った。おそらく自分でもどうしていきたいか決まっていないのだろう。まだ母の存在を話してから数日だ。あの子なりに色々考えているのか。

あの子に対しての罪悪感は前からずっと抱き続けてきた。両親とだけの生活より、近くに祖父、祖母という存在がいた方が、楽しかったんじゃないか。19であの子を身籠り、父に大目玉をくらって家を出ていなかったらどうなっていたんだろう。あの時はとっくに反抗期は終わっていたのに、なんだかむきになってしまって、そのまま家を出て、信一の家で過ごすようになった。信一は許しをもらおうと言ったか、私は拒み続けた。もしあの時、私が考えを改めていたら。そして父が許してくれて、今と全く違う生活をしていたら・・・。

自然と首を大きく振りながら立ち上がった。今さら過ぎたことを考えても仕方ない。家を出てから私と信一はがむしゃらに働いた。何とか店を軌道に載せ、生活を楽にするために。子育てと店。遊んでる暇は全くなかった。本当によく働いたな。時折信一は私の前で涙を流した。ごめん、ごめんと何度も言った。その度に私は、謝らないで。今幸せよと、彼に伝えた。本心だった。最高に優しい彼と、可愛い息子に囲まれて、こんな幸せはないと思った。優雅に生活して、遊んで、贅沢をするだけが幸せじゃない。幸せの指標は自分の心の中にあると私は思っている。彼が私の心情をくみ取ってくれていたかは今となっては確かめようがないのだけど。そうしてきたことで、生活は何とかやっていけるようになったが、あの子には寂しい思いも何度もさせたと思う。愛情は注いできたつもりだけど、忙しい日々のなかで寂しい思いはきっと沢山させた。父と母がいたらそんな思いはさせただろうか?静まりかえった店内でそんなことを1人で考えた。

[9]

1週間ぶりだ。またここへ来てしまった。毎回体調が悪いと嘘をついて、学校を早退してまで来てしまう。ボクシングジムから数十メートル離れた少し高台のこの場所に。何だか馴染みが出てきたのは、何回か来ていて、それが長時間だからだろう。

何度かすぐ近くの販売機の所に行って見ていたけど、人通りがあるし、流石にあやしまれると思う。今日はあの人の姿はない。あの・・・人。僕の、おばあちゃん。まだ実感が湧かない。そりゃそうだよな。少し前にお母さんから告げられて、こうして姿だけ見ていても話したこともないし。今までここで見てきて、けっこう元気で、気の強そうな人だというのはわかった。いつも、大きな声で指導している。でも怒鳴り散らしたりしているわけじゃなく、嫌な感じは受けない。それに、いつも何人かの小学生達が楽しそうに遊んでいる。何故だかはわからないけど、ちょくちょくあの人は笑顔で話し掛けてる。僕のおばあちゃんは優しい人なのだろうか。そして・・・、あの子は誰なんだ?あの女の子。まだ2歳か3歳なんじゃないのだろうか?いつもいて、あの人の友達みたいな人達や、練習している人達に世話してもらっている。誰かの子供かな?お母さんは1人っ子みたいだから僕の従兄弟ではないはずだ。

ここに来てあのジムを見ていると、あの中の事が気になる。僕のおばあちゃんはどんな人で、どういう雰囲気の中で周りの人と、時を過ごしているのか?色々気になるけど、結局は僕のおばあちゃんがどんな人なのか、1番はそこが気になるんだろうな。

今日はあの人がまだ帰って来てないみたいだから、もう少し見てから帰ろう。そう思った、その時だった。

「おい、何してんだい?」その声がした瞬間、首に強い力を感じた。あっという間に後方へ引っ張られた。

「うわっ。」気が付くと、天を見上げて、倒れていた。目の前に晴天の青空が広がり、青空と僕の間に、ゆっくりと1人の人物の顔が現れた。あの・・・人・・・お、おばあちゃんだ。

「何してんだい?あんた誰だ?」いつの間にか僕に馬乗りで乗っかりながらそう言った。そしてすぐ僕の襟首を掴んだまま立ち上がり、僕も強引に立たされた。どうしよう。何て言えば良いのだろうか。自分が誰か正直に言うべきなのだろうか。頭がパニック状態だ。何にも思い付かない。どうしよう。心臓がバクバクしているのがしっかり分かる。おどおどしていると、また引っ張られた。

「ちょっとこっち来な。」そう言って歩きだした。今質問したのに、答えは求めてないのか?

「入んな。」そう言って、ジムの戸を明け、中に入っていく。襟首は掴んだままだから、入れと指示したけど、僕に行動の選択肢は無い。

そしてソファーに強引に座らされた。ジムの中の人達は何事かという表情でみんなこっちを見てくる。いつも少し離れて見ていた風景の中に急に入り込んだ。何か不思議な感じがする。おばあちゃんは僕の前に立ち、見下ろしながら話し出した。

「あんたか?最近春夫の奴が言ってたあやしい奴ってのは?」そういきなり切り出した。誰かに見られていたんだろう。確かにあやしいと思う。

「あんた、何者だい?何でこそこそここを監視してんだよ?」腕を組み、睨みながらそう聞いてきた。実の祖母に何者だと聞かれるとは。なかなかあることではないだろうな。どうしよう。さっきよりは大分落ち着いてきたがまだ若干困惑している。

「別に・・・名乗るほどの者ではありません。」思わずそんな言葉が出た。すると、おばあちゃんは立ち上がり、僕の前に来て、襟首を掴み、顔を僕の目の前まで持ってきた。今日はよく首回りを掴まれる。

「おい、おい、おい。あんたが名乗らないと、こっちがよくないんだよ。誰だか知らねー奴に、ジムの中じろじろ見られるのはあんまり気分の良いもんじゃないからね。」そう言って首から手を離した。誰だか知らないか。・・・、孫なんだけどな。そう心の中で思いながら、何て答えようか考えた。名字を言ったら分かってしまうのかな。おばあちゃんはお父さんの名字は知っているのだろうか。だとしたら、僕が孫ということが分かってしまうかもしれない。どうしよう。何て答えればいいのだろうか?

「何で答えないんだよ。早く答えな。」恐い顔で急かしてくる。

「ゆ、優一です。」おもわずそう答えた。

「優一か。上は?名字は何て言うんだ?」そうだよな。やっぱ聞かれるよな。でも・・・、そんなことを考えながら出た返事が、「優一で、、、す。」仮の名字を名乗ればこの場を凌げたかもしれないけど、何も思い付かない。それを聞いて、おばあちゃんは僕の顔の前に、自分の顔を近付け、「それだけかい?」と、ぼそっと言った。このまま問い詰められるのだろうか。おばあちゃんの鋭い目を見ていると、ますます同様してしまう。しかし、意外にもそれほど問い詰めてはこなかった。

「まあいいや。優一って言うのか。はいよ。お前さ、学校は?」と聞いてきた。

「少し、早めに学校切り上げて見に来てました。」ここは素直に答えた。

「ふーん。そうかい。で、目的は?」目的?・・・まあそうか。それは聞かれるよな。それが1番聞きたいことだよな。どうしよう。どうしよう。

「えーと・・・。目的は特にありません。ただ、ボクシングジムってどういう感じなんだろうっていう好奇心で見に来てました。本当それだけです。すみません。」何とかそう言葉を絞り出した。するとおばあちゃんは、両腕を組みながら、

「ほおー。そうか。ボクシングを始めたいってことだね。」真剣な顔で、そう答え、2、3度頷いた。ちょ、ちょ、ちょ、え、何でそうとらえる。冗談じゃないよ。僕はボクシングに興味はないよ。お母さんからおばあちゃんと亡くなったおじいちゃんの話は聞いたことがある。何かのチャンピオンだったおじいちゃんと、ボクシングジムを経営しているおばあちゃん。その血を引く僕なら、ボクシングに興味を持ちそうだけど、そんな気持ちは一切無い。テレビで格闘技を見ても興味も何も湧かない。

「すみません。すみません。そういうことではないんです。」慌てて何とかそう答えた。

「何でだよ?今好奇心でボクシングジム見に来たって言ったろ?」腑に落ちないと言った表情で頭上高く、僕に強い言葉を落とし込んでくる。ジムにいる人達はチラチラ僕たちのやり取りを伺い、見てくるのがわかる。さあ、どうすればいい?どう乗り切ろう?無事帰れるのかな?ソファーの横に寝そべっている犬が大きくあくびをした。今、この場であくびが出来るこの犬を羨ましいと思った。人生で犬を羨むのは初めてのことだろう。

「ちょっとどういう所か、見てみたかっただけなんです。やりたいとかじゃなくて、ええと、ちょっと上手く説明出来ないんですけど。」体の所々から汗が滲み出てくるのが分かる。

「おい。」急にまた僕の襟首を掴み、おばあちゃんは顔を近付けた。

「あんた、本当にそれだけの理由何だろうね?」そう言うと、ぐっと、手に力が入れられた。

「・・・、はい。ほ、本当です。」そう返すと、力の入った手から、解放された。

「よーし、わかった。あんた、学校が終わってからここのジムを見学してたってことは、その時間は暇なのか?それとも時間があるときだけ来てたのかい?」とおばあちゃんは僕の学校が終わってからのことを聞いてきた。何でだろうか。

「・・・、毎日時間があるわけではないのですが、特に部活とかをしているわけではないので、けっこう時間はあります。」訳もわからずそう答えた。

「そうか。じゃあ、学校終わってからここへ来な。何か用事あるときはいいからさ。」そう軽い口調で言った。え、どういうこと?何も理解出来ず、目を開き返事もしないままおばあちゃんの顔を見た。おばあちゃんは直ぐ話を続けた。

「何不思議そうな顔で見てんだい。学校終わって時間があるんならここへ来いって言ってるだけだろ。」言ってるだけって、何も理解出来ない。さっき、ボクシングしようという気持ちはないと伝えたはずだけど、何をしにここへ来いっていうんだ。まさか強引にボクシングを教えられるのか?

それから数秒して、僕の気持ちを見透かしたかの様に、おばあちゃんは話を続けた。

「あんた、ここへ呼ばれて何されるかって今考えてんだろ?」その通りですと心の中で呟いた。

「心配するんじゃないよ。へんなことをさせるために来いって言ってるんじゃないよ。」じゃあ、何のために?さっきまで怪しんでいた存在にここに来るようにと言い出したおばあちゃんの考えが全く理解出来ない。安心していいのか、それともそうではないのか。見当が付かないまま、さっきから今まで感じたことのない空気の中で、時間だけが過ぎていた。そしておばあちゃんは何事もない用な軽い感じで言葉を繋いだ。

「ここへ来て、子守の手伝いだ。ほら、この子だ。七海。3歳だ。可愛いだろ。」

「子守・・・、ですか。」そう言うしか言葉が出てこなかった。

「そうだよ。色々あって日中この子預かってんだ。私や、ツレ達で見てんだけど、手薄になるときもあっからあんた居てくれれば、都合がいい。給料払う余裕はねえけど、そのうち飯でもご馳走してやっからよ。七海。このお兄ちゃん、手伝いに来てくれるってさ。」そう言って女の子の頭を撫でた。

「さあ、挨拶しな。七海。」

「こんにちわ。」女の子は笑顔でそう言ってきた。

「こんにちわ。」僕はそう言った後、もう決まったかの様に話すおばあちゃんに、気になることを聞いてみた。

「あのー。ちょっと待って下さい。信じて、だ、大丈夫なんですか?」

「は?何を?」

「さっき会ったばかりなのに、こ、こんな小さなお嬢さんのお世話を僕にさせるって。僕がどん、、、な人間か、まだわからないと思うんですけど。」と上手く言葉も出ない中で、控え目に聞いてみた。当然の質問だ。どう考えてもまだ怪しまれていると思っていた。いや、まだ怪しんでいるかもしれない。おばあちゃんには何かあっての考えなのだろうか。すると、直ぐに返事が返ってきた。

「確かにさっき会ったばかりで、どこの馬の骨ともわかんないガキんちょだが、まあ悪いやつには見えねえ。こちとら伊達に長い間人間やってきた訳じゃねえからよ、少しぐらいは人を見る目くらい養われてるよ。大丈夫だな。ということでよろしく。」とさらっと言われた。どうやら決定事項らしい。

「よ、よろしくお願いします。」と言うしかなかった。

[10]

「おいおい、お前たち、もっと動くんだよ。前後左右に。龍二、ボディから上への返しの後は直ぐに立ち位置変えるか、連打かだよ。めちゃくちゃ接近してんだからつった立ってんじゃないよ。スパーリングと思わず、試合だと思ってやるんだよ。もうじき試合なんだよ。わかってんのかい?」

「・・・はい。」ビーーー。

「はーい、終了。龍二、1ラウンド後にミットだ。準備しな。」今日も相変わらず明代さんの元気のいい声がジムに響き渡っている。今日は俺を入れて5人か。今日も何人か小学生のガキんちょが遊んでるけど、いつもの風景だ。全く気にならない。ちょっと前から来ている女の子もなんだか大分ここが慣れてきた様だな。いつも元気に挨拶してくるけど、俺は素っ気ない返事しか返さない。あまり和気あいあいってのが得意じゃない。それでもいつも変わらず挨拶してきやがる。俺は、ああっていう返事しかしないからいつも明代さんに注意を受ける。俺が笑顔で挨拶交わすキャラでもないって明代さんもわかってんだろうけど、いつも口うるさいんだよな。まあいいか。

そして、もう1人。あいつは誰なんだ?ここ2、3日いつも来てるあの男。信濃西高校の制服着ていつもここへ来ているから勿論高校生なのだろう。ジムのこと色々手伝って、手際よく掃除して、あの女の子の面倒見てやがる。で、暇な時は、じろじろジムの中見回したり、じーっと明代さん見たりしている。何か変な奴だな。全然、ボクシングやる支度せず、ずっと制服でいるから選手希望や、練習生としてここへ来てるわけでもなさそうだ。明代さんが雇った手伝い人か?高校生を?その可能性は低いか。じゃあ、ただのボクシングマニアか、明代さんの知り合い?孫?でも孫がいるなんて聞いたことないな。それどころか子供いるってのも聞いたことないぞ。一体誰だ?あいつは。

「おい、龍二。何ボーっとしてんだよ。早くリング上がりな。」

「・・・はい。」まあどうでもいいか。集中しなきゃな。


ビーー。

「はい、オッケー。さっきはボーっとしてたけどなかなかいい出来じゃないか。きれてるよ。」

「はい。どーも。」珍しく明代さんから誉められた。コンディションは良い感じなのかもな。この調子で試合まで行ければいいんだけど。

ガラガラガラ。インターバル中に窓が開く音と共に、嫌な顔が俺の目に入った。

「おー、若人達よ。本日も頑張ってらっしゃるのー。」窓の縁に両肘を突き、上から目線でそう言うと、ニヤニヤしながらジムの中を見回した。

「おい、春夫。何の用事だい?今練習で忙しいんだよ。」明代さんが本当に迷惑そうな顔で言うと、「別によろしいじゃあ、ありませんか。皆さんの調子を見てあげてんだよ。」

「やかましいわ。素人が見たって分かるもんじゃないんだよ。早く帰んな。ボケジジイ。」相変わらず明代さんは口調がキツいな。今に始まったことじゃないけど。知り合った時からこうだ。俺が産まれる前からそうなんだろう。俺や、周りの人間は慣れっこだけど、初めて会う人はちょっと引いてしまう奴もいるかもな。そしてこのおっさんもその慣れっこの内の1人だ。幼なじみみたいだから、俺なんかよりも付き合いはずっと長い。まだ帰ろうとせずに、またジムの中をじろじろ見てる。またいつものセリフを言うんだろうな。

「あ、あー、まだいる。まだいやがる。人殺しの息子。このやろう。まだいやがったか。・・・、ん、あー、この前の不審者のガキ。何してやがる。このやろー。」やっぱりだ。また言ってくれたよ。もう何度言われているんだろう。・・・人殺しの息子かぁ。まぁその通りなんだけど。このおっさんもその事はわかってんだな。別にいいや。何とでも言ってくれれば。

