プロローグ
新作始めました。
中年の男『マーレ』は疲れていた。年齢は最近三十路に入り、若い冒険者からはロートル扱いを受けるようになってきていた。
身体のあちこちに鈍い痛みを感じ、歳を取ったと感じさせるには十分だった。
かつての同期達は今も歯を食いしばっているか、早くに冒険者稼業を辞め別の人生を歩んでいる者が殆どだ。
そう考えると自分もそろそろ潮時なのかもしれないと考えた男は自分の今後について真剣に考え、潔く引退する事に決めた。
♦♢♦♢
多くの人々が往来する道を進み、目的地である冒険者ギルドへと辿り着く。
建物の中へと足を運ぶと、多くの冒険者が一斉に視線を男に向け、すぐに視線を戻す。
「あれれ~? ロートルのおっさんまた依頼受けに来たの? そろそろ引退したら~?」
男を揶揄うように喋っているのは今最も勢いに乗っている若手の冒険者で、ベテランの冒険者達が大いに期待を寄せている。
俺を小馬鹿にしている態度を取っているが、冒険者は舐められたらそれで終わりな面があるので、彼ぐらい老骨に食って掛かる方が実力主義の冒険者稼業では丁度いい。
「言うようになったな、坊主。その調子で冒険者ギルドの連中を引っ張って行けよ」
俺の言葉が意外だったのか、呆然とした眼差しで見ていて何処か面白かった。
他にも話しかけて来た連中を上手く躱し、馴染みのある受付嬢がいるカウンターへと辿り着く。
「おう、エミリーの嬢ちゃん久しぶりだな」
「いらっしゃいませ、マーレさん! 今日の御用はどういったご用件でしょうか!」
目の前にいる受付嬢の名前は『エミリー』、元気な笑顔でハキハキと喋り俺みたいな中年の親父にも嫌な顔一つせず受け答えをしてくれる。そういえば、彼女が初めて担当した客が俺だったと聞かされた時は素直に嬉しかったもんだ。
こんな可憐な少女の笑顔を見るのが今日で最後になるのは忍びないが、これも時代の流れって奴だろう。さっさと用件を伝えて立ち去る事にする。
「おう、今日付けで冒険者を引退しようと思ってな。手続きを頼む」
俺は彼女にそう伝え、自身の冒険者カードを提示すると、エミリーの嬢ちゃんの目が大きく見開いて固まって居る事に気づく。
更には先程まで建物内で騒いでいた連中まで黙り込んでおり、周囲の音が完全に静まり返っていた。
「あの……マーレさん。い、引退って……本当に?」
「ああ、最近身体のあちこちが鈍くなってきてるし、若い連中も俺の様なロートルをいつまでも見続けているのは酷ってもんだろ? だから潔く引退しようと思ってな!」
なるべく俺は明るく振る舞う事に努め、誰のせいでもないとアピールする。
しかし、エミリー嬢はそれでも納得が行かないのか、俺の提示したSクラス冒険者のカードが効果を失うのが悔しそうに震えていた。
すると、上の階から誰かが降りてくる。
「あぁん? なんでえこの静まりようは……って何してんだマーレ」
「久しぶりだな、ギルマス。俺もなんでこんなに静まり返る必要があるのかわからん」
彼はこの冒険者ギルドを仕切るギルドマスターで俺と同期だった男だ。
元Aクラス冒険者で様々な功績を評価されて、現在は今の地位に落ち着いている。
「マスター、マーレさんが……マーレさんが……」
エミリー嬢が泣きそうな声でギルマスに事情を説明すると、彼は大きく溜息を吐く。
「マーレ、お前本気なのか? 冒険者を辞めて今後どうするつもりなんだ?」
「老兵は何も言わず去るって言うだろ? 田舎の故郷にでも戻ってスローライフって奴を楽しんでみようかと考えている」
俺の答えにギルマスは眩暈がするように瞼を手で押さえ、天井に向けている。
「……分かった、俺が受理してやる。だが、もし国の有事の際には友として助けを求めるかもしれねえ、それだけは認めてくれねえか?」
「それは構わんが、もう俺程度の奴を頼る事なんざねえだろ」
俺の引退手続きをしつつも、またギルマスが大きく溜息を吐く。
「あの、マーレさんはもうここには来ないんですか!?」
「俺の故郷からこの都まで馬車で二週間は掛かる。余程の用事がなければ足を向けないかもな」
「そう、ですか……」
俺からの返答に何故か俯いてしまうエミリー嬢。俺みたいなおっさんでも別れを名残惜しんでくれるのは正直嬉しいが、重く受け止め過ぎじゃねえか?