「コラー、春夫。いつもいつも、余計なことばかりぬかしやがって、うるさいんだよ。帰んな。」またこのやり取りだ。毎回これやってんだけど、おっさんは直ぐに忘れちまうんだろうな。仕方ないことなんだろうけど。ここに来なければ、それにこしたことはないんだけど、何かいつも来るんだよな。ここは人が集まる。あの人もその内の1人ってことか。というか、あいつ。何だ?不審者って?あいつのことか?あのおっさんの目線の方向からして、不審者呼ばわりしてたのはあいつのことだろう。あいつは何者何だ?というかおっさんの声聞いてから、向こうも俺のことじろじろ見てやがる。そうか。そうだよな。不審者呼ばわりされるよりも、人殺しの息子って呼ばれる方が、よっぽど疑問に感じるだろう。

俺が数秒あいつの顔を見ると目があった。その瞬間、俺から目を背けた。そして掃除用具を持ち、トイレへ入っていった。いつも掃除をしたり、あの女の子の世話をしたり、明代さんがそうさせてるだろうけど、あいつは何がしたいんだ。

[11]

ここに来るようになって早くも1週間が過ぎようとしている。大分ここの雰囲気にも慣れてきた。初日や2日目なんて、何をどうしていいか全く分からず、あたふたしていたら、おばあちゃんに、「ボランティアなんだから、適当に掃除やったり、七海の世話してりゃいい。」とか、「ゆっくり休んでてもいいぞ。」とか言われて少し気が楽になった。というか、別にここに来なくてもいいわけだけど、毎日来てしまうのは、やはりおばあちゃんの存在がそうさせているんだろう。まだ不思議な感じだ。僕は孫という立場でおばあちゃんを認識していて、おばあちゃんは僕の存在を孫として認識していないだろう。

「ねえ、お兄ちゃん。遊ぼうよ。」

「え、ああそうだね七海ちゃん。何して遊ぶ?」

「これ読んでー。」そう言って絵本を僕に手渡してきた。七海ちゃんも大分僕に慣れてきてくれた。最初は全く近づこうともしてくれなかったし、僕も子供の世話というものが、何をしていいか全然わからなかった。といってもまだここへ来て1週間だ。七海ちゃんが話し掛けてきてくれたのは一昨日くらいからだけど。

ジャー。トイレの水が流れる音がして、トイレのドアが開き、選手が1人出てきた。額からじんわりと汗を流し、ゆっくりとした歩調で進み、フーっと1つ息を吐いた。チラッとこちらを見てきて、一瞬目があい、僕はとっさに視線を反らした。鋭い眼光だ。サバンナでの弱肉強食関係にある、獲物を捕獲して、食する強き動物と、悲しいかなその動物に食べられ、命朽ち果てる動物の映像を思い出した。昔テレビで見た映像だ。ここへ来てまだ僅かだけど、彼の印象は僕の心の中で直ぐに強いものになって刻まれていた。存在感が強すぎる。外見の怖さもだけど、何か周りの人とは違う、異質なものを感じずにはいられなかった。目があったことなど、気にする素振りも見せず、ビーという、ラウンド開始の音が鳴ると同時に、彼はサンドバッグを叩き出した。いつも見入ってしまう。練習中の彼は集中していて、まず目が合うことはないので、じーっと見ても大丈夫という自己判断が僕の中にあった。万が一目が合ったら当然反射的に僕は目を反らすだろう。彼が力強くパンチを打ち込み、サンドバッグがグラングランと、上下左右に音をたてて揺れる。「すごいな。」僕とは正反対な雰囲気と力強さを持ち合わせた彼を見て、小さく呟いた。ここへ来て、幾度となく自然に出てしまう言葉だ。

「今日も迫力満点の練習してるね。龍二は。」彼の姿を見て微笑みながら良恵さんがそう言った。どっこいしょと小さく呟き、ゆっくりした歩調で本棚の絵本を取りに行く。この1週間で何度も見た。人差し指で並べられている絵本のタイトルをなぞり、今日読む本を、笑顔で選んでいる。あまり、こういう場所で絵本が並べられている本棚って似つかわしくない気がする。小学生が幾人かいつもいるからその為だろう。絵本の状態を見ると、どれも年期が入っている。おそらく、大分前からここに置かれているんじゃないかな。

「さあ、七海。今日はこの本にしよう。」絵本を選び、七海ちゃんの元へ移動し、膝に彼女を乗せ、慣れた口調で読み出した。七海ちゃんも絵本に興味津々といった感じで、じっと見ている。本棚にしてもそうだけど、こういう場所で小さな女の子が年配の女性に絵本を読んでもらっている風景も似つかわしくないのだろう。そしていつもいる小学生の男の子達。練習している人達は慣れた感じで、気にすることなく過ごしているけど。誰でも構わずこの場所を提供しているのだろうか?おばあちゃんの意思でそうしているのだろうか?ここ数日で感じたおばあちゃんの人柄だと、そういうことなのかなと思わせる。今現在の世の中とは少し違った雰囲気を漂わせる場所だ。ストイックに競技に打ち込む男の人達の横で、下校後の時間を過ごしに来る小学生や、母親が帰ってくるまで生活している少女と、その世話をする年配の女性達。いや、時代を比べるとすれば、昔も今も、あまりこういう所は無いんじゃないだろうか。おばあちゃんって人間的にはどんな人なんだろう。ここへ来て1週間か。まだまだわかんないな。あと、まだ気になることはある。あの龍二というボクサーの人はどんな人なんだろう。この前、僕が春夫さんという人に、あやしい奴呼ばわりされてる時に言われていた〈人殺しの息子〉。あれはどんな意味なんだろう。本当だとしたらあの人の親は人殺し。勿論、僕には関係ないことで、詮索する権利などない。でも日常であまり聞かないフレーズで、どうにも気になってしまう。

「さあ、七海。終わったよ。面白いお話だったね。」良恵さんが絵本を読み終わった。ゆっくり立ち上がり、本棚に本を返して、お茶を飲みながら一息ついている。七海ちゃんはその横で落書きノートに絵を描き出した。いつもこういう風に絵を描いたり、積木で1人遊びをしたり、愛犬のアリと遊んだりしている。周りにいる良恵さんたちはその合間を見て、絵本を読んだり、外に散歩に行ったりして面倒を見ている。今の時代では珍しい子育てなのではと思う。ゲーム機で遊ばせたり、動画を見せて楽をしながらの子育てではない。好感の持てる光景だと思うけど、明代さんや、良恵さん達の年代からすると、そういう接し方になるんだろうな。

「あの・・・、良恵さん。」やはり気になる。ふと、良恵さんに聞いてみようと思った。僕にはやはり関係の無い事なんだけど、ここにいる人たちと、同じ場所で、同じ時を過ごす者として、聞いてもいいのではないか。椅子に座って練習している様子を見ていた良恵さんは、急に声を掛けられ少し驚いた顔をしてこちらを見た。僕は口数があまり多くないし、こちらから話し掛けたことが、おそらく意外なのだろう。

「・・・、どうしたんだい?優一君。」話し掛ける前よりも大きな目になっている良恵さんは立っている僕を見上げ、そう聞いてきた。僕は、良恵さんの座っている直ぐ横に椅子を持っていき、座った。あまり、大きな声では聞けない質問だ。

「どうしたの?何か大事な話?」何を聞かれるんだろうという、その表情から不安そうな感じも受けるし、好奇心を持って耳を傾けているようにも見える。僕は軽く深呼吸をして、両手を組み、少し猫背になって良恵さんに近づき、小さな声で話し始めた。

「ちょっと聞きたいんですが・・・、ええと、春夫さんという方が前に口にしていたことなんですけど。」

「ん、春夫?春夫がどうしたんだい?」想像していたこととは違うことだったのか、少し拍子抜けしたような返答の仕方だ。

「いや、春夫さんという方のことじゃないんです。この前、ジムの窓で、僕と、あの・・・、あそこの龍二さんという方に発した言葉が気になっていて。」サンドバッグを叩く、龍二さんに聞こえない様に、声のボリュームに気を付けながら慎重に聞いた。良恵さんが大きな声で返事をしたらヤバイということが頭をよぎり、焦りが生じたが、良恵さんは察してくれたのだろう。小さな声に切り替え、言葉を返してくれた。

「ああ、ちょっと前にあのボケジジイの春夫が何か言ってたね。」良恵さんはしかめっ面した表情でそう返した。明代さんや良恵さんは春夫さんと昔からの付き合いみたいだけど、今はけっこう迷惑被っているのだろうな。お茶を一口飲んでから、話の続きを促した。

「で、何て言ってたんだっけね?言われた事が気になるのかい?」そう聞かれ、再び声のボリュームに気を付けて、次の言葉を発した。チラッと彼の方を見た。変わらず激しい音をたててサンドバッグを揺らしている。この音が貴重で頼もしく感じる。

「・・・、そうですね。あのー、僕は怪しい奴みたいにいわれて、んー、別にそれはいいんですけど、あそこで練習している方・・・。」僕の言葉を聞き、良恵さんは彼の方に目線を移し、「ああ、龍二かい?あいつがどうしたんだ?」そう言って、手にしているお茶を一口啜った。

「あの・・・、おそらく聞き間違いではないと思うんですけど、春夫さんは彼のことを、その・・・、人殺しの息子って言ってた様な気がするんですけど、どういうことなのかなと思いまして。」僕がそう聞くと、良恵さんは数秒間、表情の動きを止めて、こちらをじっと見つめた。その後、ニコッと笑い、

「まあ・・・、ね。」そう言ってふうーっとため息をつき、ゆっくりした口調で、

「人生色々よ。色んな事がおこるのよ。」それだけ言った後、立ち上がり、ジムの外へ出ていき、ハマギクの花壇に水をあげている。その姿を見ながら、これ以上は聞かない方がいいなと思った。

[12]

今日は久しぶりに豪華な夕飯にしようかな。そう昼休憩の時に何となく思いつき、帰り道スーパーに立ち寄った。

すき焼きにしよう。七海もきっと喜ぶはずだ。豪華と言っても2人だけだし、まだ七海はそんなにガツガツ食べれる訳じゃないから、量も少しでいい。家計にはあまり支障無いから助かる。

肉や野菜を選んだ後、七海のジュースを選ぶ。あの子は断然オレンジジュースが好きだ。籠にジュースを入れ、アルコールコーナーへ。久しぶりにビールでも飲んでみようという気になった。豪華な食事にビールか。別に何か特別良いことがあったわけではないけど、何となく今日は豪勢にいきたい気分だ。まあ、体調とか、気分とか色々なものがそういう気持ちにさせるのかな。そんなことを考えながら支払いを済ませ、スーパーを出て、ジムへ向かう。途中の道では数人のお年寄りと、1組の小学生とすれ違った。少し歩いて出会う人を見ると、何だか今の時代の少子高齢化を表している日本の問題の数字の指標の図式を感じる。ここ南信州もそういった問題を抱えてるんだなと何となく思う。こういった田舎は特に過疎化が進んで、都市部よりも深刻な事情を抱えているのだろうな。ふとそんなことを考えて、あ、いけないと思う。今日は気分が良く、夜は豪華な夕飯を準備するのに、難しいことを考えてはせっかくの楽しさに水を指す。って何か1人で色々思っている。ニヤニヤしてしまう。

ジムの建物が見えてきた。今日も迫力ある音が聞こえる。ここは活気が失くなっていく地域とは真逆の雰囲気を醸し出している。こういう所はどこもそうだとは思うけど、近付くと何か一段と元気を貰える気がする。

ふと歩く足を止めた。ジムから少し離れた所、ほんの数十メートルの所で、身を隠す様に、1人の女性が、じっとジムを見ている。どう見ても怪しいけど、そんな辺な人という訳ではない。何をしてるんだろう。練習に来ている人の保護者とかかな。いや、だったら何もこんなところで覗いてないで、中に入ればいい。

「あの・・・。」私が声をかけた瞬間、パッとこちらを振り返り、驚いた表情を見せた。可愛らしい顔の人だ。年は私と同じくらいか、やや上かな。こそこそ覗きをするような感じの人ではないけど。驚いた表情のまま、何か言おうとしている。

「い、いや、別に・・・、失礼します。」そう言って立ち去ろうとした。

「あの、ちょっと。」私がそう言葉を発したとき、彼女の姿は、もう曲がり角を曲がるところだった。


「行って来ました。」いつものようにジムへ入ると、七海は

「ママ~、お帰りなさ~い。」と良恵さんの膝の上から私を歓迎してくれている。ジムのスリッパに履き替え、中へと進む。練習している人達の邪魔になら無いように、端を歩くと、「お疲れ様です」とか「こんばんは」といった元気の良い挨拶で迎えられる。礼儀作法を重んじる明代さんに皆教育されているのか、いつもしっかり挨拶してくれる。龍二くんは軽く会釈してくれるだけだけど、クールな感じの子だから周りとは少し違う感じになるのだろう。「どーも、こんばんは」と何度かお辞儀をしながら七海のところへ行くと、いつものように飛び付いて来た。

「お帰りママ。」

「ただいま。本読んでもらってたのね。良恵さん、ありがとうございます。」どっこいしょと言いながらゆっくり立ち上がり、「お帰り梢。今日も七海は良い子だったよ。本を読んでいると、これは何?とか、どーしてとか色々聞いてくる様になってね。大分慣性が豊かになってきているよ。成長してるね、七海は。」と嬉しそうに七海の変化をよく教えてくれる。子供好きなことは、すごくわかる。でもそれ以上に良恵さんや明代さんは七海を本当の孫の様に可愛がってくれる。ここに来ている小学生達もそうなんだろう。私みたいに、時間になると保護者の人達が迎えに来る。ここへ来てから何人かの保護者の人と世間話程度だが会話するくらいの間柄になった。明代さんは私と同じように、それぞれ気軽にいつも話している。きっとみなさん、助かっているはずだ。

「おーい、梢。お帰り。」そこへ明代さんがやって来た。

「行って来ました。今日もありがとうございます。」明代さんは私が手にしているスーパーの袋を見て、ニコッとした表情で七海を抱え上げながら、

「お、七海。今日は豪華な夕飯じゃないかな。沢山色々入ってるぞ。」と、優しく七海に呟いた。

「はい。そうなんです。たまにはいいかなと思って奮発してみました。七海今日はすき焼きよ。オレンジジュースもあるからね。」そう私が言うと、七海は満面の笑みを作り、明代さんの体にぎゅーっと抱き付いて、「やったー。すき焼き、すき焼きー。」と喜んでいる。確か、すき焼きを七海は食べたことがないはずだけど、私と明代さんの会話を聞いて、何か美味しい料理だと思っているんだろう。

「何かめでたいことでもあったのかい?」そう明代さんは聞いてきた。いつもよりも大分豪華な夕飯の具材を買ってくればそう思われるだろうな。

「いえ、特にそういう訳ではないんですけど、何となく思い付いて。」

「そうかい。そうかい。いいじゃないか。たまには贅沢しないとな。」明代さんと話していると、ふと今さっき見た女性のことが頭をよぎった。

「あの、明代さん。私がジムについたとき、覗いている女性がいたんですけど。」そう言うと、心当たりがないのか、

「覗いてた?ここを?どんな物好きなんだい。どんな奴だ?入門したい奴かな?」あまり関心はなさそうだ。七海を抱っこして、頭を撫でながら話している。

「入門とか、そういう感じではないと思いますよ。女性で、年齢は私と同じくらいか、少し上だと思います。可愛らしい人でした。どうですか?心当たりあります?」明代さんはふふっと笑った。

「何か、優一といい、そいつといい、ここは人気の覗きスポットなのかね。特に覗いて楽しい場所じゃないと思うんだけど、なあ七海。あ、心当たりか。ないない。まあ、何か用がありゃそのうち訪ねて来るだろ。」と、他人事の様に話すその表情は、いつも通りの小さなことは気にしない明代さんらしい。

話も一段落ついたところで、ジムを後にした。さあ、楽しい夕飯だ。七海も楽しみらしく、笑顔で、すき焼きーと連呼している。今日も生かされた、充実した1日が終わろうとしていた。

[13]

ここへ来て、2週間目に入ろうとしていた。今日はテスト期間中で学校が半日だから早めにジムに来た。クラスの友達に喫茶店でお茶でもどうと言われたけど、用事があると断った。やっぱり来てしまう。別に来なくても何も言われることはないと思うけど。ジムが見えてきた。まだ距離はあるけど、勢いのある音が聞こえてくる。あ、と思う。こんなにいい音をさせるのは彼だ。案の定曲がり角を曲がってジムが見える位置まで来ると、窓際のサンドバッグの横に見えるコントラストは彼だった。龍二さんだ。

こんにちわ。そう言って中へ入る。練習生の人達はお願いしますという大きな声で入ってこないと、明代さんに叱られる。でも僕はお手伝いだからいつもこう言って入ってくる。僕の挨拶に特に反応することなく、彼は黙々とサンドバッグを叩いている。やはり迫力満点だな。

「あ、お兄ちゃん。こんにちわ。」七海ちゃんがジムの奥からそう声を掛けてきた。1人で絵本を読んでいたみたいだった。「こんにちは。あれ、今日は1人で遊んでたの?」そう聞くと、少し小さな声で、うんと返してきた。

「おばちゃんすぐ帰って来るって言ってどこか行っちゃった。」きっと買い物とかのちょっとした用事だろう。

「そうか。じゃあお兄ちゃんが絵本読んであげるよ。」椅子に座っている七海ちゃんの前で、絵本を読み出す。僕は照れ屋な性格だから明代さんや、良恵さんがいるときは絵本を読んだことがない。でも今日はジムにいたのは七海ちゃんと龍二さんだけだ。それに龍二さんは練習に集中しているだろうからこちらのことを気にすることはないだろう。

絵本を読んでいると、七海ちゃんは椅子から降りて、マットに座った。椅子よりも座りやすいんだろうな。

絵本を読み続けて、ふと七海ちゃんを見ると、横になっていた。毛布を被ってこちらを見ている。さっきまでの縦でこちらを見ていた顔が横になっても相変わらず可愛い顔にはかわりない。ニコニコしてこちらを見てくれている。ん、何だろう。なんだか違和感が僕の心に生じた。何だろう。絵本を読んでいた僕の口の動きが自然に止まった。一旦読むのを止め、七海ちゃんに近づいた。よく見てみると、呼吸が荒い。顔も赤くなっている。

「ねえ、七海ちゃん。大丈夫?」そう言うと、七海ちゃんは「ん、何?」と理解出来てない様子だ。僕は額に手を当てた。熱い。相当熱い。そして先程よりもぐったりしている。

「大丈夫?大丈夫?」急に焦りが出てきて七海ちゃんに問い掛けた。

「おい、どうした?」急に背後から声がして、瞬時に振り返ると、龍二さんが見下ろしていた。

「あ、・・・七海ちゃんが、凄い熱で、あとぐったりしてきちゃって。」それを聞くと、龍二さんはすぐに七海ちゃんの額に手をおき、「おい、病院行くぞ。準備しろ。」そう言って更衣室へ走っていった。僕は慌てて準備しようとしたけど、特に準備するようなことはなかったから、そのまま彼を待った。彼が来るまでは、おそらく1分もかからなかった。めちゃくちゃ早く準備を済ませたかと思うと、すぐに七海ちゃんを抱き上げた。

「おい、七海に毛布掛けろ。」言われるままに毛布を持ってくると、「外出て、タクシー拾え。」そう言われ、慌てて外へ出て、タクシーを探した。彼が七海ちゃんの様子を見に来てからおそらく5分と掛かっていないだろう。

幸運にもタクシーはすぐに来た。中からタクシーの姿を確認すると、龍二さんは直ぐに出てきた。行き先を運転手さんに伝え、病院へと向かった。タクシーの中では皆無言だった。龍二さんはタオルを手にしていて、七海ちゃんの額の汗を拭いている。この人は優しい人なんだと直感した。普段の険しい表情で練習している姿からは想像出来ない。何か変な感じだ。

病院へ着き、支払いを済ませていると、すでに龍二さんと七海ちゃんは病院の中だった。慌てて病院の中へ向かう。


すやすや眠る七海ちゃんをおぶって歩く龍二さんの横で僕は言葉を発せずにいた。何か話し掛けてみたいけど何を話してていいのかわからない。

「ありがとな。」急にそう龍二さんが話し掛けてきた。急なことでなんて答えたらいいかわからず「えっ、」としか言えなかった。

「いや、色々やってくれてありがと。」前を見て歩きながら、そう話してきた。今日は龍二さんの意外な一面が見れた日だ。

「いえ、別に大したことはしてないんで・・・、それより七海ちゃん、ただの風邪で良かったですよね。凄い心配でした。」

「ああ、そうだな。」病院からジムまではさほど距離はなく、診察後は急ぎではないので歩いて帰っていた。この後まだ龍二さんは練習をするらしい。僕は七海ちゃんの異変に気付いてから今までおそらくずっと緊張している。七海ちゃんのことを心配していたこと、そして龍二さんとこんなに色々話すこと。今まで怖い存在、近寄りがたい存在というイメージを持ち合わせていた。そのイメージはこの短時間で大分軽減されたが、そんなに直ぐに緊張せず、気軽に話せるというものではない。あと、ジムまで歩いて20分は掛かるだろう。何か話してみたいけど何を話せばいいんだろう。そんなことを考えていると、龍二さんの方から話し掛けてきた。

「なあ、お前、名前は?」龍二さんはそう聞いてきた。そうだ。普段、僕は軽く挨拶するくらいで、龍二さんは、「ああ」とうい感じで返してくるだけだ。明代さんや良恵さんは僕を名前で呼ぶけど、龍二さんは練習に集中しているからおそらく耳に入ってなかったんだろう。

「優一です。優しいに漢数字の一です。」

「そうか。俺の名前は知ってるよな?」

「はい。知ってます。」そう言うと、それからまた沈黙が続いた。しかしまた龍二さんの方から話し掛けてきた。

「お前さ、何でジムに来てるんだ?」え、っと思う。急にそんな質問されたらスムーズに直ぐに返せない。

「何ででしょうね。」焦って出した返答だった。

「何だそりゃ。」そう言った後、龍二さんは笑った。めちゃくちゃ意外だ。龍二さんは笑う時もあるんだな。彼が笑ったところを見たのは初めてだ。一気に僕の心に余裕と安堵の気持ちが生まれた。

「ですよね。」僕も笑いながら返した。

「まあ、いいや。色々あるよな。」そう言って空を見上げた。爽やかな表情で見上げている先にある夕焼け空は穏やかで、何だか絵になっている。今まで見てきた龍二さんの鋭い眼光を持ち合わせた表情ならそんなことは無いのだろう。今日は何だか僕にとって貴重な日となった。

それからジムに着くまで色々話した。明代さんや良恵さんのことやもうじき行われるデビュー戦のことなど。頭の隅にはあった。[人殺しの息子]への疑問。まさか聞ける筈もない。聞けないし、知る必要性は今日龍二さんと接していて、僕の中で薄らいでいた。そう。彼だって色々あるのだろう。ジムが見えてきた。ジムの背後に広がる夕焼け空は本当に穏やかだった。僕も自然と空を見上げていた。

[14]

七海が体調不良で病院へ行った。分かったのは私が仕事を終えてからだ。ロッカーで携帯を確認し、明代さんからの着信履歴

をみて、折り返した電話で伝えられた。携帯に繋がらなかった後に、直接職場への電話がなかったことから、それほどのことではないと思ったが胸がドキドキして、足が若干震えた。こんなことは初めてだ。

電車を降りて、真っ先にジムへ走る。ジムまでの数百メートルはあっという間だった。こんなにおもいっきり走ったのはいつ以来だろう。

勢いよくジムのドアを開ける。いつもとは全く違う開け方だけど何も気にせず中に入った。

「おー、来たか。」聞こえてきたのは、リングの上の明代さんの声だった。ミットを持って、指導しているところだった。

「あの、七海は、七海は大丈夫ですか?」そう言ってジムの中を見回したけど、七海の姿はなかった。

「ちょいちょいちょい。心配なのはわかるけど、あんまり大きな声出すんじゃないよ。大丈夫。奥の事務室で寝てるよ。今良恵と優一が看病してるから見てきなよ。」

「は、はい。すみません。」と、言いながら事務室へと向かう。自然と大きな声が出てしまったみたいだ。

事務室の扉を開け、中を見ると、机やソファーが退かされ、そこに敷いてある布団で七海は寝ていた。良恵さんと優一君が横でお茶を飲んでいた。

「おお、梢。お帰り。」そう良恵さんが声を掛けてくれた後、「お帰りなさい。お疲れ様です。」と、優一君が言った。まだ彼とは、明代さんから紹介されたとき以来、挨拶でしか言葉を交わしてなかった。

「行って来ました。あ、あの七海はどうですか?」さっき明代さんから大丈夫と言われたけど、詳しく容態を聞いてなかったから、まだ心配で、ドキドキしている。

「大丈夫だよ。ただの風邪だ。優一が最初気付いた時はけっこう高熱でしんどそうだったみたいだけどな。医者の話だとゆっくり休ませれば大丈夫だってよ。」そう良恵さんが教えてくれた。その後気付いたように、「っていうか何で私が説明してんだい。優一、自分で言いなさいよ。」とふざけた様子で優一君の肩を肘でつついた。きっと心配そうだった私を和ませてくれようとしたのだろう。実際そのやり取りで少しほっとした気持ちになった。

良恵さんにそう言われ、少し慌てた感じで優一君が話し出した。

「あ、そうですね。今良恵さんが言われた通りなんですけど、最初、絵本を読んでいたら、七海ちゃん元気のない様子で、額に手を当てると凄い熱だったんです。それで急いで病院へ向かいました。病院の先生からは、そんなに心配することはないらしく、このくらいの歳の子はこういった症状はよくあることらしいですよ。でも、僕は大したことはしてなくて、龍二さんが、病院までの手配を素早くやってくれました。」少し照れ臭そうに優一君は説明してくれた。

「そう。ありがとう。本当にお世話になりました。良恵さんもありがとうございます。」お礼を言ってると、安心感からか、自然と少し涙が溢れてきた。指で涙を拭いていると、練習が一区切りついたのだろうか、明代さんが事務室に入ってきた。

「お、まだ七海寝てるか。しっかり寝かせてやれよ。疲れが溜まってたんだな。こんな小さな子供だから仕方ないよ。」首に掛けているタオルで汗を拭き、ゆっくりソファーに座った。

「何だよ、泣いてるのか。まったく大袈裟だねー。」そう言って笑った。

「今まで体調崩さずに元気でいられたんだ。七海は強いよ。ここへ来て、知らなかった奴等と一緒にいるんだ。緊張でストレスもあっただろうし、よく頑張ってるよ。まだこんなに小さいのにさ。今日はしっかり休ませてやんな。明日もゆっくりここに布団敷いて休ませてやるから心配すんな。」そう言って、微笑みながら七海を見つめている。

「ありがとうございます。でも、明日は休みを取ろうと思っています。いつも甘えさせて貰っているし、またにはしっかり母親らしいことをしたいので。」

「そうか。そうか。わかった。明日は親子水入らずでゆっくりしな。っていうか梢。お前、しっかり母親やってんじゃないか。七海の為に働いて、家事して。それに、七海が甘えれる存在になってる。立派なもんだ。胸張って母親やるんだよ。」そう言って明代さんは私の肩をポンと叩いた。

「ありがとうございます。」そう言って七海の姿を見る。しっかり眠っている。ここも七海にとって安心出来る場所なんだろう。

私はジムを見回した。龍二君の姿を確認するために。先程の優一君の話では、龍二君も七海を病院へ連れていく為に、尽力してくれたのだ。ちゃんとお礼がしたい。彼とも、まだ挨拶程度でしか言葉を交わしていないが、しっかり感謝の気持ちを伝えたい。彼の姿はジムの端にあった。練習を終えて、ストレッチをしていた。事務室から出て、彼の元へ行くと、こちらに気付き、目が合った。一瞬反射的に目を反らしてしまった。いつも感じることだけど、ちょっとだけ怖さを感じてしまう。何というか、殺気の様な雰囲気を醸し出している。今の若者とは反するイメージを龍二君は持ち合わせている。おそらくそう感じているのは私だけではないと思うけど。でも今日はしっかりお礼をしたい。大袈裟かもしれないけど七海の恩人だ。

「あの、お疲れ様。今日は七海が大変お世話になったみたいで、あの、ありがとうございました。」そう言って深く頭を下げると、直ぐに返事が返ってきた。

「いえ、別に。大したことしてないっすよ。」挨拶以外で言葉のやり取りをしたのは初めてだ。いつもは彼は練習中で、直ぐ私と七海は帰ってしまう。練習が一区切りついてから会うのは初めてで、これだけの会話だが、まともに話したことはなかった。

「あ、いえ。練習中だったのに病院まで連れて行って貰って、すみません。本当に助かりました。」そう言うと、彼は意外にも、表情を変えて話し出した。

「当たり前のことをしただけです。とにかく何も無くて良かった。」その顔は若干笑顔だった。直ぐに表情を戻したが、初めて見る彼の一面だった。こんな表情もするのだ。彼の印象が一瞬で大分変わった。

[15]

今日は良い天気だ。昨日一昨日と雨に降られて3日振りのお天道様か。濡れたアスファルトが太陽の光で反射して眩しい。夏っぽいねえ。まあ夏なんだけど。

ダラダラ歩いて散歩してジムに着いた。

「おい。アリ。疲れたのかい?」30分くらいの散歩なのに、帰ってきたら直ぐにジムの前で座っちまった。

「やれやれ、甘やかし過ぎかねえ。」横になり、こちらを涼しい顔して見てやがる。3日振りに太陽の光を浴びて活気に満ちた様子のハマギクに水をやりながらジムの中を見ると、龍二と優一の姿があった。アリの散歩に出掛ける時は良恵と七海だけだったからちょっと前に来たのだろう。龍二はヴァンテージを巻き、優一は七海の絵本棚の整理をしている。何か2人で話している。龍二は少しにこやかな表情だ。良恵も何か話に参加していて、七海も横でニコニコしながら聞いている。龍二があんな表情を頻繁に見せるようになったのはここ数日だ。あの日を堺に徐々にだな。

七海が病院へ運ばれてから一週間と数日が過ぎた。体調は直ぐに良くなって、毎日元気にジムに来ている。

「はい、ただいま。」ジムの中へ入ると、七海が走って寄ってきた。

「お帰り。明代さん。」ニコニコしたがら足にしがみついてきた。

「おーい。七海。元気に留守番してたかー?」そう言いながら七海を抱っこした。

「うん。」と言った後に笑顔になる。

七海を抱っこしたまま龍二に話し掛けた。

「どうだい?龍二。調子は?」もうじき試合だ。私の言葉を聞いて、さっきまでのにこやかな表情から一変して、「まあまあです。問題ないですよ。」そう答えた。

ストレッチを終え、リングに入った龍二がシャドーを開始した。今日もいい動きだ。開始直後のゆったりとした動きから、徐々にスピードを増していく。1つ1つのコンビネーションも早い。まだデビュー前の新人としては今まで見てきた奴の中でピカ一だ。そんなリングで動く龍二を優一が手を止めて見ている。

「おい、優一。」何気なく話し掛けてみた。ちょっと聞いてみたいこともあった。

「え、はい。」とっさにこちらを見てきた。

「お前さ、親兄弟はどんな構成なんだい?」そう聞くと、驚いた様子で、「え、あ、はい。ええと・・・。」と、焦っている。別にそんなに驚く様なことは聞いてない。変な奴だ。

「家族は・・・、母親です。2人で暮らしてます。兄弟はいません。父は病気で他界しました。」と、さっきよりは落ち着いた口調で話し、フーッと息をついた。

優一の返事を聞いて、「そうか。」とだけ言って、リングの中の龍二に目を移した。先程からのシャドーは勢いを増している。最近穏やかがを増したがリングの中では相変わらず鋭い眼光の持ち主だ。いいことだ。まあこいつは以前から、優しさと強さを持ち合わせているけどな。

[16]

今日は早番の仕事で駅に着いた時間はいつもより全然早い。この時間だと電車に乗っている人の数も少ない。私の前にはお母さんと男の子の親子が座っている。男の子は椅子に膝立ちで外の景色を楽しそうに見ている。七海と同じくらいの年の男の子だ。やっぱりこのくらいの年だと、乗り物に興味が湧くのだろう。でも男の子と女の子でそういう関心には違いが出るのかな。今度七海と電車に乗ってみようかな。そんなことを考えていると、電車が駅に到着した。

日が長い今の季節。更に早番ということもあって、とても明るい。コンビニへ入り、明代さんたちへの差し入れのコーヒーや、練習中の人達へスポーツドリンクを買う。いつもお世話になっているのに、このぐらいしかお礼の仕方が思いつかない。差し入れをする度に明代さんからは、気を使うなと言われるけど、そういう訳にはいかない。少しでも、何かしないと私の気が収まらない。