冒険者ってのは一期一会、出会いがあれば別れもあるってもんだ。
今生の別れじゃねえだけマシってもんだろうに。
そうこうしてるうちに、ギルマスが手続きを済ませて話しかけてくる。
「ホレ、これでお前さんは冒険者ではなくなった。だが、通行証としての効力だけは残しておいたから持っていけ」
「ありがとよ、達者でな」
にかっと笑い、15年世話になった冒険者ギルドを後にする。
他の連中は何か言いたげだったが、何も言い出さず黙って見送ってくれた。
さらば、我が青春の地よ! ってな。
♦♢♦♢
マーレが冒険者ギルドを去った後、建物内は騒然としていた。
若手の冒険者は大泣きし、受付嬢のエミリーは余りのショックに業務に支障が出ていた。
この冒険者ギルドはこの国の中心地、『王都プロミネンス』に居を構えている国の各地に点在している冒険者ギルドの本店である。
そして、マーレは本店が抱える最高戦力であるSクラス冒険者であった。
彼が15歳の時に登録してからの15年間で積み重ねた功績は劇になるほどの偉業があったりする。
だが、彼は自分で出来る事はきっと腕を磨けば誰でも出来ると途轍もなく自己評価が低く、かつての仲間や上位貴族から度々注意を受けていたが、終ぞ彼の自己評価は覆らずに冒険者稼業に幕を引いた。
そんな彼を長年見て来たギルドマスターは思う。
(全く、エミリーがあいつに惚れてるなんて誰が見ても分かるだろうに、朴念仁が。それに、あいつに惚れてる女は他にもいる。王都から姿を消したと知ったらこれから荒れるぜ……。)
今後起きるであろう問題にギルドマスターはシクシクと胃を痛めるのであった。
♦♢♦♢
そんな周囲を気苦労を知らないマーレはというと――
「おっし! これでもう悩む事は何もねえ。遥か彼方の故郷に向かって歩きますかねえ」
そう気合を入れ、彼は王都の門を踏み出す。
人の数も少なくなってきたところで、マーレは得意の水魔法を使用する。
「ここまでくれば魔法を使っても大丈夫だろう、【水の板】」
マーレが短い詠唱を唱えると、足元に大人一人が乗れる水の板が形成される。
そして、その水の板にひょいっと飛び乗ると、足が水の板を抜ける事なく着地する。
この魔法は彼のオリジナル魔法であり、愛用している移動魔法である。
「よーし、行くぜぇ! 『噴射』!」
マーレの追加詠唱により、水の板の後方から勢いよく水が噴出し、その勢いを利用して猛スピードで長距離を駆ける。この手段により馬車で二週間掛かる道のりを半分の一週間に短縮するのであった。
人物紹介
主人公マーレ:元Sランク冒険者。凄腕の水魔法の使い手。自己評価が低く、性格は温厚で冒険者らしくないと言われる事もしばしば。
王都ギルドマスター:去る者を強引に引き止めても良くないと考え、自らマーレの冒険者家業にピリオドを打つ。マーレに惚れている女性の存在に複数名心当たりがあり、これからどうなるのか戦々恐々としている。
エミリー:人気がある受付嬢で、マーレに恋する乙女。年齢は20歳で、近々マーレに告白するつもりで居た。