ジムまでの道のりは短い。今日はいつもより多くの人達の姿がある。小学生と数人道ですれ違う。みんな行って来ましたと元気よく声を掛けてくれる。こちらもお帰りなさいと声を掛ける。あと数年で七海も小学生だな。今まで以上に忙しくなるんだろうな。頑張らなきゃだ。そんな将来のことに思いを馳せながらジムの近くまで来た。販売機が見えてきた。前に女性が身を隠すようにジムを見ていた所だ。あ、と思って足を止めた。何でだろう。今日もだ。今日も誰かがまたここで身を隠してジムの方を見ている。でも、違う。あの人ではない。今日は男性だ。年は40代だろうか。ボサボサの髪型で、無精髭が目立つ。作業服を身に纏っている。怪しいと言えば怪しい。でも・・・、それにしても、どういうことだろう。このジムは誰かに監視されてるのだろうか?以前の女性の知り合いなのだろうか。何か怖い気持ちになった。でも、黙って素通りは出来ない。思いきって声を掛けよう。声を掛けるべきだ。そう思ってゆっくりと近付いた時だった。

急にその男性は足早にジムに向かって走り出した。

「あ、ちょっと・・・。」反射的に出た私の声など耳に届いてはいなかったのだろう。こちらを振り向くことなく、あっという間にジムに着いたかと思うと、手にしていたビニール袋の中からパンパンに膨れ上がった封筒を出し、ポストの中へ入れた。そして辺りを見回し、ジムに背を向け走り出した。

「あ、あの・・・。」今度も私の声など届いてはいない様子だ。おそらく声が小さいんだ。わかっている。私の中には恐怖心が生じている。どんな人かわからない人に大きな声で話し掛けるのは怖い。短い時間で色々考えていると、彼の姿はあっという間に曲がり角を曲がり、姿は見えなくなった。ほんの数秒の出来事だった。

何だったんだろう。この前の女性といい、今回も。ここのジムは何かしらの事情を抱えているのだろうか。ここは、けっこう長い歴史があるというのは知っている。建物は年期が入っている。この地域では昔から有名だ。1つや2つトラブルを抱えていても不思議ではない。

頭の中で色々考えながらジムに着いた。中を見ると七海はいつものように良恵さんに本を読んでもらっていた。

「こんにちは。」扉を開け、いつものように中へ入った。

「あ、お母さん。お帰りなさい。」

「ただいま。いいねぇ。本読んでもらってたのかぁ。良恵さん。行って来ました。ありがとうございます。」

「ほいほい。お帰り。梢。疲れただろ。お茶入れてあげるから、座んな。」そう言っていつものように優しい言葉で、気遣ってくれる。

「ありがとうございます。あれ、明代さんはお出掛けですか?」ジムの中には明代さんの姿はなかった。

「ああ、明代は買い出しだ。スーパーへ行ったよ。」

「そうですか。」先程の男性が頭に浮かんだ。もしかしたらさっきジムを見ていたのは明代さんの所在を確認してたんじゃないだろうか。明代さんに見つからないように。明代さんの顔見知りで見られたくなかったのかも。その可能性は高いんじゃないだろうか。

そんなことを考えていると、良恵さんがお茶を入れて、持ってきてくれた。

「はいよ。」

「ありがとうございます。あの、良恵さん。」先程のことを良恵さんに聞こうとしたときだった。

ドン。勢いよく扉が開いた。明代さんだ。

「おーい。帰ったぞ。あ、梢、帰ってたのかい。丁度いいや。ちょっとこれ運んでくれ。一気に買いすぎちまった。」そう言っている明代さんは、両手で洗剤や、トイレットペーパーなどが入った箱を重たそうに抱えていた。

「あ、はい。」慌てて箱を受け取り、ジムの奥まで運んだ。

「ふー、重かったぜ。」そう言ってソファーに体をあずけた。

「良恵ー。なんか冷たいものくれー。あちー。」そう言われて良恵さんは「はー。面倒くさいねー。」と言いながら冷蔵庫を開け、麦茶をコップへ注いで持ってきた。

「おお、サンキュー。」麦茶を一気に飲み干すと、準備運動を始めた。

「さー、今日もバリバリやらなきゃね。」そう張り切っている明代さんに声をかけた。先程のことを早く言わないといけない。

「あの、明代さん。」準備運動を一時中断して、こちらへ体を向けた。

「ん、なんだい?」

「あの・・・。さっき、私がここへ着いたとき、誰かがそこの販売機からこちらを覗いていました。」私の言葉を聞いて、とくに驚いた様子でもなく、「覗いてた?はー、ここはよく覗かれる所だね。優一といい、この前もどこかの女が覗いてたんだろ?気持ちが悪いね。で、覗いてそのまま帰ったのかい?」私は直ぐに、「いえ、何かポストへ入れていきました。封筒に入っている物を。」そう聞くと明代さんは、それまでとは違う表情になった。そして表へ出て、ポストの中から先程の物と思われる封筒を取り出し持ってきた。そして中を確認すると、1つため息をつき、小さな声で「またか。・・・全く。」そして封筒の口を閉じると、事務室の中へ入っていった。先程までの明代さんとは雰囲気ががらっと変わった。

「さあ、七海。絵本読んであげる。あっち行こう。」この雰囲気の変化を考慮してなのだろう。良恵さんはいつものようにしてくれた。

私は少し躊躇ったが、明代さんの後を追って事務室へと入った。聞いてみたいことが、いや、聞かなきゃいけないことがあるからだ。

「あの、失礼します。」そう言って中に入ると、事務室の椅子に座り、入口とは反対を向いて壁を見ていた明代さんがこちらへ体を向き変えた。

「どうした?梢。」改めて事務室に入ってきた私のことが気になったのだろうか。明代さんは聞いてきた。

「ちょっと聞きたいことがあるんです。」

「聞きたいこと?なんだい?この封筒のことかい?」その通りだった。先程の明代さんの急な表情の変化はやはり気になるし、あの男性は誰なのか。明代さんの知り合いなのだろうか。しかし私にはもう1つ聞きたいことがあった。この際聞いてしまいたい。春夫さんのあの発言。龍二君が人殺しの息子呼ばわりされることの意味だ。私には知る権利があると思う。春夫さんの言っていることが確かならば、娘をここへ預かってもらっている親としては知らなければならない。ここに携わる人たち、特に明代さんには言葉に表せないくらい感謝している。しかし、それとこれとは話が別だ。七海のことを考えると。

「あ、あの、明代さん。聞きたいことは確かに封筒のことです。でも、もう1つ聞きたいことがあるんです。」ソファーから私を見上げ、落ち着いた表情で、「もう1つ?」そう聞いてきた。ちょっと躊躇してしまう。別に明代さんは重苦しい雰囲気を醸し出す表情で返事しているわけではないと思う。しかし内容が内容だけに聞きづらい。でも聞かなきゃ。いつものように周りに人がいると聞きづらいことだ。いつも動いている明代さんと、事務室で2人きりというのはあまりないことだ。

「あの、もうひとつ聞きたいことというのは、・・・、龍二君のことです。」そう言うと、明代さんの表情が若干変わった。少し驚いた用な顔つきになり、「龍二のこと?何だ?どんなこと聞きたいんだ?」いつもの口振りでそう返してきた。明代さんは会話の戸切と言うものがほぼなく、直ぐに言葉が返ってくる。多少動揺があっても、それは同じだ。私も直ぐに言葉を返す。聞こうとしていることが決まっているからだ。少し前から決まっていた。

「春夫さんの発言のことです。」

「春夫の?あいつの発言?どんなことだ?」

「春夫さんが言っていた龍二君のことで、・・・その・・・、人殺しの息子とはどういうことなんですか?」私の言葉を聞くと、それまでとは全く違った表情で右斜め下を見て、その後ゆっくり立ち上がり、部屋の窓からリングを見つめた。

「梢。あんた、あんなボケじじいの言うことを真に受けてるのかい?」リングを見たままそう話す明代さんの後ろ姿は心なしか寂しさを感じさせた。

「春夫さんが認知症なのは知ってます。でも、なんか間違ったことを言ってない気がして。・・・明代さんには救ってもらって、そのうえここで七海を見てもらって、感謝してもしきれません。でも、七海を見てもらっているからこそ気になるんです。生意気言ってるのは重々承知のうえで言わせてもらってます。すみません。」私の言葉を聞くと、明代さんはゆっくりこちらへ振り向くと、先程と違い、笑みを浮かべながら「いいんだよ。多少生意気で、娘の為にグイグイ来るくらいでないと。梢。あんた、ここ数ヵ月で更にいい母親になったな。」そう言った後、「ちょっとそこ座んな。」そう言っていつも明代さんが座っている椅子の机を挟んで向かいの椅子を指差した。

「春夫の言ってることがそんなに気になるか?」

「・・・、はい。」

「龍二が人殺しの息子かどうか・・・。」そう言った後、少しの沈黙が続いた。明代さんとの会話ではあまりないことだ。沈黙の後明代さんはサラッと「まあ、確かにそうだな。」と静かに言った。

[17]

私にしては非日常の言葉のやり取りだ。私だけじゃない。世の中の大半の人達は(人殺し)というワードは聞き慣れないものだろう。勿論かなりの動揺を覚えた。明代さんに返事を返すまでどのくらいの時間がかかったのだろうか。

「確かにそう、というのはどういうことですか?」なんとかそう聞き返したが、返事が返ってくるのが恐い気持ちが大きく私の中で存在していた。どんな答えが返ってくるのだろうか。明代さんのことだから「なんてな。嘘だよ。」とふざけて返してくることも想像出来たが、重苦しい内容の話だ。あまりそういった返しはないだろう。少しの沈黙の後、明代さんは話し出した。

「人殺しの息子、ということはあいつの父親か母親が誰かを殺したってことになるよな。」

「・・・、そういうことのんでしょうね。」違和感を抱えたままで会話は進行していった。

「まあ父親だ。アイツの親父が人の命を殺めちまった。」

「龍二君のお父さんが・・・。」

「ああ、だからアイツのことを人殺しの息子って言う春夫の言葉は間違ってはいないんだよ。・・・言葉だけはね。」そう聞いて真っ先に頭に浮かんだ疑問を即座に質問した。

「言葉だけ?それはどういう意味ですか?」

「どういう意味?・・・、そうだな。ちょっと訳わかんねえよな。だからまあ、殺そうと思って殺した訳じゃねえ。事故だ事故。車の運転事故だ。アイツの親父は車で人を引いちまった。直ぐに救急車を呼んで病院直行したけど駄目だった。救急車が来たときは心肺停止の状態で病院で救命処置されたけど駄目だった。まあ、そういうことだ。」明代さんの言葉を聞き、少し安心感が生まれた。殺人での人殺しということではなく、事故。安心という言葉は相応しくないのだろうけど、人殺しというフレーズはやはり殺人をイメージさせるものなのではないか。少なくとも私はそうだ。

「そうだったんですか。私はてっきり殺人事件とか、そういうことを考えてしまっていました。」明代さんはフンと鼻で笑って、「殺人事件なんかこんな田舎じゃあ、そうそう滅多に起こらないよ。」

「そうですよね。で、今龍二君のお父さんはどうしてるんですか?」私の言葉を聞くと、明代さんの表情が、変わった。

「龍二の親父か。・・・お前、さっき会ってんじゃないか。」言っている意味が分からなかった。

「会った?いつですか?」全くわからない。

「会ったっつーのは正しい表現じゃないか。さっきポストになんか入れてた男見たんだろ。あいつだよ。」さっき見た人が龍二君のお父さん?どういうことだろう。

「さっきの人が龍二君のお父さん?何でジムをこそこそ監視するようなことして、ポストに何か入れたりするんですか?」何が何だかわからない。この会話の時点でわかる人はいるのだろうか。少なくとも私にはこの流れで推理する力は持ち合わせてはいない。明代さんの返事を待つしかなかった。

「私に対する償いだよ。つまんない償いだ。」どういうことなんだろう。返事を待っていて、返ってきたけど、ますますわからなくなった。

「あの、明代さん。全然わかりません。どういうことですか?何で龍二君のお父さんがジムのポストに隠れて物を投函したりするんですか?明代さんに対する償いって?」

私の質問に対して、ゆっくりこちらへ向き、私の目を見た。その表情は少し寂しそうな印象だった。何だろう。聞いてはみたものの、返事を聞くのが恐いという感情が先程と同様に私の心の中に芽生えた。でも聞きたい。聞くべきだ。

そして、ゆっくり明代さんは口を開いた。

「あいつの親父が事故で殺しちまったのは、私の夫だ。」

・・・一瞬時が止まったような錯覚に見舞われた。

[18]

「明代さんの・・、ご主人が?」

「そうだよ。あいつの親父が私の夫を事故で殺しちまった。私はあいつの親父のせいで未亡人。そういうことだ。これでいいか?」そう落ち着いて、話す明代さんに違和感を感じずにはいられなかった。自然に質問したい事柄が心の中に生まれてきた。

「あの、詳しく聞いてもいいですか?」

「ああ、いいよ。なんだ、梢。気を使ってんのか?気を使ってんなら言うけどな、もう昔の話だ。何でも聞きな。」先程の寂しそうな表情はもうそこにはなかった。いつもの明代さんだ。「あの、ということは、明代さんはご主人を事故で死なせてしまった人の息子を指導されているってことですよね?」

「ああ、そうだよ。そうに決まってるじゃないか。今話した通りだよ。」そうに決まってる?確かにそうなんだけど、私が感じているのは感情論だ。

「明代さんはそれで良かったんですか?嫌な言い方すると、龍二君のお父さんは明代さんの旦那さんを殺してしまった人ですよ。何とも思わなかったんですか?」過去のことだし、私には関係ないことなのはわかっている。でも、過去は関係なくても、私と七海は今はこのジムで明代さんにお世話になっているし、ここには龍二君も来ている。私にはここで過去に何があったか教えてもらえる権利はあると思う。

私の問いに、明代さんは天井を見上げ、んーと言いながら腕を組んで、「許せなかったよ。絶対許してやるかと思ったね。」その言葉を聞き、咄嗟に「だったらなぜ?」私がそう言った瞬間、直ぐに返しの言葉が飛んできた。

「3日だ。3日だけだ。」

「3日?3日だけとはどういうことですか?」意味がよく分からなかった。

「3日間は怒りと悲しみの感情が頭の中にずっとあって苦しかったよ。苦しくて苦しくて仕方なかった。この苦しみから抜け出せるのか、不安もかなりあった。本当に苦しかったよ。ただ、同時に色々考えたんだよ。龍二の親父のことと、龍二のこと。」そう話した後、ゆっくりと椅子に座りフーっと息を吐いた。

「もうその頃から龍二はここに通っていた。私も旦那もしっかり指導してた。特に旦那は龍二を厳しくも愛情もって育てたよ。こいつは将来凄い選手になるっつってよ。あいつも今みたいに大人しくて、口数も少なかったけど、根性あってよ。練習についてきて、ジムを止めなかった。そういったところも旦那は気に入ってたよ。あいつの親父もたまにジムに一緒に来て我が子の頑張りを目を細めて見てたもんだ。旦那ともよく楽しそうに話してたよ。それなのに、なんていう無情な偶然なんだろうね。息子を育てていた師匠をあいつの親父は殺しちまった。旦那が息を引き取った病院の部屋の中で、床に額擦り付けて、大泣きで土下座して謝ってきたよ。すみません。すみませんっつってよ。許してくださいとは一言も言わずにさ。私は何も言えなかった。旦那が死んだ直後だ。何にも考えられないだろう。ただただあいつの親父を見下ろしてた。その後、警察に身柄引き取られ、3年ムショ暮らしだ。その間、あいつの両親は離婚した。刑期が決まる前に親父から言い出して、離婚届に判押して、聞かなかったらしい。。嫁と息子に迷惑かかると思ったんだろう。ムショから出て来てから、働いて、稼いだ金は養育費と、あとは黙ってここのポストに投函しに来やがる。さっきお前が見たことを何度も繰り返してやがる。」そう言ってもう1度大きく息を吐いた。

「あの、その頃から龍二君はここに通ってて、事故の後はどうしたんですか?そのまま通ってたんですか?」

「少しの間休んでた。で、私が行って、話を聞いたら龍二の奴は辞めたくないって言うからまたここへ通わせた。そして今に至るってわけだ。」こんなことがあったなんて。聞いているうちに若干足の震えを感じていた。

「明代さん、もう少し聞いていいですか?」

「なんだい?いいよ。」

「どうして、気にかけて龍二君をまた見ようと思ったんですか?そんな事になってしまってからだから、もう見捨てようとは思わなかったんですか?」静かに明代さんは返答した。

「思わなかったね。逆だよ、逆。旦那があれだけ目をかけてたんだ。私があの人の意志ついで、立派な選手にしないと浮かばれないだろ。それに龍二にはなんの落ち度もない。それにあいつの親父だってわざとそんな事をした訳じゃない。事故の日はひどい雨だった。それに加えて仕事は激務だったみたいだ。大型トラックの運転手だ。仕事中に、トラックでやっちまったんだよ。少しウトウトしてたらしい。疲れが貯まって居眠り運転だったみたいだ。」

「そうなんですか。」そう呟くしか出来なかった。

[19]

ジムの横に立っている木々の隙間から強い日差しが顔に当たり自然と目を細める。水やりをしながらしばらくしゃがんでハマギクを見て考え事をしていたら、立ち上がるとき、若干足が痺れていた。あれから数日、ふと考えてしまう事が増えた。落ち着きながら話す明代さんの表情が頭に浮かんできたり、当時どんな思いだったのかなと、考えてもわかるはずのないことをボーッと考えてしまう。そして龍二君や、お父さんのこと。あと、母親という立場から彼のお母さんのことも頭を過ることもある。

「お母さーん、洗濯機止まったよ。」ジムの中から七海の元気な声が聞こえる。今日は今のところ良恵さんや、近所の方たちは来ていない。土曜日で学校も休みだからいつもいる小学生たちの姿もない。明代さんはたまに行く1人での散歩に出ていって、ジムには私と七海と、愛犬のアリだけだ。七海は先程からアリと遊んでいる。

「ありがとー。今行くね。」

練習が始まる時間が近づいてきた。明代さんももうじき帰って来るだろう。

「ねえ、お母さん。見て見て。アリの絵を描いたー。」そう言って七海は、ニコニコしながらアリの絵を見せてきた。

「あらー、上手に描けたね。」そう言って頭を撫でると、嬉しそうに七海は笑った。

子供の成長には動物と一緒に過ごすのが良いということを聞いたことがある。あまり詳しくは知らないけどアニマルセラピーといったかな。アリと一緒にいることで七海の成長にとって良い影響を与えてくれるとしたらとても嬉しい。そして、ここには沢山の人が来て、七海と接してくれる。私と2人きりの生活よりずっと良い環境なのは間違いない。ここ数ヵ月で私と七海の生活はがらりと変わった。あの日明代さんに助けられてから沢山の人が私たちの周りに増えた。笑顔も増えたと思う。でも・・・、またふと思い出す。私たちは助けられたけど、明代さんと龍二君は、大切な人が居なくなった。

「あ、優一君、龍二君。」七海が、急に窓の外を指差した。見ると、優一君と龍二君が、何か話をしながらこちらへ向かって来るところだった。優一君はニコニコしながら話している。龍二君はいつもの様なクールな感じで話を聞いているが、微笑んでいるようにも見える。最近、あの2人は練習前や後はよく話をするようになった。七海を病院に連れていってくれたあたりからかな。同世代だし、気が合うところがあったんじゃないだろうか。あんな話を聞いた後ということもあってか、2人のこういう姿を目にすると、少しホッとする。

「こんにちはー。」

「・・・お願いします。」元気よく入ってくる優一君とは対照的に今日も龍二君は静かな声で入ってきた。

「優一君、龍二君。こんにちは。」そう言いながら七海が駆け寄ると、「おー、七海ちゃんこんにちは。」と、いつもの優しそうな笑顔で優一君は返してくれるのに対し、龍二君は「おう。」と、一言行って頭をポンと撫でて、ジムのロッカーへと歩を進めていく。今日もクールだ。きっとシャイな性格なんだなといつも思う。でも、あれから、七海の事があってから彼は変わった。優一君との関係性の変化が大きな理由なんだろうけど、元々優しい子なんだろうな。

「梢さん。こんにちは。お疲れ様です。」優一君が、近付いてきて、七海を膝の上で抱っこして話しかけてきた。七海を扱う仕草も大分慣れてきてくれた。

「こんにちは。今日もお疲れ様。」優一君はおっとりしていて、マイペースなところがある。いつも七海に絵本を読んでくれるのだが、その前に七海を抱っこして、ゆっくり練習風景をよく見ている。練習を見ていると言っても、興味があるのだろうか?どう見ても、ボクシングに興味があるとはとても思えない。優しい雰囲気と、おっとりさを兼ね備えている子だ。練習を見ている先は今日は龍二君1人だ。着替えを済ませて準備運動をしている。練習を始めようとしている龍二君と、七海を抱っこしてくれている優一君。全く対照的だ。2人で話をしていたり、先程の一緒に歩いているところを見ると、どうしても違和感を感じてしまうけど、相反する雰囲気を持っているからこそ気が合うところがあるのかもしれない。

「最近優一君と龍二君仲良いね。」なんとなくそう話し掛けてみた。

「そうですね。前、七海ちゃんを病院に連れていったあたりからよく話するようになりました。今日はさっき駅で偶然あって一緒に来たんですよ。僕は学校休みで龍二さんはバイトが休みなんで、お互い早く来ました。龍二さん今日はスパーリング練習がないみたいで練習の時間指定がなかったみたいなんで。」そう話す穏やかな優一君の口からスパーリングというワードが出るとやはり違和感がある。

「そうなんだね。龍二君てさ、最初はちょっと恐いイメージだったけど、優一君と仲良くなりだしてからちょくちょく笑顔見えるよね。」私よりも龍二君の人柄を熟知してるであろう優一君に聞いてみた。別に彼の人間性を詮索しようという意図はないんだけど、明代さんからあのような話を聞いたこともあり、ちょっと聞いてみようと思った。龍二君は縄跳びを始めるところだった。

「そうですね。七海ちゃんの一件から彼を見る目が大分変わりました。相変わらず口数は少なくて、表情鋭いですけど、話してみてけっこう話しやすいなと思いました。」七海の頭を撫でながら続けた。

「そして、おそらく優しい人です。七海ちゃんの異変に気付いてからの彼の行動は凄かった。何だか鬼気迫るというか、とにかく行動が早くて、レスキュー隊の様でした。僕なんかおどおどしてしまって彼の指示をなんとか聞いてその通りにしただけで。」 そう話している優一君は何だか恥ずかしそうに話している。恥ずかしがらないでほしい。優一君の推測が当たっていれば、龍二君は優しくて、一生懸命七海を助けてくれたのだろう。私も龍二君の優しいということはどことなく感じている。でも、きっと優一君も、しっかりやってくれたはずだ。優一君の優しさは、見れば直ぐにわかる。

「ねえ、優一君。龍二君とはどんな話するの?」そう聞いてみた。クールなイメージを持ち合わせている彼は普段どんなことを話すのだろう。優一君は知らないであろう過去のことは話さないと思うけど、お互いの家族のこととかは話すんじゃないかな。

「そうですね。最近になってから少しずつ話すようになったんで、まだそこまで打ち解けて話し合うという感じではないんですけど、あまり龍二さんからは話し出しません。まあ、そんな感じしますよね。いつも僕から話し出します。たわいもないことから話しますよ。今日天気良いですねとか。学校であったこととか話したりして。龍二さんは、相づちを打ちながら話を聞いてくれます。時折にこやかな顔で。こんなふうになるなんて少し前までは考えられないくらいでしたから、なんか不思議な感じです。」龍二君の練習風景を見たまま、優一君はそう話した。

「そうなんだね。確かに私もちょっと恐いなっていう印象はやっぱりもってた。人間って話してみたりしてみないとわからないものだね。」何気なく話していて、ふと思ったことを優一君に聞いてみた。

「そういえばさ、優一君の家族ってどんな人たちなの?」そう聞くと、「えっ。」と言って、優一君は両目を開けて、驚いた様子で返事を返してきた。別にそんなに驚くようなことは聞いてないと思うんだけど。

「あ、・・・、僕の家族ですか。ええと、母子家庭ですよ。母と2人暮らしです。数年前に父はなくなったので。」

「そうなんだ。・・・、ごめん、ごめん。なんか答え難い質問しちゃったね。」そう言うと、先程よりは落ち着いた様子で、「いえいえ、もう亡くなって大分経つので。」何であんなに驚いた様子だったんだろう。別に驚く内容の質問でもなかったと思うんだけど。急に話の内容が変わるようなことを聞いたからかな。

「さて、じゃあちょっとトイレ掃除してきます。」優一君はそう言って立ち上がった。

「ほーい。帰ってきたよ。」勢いよくジムのドアが開き、明代さんが買い出しから戻ってきた。

「お帰りなさーい。」七海がいつものように笑顔で明代さんの足にしがみついた。

「七海ー。ただいま。」さあ、今日も活気に満ちたジムがスタートする。

[20]

「おい、お前ら、しっかり動け動けー。なーはっはっはっ。」いつも楽しいぜ。コイツらからかってるとよー。

「明代ー。明代ー。」あれ、いないのか?

「うるさい。春夫。なんだい、また来たのか。帰りな。明代ははアリの散歩行ってていないよ。」

「散歩?散歩か。はー。今日?明日?」

「なに言ってんだい。ボケじじい。」ボケ?俺か?んー。

「なあ。まだいるじゃねえか。人殺しの息子と変な男。気をつけろー。」

「うるさい。春夫帰れー。」恐いねえ良恵は。

「おーい、帰るぞー。お前ら、俺は帰るぞー。」こいつらの面倒は見てらんねえよ。帰るぞー。

ドン。

「いてえな。おい、おっさん。なにぶつかってきてんだよ。」

誰だこいつらは。1、2、3。変な奴等が3か。

「なんだとー。おいおいおい。おーい。」

「あ、てめー。なに言ってんだよ。酔っぱらってんのか?あー?」なんだこいつらは。あー、なんだー。

「いてっ。」あれ、こかされたぞ。なんだなんだ。

「いてーって言ってんだよ。コラー。あー。」何でこいつら騒いでんだ。明代の連れか?何で俺は蹴られてんだ。

「ちょっと、あんたたち何してんだい。」

「おー、良恵。良恵ー。」良恵だー。良恵だー。

「なに情けない声出してんだい春夫。あんたたち止めなさいよ。」

「うるせー、ババア。こいつがぶつかってきたんだよ。おい、もっとやっちまえ。」

ガラッ。

「おい、何してんだよ。」あ、人殺しの息子。

「おい、助けろ。人殺しの息子。」強いのが出てきやがった。やれやれー。やっちまえ。

「ジムの前で止めてください。お願いします。」なにペコペコしてんだ。あいつ。

「おい、やっちまえ。やっちまえ。よーし、お前らもう終わりだ。はーははは。」

「なんだよこいつ。マジムカつくな。」また蹴ってくるぞ。早く助けろこのやろー。

「おい、やめてくれよ。」あいつまだやらねえのか。早くやっちまえばいいのによ。あ、殴られた。

「おいおいおい、早くやっちまえー。お前らこいつつえーぞー。やられるぞー。」

「春夫。うるさいんだよ。ちょっと、止めなさいよ。あんたたち。」おいおいおい。人殺しの息子倒されて、やられまくってんじゃねーか。

「おいおいおい、あいつ何でやっちまわねえ。なあ、良恵。」

「だからうるさいんだよ。春夫。ちょっと、止めなさいよ。・・・、ん、ああ、大丈夫だね。」

「おい、お前ら、私のジムの前で何してくれてんだい。」あ、明代だ。

「おーい、明代。助けてくれ。人殺しの息子役にたたねえんだ。」

「うるさい。春夫。黙ってな。」ヤベ、本気で怒ってやがる。

「おい、あんたら何してくれてんだよ。あー。」

「うるせー。ババア。黙ってろ。」

「ババア?誰がババアだコラ。」ガッ。

「イテー。てめーイテーな。何足踏んでくれてんだ。」

「おい、明。ちょっと待て。帰るぞ。」

「あ、何でだよ。」

「何でだじゃねーよ。ここの女会長やべーって聞いたことねえのかよ。何されるかわかんねえぞ。」

「おい、何べちゃくちゃ喋ってんだい。うちの選手に手出して、ただで済むと思ってんのかい。」

「おー、明代。やっちまえ。やっちまえ。」

「ちょっと黙ってな春夫。おい、お前ら、どうするんだい?これは立派な暴行罪だ。名前聞かせな。それと、身分証明できるもの出すんだよ。」

「いや、すみません。ちょっと勘弁してもらえませんか。」あいつらさっきとは態度全然違うじゃねーか。やっぱ明代はすげーな。

「いや、ダメだ。許さん。落とし前はつけていってもらうよ。」

「マジか。サツかよ。めんどくせーな。」

「おい、明。黙れって。」

「会長。もういいですよ。俺大丈夫ですから。そのおっさんもたいしてやられてないんで大丈夫だと思うし。」

「なんだい。龍二。いいのか?こいつら逃がしちまって。」

「はい。いいっすよ。」なんだよ。なんだよ。許しちまうのかよ。

「おいおいおい。逃がしちまうのか。やっちまえ。やっちまえ。」・・・、え、何か明代、俺に怒ってない?

「だから春夫。うるせーんだよ。帰れ。」

「龍二、一発も手出してないね?」そうだよ。こいつ、つえーくせに何もしなかった。

「おい、明代。こいつ何にもしなかったぞ。そんで、やられてやがんだよ。全くよ。やっちまえばいいのによ。」・・・、やべー、またこっち睨んでやがる。

「明代。大丈夫だよ。私も見てたけど、龍二は何もしてない。ただ、あのアホの春夫を守ってたよ。」

「そうか。ならいい。龍二。病院行くよ。支度しな。・・・、おいおいおい、てめーらまだアホ面並べていたのかい?さっさと帰るんだよ。」

「はい。すみませんでした。おい、お前ら謝れ。」

「・・・すみません。」「すみません。」

[21]

今日はよく信号に捕まる。特に急いで病院に向かうということではないし、それほど気にはならないけど。

小雨が降りだし、傘を持たない人達が小走りでコンビニへ入っていく。今朝のニュースのお天気コーナーでは今日の予報は曇りだった。全ての予報が曇りだったかは定かではないけど、今日の様な天気なら傘を持たずに外出してしまっても仕方ないだろうな。青に変わった信号を確認して、車を左折させる。あと10分程で病院に着くだろう。

久しぶりにあの人の声を聞いた。第一声が「久しぶりだね。」だったからあまり急なことではないと思った。龍二が怪我をしたと聞いた時は一瞬ドキッとしたが、明代さんの話し方と、最初に「対したことはない」と、言ってくれたことで、緊張感が生まれることはなかった。きっと気を使ってくれたんだろう。

明代さんの話では暴行を受けている人をかばって負傷したらしいけど、あと子は手を出さなかった。ボクサーが素人に手を出すのが御法度なのは知っている。学生の頃までは、よく学校でケンカをして、被害者の家によく謝りに行っていた。あの頃と比べ、少しは大人になったのかな。もう19歳だし、当たり前か。ケンカの理由はいつもあの子の父親のことを言われたことがきっかけだったな。あの子には辛い思いをさせてしまった。でも、1番辛かったのは・・・。

広い駐車場には満車に近い台数の車が止まっている。先程よりも雨の降りは強くなっていた。車に常備してある折り畳み傘を広げ、病院の入り口へと歩を進める。犬用のカッパを着た2匹のチワワを連れ、大きな傘をさした高齢の女性が私の前で、信号機の青を待っている。こんな雨の日に散歩しなくてもいいのにと思うが、こんな日にしか犬用のカッパが使えないから、逆にこの女性にしたら散歩日和なのかもしれない。そんなことを考えながら病院の中へ入る。病院窓口で龍二の処置をしてくれている所の位置を訪ね向かう。一階の奥の診察室へとの説明を受けた。病院の廊下を診察室へ向かい歩く。行き交う人の姿は確認出来ない。私の足音だけが薄暗い病院の廊下で響いている。

あの人に会うのは数年ぶりだ。あの出来事があって、もう龍二の夢はこれで終わり、ジムとも関係が切れると思っていた。明代さんから連絡がきたのは3日経ってからだった。また龍二を通わせろと。最初は自分の耳を疑った。許して貰えるなんて思ってなかった。あんな事故を元夫が起こしてしまった。許されることではない。どうやって償っていくか。そればかり考えていた。それなのにあの人は許してくれた。仕方ないと言って。過去を振り返ったり、引きずったりしないのは明代さんを見ていればわかる。でも、3日で気持ちの整理をつけて、許し、受け入れてくれた。強い人だよな。外見だけじゃなく、中身も強かったんだとつくづく思った。

診察室の前に来ると、1人の男性が前に座っていた。まだ高校生くらいだろうか。

「こんにちは。あの・・・、龍二さんのお母さんですか?」私の存在に気付くと、慌てた様子で立ち上がり、訪ねてきた。「はい。」とだけ答えると、「こちらです。」と言って丁寧に案内してくれた。真面目そうな少年だ。あの2人とはタイプが全く違う感じを受ける。そんなことを考えながら診察室へと入る。

「失礼します。」診察室のドアをゆっくり開けると、明代さんと龍二、処置をしてくれたであろう病院の医者の3人が中にいた。

「お久しぶりです。」そう言うと、明代さんは笑顔で近づいてきた。

「おい、春奈。久しぶりだね。元気にしてたか?」そう言って私の左肩を、バシッと叩いた。

「はい。お陰さまで。いつも龍二がお世話になってます。」

「なんだい。かたっくるしいねぇ。ははは。」

「あの・・・、龍二はどうなんでしょう?暴行受けたって聞きましたけど。」明代さんは、座っていた椅子から「よっ」と言って立ち上がり、明るい表情で、「大丈夫。特に異常はないよ。なっ先生?」急に振られ、少し慌てた様子の医者は「え、ああ、大丈夫ですよ。」と答えた。

「じゃあ、もういいね。」明代さんがそう言った後、医者の了解を得て、部屋を出た。

「あの、明代さん。今日は龍二が色々お世話になって、ありがとうございました。」改めてお礼を言うと、明代さんはふーっと1つ息を吐き、「いや、お礼を言うのはこっちの方だよ。龍二が止めてくれたんだ。変な輩がさ、ジムの前で私の幼なじみを暴行してたんだよ。ボケちまってる私の腐れ縁の連れなんだけどよ。輩どもにぶつかって、変なこと言ってもめたらしい。それで龍二が駆け付けて助けてくれたってわけよ。大丈夫。電話でも言ったけど、龍二は何も手を出さなかった。プロ意識しっかり持ってるよ。なあ、龍二。」明代さんの言葉を受けて、龍二は「まあ、はい。」とだけ、返した。

「そうなんだ。でも、あんた、あまり無茶なことしないでよ。」こんなことがあったんだ。今日は大丈夫だったけど、やはり心配だ。

「ああ、気を付けるよ。」私たちのやり取りを聞いて、明代さんは、「なんだよ。龍二。母ちゃんが心配してくれてんだぞ。笑顔で返せよ。」そう言われても、龍二は相変わらず無表情で「はい。」と小さな声で返事をした。

「さて。」と言い、明代さんは腕を組み、横で聞いていた少年と龍二に、「優一、龍二、ちょっとあっち行っててくれないか。直ぐに行くからさ。」そう言われ、「あ、はい。わかりました。」と彼は答え、龍二と一緒に病院の入り口の方へ移動した。やっぱり真面目そうだな。龍二は無言で、明代さんの指示に従った。

2人が去り、明代さんはこちらを見て話し出した。

「もう、3年は経つかな。お前と最後にあってから。」ゆっくりと話し出す明代さんの表情は先程の様な笑顔ではなかった。

「そうですね。ご無沙汰してしまい、申し訳ありません。」

「いや、別に謝ることじゃあないよ。お前も色々忙しいだろうしさ。龍二は相変わらずしっかり練習頑張ってるし、いい感じで試合に挑めそうだよ。」

「そうですか。」

「ちょっと話したいのは、お前と龍二のことじゃあない。光夫だよ。」明代さんの口から出た名前は久しぶりに聞く。龍二の父親で、私の元夫。そして、明代さんの旦那さんを殺めてしまった人間。

「彼が、どうしたんですか?」そう尋ねた私の方を少しきつめの顔で見て、「もう5回目だ。」と言った。何のことだろう。「5回目。何がですか?」

「やっぱり何も知らなかったか。春奈に電話しようと思ったんだけどさ、心配かけちまうと思って黙ってたんだ。なあ、光夫から養育費みたいなのは貰ってんのか?」そう聞かれたが、全く理解が出来ない。

「そうですね。毎月決まった額が振り込まれてます。あの人が出所してから2年間。龍二が成人するまでは払うことになってて。1度、電話で断ったんです。高校は卒業して、学費はかからないし。でも、変わらず毎月振り込まれます。」

「そうか。あのさ、金貰ってんのはお前たちだけじゃないんだよ。私もだ。」思わず、「えっ。」という言葉が口から出た。初めて聞く事実だった。出所した時に1度会ってからは何回か電話で話しただけだけど、そんなことは1度も聞いたことはなかった。

「あの・・・、どのくらい前から、何度くらい、どうやって支払ってくるんですか?」知らなかった事実を聞き、動揺してるのか、自然と話し方が早口になってしまう。

「出所してから少し経ってからだ。もう何回かな。ちょっと前にも来てたみたいだ。ポストに入れてくんだよ。1回に数十万ずつ。今まで計何百万かになってるよ。止めろって言いたいんだけど、私のいないときや、夜中に入れてくんだよ。もちろん金に手はつけてない。返そうと思ってんだけど、電話も住所もわかんねえから連絡の取りようがないんだよ。春奈。お前は知ってるのか?」私も住所は知らなかった。知っているのは、携帯番号だけだ。

「住所は知らないです。知っているのは携帯電話の番号だけです。」私の言葉を聞き、「そうか。仕方ないね。電話で話しても、あいつは止めないだろう。住所わかれば返しに行けるんだけどね。」と、静かに話した。その後、明代さんには続けて、「あいつはいつまで引きずるんだろうね。もういいんだよ。そりゃ旦那を失った悲しさは消えないよ。でもね、私は直ぐ気持ち切り替えて、前向いて歩いてんだよ。あいつも切り替えて前向いて進まなきゃな。」確かにそうだと思う。でも、あの人はそういう考え方が出来ないのだろう。けっこう考え込んでしまうタイプだった。そして、ネガティブなところも持ち合わせていた。明代さんの様にはいかないんだろうな。

「一応、電話して聞いてみましょうか?」と言いうと、明代さんは首を横に振り、「いや、いいよ。何回も丁寧にわざわざ大金持って、やって来るんだ。けっこうな決意をもってやってるんだろうからちっとやそっと言っても止めないだろう。」半ば諦めの様な、らしくない表情でそう言った後、こちらに視線を移した。

「それはそうと、春奈。あんたはどうなんだい?今、どんな生活してんだ?」急にそう言われ、「えっ。」と、自然に言葉が出た。私のことを聞かれるとは思っていなかった。そうか、そうだった。明代さんは、旦那さんのことがあって、少しして会ったときも、龍二のことで、再びジムに通うかどうかの話し合いをした時もそうだった。周りのことを気にしてくれる。自分のことは二の次だ。

「お陰さまで、なんとかやってます。働いてもいるので、生活は余裕ありますし。」私の言葉を聞き、明代さんはニコッと笑った。

「そうか。ならいいんだよ。仕事は何してんだ?」

「はい。知り合いのやってる花屋で働かせて貰ってます。」

「そうか。あんたべっぴんだし花屋の仕事はよく似合うだろうね。いいじゃないか。あとよ、龍二はさ、もうじきデビュー戦だ。春奈。しっかり応援に来てくれよ。」そう言ってまた笑顔を見せた。この人は本当に明るく、前向きで、優しい人だ。

[22]

大分ハマギクも大きくなってきた。明代さんの話だと花を咲かすのは9月らしい。あと1ヶ月ちょいか。まだ花はついていないけど、今日のように良い天気で、水をかぶっているハマギクはなんか綺麗だ。毎日ジムにいる誰かが手入れをしている為、草も全然生えていないのもその要因だろうな。

「おいおいおい。怪しい男。ちゃんと花壇の手入れしてんのか?」急に後ろから春夫さんに声をかけられ、若干びっくりした。

「あ、春夫さん。おはようございます。」もう怪しい男扱いされるのも大分慣れてきた。春夫さんは本当に僕のことを怪しいと思っているんだろう。そりゃ確かに怪しいか。僕は怪しくて、龍二さんは人殺しの息子か。最近いつも思うことなんだけど、どういうことなんだろう。人殺しの息子って。春夫さんはいつも言ってる。先日の病院でのやり取りも気になる。龍二さんのお母さんが来た後、僕は席を外された。何か聞かれたらまずいようなことだったのだろうか。僕が色々詮索することではないんだろうけど。でも、気になる。

「あの・・・、春夫さん。」何か教えてくれるだろうか。春夫さんが認知症だけど、いつも龍二さんに同じことを言っているし、何か、大きく記憶に残る出来事があったんじゃないだろうか。

「なんだよ。怪しい男。やんのか。おお。」いつものように敵意剥き出しだ。

「いや、違います。ちょっと聞きたいことがあるんですけど。」僕の言葉を聞くと、ちょっと意外そうな表情になった。今まであまりこちらから話し掛けるということはなかったからだろう。

「な、何だよ。何だよ。おお。」若干後退りながら、警戒心剥き出しだ。

「あの、いつも思うんですけど、龍二さんが人殺しの息子ってどういうことですか?あ、僕が怪しい男っていうのは否定しないですよ!ハハハ。」少し自虐を入れて、会話を和らげたつもりだったけど、相変わらず春夫さんは僕のことを警戒している様子だ。

「なんだよ。なんだよ。知りてえのかよ。人殺しの息子は人殺しの息子だ。お、かかってこいよ。このやろー。」少し興奮気味な感じになってきた。やっぱり春夫さんに聞いても駄目か。というかあまり僕なんかがでしゃばって色々聞くべきではないな。春夫さんの反応を見て、何だか聞くことが悪いことに思えてきた。あまりしつこく聞いてはいけないような内容だし、やめた方がいいな。と、思った時だった。

「トラックで引き殺されたんだよ。可哀想になー。」ボソッと春夫さんは呟くように小さな声で言った。えっ、どういうことだ。その時勢いよく、良恵さんが窓から顔を出した。

「おい、春夫。また訳のわかんないこと言ってるのかい。さっさと帰んな。近所迷惑だよ。」いつものように叱られた。でも、僕としてはもう少し聞いてみたい。トラックで引き殺されたってどういうとこなんだろう。

「あの、春夫さん・・・。」僕の声は届かなかったようで、「おー、こえー。クワバラ、クワバラ。」と言って帰っていってしまった。

「まったく。いつもいつも、うるさい奴だよ。本当に。」良恵さんはイラついた様子で窓を閉めた。

今の春夫さんの言葉って、どういうとこなんだろう。

ジムの中に入り、良恵さんに尋ねた。

「あの・・・、今春夫さんが言ってたこもってどういうとこなんですか?」僕の言葉を聞いて、良恵さんは難しい顔をして、下を向いた。直感でわかった。良恵さんは知っている。

「あんなボケジジイの言ってることだ。真に受けるんじゃないよ。さあ、今日は日曜日だ。良い天気だねー。七海と散歩でも行きたいけど寝ちゃったよ。まあ、こんなに陽気が良けりゃ眠くもなるか。仕方ないね。掃除でもやるか。」

「ちょっと待ってください。やっぱり気になります。これだけいつも春夫さんが言うことなんで、あの・・・、本当のことなんですか?龍二さんが、人殺しの息子っていうのは。」

「優一。何でそんなに聞きたいんだよ。聞いてどうするんだ?」少し強めの口調でそう話す良恵さんの顔は少し悲しそうに見えた。

「どうもしません。ただ、本当のことが知りたいんです。駄目ですか?」良恵さんは少し考えている様子だった。しばらく沈黙が続いた。

「何でそんなに知りたいんだよ。ここの過去のこと知ってどうしたい?」

「別にどうしたいとかではないんです。ただ知りたいんです。」ここの会長は僕のおばあちゃんだしとは絶対に言えない。しかし、自然と言葉が出た。

「ここが、ここのみんなが大好きだし、ここの一員として扱ってほしい。だから、ここのことが知りたい。駄目ですか?」僕の言葉を聞いて、良恵さんは、大きく息を吐いた後、諦める様な表情になって話し出した。

「そんなに聞きたいか・・・。困ったねえ。そんなことを言われたら教えなきゃいけない感じになっちまうじゃないか。」

「お願いします。」右手で頭を掻き、諦めた表情の良恵さんは話し出した。

「確かに龍二は人殺しの息子だ。」急にそう切り出され、自然と「えっ。」という言葉が出てきた。

「なんだい。違うと思ってたのか?まあ、春夫の言ってることだからな。」

「いえ、春夫さんのこととかではなくて、なんか慣れない言葉が出てきたので思わず反応してしまいました。」

「なんだ。いつも春夫が言ってる言葉じゃないか。まあ、私とあいつじゃ信憑性が違うか。あまいいや。」良恵さんは続きを話し出した。

「人殺しっつっても、殺人犯じゃあねえよ。事故だ。あいつの親父の仕事がトラックの運転手でな。そのトラックで引いちまった。ついてねえよ。その日は天気も悪くてさ。疲れもあったみたいだ。ウトウトしちまったんだな。そんで刑務所入って罪償った。」そういうことだったんだ。心の中で納得した。龍二さんは確かに人を殺してしまった人の子供だ。だけど人殺しの息子なんかではなかった。僕は安心して良恵さんに聞いてみた。

「大変だったでしょうね。罪の償いもそうだし、相手の家族の方とかもいたでしょうし。」 僕の言葉を聞いて、良恵さんは少し、先程よりも悲しそうな顔になった。当時は周りの人達も心を痛めたんだろうな。しかし良恵さんの口から出た言葉は直ぐには理解できない内容だった。

「もうじきその相手の家族が帰ってくるよ。」どういうとこなんだろう。相手の家族って、ジムにいる人なのだろうか。

「明代だよ。」静かに良恵さんは呟いた。

「明代さん?え、家族って明代さんなんですか?」明代さんが家族って。頭の中でまだ整理がつかなかったが良恵さんの話は進んだ。

「そうだよ。あいつの夫だ。」おじいちゃんだ。直ぐに頭の中に浮かんだ。会ったこともないけど明代さん、おばあちゃんの旦那さんということは僕のおじいちゃんだ。

「明代さんが家族・・・。」ボソッと呟いた僕に良恵さんは言った。

「あいつは悲しんだよ。でも、直ぐ立ち直った。直ぐね。強い人間だ。」その横顔は少し笑顔で、少し悲しさが混じっていた。良恵さんはふーっと1つ静かに息を吐いて窓から見える外の風景を見た。よく晴れている天候の今日は強い日差しが入ってくる。

ガチャッ。ジムのドアが開いた。一瞬、明代さんかと思い、今の話を聞いた後だったこともあり、自分の中でどういう顔をしていたらいいかと自問自答した。しかし、聞こえてきた声は男性だった。

「こんちわー。」誰だろう。僕がここに来てからは初めて見る人だ。

「あのー、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?ねえ。」お世辞にも態度がいいとは思えない人は、大きな声でジムの入り口で叫ぶようにそう言った。

「なんですか?どなた?」良恵さんが丁寧にそう聞いた。良恵さんも知らない人みたいだ。

「あのさー、ここに田口梢と娘の七海いない?」やや乱暴な口調で良恵さんに尋ねる。その様子から良い印象は全く受けない。

「あの、ですからどちら様ですか?」

「俺?旦那。梢の。ねえ、いるの?いないの?」七海ちゃんのお父さん・・・、梢さんの旦那さん・・・。あの優しい2人からはちょっと印象がかけ離れているイメージで、家族ということにピンとこない。

やり取りの最中にドアが開いた。

「ただいまー。あちー。・・・ん、どなた?」明代さんだ。この様子だと明代さんも知らない人みたいだ。

「あ?おばさん誰?」

「おばさん?初めて会ったのに失礼な奴だね。帰んな。」そう言って何事もなかった様に中へ入ろうとした明代さんに七海ちゃんのお父さんは言った。

「あのー、俺田口梢の旦那です。うちの嫁と娘、ここに来てるって聞いたんですけど。梢の仕事場で。」その言葉を聞いて、明代さんの表情が変わった。

「梢の旦那?」ゆっくり入り口にいる彼に近付いた。

「そうそう。俺、梢の旦那。用事があるから会わしてくんない。」

「何の用事だい?」明らかにイライラしている様子の明代さんの変化に気付くことなく、彼は続けた。

「まあ、大した用事じゃないんだけどさ。ちょっと貰いに来たの。」そう言って右手の親指と人差し指で丸をつくった。その時だった。

ドスッ。

「うあ。」お腹を抱えて彼は踞った。突然の出来事に、僕は立ち竦んだまま何も出来なかった。良恵さんが駆け寄る。

「ちょっと明代。何するんだい。」

「何って、馬鹿な人間を凝らしめてやったんだよ。」その言葉を聞くと、お腹を押さえたまま、彼は顔を上げた。

「何しやがんだ、テメー。」その言葉を聞くと、明代さんはしゃがんで、彼の前髪を掴んだ。

「なんだいその口の聞き方は。失礼だろ。」

「なんだと。」2人やり取りを聞いて、良恵さんが、声量を押さえながら言った。

「ちょっと。奥で七海が寝てんだよ。そんなに大きな声でやり合ってたら、起きてきちゃうよ。」その時、彼は目を見開いて、前を見た。

「七海?七海がいるのか?」そう言ってジムの中を見回した。

「ああ、いるよ。良恵。奥で寝てるのかい?」良恵さんは何も言わず、頷いた。

「ちょっとこっち来な。」そう言って彼の髪の毛を掴んで引っ張り、強引に中へ入れた。

「痛っ。いてえなー。くそばばあ。」頭を動かし、手を外そうとするが、離れない。

「おいおいおい。何土足で入って来てんだよ。脱ぎな。」

「はあ?めちゃくちゃなこと言ってんじゃねえよ。」手を離すのを諦めたのか、そのまま彼は靴を脱いだ。

「はい、こっちだよ。」そう言って彼の髪の毛を掴んだまま、明代さんは事務所へ入って行った。

[23]

ガチャッ。

「入んな。」あんまりこんなクズ人間はジムに入れたくはないんだが仕方ないね。

「おお、七海。」そう言いながら七海へ近づいていく。

「おいおいおい、うちの七海に気楽に近付くんじゃないよ。」私がそう言うと、こいつの表情が一気に険しくなった。

「うちの七海?俺、父親なんだけど。」そう言って親指で自分の顔を指した。

「父親?馬鹿なこと言ってんじゃないよ。」

「なんだよ。どういう意味だ?」大分頭に血が昇っている様子だ。

「普段は女房と娘をほったらかして、久しぶりに会いに来て、梢に金の世話してもらおうって輩のどこが父親なんだよ。」

「・・・。」

「ほら。何にも言えないだろう。馬鹿が。」そうニヤけた顔で言ってやると、急に立ち上がり私の襟を掴んできやがった。

「・・・、この野郎・・・。」

「おお、やるんかい?いいよ、リング上がって一戦交えるか?どうせそうやって梢にも手を挙げてたんだろ?」そう聞くと、急に手を離した。

「梢の奴。周りにべらべら喋りやがって。」

「違うよ。あいつはあんたのことは一切喋ってない。悪口も聞いたことないよ。私はただ遺書を読んだだけだ。」

「・・・、遺書?」かなり動揺した様子で、大きな声を出して聞き返してきた。

「おい、七海が寝てるんだ。大きな声出すんじゃないよ。バカ。」私がそう言うと、声を小さくして直ぐに聞いてきた。

「どういうことだよ。遺書って。まさかあいつ死ぬ気だったってことか?」

「ああ、そうだよ。あいつ1人で死のうとしてたわけじゃない。七海と一緒に死のうとしてた。心中だよ。あんたみたいな奴のところに可愛い娘を残していけないって思ってたんだろうね。」少しの時間、沈黙が続いた。流石にショックの色は隠せないでいるみたいだ。

「・・・どうして・・・助かったんだ?死ぬの躊躇ったのか?」

「違うよ。あいつは本気だった。そのときの顔を見ればわかるよ。私が止めた。家の窓が開いてて見えたから止めに行ったんだよ。」全く勢いが無くなった表情は、更に生気が失われる様にどんどん沈んだものになっていくような感じだ。

「どうだ?少しは反省する気になったのかい?それともまだ金せびりに来るのか?ああ?」私の言葉はあまり頭に入ってない様子だ。

「それ・・・本当のこと?」

「本当だよ。あとちょっとで、あんた家族失うとこだったんだよ。事の重大さ、認識してんのか?」私の問いかけには応じず、ゆっくり七海の横へと移動した。片膝をつき、七海の顔を見る。表情だけで判断すると、ショックを受けている様に見える。

「帰るよ。」小さな声で言った。

「もういいのか?」顔だけ少しこちらに向け、「帰るよ。改めて梢と七海に会いに来る。金はとりあえずいいや。それと・・・。」そう言って少し間を置いた。

「助けてくれて・・・どうも。2人を宜しくお願いします。」慣れない様子の敬語を使い、出ていこうとした。

「梢はここに七海を預けて仕事行ってる。頑張ってやってるよ。七海はここに来てる奴らに可愛がられてる。みんなあの子にメロメロだ。楽しく過ごしてるよ。お前さん、全うな理由ならまた会いに来な。又金せびりに来たらただじゃおかないよ。わかったかい?馬鹿親父。」私の言葉を聞くと、こちらを振り向かず、小さく頭を下げて、ゆっくりとした足取りで出ていった。

[24]

ここ数日は晴天が続いている。今日も雲1つ無い良い天気だ。今年の夏は雨が少なくて、今日みたいな空模様の日が多い。仕事によっては雨が降らないと困る様な人達はいると思う。そういう方たちは気の毒だと思うけど、やっぱりこういう天気の方がいいな。

今日は店では期間限定のセール品を沢山提供するイベントが始まる。いつもより大分忙しくなるんだろうな。

「七海。ご飯食べれた?そろそろ出るよ。」

「はーい。もう少しだよ。」ハムエッグを口にしながら七海が答える。窓から眩しい日差しが入り込んでくる。朝干した洗濯物も直ぐに乾きそうだ。

ハムエッグを食べる七海を見ながらあの日をふと思い出す。絶望の末に進もうとしていた最悪の私の悪行。このドアを叩いてきた明代さん。あれからけっこう経ったな。あの日を堺に私達の日常はガラッと変わった。何か今考えると、馬鹿みたいだ。あんなことをしようとしていた自分が。

「ウウーン。」両手を挙げて背伸びをしていると、「食べたよー。」七海がハムエッグの欠片を頬っぺたに付けたまま言った。

「はーい。じゃあお母さんこれ片付けたら出るよ。」そう言って、食器を流しへ運び、洗っていると、ふと頭に浮かんできた。あの男のことが。思い出したくはないのに脳裏に現れた。今どうしているのだろう。もう数ヶ月ここには来ていない。おそらくどこかの女の所で生活しているのだろう。心配は勿論していないけど、いつ現れるかわからない。必ず金をせびりにやって来るに違いない。直ぐに暴力を振るわれるかもしれない。でも、絶対に私は屈しない。七海を、この暮らしを守るって決めたんだから。もう、あんな馬鹿なことも考えない。

「ねえ、お母さん、お母さん。」そう言って七海が、私の腰の辺りをポンポン叩いていた。

「ご飯食べたよ。行こうよー。」

「ああ、ごめんね。行こう行こう。」考え込んでいて、七海の声に気付かなかったみたいだ。もう七海は、食器を流しへ運び終えていた。

「よしっ。」食器を洗いながら、歯磨きをしている七海を見て、気合いを自分に入れる。そして、心の中で呟く。大丈夫だ。

[25]

「明代。昨日来たらしいじゃないか。梢の旦那。しばらく留守にしてて、急に来たんだろ。訳わかんないね。」道子が聞いてきた。良恵に聞いたのだろう。

「旦那?いたのか。梢と七海ちゃんの2人暮らしだと思ってたよ。ちょっと待て。しばらく留守にしてる旦那ってことは、ろくな旦那じゃないね。」準子が横から入ってくる。こういう会話が大好きな奴だから口を止めておかないといけない。

「ああ。来たよ。確かにろくでもない奴だった。なあ、お前たちさ、梢と七海には言うなよ。いいかい?」私がそう言うと、口を揃えて「ああ。」と返してきた。会話が一区切りつくと、丁度元気の良い声が聞こえてきた。

「おはよー。」七海が道の向こうから手を振っている。

「おーう。七海、おはよー。」

「いいかい。昨日のことは言うんじゃないよ。」一応釘を刺した。

「わかったわかった。」小さな声で準子が返事をしている横で、道子が小さく頷いている。信用出来る奴らだから大丈夫だろう。

「明代さん、みんな、おはよー。」

「おはよー。」道子と、準子が揃った声でそう言い、これまた同じタイミングで膝を曲げて七海の目線まで顔を下げた。

「おー、おはよう七海。今日も元気だね。」私が頭を撫でると、いつものようにニコッと笑う。

「おはようございます。」

「梢、おはよう。元気かい?疲れたまってないか?」子育てに仕事。いつも笑顔だけど、けっこうしんどいんじゃないのか。

「大丈夫です。七海も自分のこと色々出来るようになってきましたし、楽しく過ごせてますよ。」そう言って笑った。

「そうか。ならいいんだ。何かあったら遠慮せずに言いなよ。」

「はい。」何かあったら・・・。本当に遠慮せずに言ってもらいたいね。どんなことでも。昨日のことが頭を過る。変なことにならなければいいが。

「それでは行ってきます。宜しくお願いします。七海、良い子にしてるのよ。」

「はーい。行ってらっしゃい。」両手を挙げて元気よく母親を見つめる七海は本当に可愛い。

「行ってこい。今日も仕事楽しんでこいよ。」

「はい。」元気に駅へ向かって歩を進める梢の後ろ姿を見つめる。この親子に辛い思いには2度とさせないよ。花壇の土から伸びるハマギクを見ながら拳を強く握った。

「明代。本当に大丈夫なのかね。変な男だって話じゃないか。」準子が心配そうな顔で言ってくると、つられて道子も表情が曇った。

「大丈夫に決まってんだろ。コレコレ、七海の前でそういう話題は慎みなよ。この子は賢いんだ。小さくても察して、心配になっちまうだろ。」

「ああ、ごめん、ごめん。」そう言って準子は胸の前で小さく手を合わせた。

「さ、七海。今日は何しようかね。おばちゃん3人と散歩でも行くか?」

「行く行くー。アリー、行くよー。」そう言って、ジムの中にいるアリの所へ走り出した。ジムの中で、アリの首輪に、散歩用のロープを繋げる仕草は慣れたもんだ。最近の3歳児にしては珍しいよな。外でばあさん達とデカイ犬を連れて散歩なんて。

「おーい。おはよー。」

「あ、良恵さんだ。おはよー。」道の向こうで大きな声で良恵が手を振っている。

「やれやれ、またばばあが1人増えたね。さ、七海、ばあさん4人と散歩行こうね。」

「うん。今日は公園行きたい。いい?」

「いいよ。しっかり遊ぼう。」七海の髪の毛を撫でると、最高の笑顔で「うん」と返してきた。

夏の眩しい太陽が今日も私達を照らす。蝉の鳴き声も、外でマブダチと〝孫〟と聞くと悪くないね。

[26]

強い日差しに思わず目を細める。公園を行き交うのは殆ど高齢な人達だ。この時間だと当たり前か。学校や、仕事をしている人達は活動時間だ。早朝や、週末はジョギングをしたり、ボール遊びをしている人達で賑わっている。今日は早めに仕事が終わった。この時間、公園のベンチでコーヒーを飲んで一息つくというのはなんだかホッと出来ていいな。七海をいつでも迎えに行けるんだけど、ちょっとこういう時間を楽しんでみたくなる時もある。七海や、お世話になっている明代さん達には申し訳ない気持ちもあるけど、多少はこういったリセットすることも必要だ。ほんの少しの時間だし。七海を迎えに行って、2人で過ごす時間はかけがえの無いものだけど、やっぱり疲れはくる。

あと10分くらいしたらジムへ向かおう。

新たにコーヒーを一口口に流し込み、フーッと息を吐く。空を見上げて、やっぱりこの時間の晴天の空は良いなと改めて思う。その時だった。

「梢。」ハッとした。その声が耳に入った瞬間、背中に寒気が感じられた。一気に気持ちに、動揺が混じり混んでくる。声のした方へは、視線は移さない。いや、移せない。間違いなく、アイツだ。・・・啓太。私の夫。私の中では夫と思っていないけど、戸籍上はそうなってしまっている。缶コーヒーを持つ両手に力が入る。目線も缶コーヒーから動かすことが出来ない。何も考えることが出来ず、体は全く動かせない。

「梢・・・久しぶり。俺だよ。」嫌だ。嫌だ。聞きたくない・・・この声。

気が付くと、ベンチから立ち上がり、声のする位置の逆方向へ歩き出していた。

「ちょっと待ってくれよ。なあ。」走って私の前まで来た。久しぶりに見る顔。いつかは来ると思っていたけど、実際この男を目の当たりにしてみると、こんなにも失望感が出てくるのか。

「・・・、な、何?」何とか口を開いて言葉を絞り出した。

「ん?ああ・・・、久しぶり。元気・・・かな?何度か家行ったんだけど、いつも鍵かかってて、電気もついてないしさ。俺鍵持たずに出ちゃってたから、入れなくて、ハハハ。」若干の違和感を憶える。何だか低姿勢だ。今までならもっと横柄な態度なのに。ここが公園で、周りに人がいるからだろうか。

家に入れないのは当たり前だ。帰れば直ぐに鍵をかけるし、七海を寝かせたら直ぐに電気を消す。私も早く寝てしまうし、何か用事があれば、懐中電灯を使っていた。全てはコイツが来たときの対処に備えてやっていた。お金が貯まったら別の所に引っ越すことも考えていたくらいだった。それなのに、こんなかたちで会ってしまうなんて。

「あの・・・、お金はないよ。ありません。用があるから、い、行くね。」一刻も早く、この人の前からいなくなりたい。下を向きながら立ち去ろうとした。

「ちょっと待ってくれよ。そういうことで梢に会いに来た訳じゃない。」再び私の前に回ってそう言った。なんなんだ。いきなり現れて、良い人ぶるような言い方。これ以上話したくない。話しちゃいけない。早く逃げたい。この男と関わってしまったら今の暮らしが持続出来ないかもしれない。また前の様な暮らしに・・・嫌だ。それだけは絶対に嫌だ。

「もう止めて。帰って。お、大声出すよ。」勇気を振り絞ってそう言った。しかし、啓太はまた丁寧な口調で、「ちょっと待ってくれよ。違うんだって。本当に金とかそういう事じゃないんだ。」優しそうに話すけど、信じちゃ駄目だ。

「ちょっと本当に止めて。」そう言った時だった。

「ちょっと何してんだい。」声のする方に目線を移す前に誰だかわかった。いつも聞いてる声。良恵さんの声だ。

「あんた、梢に何の用だい?」そう言って啓太を睨み付けた。

「いや、別に特に用事とかじゃなくて、ち、ちょっと話がしたくて。」

「ああ、そうかい。でもね、こっちは話しなんかしたくないんだよ。なあ。梢。」と、怒りがこもった表情のままこっちに振り向いた。

「え、ああ、はい。」

「そういうことだ。じゃあね。」そう言って私の腕を引いて、足早に公園を後にした。一瞬の出来事に私はあたふたするしかなかった。

[27]

「おーい、七海。そろそろお母さん来るぞー。って、あれ、寝ちまったか。」少し離れてただけなのに、いつの間にか事務所のソファーですやすや七海は寝ていた。最近よくアリとはしゃぎ回ったり、外で沢山走ったりしてよく動くから疲れて直ぐ寝ちまう。今日もアリとよく走ってたからな。まあ活発で良いことだ。毛布を七海の体にかけると、玄関から良恵の声がした。

「おーい、入るよ。」いつもの様にでかい声を出しやがる。

「ちょいちょいちょい、七海寝てんだ。大きな声出すんじゃないよ。あれ、梢も一緒かい。」

「はい。行って来ました。」そう言って、いつもの様に軽く頭を下げたが、何だか様子が変だ。元気がなく、若干落ち込んだ感じがする。

「何だ?梢、元気ないじゃないか。何かあったのかい?」そう言うと、梢は顔を上げて、「えっ。」と言った。直ぐに良恵が、話し出した。

「さっき公園で、ばったり会ったみたいなんだよ。旦那。何か言い寄られてた所に私が偶然遭遇して、引き離して連れてきた。隠してても仕方ないと思って、ここに来る間に話したよ。昨日の事。別にいいだろ?」溜め息をつきながら良恵はそう話した。そういう事か。

「梢悪かったね。内緒にしてて。急に旦那来たって話すと、動揺しちまうと思って、とりあえず黙っとこうってなったんだよ。」私がそう言うと、「いえ、大丈夫です。」そういう梢の表情はまだ冴えない。

「あんたたち入んなよ。」そう言って2人を中へ通した。

事務所のソファーでは七海は変わらずすやすや寝ていた。3人共、暗黙の了解で、なるべく音をたてずに椅子を引いて、座った。

「で、梢。何か言われたのかい?旦那には。」そう小さな声で言うと、軽く2回首を振った後、「いえ、特に何も。」と、目線を下げ、俯いた表情で答えた。

「そうか。そうだろうな。」私の言葉に、意外だったのか、「えっ」と言って顔を上げた。ここへ来た時の様子なら予想が出来る。

「話したんだよ。最初に梢と七海に会った時のことをさ。梢が何をしようとしてたか。何だかショック受けてたよ。ろくでもない旦那だけど、一応女房と娘のことは思ってんじゃないか。」私の話を梢は黙って聞いている。

「で、これからどうするんだい。あいつとは?」そう聞くと、目線の位置は下げたまま、「また戻るという気は全くありません。絶対に。」と強い意思を感じさせる表情と、話し方で言った。でも、私が思うにあの男、そこまで悪い奴じゃあないと思うんだが。私の話を聞いた時のあの反応は本当にショックを受けた人間の様子だった。

「なあ、梢。でも、一度しっかり話した方が良いぞ。ろくでもない旦那かもしれないけど、七海にとってはこの世で1人だけの父親だ。」梢はチラッと七海の方を見た。

「・・・、はい。そうですよね。」まだ落ち込んだ様子のまま、静かにそう答えた。旦那から受けたであろう、痛みの数々は梢にしかわからない。周りがとやかく言うことではないのだろうけど。

「まあ、少しゆっくり自分で考えてみればいいよ。何かあったり、話したいことがあれば何でも聞くからさ。」肩を軽く叩きながらそう話しと、小さく「はい。」とだけ返してきた。

「大丈夫だ。梢。1人じゃないからな。みんな付いてる。1人で背負い込むんじゃないよ。」わかりましたと返事を返してくると思ったが予想に反した反応を梢は見せた。机に両腕を置いて、1つ溜め息をつき、「明代さん、色々すみません。・・・何だか私1人で、七海を見ていこう、支えていこうって偉そうに思っていました。でも駄目であんなことをしようとして、明代さんに助けられ、今もこうしてみんなに助けられて生きている。旦那が現れてまた問題が起こっても結局みんなのお世話になっている。・・・私ってなんなんでしょうね。無力過ぎて嫌になってきます。」そう言って、両膝をつき、泣き出してしまった。ちょっとこれじゃあいけないね。

「おい、梢。ちょっと聞きな。」先程とは違う、若干強い口調で言葉を発すると、梢は顔を上げた。

「悩んでても仕方ないんだよ。あんた、強くなるんだろ?強くなって、七海とこれから色々なこと乗り越えていかなきゃいけないんだろ?」私の言葉を聞いて、「はい。」と即答した。

「だったら下を向いてちゃ駄目だ。涙は流してもいいよ。私達にどんなに頼ってもいい。でも、前を向きな。下を向かずに前を向くんだ。悩む時間があるなら考えるんだよ。悩んでたって時間が勿体ない。動け。悩むより、行動した方が楽になるんだからさ。」黙って聞いていた梢はチラッと七海を見てから又こちらを見て、「そうですね。ありがとうございます。明代さんに会って、強くなろう、生きようって思ってたのに、弱気になってました。」

「ハハハハハ。そうだそうだ。強くならなきゃな。ってか強くなってきてるんだ。」

「私・・・、強くなれてますか?」梢は何とも言えない表情でそう呟いた。

「幾たびか辛酸を歴て、志始めて堅し。ってな。」私の発した言葉に少し時間をおいて、「何だか難しいですね。どういう意味ですか?」と聞いてきた。

「何度も辛く苦しい経験をして初めて、志は堅牢なものとなる。西郷隆盛の言葉だ。要は誠意を持って自分が信じることを貫いて生きてると何度も辛酸をなめることになる。でも、ぶれない心を持っていれば大きな事を成し遂げる、みたいな意味だ。お前もぶれずに七海との幸せを心に誓って頑張っていけば、きっと上手くいく。もっと強くなって、自分の色んな夢とかも叶えられるよ。その過程で、辛く厳しいことも降りかかってくる。今は試練の時だ。なあんてな。ハハハ。まあ、気楽に行こうぜ。」ちょっと声が大きくなってしまっていたのか、ソファーで寝ていた七海が起きた。

「あ、お母さん。」

「七海。ただいま。しっかり寝れてたね。」そう言って七海の横へ座り、抱っこした。本当に良い親子だよ。

「しっかりアリと遊んでたもんな。しっかり動けてしっかり寝れる。良いことだぞ七海。」そう言うと「へへへ。」と笑った。

「さ、それじゃ帰ろうか。七海。」

「おーし。しっかりご飯食べてしっかり寝ろ。明日も沢山遊ぼうな。七海。梢、考えるんだよ。色々。前向きにな。何でも相談しな。」

「わかりました。色々ありがとうございます。」そう言う梢の表情はさっきよりも格段良くなっていた。

[28]

日の出の早い夏の季節で晴天の日は、朝のロードワークは気分が良い。天竜川沿いの堤防で朝から活動しているのはいつもだいたい俺と、散歩をしている高齢の人達くらいだ。あと、蝉たちも朝から大きな声を出して活動している。川には舟下り用の船が3隻浮かんでいる。いつもの光景だ。弁天橋から水神橋まで繋がる堤防を経過していつもなら2キロ程の我が家へ帰るのだが、今日は仕事が休みだ。少し遠回りして、ジムまで走って帰ろう。ふとそう思った。

今日は交通量がいつもより少ないように思う。雑音が少なくて走りやすい。公園の横を通ると、ここにも高齢者が何人かいて、話をしている。本当に多い。過疎化の影響なんだろうな。俺も都会のジムに行こうと思った時期もあったな。南信ジムよりも大きな所は都会に行けば沢山ある。勝ち進めばそっちの方がスムーズに上にいけるだろう。でも、それじゃつまんねえよ。今までチャンピオンが出たことのない小さな地方ジム。初めてのチャンピオンになるってのも悪くない。大きなジムなら歴代王者の中の1人にすぎなくなっちまう。それにボクシングを始めたジムだ。恩返しをしたい気持ちもある。まあ、俺はそんなキャラじゃないから、口にしたことはないけど。それに・・・、償っても償いきれない。せめてもの、せめてもの償いだ。俺が、功績を残しても、明代さんはどれだけ喜んでくれるかはわからない。償いというより、俺の中での納得なのかもしれないな。

伊那八幡駅付近の踏み切りで足止めをくった。電車には数えれるくらいしか乗客はいない。電車が通りすぎ、遮断機がゆっくりと上がり、俺は再び走り始めた。数少ない行き交う人達は忙しそうにしている人もいれば、携帯を見ながら暇潰しに歩いているような人もいる。人口が減ってきているこの地域でも、様々な人間模様があるんだろうな。

長い坂道を上がっているとジムが見えてきた。午後からは賑やかになるが、朝のこの時間はまだ静かなんだろうな。

ふと、俺の足を止めさせるものが、目に入ってきた。ジムのポストに、何か包みを入れている男の姿。若干周りを見回している。どう見ても怪しいが、不審者ではない。親父だ。何をしているんだ。あの一件があって、刑期を終えて、母さんと離婚してからしばらく会っていない。最後に会ったのは出所した時だから2年程前だ。

気付くとジムに向かって走り出していた。

「・・・親父。」ポストへの投函を終えて、ジムを後にしようとしていた親父は、背後からの呼び掛けに若干驚いた仕草をしながらゆっくりこちらに振り返った。久しぶりに見た親父は、無精髭を生やし、作業服姿だ。これから仕事なのだろう。確か、以前同様、大型トラックの運転手をしていると、母さんに聞いたことがある。

「りゅ、龍二。」何とも言えない表情で、息子の名前呼んだ。

以前の様な活発で明るく、話し好きだった親父の姿はそこに無かった。しかし、少しの間をおいて、若干笑顔になった。

「久しぶりだな。元気にしてたか?」

「・・・ああ。元気だよ。」表情はそのままで、フーッと息を吐き、続けた。

「そうか。ならいいんだ。母さんも元気にしてるのか?」親父は母さんともしばらく会っていない。ただ毎月銀行に振り込まれる金の確認が、親父の生存の証だった。

「ああ。大丈夫。母さんも元気だよ。」俺の言葉を聞くと、「そうか。良かった。」と、嬉しそうな顔で返してきた。そして、「じゃあ、俺は仕事だから行くよ。元気でやれ。体に気を付けるんだぞ。」そう言って背を向け、去ろうとした。

「ちょっと待てよ。なんかジムのポストに入れてなかったか?」そう尋ねた。聞かないわけにはいかない。すると親父は顔だけ少しこちらに向け、「なんでもない。じゃあな。」と言って、小走りで去って行った。久しぶりに見た親父の背中は以前の溌剌とした感じはなく、俺に寂しさを感じさせた。そんな親父との数年ぶりの対面は短なやり取りで終わった。

[29]

「よーし、いいよ、いいよ龍二。ナイスワンツーだ。」

「・・・、はい。」いつも通り素っ気ない返しだが、キレがいいね。

カーン。

「よーし、ミット終了。」

「ありがとうございました。」静かにそう言って、サンドバッグを黙々と叩き出した。試合まで後1ヶ月か。減量も順調で、動きも良い。上々な仕上がりじゃないか。こいつは誰よりも練習する。時には取り付かれたんじゃないかと思うことさえあるくらいだ。才能がないわけではないけど、こいつは努力型で、今のポテンシャルを作り上げた。いつもクールなくせに、心の中には燃えたぎる様な闘争心を持っている。

でも何か、優一と会ってから少し変わったな。多少笑顔も増えて、言葉数も以前より多くなった気がする。以前のあいつに多少近付いた様な感じか。あの無邪気だった少年時代。最初見学に来た時の事はまだ覚えてる。ジムにあるいろんな物を見て興奮してたな。サンドバッグにパンチングボール。練習している奴らをずっと見てた。あいつ自信がここに入って練習始めると、直ぐ上達していったな。才能じゃない。好きこそもののなんとかって感じで、ボクシングにのめり込んだ。夢中でやってたな。あの人・・・、旦那の言うことを素直にしっかり聞いて頑張ってた。旦那もそんな龍二が可愛くて仕方ない様子だった。懐かしいね。あんなことがなけりゃ、もっと違う感じで龍二は強くなってたかもしれないね。・・・って止めよう。過ぎちまったことを、タラレバで思い返すのは。

「さあて、七海。花壇の手入れするよーって、あれ、寝ちまったのかい。そうか。」いつの間にか七海は夢の中だった。よく寝る子だ。まだこんなに小さいんだ。当然だな。毛布を持ってきて七海に掛けていると、椅子の上からピピピと何かの音がした。携帯の着信音だ。

「おい、良恵。携帯鳴ってるぞ。」

「私のじゃないよ。優一のだろう。あ、あいつ買い出しに行っちまったね。」ちょっと前に優一に買い出しを頼んでいた。そそっかしい奴だね。携帯忘れて行っちまったのか。仕方ない。出るわけにもいかないし、そのままにしておくのがいいだろう。そう思って、ふと携帯を見てみた。携帯の画面には、母さんと出ていた。あいつの母親か。ちょっと迷ったが、出てみることにした。もしかしたら、いつも何しているか知らずに、心配しているかもしれない。ちゃんと親に事情を説明せずにここに来ている様じゃあ、申し訳ないからね。ちょっと話しでも。そんな軽い気持ちだった。

出ると、まず、向こうから話しかけてきた。

「あ、もしもし、優一。今日何時に帰って来るの?」

一瞬時が止まった感じの感覚に包まれた。この声。少しの時間、沈黙が続いた。

「もしもし。優一。聞いてる?」少しの間考えを巡らせた。間違いない。そうか。そういうことだったのか。

「優一じゃあないよ。」向こうも私の声を聞いて、少しの間、沈黙の時間が再び続いた。

「お、お母さん?」若干だが声が震えていた。今、どんな感情なんだろうね。息子に電話したら、母親が出た。しかも勘当を言い渡されてから、かなりの時間が経っている。私は自分でも不思議だが、なぜか落ち着いていた。それよりも、嬉しい感情が私の中で確認できた。もう勘当したって言っても大分前の話だし、実の娘だ。心配もしていた。それに、優一が息子って、ことは私の孫ってことになる。

「光。元気にしてたか?」そう娘に声をかけると、再び、沈黙の時間がうまれ、鼻を啜る音が聞こえた。

「なんだい。お前、泣いてるのか?」少し、笑い声を交えてそう言うと、「お、お母さん。ごめん、ごめんね。」電話の向こうで、光は声を絞り出すように、なんとか声を発していた。

「何泣いてんだい。バカ。」

[30]

トイレットペーパーと、食器用洗剤。あと七海ちゃん用のオレンジジュースとお菓子にインスタントコーヒー。これで良かったかな?けっこうな量のお菓子を買ったから重さがあり、今日の気温の高さもあって、身体中から汗が吹き出してくる。スーパーからジムまではそう遠くはないけど、こうも暑くて、両手に荷物だと流石にキツいな。スーパーから数100メートル歩き、曲がり角を曲がるとジムが見えてきた。蝉の声が今日もよく響いている。額に滲む汗を右手で拭き取り、ジムへと歩を進める。いつも行く度に思うけど、スーパーが近くにあって良かった。この時期だから尚更そう思う。ジムの前へ着くと、アリが大きな声で鳴いていた。さっきまではジムの中にいたが僕が買い出しに行っている間に、外へと移動していた。中にいるのが退屈になってくると鳴き声を出す。中へ荷物を置いたら散歩へ連れて行こう。そう思ってジムの扉を開けた。

「行って来ました。」そう言って中へ入ると、直後に明代さんに大きな声で話し掛けられた。事務所の中からだ。

「おい、優一。中へ入りな。」あれ、何か怒られるのかな?思い当たることは無いけどな。そう思いながら事務所へ入った。「失礼します。何でしょう。」そう言いながら入ると、ふと目に入ってきたのが、机の上に置かれた携帯だった。

「ちょっとそこ座んな。」何を言われるんだろう。思い当たる節はない。

「・・・はい。」そう言いながら椅子に座った。明代さんは、腕を組み、フーッと息を吐いた。そして珍しく小さな声で、「優一。携帯忘れてたぞ。」と、台の上の携帯を指差し、そう言った。

「あ、すみません。」そう言いながら携帯を取った。

「電話鳴ったてたぞ。」そう言われ、着信履歴を確認した。

母さん。その文字を見た瞬間にドキッとした。ゆっくり上目遣いで明代さんを見る。明代さんはコーヒーを1口飲み、リラックスしている様子だった。もしかして。その可能性を考えると、心の中に動揺が生じたのがわかった。ドキドキして、心臓の音が聞こえる様だった。少しの沈黙が続いた。いや、僕にとっては少しではなかった。かなり長い時間に感じられた。どのくらいの時間が経ったのだろう。僕は何も言い出すことは出来なかった。

「おい。」明代さんが口を開いた。思わず、「はいっ。」と答える。

「孫。」そう言って立ち上がった。

「おい、孫よ。」もう一度そのフレーズを口にしながら、テーブルを周り、近付いてきた。表情は先程から変わらない。僕はどうして良いか分からず、ただ明代さんを見ながら、立っているだけだ。

「孫。」ともう一度言って、僕の横まで来た。急に明代さんは右手を僕の頭の上に持ってきた。と思うと、急にニコッと笑った。そして、手を激しく動かし、頭を撫でて、「優一。あんた、私の孫じゃないか。なんだいなんだい。嬉しいじゃないか。会いたかったぞ。」そう言って、満面の笑顔で、両手で僕の顔を包んだ。どうして良いか分からなかった。しかし、そんな明代さんを見ていたら、自然と涙が出てきた。なぜだかは直ぐには理解出来ない僕がいた。

明代さんを見ると、涙ぐんでいた。


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